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人として、信仰者としての成長を目指そう! 2012年9月2日

日本は、世界でも有数の自動販売機数を誇る国です。そんな数ある自動販売機の中でも、最近注目を集めているのが、東京駅などJR東日本の各駅に登場し始めた、新型自動販売機。これが“次世代型”と呼ばれるのは、単に大型タッチパネルの外見やカッコ良い操作性にあるのではありません。

実はこの自動販売機、一つのメーカーの商品だけではなく、様々なメーカーの売れ筋商品を収容しています。さらに凄いのは、人がこの自動販売機の前に立つとセンサーで性別や年齢などを自動的に推定し、気温や時刻なども考慮して、お勧めの商品を画面の一番目立つ場所に提示する、というもの。ビジネスマンなら栄養ドリンク、女子学生なら乳酸菌飲料…、というように。まさに自らマーケティングしながら販売する自動販売機で、すでに従来機に比べて50パーセント以上の販売数の伸びを記録しているようです。

技術革新は、文字通り日進月歩。私たちがゴロゴロし、ダラダラして時間を過ごす間も、世の中の進歩はとどまることを知りません。機械はどんどん進歩し、生活はますます便利になっています。

そういう状況において、むやみに機械と競争し、負けないように頑張る必要はないと思うのです。むしろ、本当に人間でしか経験できないような成長や進歩を忘れてはいけないはずです。IT技術の進歩やコンピューターの浸透で便利や豊かさに関わる世の中の道具はどんどん進歩しています。今まで人がしていたことも、機械が上手に簡単にこなしてくれる時代になりました。だからこそ、私たちは本当に“人間だからこそ”の部分で価値ある成長を続けたいと思います。人としてこだわるべきところがあります。

どんなに精密な機械でも手の及ばない、最も人間らしい領域の一つが、信仰の世界、霊の世界。神様を信じ、信仰を働かせて期待する、というようなことは、どんな立派な機械にもできないことなのです。まだまだ残暑の厳しさを感じつつも、秋の日々が動き始めました。この秋の日々を、私たちは霊的成長の時として、価値ある時間を過ごしてまいりましょう。特に、あなたの信仰が、聖書の約束の通りに聖霊の力に満ち溢れることを実体験されますように。自分のわがままだけで生きるのではなく、神様のみこころを受けとめて行動し、キリストの愛を精一杯受けとめ、人々を愛し、聖霊による可能性や勝利を実際に体験してまいりましょう。信仰者として、この秋、さらに成長しましょう。


自分の居場所で輝こう! 2012年8月26日

夏一番の話題であったロンドン・オリンピックが終わって、早くも2週間。日本では帰国したメダリストたちを歓迎する祝賀のイベントが各地で大盛況です。ところが、開催国イギリスではややこしい事件が起きています。それは、アフリカ諸国などの代表選手たちの行方がわからなくなっている、というもの。

カメルーン、コンゴ、ギニア、コートジボアールなどアフリカ諸国からオリンピックに参加した選手やコーチたちが何人も、消息不明になっているのです。以前、米ソの対立を軸とした東西冷戦時代には、スポーツや音楽などの世界規模の大会の度に自由を求めて共産圏からの亡命を試みるケースがありました。今回のケースは、そういう思想的なもの、政治的なものではなく、自力で自国を出国し海外で働くより、オリンピックを機にいっそそのまま不法滞在であろうとも、とにかくイギリスに居座ってお金でも稼いで楽に暮らしたい、という安易な発想によるもののようです。

実は、私にもちょっと似たような思い出があります。10数年前、京都で開催された世界宣教をテーマとした国際的な大会でご奉仕した時のこと。アフリカ諸国から来る予定だった何十人もの代表団の内、確かに日本には到着したようなのですが、結局大会そのものには顔を出さず、いったい全体どこに行ってしまったのか、皆目見当の付かない人が何人も出てしまいました。日本の大会に招待されて、航空券までもらって喜んで来日したのだけれど、そのまま観光旅行に出かけたのか知人を訪ねたのか…、日本人では到底考えられない行動に出た人が何人もいたのです。牧師や伝道者でこの感覚ですから、オリンピックでタダで出国できたのを機に、そのままどこかに雲隠れしたいと思った選手たちがいてもおかしくありません。

政治的思想的な弾圧から逃れての亡命なら分かるのですが、せっかく自国の代表として選出されながら、オリンピックに出かけた先で消息不明となる、というのは情けない話です。自分がどの国を代表し、どういう誇りをもって、どこでしっかりと戦うべきかが分かっていません。それぞれに何かしらの理由があっての蒸発なのでしょうが、しっかりと根を下ろさない生き方はどうしても不確かで軽いものに見えてしまいます。私たちの生活や人生の環境も不足や欠点はいくらでもあるでしょう。しかし、だからと言って、いつも逃げ出すことばかりを考えていたのでは、本当の幸せは決して実現しません。今、自分が置かれているところで、信仰によって堂々と戦い、輝きましょう。


神の家族と過ごす恵み! 2012年8月19日

8月後半に入りましたが、猛暑の勢いはまだ弱まりそうもなく、天気予報でも、相変わらず34度や35度という数字を目にします。子どもたちの夏休みも後半ですが、暑さだけに振り回されず、ますます夏らしい充実の日々を過ごしてまいりましょう。

充実した夏の日々、と言えば、いくつもの教会の行事での恵みを数えることができます。私も、去る8月9日(木)〜11日(土)の3日間の学生会の“夏キャンプ”に同行してきました。佐田岬半島の伊方の施設での合宿です。私が語らせていただく3回の集会と共に、夏の大自然の中で毎日出かける海水浴が活動の中心でした。私の子どもの頃に比べると、海水浴に出かける機会も激減しています。中には親が出不精で、ひと夏に一度も海に出かけないどころか、何年も行ったことのない人もいるはずです。部屋に閉じこもって、一人でゲームばかりしている子どもたちが増えている昨今、大自然の中で、集会で、また食事をみんなで準備しながら大いに盛り上がっているみんなを見て、私は本当に幸せでした。そこには、確かに人と人との繋がりがあり、主キリストの信仰を土台とした信仰や祈りがあったからです。

全国の兄弟姉妹と2日間を共にした全国聖会も大いに祝福されました。今回は、琵琶湖の畔、滋賀県長浜市での開催となり、松山や福岡、高知などからは、今までの聖会で一番遠い場所となりました。長時間の行き帰りでしたが、何よりも聖会そのものが本当に恵まれたものであったことを、心から感謝します。全国から集まったお一人お一人と、一瞬の挨拶で“兄弟姉妹”と呼び合える関係にある事実は素晴らしいものです。一年間も会っていなかったことが嘘のように、あっという間に親しい会話となり、お互いに祈り合えたことは感謝でした。共に、“神の家族”として救いの喜びを再確認できたことは幸いでした。“引きこもり”や“孤独”が社会の問題点としてクローズアップされる時代に、私たちには主キリストの愛を共通の体験とする霊的な家族がいることは本当に感謝なことです。クリスチャンである私たちは、すでにひとりぼっちではないのです。共に讃美し、祈り、笑顔で語り合える“神の家族”がいる幸いを、感謝します。

この夏の日々は、まだまだ続きます。あなたも、単に暑さに耐えるだけの夏から、主にある兄弟姉妹との交わりを喜ぶ時を体験してください。夏だからこそ、いつもとは違う状況で神の家族と恵みの時を過ごすことができるのです。


へりくだりの心、謙虚な思いを大切に! 2012年8月12日

猛暑の中で、連日ロンドン・オリンピックの話題がテレビ、新聞、インターネットを賑わせてきたこの2週間でした。しかし、私たち日本人にとっては、毎年この時期が来ると必ず思い出すべき記憶があります。たとえば、8月6日と9日は広島と長崎の原爆の日、そして8月15日は終戦記念日です。また本日は、私たちの教会でも合同記念会礼拝として、すでに天に召され主と共にある愛すべき人々を偲ぶ礼拝の時を持ちます。その瞬間、全国民を熱くさせてくれるスポーツの歓喜だけに酔いしれるのではなく、しみじみと生かされている意味やいのちのかけがえのなさを受けとめる時を持ちたいものです。

しかし、いのちの価値、自分の人生の意味を真面目に考えようとすると、最近は何だかわがままに自分の考えを主張したり、感情に振り回された刹那的な理屈が幅を利かせたり・・・と、どうも落ち着いて思索することができません。いじめの話題も原発の問題も、何だかヒステリックに誰かを攻撃するばかりで、確かにその人の本音には違いないのでしょうが、だからと言ってそれを鵜呑みにして要求されるままのことを形にしては、かえって危ないことになりはしないかとも感じます。

一人一人の歩みも、人類全体の歴史も、実は完璧なものではなく、むしろ人間は不完全でいろいろと欠点の多いものであることは、過去を振り返れば明らか。それなのに、完全でなければならない、自分は完璧なもの以外はいらない、と金切り声を挙げて要求ばかりを繰り返しても埒が明かないのでは、と思います。戦争、環境破壊、差別などの不都合な事件も、その現場にとんでもない悪人がいたのだと決め付け、彼らを徹底的に糾弾すれば良い、と考えているだけでは、事態は良くなるどころか、かえって悪化してしまいます。

むしろ、私たちの先人たちの弱さや失敗も、また本当に一生懸命がんばった事実も、それらを含めて同じ人間のいのちを受け継いだ者として、謙虚な思いで様々な出来事に向き合いたいと思います。そして、何よりも必要なのは、素直にへりくだる心。神様、私には弱さがあり、完全ではありません、だから助けてください、導いてください、という思いを心の底辺に確保しておきましょう。自分は正しい、自分は間違っていない、という思い込みの心の態度が、恐ろしい高ぶりと紙一重なのだということを忘れずに。完全でない私たち人間だからこそ、神様を信じることの意義は、どれほど時代が流れても変わりません。しっかり神様を信じ、導きを求めて、与えられた人生を歩んで行きましょう。


あなたも夏のムードメーカーに! 2012年8月5日

先週の木曜日は、ロンドン・オリンピックの体操男子個人総合の決勝で、内村航平選手が見事金メダルを獲得し、未明から大騒ぎとなりました。4年前の北京オリンピックで銀メダルを獲得してからは、国際大会で負け知らず。世界選手権を前人未到の3連覇中のチャンピオンは、前評判どおりの圧倒的な強さを見せ付けての見事な金メダルでした。「体操ニッポン」としては、1984年のロサンゼルス・オリンピックでの具志堅幸司選手以来、28年ぶりの価値ある個人総合の金メダル獲得です。

しかし、個人総合に先立って行われた団体戦では、日本は大不調。内村選手を含めて、ミスの続出で悲願の金メダルは獲得できず、モヤモヤした銀メダル。素人目からも、日本チーム全体が何か重苦しい雰囲気に包まれているのが明らかでした。ミスがミスを呼び、マイナスの渦に巻き込まれたようで、予選も決勝もすっきりしませんでした。たかがスポーツという人もいるのですが、体操を始め、期待した諸競技での不成績で、何だか日本全体も重苦しい、どんよりした空気が流れていたと思います。

それが個人総合の決勝で、内村選手が懸念の「あん馬」を無難にまとめ、好スタートを切った所から、全体の雰囲気が好転していったようです。内村選手の自信回復から、会場で応援する人々も、テレビ桟敷の日本中のみんなも…と、歓喜の渦が一気に広がっていったのでした。たった一人の体操選手が、ちょっとした復調のきっかけを掴んだことにより、日本全体の雰囲気まで変えるムードメーカーになったのです。

私たちも、それぞれの場所で、この夏の祝福や楽しさを盛り上げるムードメーカーとなりましょう。今年の夏は、文句なしの猛暑の日々。暑いから、と愚痴をこぼし始めると切りがありませんし、エアコンの効いた部屋の中に閉じこもっていては楽しい時間をみんなと過ごすことはできません。不平不満や愚痴を言う人は放っておいてもたくさんいるのですから、私たちは逆に人々の心を明るくさせ、喜びの渦の起点となるムードメーカーとなりたいと思います。あなたの一声で、みんなの動きが積極的になり、あなたの笑顔が、沈みがちだった人の心を明るくさせます。信仰を持った行動が、あなたと共にいる兄弟姉妹にも神様からの恵みをもたらすのです。あなたらしい信仰で行動する時、聖霊が働いて恵みの渦が起きます。信仰による思い切った行動が、祝福の連鎖反応を起こし、笑顔の輪が広がっていきます。さあ、あなたも、主キリストによって、この夏の日々の諸行事に遣わされたムードメーカーとして用いられてください。


躍動感溢れる夏の日々を! 2012年7月29日

燦燦と降り注ぐ、というより、じりじりと照り付ける、という形容句がふさわしい、厳しい日差しの毎日です。マスコミでは連日、地方大会を勝ち抜いて高校野球甲子園大会出場を決めた球児たちの話題が流れていますが、この炎天下、何時間もグランドを駆け回り、真剣に白球を追い続けている高校生の体力には今更ながら驚いてしまいます。

テレビでは、開幕したロンドン・オリンピックのニュースが次々と流れています。“なでしこジャパン”や男子サッカーチームの見事な初戦勝利から始まった、4年に一度のスポーツの祭典。日本選手の活躍が気になり、私などは、翌日の仕事のことを考えながら夜中の同時中継にどこまで付き合うか、毎日悩んでいます。

そんな夏の勢いと繋がった躍動感に溢れる話題がある反面、何だかずっとどんよりした空気が流れているのも事実。ある調査によれば、20代後半の男性サラリーマンたちの25%は社内でのポジションについて“昇進などには興味がないからどうでも良い”という感覚なのだそうです。一部の人だけではありません。残りの内、24%は“昇進できなくても仕方がないと割り切る”、20%は“あきらめる”となり、ようやく4位の15%が“頑張りなおす”。しかし、次の5位10%は“転職”と一気に禁じ手のような回答。日本代表チームの奮闘には興奮し、激励し、時には「努力や頑張りが足りない!」と辛らつな言葉で批判する人々が、いざ自分のことになると向上心や前向きな競争意欲などを持てなくなっているのです。

前向きになれない人たちの本音には、“仕事が楽ならそれで良い”とか“給料が上がるより早く帰りたい”という思いがあるようで、一言で言えば、万年平社員希望の人が激増している状況なのだとか。もちろん、誰もが社長を目指す必要はありませんが、全体としての意欲の低下ややる気の喪失は大問題です。

こんな風に書いて、私も他人事ではありません。信仰の恵みをいただいて、毎日を喜びをもって過ごしたいと思います。神様が私の心に与えてくださった志や夢をしっかり確認して、この夏の日々を生き生きと歩んでいきたいと思います。主キリストの教会は、神様が与えてくださるいのちの喜びや躍動感が溢れる場所です。各礼拝や集会はもちろんのこと、この夏のキャンプや全国聖会、納涼大会など、様々な機会に皆様とお会いできることを楽しみしています。夏だからこそ、共に出会い、主を讃美できるのですから、本当に幸いです。あなたの心にも身体にも、主キリストが聖霊の力と祝福を注いでくださいますように。


「心理的引きこもり」状態に陥らないように! 2012年7月22日

九州などを除いて梅雨が明け、本格的な夏の到来となりました。西日本では本当に雨の多い今年の梅雨でしたが、明けてみると今度はいきなり35度を越える猛暑の毎日。じめじめした梅雨は嫌いだから早く終わってほしい、と言っていたはずが、今度はいきなり猛暑に突入して、夏バテ状態の人はいないでしょうか?

夏には、夏の過ごし方があります。暑いからと言って、エアコンの効いた部屋で涼んでばかりいると、かえってバテてしまいます。自分一人の小さな空間での快適さだけでは、どうしても本当の楽しさを体験することができません。せっかくの夏なのですから、活発で躍動感のある毎日を意識的に演出し、自分を押し出してみることです。今週は、木曜日からの子どもたちのキャンプも行われますし、8月に入っての学生会のキャンプや8月半ばの全国聖会の準備も着々と進められています。あなたもただボンヤリと眺めているだけでなく、積極的に参加し、実際に奉仕してみてください。きっと傍観者やお客さんでいるよりも、みんなと汗を流した方が、楽しく充実感のある夏を過ごすことができるはずです。

そもそも人は一人で生きていくようには造られていません。最初の人アダムに神は、“人が、ひとりでいるのは良くない”(創世記2:18)と語られました。これは単に夫婦や結婚の意味だけでなく、友人や仲間との関係はもちろん、教会の兄弟姉妹との関係についても言えることです。また、人間の成長や成熟を考えると、確かに人という存在は誰か自分以外の存在なくしては、自分を高めたり、成長させたりできないのです。誰かが周りで言葉をしゃべってくれなければ、生活に必要な会話も身に着けられませんし、自分の経験でしか学べなければ原始人と同じくらいの知識しか身に付きません。あなたが今、当たり前のように学び得た知識の総量とは比べ物にもならない、ホンの少しのことしか知ることができないのです。

楽しく幸せな毎日を送りたければ、思い切って人々と接していくことです。学生の引きこもりの問題だけでなく、自分一人の時間や空間を楽しむことが優先の“心理的引きこもり”の大人も増えています。要注意です。夏は、教会のイベントが盛りだくさん。霊的成長のチャンスでもあります。さあ、兄弟姉妹と共に、夏の暑さとは別の、信仰に燃える心の熱さで今年の夏を楽しさと充実感の溢れる日々としましょう。


「夏モード」へ、心を切り替えよう! 2012年7月15日

各地で、梅雨の終盤特有の、雷を伴った大雨となっています。熊本や大分などでは、“経験したことのない”集中豪雨で大洪水となり、亡くなる方々も出て、大変な被害となっているようです。特に、九州や四国では、もう十分過ぎる雨量となりましたので、早く梅雨が明けないか、と夏の晴れ間を心待ちにしています。

私にとっての梅雨から夏への心の切り替えのタイミングは、以前にもお伝えしたことがあると思いますが、7月のアンデレ宣教神学院のスクーリング終了時です。実は、昨日がそのスクーリング最終日でした。そこで、私は依然、空は梅雨の曇り空にもかかわらず、今日からは完全“夏モード”に心のスイッチを入れ替えたところです。今年の夏も、神様は実に夏にふさわしい集会や諸行事で恵んでくださいます。やはり、夏は躍動感の季節。もちろん、年齢や健康の状態も関係しますが、それを差し引いても心は生き生きとして、いつもよりもワクワクドキドキ感のある日々を過ごしたいと思います。

来週の日曜日(7月22日)には、本部教会のメンズクラブの皆さんが主催してくださる“サマービーチ”の開催です。礼拝の恵みの後、夏の日差しの溢れる海辺での時を、みんなで満喫できればと思います。夏休みに入ると7月26日(木)〜28日(土)は、教会学校のキャンプです。讃美や祈りのある時間の中で、小学生たちの笑顔がはじけることを願っています。子どもたちの心にも、ずっと残る夏の思い出となりますように。8月になると9日(木)〜11日(土)は学生会の夏キャンプ。昨年と同じ瀬戸アグリトピアでの3日間で、綺麗な海と夏の眩しい青空を楽しむことができますように。主キリストが共におられる交わりの楽しさを分かち合いたいと思います。そして、15日(水)〜16日(木)の2日間は滋賀県・長浜での全国聖会です。第19回となる、喜びと恵みを積み重ねてきた大会に、今年もみんなで集い、聖霊の祝福に満たされましょう。お申し込みがまだの方は、お早めにお願いいたします。

もちろん、8月12日(日)の合同記念会礼拝や8月25日(土)の納涼大会などもあり、夏の行事は文字通り盛りだくさんです。何よりも、主キリストが共にいてくださり、主の御名によって集う私たちを大いに祝福してくださいます。さあ、梅雨ももうすぐ終わりです。恵み溢れる2012年の夏の日々を、共に体験してまいりましょう。


救いと癒しの事実を受けとめよう! 2012年7月8日

東京・上野動物園でパンダのシンシンが赤ちゃんを出産。大盛り上がりとなっています。日本では24年ぶりのパンダの誕生、それも初の自然交配によるものだとのこと。今回、このパンダ誕生のニュースが流れたとき、私も東京滞在中でしたので、上野界隈を中心に東京全体が何となくざわめきたつのを感じました。地上634mという世界一の高さを誇る、自立型電波塔のスカイツリー開業以来、地元の押上や浅草など近隣の地域も大盛り上がりです。世相の暗さを誰もが感じているからでしょうか、何か明るいニュースがあると、やたらとみんなで飛びつき、商売のネタにもしようと躍起になっている感があります。ボーナス支給時期と重なって、不況が実感をもって身に沁みる頃です。とにかく何か明るい話題があれば、それにあやかりたい気持ちが働くのでしょう。

でも暗いニュースは事実、実感であるのに対して、明るい話題にはただあやかるだけではかなり寂しい感じです。人生の悲惨や試練は実生活の中で体験しているのに、喜びや幸せはテレビやネットの話題だけでは、どうしてもバランスが取れませんし、やはり徐々に暗さの方に引っ張られてしまいます。

神の言葉である聖書は、こう語っています。“キリストは・・・自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。あなたがたは、羊のようにさまよっていましたが、今は、自分のたましいの牧者であり監督者である方のもとに帰ったのです” (Tペテロ2:22〜25)。ここには、主イエス・キリストが十字架で成し遂げてくださったみわざの事実と、それによって私たちの人生にいただける直接の影響と結果が一切妥協なく宣言されています。

不幸や悲しみばかりを強烈な体験として自分自身に引き込み、幸せの事実を自ら遠ざけるようなことをしてはいけません。あなたにも私にも、確かに神様からのグッドニュースは、単なる情報ではなく、体験すべき事実として発せられています。日本人には、なぜか明るく楽しくなるのを遠慮する傾向がありますが、あなたの魂や身体のことに関しては、素直に神様からの恵みをいただいてほしいのです。あなたの救いと癒しは、ただ希求すべきものではなく、信仰によって受けとめるべき、もはや事実なのです。


“永遠”と向き合う信仰生活! 2012年7月1日

政権与党である民主党がボロボロです。衆議院の採決では、小沢氏をはじめ57人もの造反者が出て、今後の展開しだいでは完全な分裂ということもありそうです。3年前の今頃は、総選挙を前にして民主党が物凄い勢いでした。国の予算も組み替えさえすれば何兆円も余裕がでるとか、沖縄の基地問題も大きく変化させられるとか、当時の鳩山代表を中心に怪気炎を上げていました。それが、今は昔・・・という惨状です。“わずか”3年前です。

いくら猫の目が変わるように激しく変化する世の中だからといって、“国”に関する事柄までコロコロ変わると、やはり社会全体が落ち着かなくなります。私たちも、我が身を振り返ってみれば、いつもフラフラする生き方になっていないでしょうか? 自分の発言や行動に一貫性がなかったり、正しいことをしているつもりでも粘りがなく継続できなかったり・・・と、国や社会以上に情けない状況であるかもしれません。

目先のことばかりに注目していては、振り回されるだけで、結局は落ち着きのないドタバタの生き方で終わってしまいます。クリスチャンである私たちにとっての幸いは、私たちが自分だけの視野ではなく、神様の視点から物事を大局的に見つめることができるということ。刹那的な物事に囲まれている私たちの生活にあって、“永遠”という実にどっしりとした視点から物事を眺めることで、幸せに生きていくために欠かせない人生の深みを持つことができるのです。

その日暮らし、その場限りの、場当たり的な生き方から離れて、神様の持たれる“永遠”としっかり向き合うことが大切です。あなたの考え方や行動は、永遠の命を与えてくださる神様のみこころに適うものですか? すぐに変わるものではなく、いつまでも変わらないものを心に取り入れていくべきではありませんか? 今日、明日あたりで答えの出る即製栽培的な結果だけを求めるのではなく、小さくても価値ある事柄を一つ一つ積み重ねることに目を向けてみませんか? 今日だけでなく、今から何年、何十年経っても親しく交われる人間関係を意識しているでしょうか? 世の中では“使い捨て”がすっかり定着しました。でも、あなたの人生までが“使い捨て”になることがありませんように。神様の“永遠”としっかり向き合いましょう。神様は変わることがありません。


余分なものを省いて、基本に立ち返ろう! 2012年6月24日

カラ梅雨気味だった今年の梅雨も、台風4号や5号崩れの熱帯低気圧の影響で、各地で大雨となりました。被害が出るのは問題ですが、やはり梅雨の時期には大地への潤いは不可欠。夏の水不足を考えても、降るべき雨は降っておいてほしいものです。同時に、私たちの心や魂にも“恵みの雨”が必要です。目先の物事だけでなく、神様から与えられるべき導きや祝福をしっかりと受けとめましょう。

最近、あるイギリスの大学が、人類の肥満化が地球環境に脅威となる影響を及ぼす、との研究を発表しました。地球の食料資源に対する主な脅威と言えば、アフリカなど新興国での急激な人口増加が取り沙汰されるのですが、“人口総数”の問題だけでなく、たとえば肥満化が著しいアメリカと同じようなペースで人類全体が肥満化すれば、現在の食料消費量とは別に9億人分の食料が必要となる計算なのだとか・・・。身体が大きいと、その体格を維持するために食料からのエネルギー摂取量そのものが増えるからだそうです。

私の子どもの頃は、少しでも栄養のあるものを食べようと、誰もが考えていました。確か、グリコのキャラメルなどは、“一粒300メートル”と“栄養満点”を売り文句にしていました。それが今では、国民総出でダイエットに取り組まなければならないはめに・・・。ダイエット食品は売れに売れていますし、深夜のテレビ・ショッピングではスリムになるための健康器具がいつも話題の中心です。お菓子の袋を手に取ると、カロリー表示を思わず確認してしまうのは私だけではないはずです。“普通”に食べているだけで、どうも太っていく感覚があるものですから、仕方ありません。

過ぎたるは及ばざるが如しで、生きるために必要な栄養も、度を越しては、健康に害を及ぼします。しかも、それがもはや個人の問題にとどまらず、地球環境規模の問題にまで拡大しています。幸せを求める余り、豊かさ過多の状態に陥り、かえって不健康、不幸せになり始めています。自分の好き勝手を基準にした幸せの追求から、神様のみこころに適う幸せのあり方へと、考え方をシフトすべきタイミングが来ています。体重だけでなく、生活の余分なものを削ぎ落とす時が来ているように思います。2012年の、ちょうど折り返し地点を迎えました。あなたの生活を神様中心のシンプルなものへと、一度整え直してみませんか? なくてはならないものは多くはありません。


手足を動かそう!汗をかこう! 2012年6月17日

インド伝道において神様の祝福が大きく現され、各地の皆様にご報告できることを心から感謝しています。環境も文化も、日本とは大きく異なる場所なのですが、信仰者としてビジョンを抱いて大胆に行動することで、共に働いてくださる主の恵みを体験することができるのです。私たち日本人は、とかく物事を考えすぎてしまって、肝心な行動になかなか移れないことがあります。注意しましょう。主キリストが与えてくださった信仰の恵みは、考えるためのものではなく、私たちが生きるためのものです。実際の生活の中で、具体的に信仰を働かせて、大胆に行動してまいりましょう。

先週のニュースで、ノーベル賞の賞金が、財団の財政悪化で、今後2割の減額になる、と報道されていました。各分野の研究者にとっては、世界最高の名誉とされるノーベル賞ですので、単に賞金目当てではないはずですし、狙ったところでなかなか受賞できる訳ではありませんが、1000万スウェーデンクローナ(約1億1100万円)が800万クローナになるのだとか。しばらく続きそうな円高を考えれば、日本人研究者にとって以前ほど大きな問題ではないかもしれません。しかし、原因は財団の資産運用がうまくいかなかったということで、世界の頭脳を評価する団体も、経済不安や世界的な不況感と無縁ではないということです。

頭の良い人たちがどれほど集まっていても、それだけでお金が増えていく訳ではありません。私たちも、ああだこうだ、と考えたり理屈を論じ合ったりしているだけでは、豊かさは訪れないことを肝に銘じるべきです。資産運用だ、投資だ、とコンピューターの前に座っていればお金が儲かると考えている人が増えていますが、よほどのプロを除いて、私たちはまず自分が一生懸命働くことを思い出すべきです。

3.11大震災以来、政府や東電の責任を追及したり、賠償や補償、安全確認をすることや節電することだけに躍起になりすぎて、生きていくことに肝心な“働くこと”を日本全体で忘れてしまっているのではないか、と最近感じています。世界に出てみると、みんな猛烈に働き、事を推し進めています。私のような、一伝道者であっても、日本を飛び出して多くの祈りに支えられ信仰を働かせれば、大きなみわざが神様によって与えられます。あなたも自分の小さな世界に閉じこもらず、神様を信じて実際に行動してみることです。手足を動かし、汗をかいてみれば、必ず事は起こります。


インド伝道は、大勝利、大成功でした! 2012年6月10日

する皆様のお祈りに支えられて、インド伝道から無事、戻ってまいりました。毎日、私たちのインドでの働きを覚えて祈ってくださった皆様に心より感謝申し上げます。やはり、何事をするにしても、主キリストの導きの中で祈りつつ行動すると素晴らしい結果を生み出します。今回のインド伝道も、日々、主ご自身が恵みで満たしてくださいました。

まず、今回のポラチでの4夜連続の特別集会は、従来の野外での大集会から映画館を借り上げてのものに2ヶ月ほど前に変更いたしました。ヒンズー教徒の改宗を禁じる法律の適用が最近厳しくなっており、現地の先生方からの要望を入れての決断でした。行く先々で現地の牧師先生方から、様々な特別集会が中止させられたり、種々の妨げにあっていることを耳にしましたが、主は今回の私たちの伝道を守ってくださり、一度も政治的、宗教的な妨げに遭うことなく予定の集会を行うことができました。

また、今回のインドは大変暑く、インド滞在中のチェンナイ近郊は連日40℃近くの猛暑。それも、一日10時間も停電するという最悪の状況でしたが、私も岡先生も健康が守られ、元気に活動することができました。また、前半の日程は、ガソリンの入手ができず、全体の動き方が抑えられたのですが、主はぎりぎりのところで事態を収束させ、計画していたすべての事柄を実行することができました。

何よりも、今回のインド伝道の中心である、コインバトール近郊のポラチでの4夜連続の大集会が祝福されたのは、最大の恵みです。確かに、主キリストご自身が私たちと共にいて、今回の伝道活動を大勝利へと導いてくださいました。連日、2000名を超える人々が集い、会場は満員。最終日は、会場の外にまで人が溢れていました。のべ1万人ほどの方々の参加があったということです。そして、多くの人々が主キリストを救い主と信じることを受け入れました。連日、病気の癒しや悪霊からの解放など、会衆の面前で主は奇跡を続出させてくださいました。

主キリストの御名を信じ、福音を携えて出て行くならば、他ならぬ主キリストご自身が共に働いてくださり、聖霊の臨在の中で、人の常識を超える救いや癒しのみわざをなされます。今回も、この伝道旅行を通して、主はそのことを証明してくださいました。皆様のお祈りと献げ物を心から感謝いたします。さあ、これからもますます、主キリストの恵みの素晴らしさを人々に大胆に伝えてまいりましょう。


インド伝道のための祈りを感謝! 2012年6月3日

愛する皆様の祈りによって支えられ、本年のインド伝道が祝福され展開中です。先週の月曜日に日本を出発し、週の前半は南インドの中心都市チェンナイ近郊のトリベロールでの諸集会。その後、木曜日の早朝からコインバトールへと空路移動し、その後、自動車で2時間ほど走って、4夜連続の特別集会の地、ポラチに到着しました。

今回の特別集会は、最近のキリスト教の大集会に対する当局の締め付けを配慮して、従来の野外集会から映画館を貸し切っての集会に切り替えました。通常、特に俗っぽい映画しか上映されなかったというこの映画館が、人々の救いと癒しのために用いられるようにと、当地の牧師や信徒たちがひと月以上毎日現地で祈り続けてくれていました。祈られているということは、本当に素晴らしいことですね。

去る木曜日の第1日目の集会には、初日から会場一杯の2000名近い人々が集まってくれました。長年の喘息から開放された女性たちや、身体の痛みや不自由が癒された人々が多数、証しのためにステージに上がってくれました。また、祈り開始直後に暴れ始めた悪霊憑きの女性が、解放の祈りで全く自由にされ、20年前にご主人が亡くなって以来、霊的束縛の中にあったことを、涙を流しつつ証ししてくれました。

2日目の集会は、メッセージの途中での停電という事態にもかかわらず、会場びっしりの会衆は一人も立たずに、集中して聞き続けてくれました。癒しの祈りでは、15年間右耳が聞こえなかった男性が癒されたり、4年間も激痛で膝を曲げることもできなかったおばあちゃんが癒されたり、この日も癒しの証しが次々となされました。確かに、日本からの祈りとインドの人々の信仰が相乗効果を生み出しています。

本日は、午前と夜の2回、集会がありますし、明日の日曜日は、地元の教会での朝の礼拝メッセージと、夜はポラチでの最終回となる大集会が予定されています。主キリストご自身が、予定されているすべての集会をさらに大きな救い、癒し、解放の恵みで満たし、集う人々を祝福で満たしてくださると信じています。

私にとっての最大の幸せは、この働きのために献げ、真剣に祈ってくださる兄弟姉妹がおられることです。今回の伝道のために断食をし、深夜にも関わらず同時刻に祈ってくださる方々が多数おられることを知り、本当に感謝しています。遠くインドの地より、愛する兄弟姉妹の上に、主キリストの祝福をお祈りいたします。[6月2日(土)朝、ポラチより]


すべての人に、すべての人の主を伝えよう! 2012年5月27日

多くの会社で、上司と話をすることのできない若者社員が増え、学校でも、先輩たちとの話ができない下級生が増加しているとも言われています。年齢差を越えてのコミュニケーションが苦手な人が増えているようです。また、最近の研究からは、テレビなどで話題になる“年の差婚”とは逆に、年齢差婚は減っていて、同年代同士で結婚する人の割合がぐっと増えているそうなのです。

昭和の時代には、流行の音楽も国民的ヒットが当たり前でした。ヒットチャートの1位にでもなれば、レコードが100万枚以上のセールスを記録。小さな子どもからおじいちゃん、おばあちゃんまで、誰もが口ずさむような大ヒット曲となりました。それが、近年は、流行がすっかりセクト化されてしまい、特定の年齢グループの人たちにしか知られていない大スターがたくさん存在しています。今ではそれがさらに進行し、もっと薄い、年齢や学年単位で輪切りにされたような層にしか浸透しない文化があるようです。無縁社会とか孤族といったことが各方面で進んで行っているようです。

そんな社会でのつながりが希薄になり、個人がバラバラになる傾向の中でも、聖書はすべての時代や文化状況を超える普遍的な真理を語っています。それは、“・・・イエス・キリストはすべての人の主です”(使徒10:36)という宣言です。聖書の神様の祝福が、ガチガチの排他的な民族主義に凝り固まったユダヤ人のためだけのものと思われていた時代に、聖霊に導かれた使徒ペテロが、異邦人としてさげすまれていた人々に対して語った言葉です。主キリストによって、“全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい”(マルコ16:15)と命令されていたことが、いよいよ使徒たちを中心に実現し始めたのです。

時は流れ、今は21世紀。しかし、この主キリストのご命令と教会による伝道の使命は何ら変わってはいません。私たちにとっても、いよいよ明日から本年のインド伝道が始まります。肌の色も言葉も、歴史も文化も生活様式も、何もかもが異なる老若男女、文字通り目の前のすべての人に対して語りかけさせていただきます。単なる今どきの文化を伝えるのではなく、すべての時代にあらゆる人々に通用する、本物の幸せの原則、主キリストの福音を伝えさせていただきたいと思います。あなたや私も、確かに救われた正真正銘の福音なのです。必ず、人々の心に主キリストだけがもたらす本当の救いが実現します。どうかあなたもこの伝道の働きの祝福のためにお祈りください。


やっと四半世紀です! 2012年5月20日

先週は、アンデレ宣教神学院の新年度の開講となる一週間でした。今年度は、松山の教会の姉妹たちにも、聖書を学ぶ機会を持っていただくことができるようになり、感謝なことです。木曜日には、創立以来20回目となる卒業式を持たせていただきました。

“20回目の卒業式”を感慨をもって迎えると同時に、この神学校が創立以来、25周年を迎えていることに気づきました。1986年に、本部教会の新会堂完成に合わせてアメリカから帰国したばかりの私が、多くの人々のご協力を得て設立の準備を進めさせていただき、翌1987年5月に第1期生の入学と共にスタートしたのでした。今考えれば、若干26歳の私が頭をひねって考え出した、それまで日本に存在したことのない、集中スクーリング形式の新たな感覚の神学校の誕生でした。

神学校の授業の中で、主キリスト以来、今日までの教会の歴史を学ぶ科目があり、そこでは当然二千年という年月を学びます。旧約聖書の時代となれば、何千年も昔のことに目を向けます。そればかりか、私たちが聖書の御言葉を通して向き合うべき神様は、天地宇宙の創造主であり、永遠という、時間の世界を超えたお方です。とにかく実に長大な時間を相手にする学びなのです。

そんな学びに取り組んで、25年です。長いようで、短いような、そんな年月です。でも、日本語で“四半世紀”という、ちょっと大人っぽい表現を使わせていただける、ある程度の長さの年月になりました。何事もあきらめてはいけない、投げ出してはいけない、と誰もがしばしば口にするのですが、実際、25年間に亘って一つの価値ある働きを続けさせていただけたのは、本当に感謝なことです。混乱の世の中に、牧師、伝道者たちを生み出す働きをコツコツと続けることができたのは、主ご自身の守りと導きがあり、兄弟姉妹たちの祈りが注がれていたからです。感謝、感謝です。

でも、まだたったの25年でもあります。主キリストのご計画はもっともっと長く、確実なものとして続きます。ですから、この神学校の働きもますます用いられなければならない、と祈らされています。もっともっと影響力のある働きができるはずだと示されています。どうかアンデレ宣教神学院が、主キリストに大きく用いられる働き人たちを続々と生み出すことができますように、と続けてお祈りください。


主キリストの恵みの実体験! 2012年5月13日

開花が遅れたツツジもすでに散り始め、美しく咲いた藤の花の季節。緑が目に眩しい季節を迎えていますが、新鮮ないのちが宿るのが自然界だけでなく、私たちの心や日常の生活にも生き生きとした恵みが流れていることが肝心です。

最近のスマートフォンなどの普及で、読書の仕方も大きく変わりそうだと言われています。いわゆる電子書籍というもの。紙の本に変わって、スマートフォンやコンピューター上で読書する時代が本格的に到来しそうです。若い世代にとっては何の問題もないかもしれません。でも私くらいの年齢の人間になると、やはりどこか抵抗感があります。すると、電子書籍では紙の本での読書に比べて内容が記憶に残りにくい、という説も出始めました。私自身も神学校の授業などで、簡単にコンピューターのデータとして送信したものより、学生たちに自分の目と手を使って、自分のノートなどに書き記してもらった方が理解を深めてもらいやすいのでは、という実感があります。

同じ小説でも、デジタルの画面になって表示されると印象が薄くなるようです。本屋の書棚に並んだ背表紙の雰囲気や、本の厚さや重み、紙質、持ち回って読んだ感覚など、単に文字が伝える情報以上に、多くの要素が関わって、一つ一つの物語が意識や記憶の中にとどまっていくのです。難しい言葉で言えば、それぞれの情報が“身体性”を持った具体的なものであるかどうか、ということだとか。どれほど情報としての内容が正しくても、単なる記号の集合のように乾いた情報のままでは、心に響きません。

主キリストによる救いや解放は、決して机上の空論でも、大昔の神話でもありません。単に、神様が愛してくれているよ、という軽いメッセージでなく、事実、主は私たちを愛して、いのちまでくださいました。主キリストは、あなたの幸せを阻む、心の罪や欲を身代わりに背負い、十字架の上で死んでくださったのです。それ以来、教会では主キリストの十字架を記念し、パンとぶどう酒を用いて聖餐式を行ない、主の十字架での贖いのみわざをいつまでも忘れないようにしています。パンをパン、ぶどう酒を単にぶどう酒としてでなく、それぞれを主キリストの身体、血としていただくことで、私たちはいつもまでも主キリストの救いが自分自身にとってのかけがえのない事実であることを受けとめるのです。さあ、主キリストの恵みを、あなたにとっての事実として受けとめてください。主キリストは、今、この時もあなたの救い主です。


御言葉の告白を大切に! 2012年5月6日

神奈川県の相模原市で、鳥かごから逃げたセキセイインコが無事保護され、飼い主の元に戻され、話題になっています。普通、逃げ出した小鳥は、“大空を自由に舞う”という私たちの勝手な想像とは裏腹に、餌を取れなかったり、大きな鳥や猫などに襲われてすぐに死んでしまうのがほとんどだとか。今回、綺麗な水色の“ピーコちゃん”が助かったのは、何と飼い主の自宅住所をスラスラとしゃべったからだそうです。“ピーコちゃん”は、住所以外にも、飼い主の名前や電話番号もしゃべれるのだそうで、まさに“芸は身を助く”。命拾いした訳です。

しかし、いろいろな言葉を覚え、私たちよりも滑舌の良いインコでも、ただ、人間の物真似をしているだけであって、自分がしゃべっている言葉の意味までは理解していないのです。それでも“ピーコちゃん”の口から出る言葉が命を救ったのですから、凄いことです。

私たちは、自分で分かって言葉を発しているつもりで、いつのまにか不平不満や愚痴、怒りばかりを口にしていないでしょうか? そして、自ら不幸を招き入れているのです。言葉の意味を知って語ることのできる私たちなのですから、本当の幸せや祝福を呼び込む言葉をしっかりと語る者でありたいと思います。

主キリストは、「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる。」(マタイ4:4)と語られて、私たちが神の言葉に信頼するなら、人生を左右する力が与えられることを教えられました。創世記の冒頭には、すべてが闇に覆われていたにもかかわらず、神が「光よ。あれ。」と語られて、あらゆるものの創造のみわざが始まったことが記されています(創世記1:2-3)。たとえ、あなたの生活の中で、漆黒の闇が家庭や仕事を覆っているように感じることがあったとしても、信仰によって神の言葉を語るなら、必ず闇の中に光が差し、絶望の中に希望の光を見い出すことができるのです。

インコでも、たとえそれがオウム返しであっても、価値ある言葉を口にすれば、救われるのです。まして、あなたが人の言葉や悪魔にそそのかされた言葉でなく、神の言葉を語り、信仰をもって告白するなら、必ず救いと祝福のみわざがなされます。さあ、あなた自身の口の言葉で、神の言葉、聖書の約束を告白しましょう。信仰と祈りを込めて、毎日、聖書の御言葉を告白することです。神のみわざが起こります。


バザーを成功させよう! 参加しよう! 2012年4月29日

松山の本部教会では、いよいよ明日が“春季大バザー”です。50年を越える私たちの教会の歴史に、今もしっかりと息づいてる一大イベントです。半世紀も前に、何とかして伝道するための献金を捻出しようと、初代牧師の万代恒雄と教会の兄弟姉妹たちがリヤカーにカレー鍋を乗せて引っ張ったことから始まったバザーです。今でも、教会のみんなで取り組む一年の前半の最大の行事となっています。今回のバザーも、必ず大成功できると信じています。

生み出される収益は、全額献金とされて海外伝道、放送伝道のために献げられます。私たちの知らない所に住む、知らない人々の心に、主キリストの福音の種を蒔く働きのために用いられるのです。会場で販売されるチラシ寿司も肉うどん、カレーライスにたこ焼き、焼きそばなども、食品はすべて手作り。販売コーナーの品物の一つ一つも、松山の兄弟姉妹はもちろんのこと、全国の皆さんの協力によってコツコツと集められたものです。そして、準備の期間や当日の会場で動き回っているのは、決してその道のプロや業者ではなく、純粋な素人である私たち。

最近の幼稚園や地域のバザーでの食品は、業者の製品を納入して販売していることがほとんど。あちらこちらの大学祭も、学生たちだけでは実行できず、商社が委託されてウラで仕切っていることも増えているとか。バザーとは名ばかりで味気ないものが増えているのです。さらに、一つの目標のために、みんなで力を合わせて、泥くさく頑張ることが、馬鹿らしいことのように見られ始めています。しかし、私たちは初心を忘れません。主キリストの福音の種を蒔くため、地道な奉仕や交わり、献げる行動を、感謝と喜びをもって、信仰で一致してなし続けるのです。本当に素晴らしい伝統だと思いませんか?

徳島の阿波踊りでは、“踊る阿呆に、見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損々”と唄います。同じ阿波踊りの現場にいても、立場は両極端。踊る人と見る人では、同じように興奮した、面白いと言っても、実体験している者と所詮見物人では、体験や感動の深さが格段に違うのです。私たちの明日のバザーに向けても、あなたも単に見物人やお客さんで終わらず、ぜひ主催者となってください。私たちの小さな力の結集を神様は喜んでくださり、天からの祝福で私たちを心身共に、霊肉共に、豊かに祝福してくださるはずです。


悪の蔓延の時代に、シンプルに善の実践を! 2012年4月22日

長崎市内で発生していた少女による寸借詐欺が、ここ数日話題になっていました。平和公園周辺で「祖父が入院している病院までのタクシー代を貸して欲しい」とか「財布を落として家に帰れない」などと言って、3000円ほどの現金をだまし取る犯行が相次いでいたとのこと。1月末から警察に被害届けが出始めて、すでに30件、届け出ていない被害者の数を考えると、相当な件数になるはずです。もしかすると犯人は小学生か?と言われていたのですが、実際に捕まってみると新中学生の12歳。新しい門出が、詐欺事件での補導からというのは、本当に残念なことです。

最近は、テレビやインターネットで、様々な犯罪に関する詳細な手口やドラマなどが大流行で、普通に生活しているだけで悪いことに関してはいくらでも賢くなるようです。“知る権利”が金科玉条のように取り扱われるのですが、しかし、それが私たちの幸せに本当に結び付くのかと言えば、なかなか疑わしい状況。逆に、良いことを行なうと偽善だと批判されたり、人の善意にはウラがあるとか、所詮“きれい事”だと揶揄(やゆ)されて、普通に育つはずの善悪の基準が子供たちの心にも正しく育っていません。

私たちは、主キリストの十字架の愛によって罪から救われ、魂の汚れを洗い清められました。その事実や喜びを隠さず、ごく自然に悪から離れて、神の義にあって生きることを体験しましょう。勝手に“隠れキリシタン”のようになって、神様からいただいた祝福を隠してはいけません。

あと一週間で、春の大バザーです。今年も、教会の兄弟姉妹たちと喜びをもって奉仕できることは本当に幸いです。また、たくさんの献品を送ってくださった全国の皆様に、心から感謝しています。海外伝道・放送伝道のための純粋な献金を生み出すこのバザーは、誰か一人が頑張るのではなく、みんなで信仰を一つにして、共に一生懸命奉仕しなければ実現できない働きです。自分の損得勘定でしか動かず、犯罪行為であっても人から金品をだまし取れば良いという風潮が蔓延する時代だからこそ、このバザーの実現には大きな意味があります。シンプルに神様に喜ばれることを実践しましょう。しっかり奉仕しましょう。人々を愛しましょう。主キリストの福音宣教の働きに、私たちも関わりましょう。今年も愛と善意のバザーを実現できて、本当に感謝です。


キリストの霊的DNAを受け継ぐ者! 2012年4月15日

スペイン南部セビリア地方では、スペイン語で「日本」を意味する「ハポン」姓を持つ人が約800人いるのだそうです。その人々が、1614年にスペインに到着した“慶長遣欧使節”一行の侍の子孫ではないか、という説があり、この度、現地の人々のDNA鑑定などにより、日本との関係を探る研究が始まるのだとか。「ハポン」姓は、この江戸時代初期の侍たち一行が当地を去ってから出現するようになった、という説もあるそうで、結果が楽しみです。普段、科学的な分野で取り上げられることの多いDNAの話題が、何百年という歴史に関わる調査に登場するのも興味を引きます。

あなたのDNAには、どんな情報がすり込まれているのでしょうか? ある姉妹から、「私が十数年前に洗礼を受けた時の先生の顔は、三角形だったのに、最近は四角というか五角形になってきた」と言われて、私は即座に「それは遺伝ですから仕方ありません」とお答えしました。50歳を過ぎると、何となく自分のシルエットにすでに天に召された父親の雰囲気を感じてしまうことがあります。やはり、親子ですから良い意味でも悪い意味でもしょうがありません。

親子や祖先の遺伝情報、DNAの継承といったものがあると同時に、私たちの存在に関して忘れてはならないのは、私たちはそれぞれがキリスト者であるという事実です。主キリストは、十字架に架かられる前夜、パンとぶどう酒を用いて「私のからだ」「私の血」を飲食するようにとお命じになりました。そして、文字通り、十字架の死によって、私たちの救いのためにご自身のいのちを与えてくださったのです。つまり、私たちの存在には、主キリストのいのちが今も注がれ、キリストのいのちによって生きているということです。

私たちは、どれほどゲノム解析が進んだとしても、DNAだけで説明できるものではなく、あくまでも神の霊によって生きる霊的存在なのです。信仰者であるあなたの霊的いのちには、キリストのDNAがしっかりと含まれているのです。今月の初めには、主キリストの十字架と復活を思い起こし、感謝する時を持ちました。それを、一時だけのお祝いで終わらせず、主ご自身のいのちを直接受けた者として、信仰者の自覚を持って歩んでまいりましょう。あなたの考えや行動に、あなた個人の思いを超えて、主キリストご自身の御心が実現しますように。私たちの言動を通して、人々の目に主キリストのお姿が明らかにされますように。


死を超える希望の意味! 2012年4月8日

先までの寒さで開花の遅れていた桜も、各地で続々と満開。今年は、入学式に満開の桜、という春となりました。と同時に、クリスチャンの私たちには、春は決して桜だけでなく、いつも主キリストの十字架と復活の恵みと共に巡ってきます。日本では、クリスマスばかりがクローズアップされていますが、信仰的には、クリスマス以上に大きな意味を持つのが、十字架と復活の事実です。

主イエス・キリストは単にご自身が救い主であるだけでなく、直接私たちとご自身の存在を重ね合わせてくださり、私たちの罪や汚れを背負って十字架の上で身代わりの死を遂げられ、そればかりか死の力を打ち破ってよみがえり、私たちに永遠のいのちを保証してくださいました。聖書の中には、神様のご計画や力による様々な“奇跡”が記されていますが、その中でも最大の奇跡はこの主キリストの十字架と復活なのです。

生きている私たち人間にとって、誰も避けることのできない運命とは、死ぬということです。現在地上に住む70億の人々も、何千年の人類の歴史の中でも、死の宿命から逃れられる人は一人もいません。ただお一人、主キリストだけが死を体験された後、よみがえって死を超えるいのちがあることを証明してくださいました。死は、誰にとっても寂しく、辛く、苦しいものです。その上、私たちは疑いようもなく着実にこの暗い死に向かっていると考えれば、人生は絶望を目当てに進む悲劇のようです。しかし、この否定できない人間の運命に、いのちの与え主である神様は御子であるキリストをこの地に遣わし、揺るぐことのない救いの道を拓いてくださいました。

主は、私たちが神様と共に生きる人生を獲得するために、障壁となる罪を取り除いてくださいました。私たちの罪をそのまま背負い、十字架で死んでくださり、宿命的な死の力の束縛を破ってよみがえり、私たちに地上のいのちを超える、さらに深く新しいいのちを約束してくださったのです。単なる神話ではありません。あなたの人生も、心も、主キリストの十字架と復活に重ね合わせる信仰を持つ時、この聖書の約束が寸分違わずあなたの上に実現するのです。あなたも聖書の語る最大の奇跡をいただいて、死を超えるいのちを受けとめてください。

イースター、おめでとうございます。


新鮮な信仰で始める春夏秋冬! 2012年4月1日

4月になりました。新年度の始まりです。あなたの職場でも学校でも家族の中でも、新しい毎日が動き始めるはずです。もちろん私たちの周囲の状況が新しくなるだけではなく、私たちの心も新鮮な信仰に満たされて新年度を歩み始めましょう。

真新しいスーツに身を包んで、さあ頑張ろう! と張り切っている新社会人の方々も多いはずです。でも、過度のリキみは禁物。どんなスポーツ選手でも、本番で緊張し過ぎてはかえって実力を発揮できないものです。心はやる気まんまんにして、実際の行動は基本の基本をしっかりと押さえていくべきでしょう。

新社会人がしっかりと会社やビジネスの現場に馴染んでいくために、まず押さえておきたい基本事項は、次の3つ。まず、“挨拶は笑顔で元気一杯に!”ということ。誰かの顔を見て、まず大きな声で挨拶をするだけでも、新たな流れが生れてくるものです。2つ目は、“分からないことは小まめに、必ず質問する!”こと。質問しないで自分の中に何でも抱え込んでしまう人が増えています。すると、いきなりどんな仕事も停滞してしまうのです。そして、3つ目が、“必ずメモを取る!”こと。ただ聞くだけで仕事ができると勘違いしないことです。丁寧にきちんと確認、確認。

あなたがたとえ何歳であり、どのような立場にいるとしても、人生の歩みの中で新鮮な社会人、新入生の心を持ち続けることが大切です。そして、何よりも、神様の恵みや導きを期待する、新鮮な信仰心を忘れないことです。分かっているつもりでも、私たちの心や行動は、何かに慣れて徐々に新鮮な感覚を失ってしまうものです。何をしてもいつまで経っても素人のままでは困りものですが、新鮮な感性を失って、くたびれた毎日をマンネリで過ごし始めては人生の価値を自ら落としてしまいます。

いつもよりも大きな声で、最高の笑顔で讃美してみませんか? 今日の奉仕も、いつもよりもテキパキと感謝をもって讃美の鼻歌付きで取り組んでみませんか? 礼拝では、いつもよりも少し前の席に座ってみましょう。周囲の人に、あなたから笑顔で挨拶してみましょう。そんな何気ない小さな新鮮さが、あなたの信仰心の新鮮さに結び付くものです。さあ、新鮮な信仰で、新たな一年度を歩んでまいりましょう。


誰にでも成長の余地があります! 2012年3月25日

3月の終わりを迎えました。年度末のお馴染みの光景ともなった、あちらこちらでの道路工事も終わり、まもなく新年度の始まりとなります。桜の開花前線も日毎に北上し始めています。自然界や行政のシステムだけでなく、私たちの毎日も新しい心構えで生き生きと歩んで行くものでありましょう。空の鳥や野の花を愛し、いのちの営みを祝福してくださる天の父なる神様が、主キリストのいのちまで与えて愛し、選び出してくださった私たちを恵んでくださらないはずはありません。

20代、30代、40代…それぞれの世代を振り返って、“やっておけば良かったこと”というリストが、ある雑誌に掲載されていました。そこには、山ほどの項目が並んでいました。20代、30代には「資格」や「勉強」をもっと頑張っておけばという思いがあり、30代になると徐々に「家庭」や「子育て」への思いがぬぐい去れないようです。しなかった訳ではないけれど、もっと何とかできなかったか、という思いが強くなる傾向があるようです。40代になると「人脈」をもっとしっかりしておけばという仕事上でのことや、「人生」や「目標」のあり方に少々後悔が出始めるようです。ちなみに50代、60代になると、大方の予想通り、人生全体に後悔が滲むようになってきます。たとえば、「子育てにもっと積極的に関わるべきだった」「もっと家族旅行をしておけば」とか、中には「離婚しておけば」や「今の旦那を選ばなければ」といったちょっと辛い回答もあります。リスト全体を眺めながら、いかにも、という内容でした。

人間は、悔いを残します。ということは、実はまだまだ成長の余地があったということ。では、このあるべき姿と現実の不完全さを埋める秘訣はというと、それこそ神様を信じること、信仰を働かせて生きるということになります。神様を信じて、常に“上に”引き上げられることによって、足りないところ、不完全なところの多い私たちの歩みが整えられていくのです。私たちは天に召されるまで、男も女も、何歳であろうと、皆、神の子どもです。子ども、ということは、常に成長の可能性があるということ。今、この瞬間も、恵みをいただいてますます成長し、良き事柄を形にすることができるのです。後悔の上塗りではなく、“栄光から栄光”へと主キリストを模範としながら成長していくことができるのです。さあ、春の訪れと共に、信じて祈りつつ、成長させていただきましょう。


春分です、春にふさわしい恵みを受けとめよう! 2012年3月18日

街中を、車を走らせていると、あちらこちらで綺麗に咲き誇る桃の花と出くわします。花粉で苦しむ人々にとっては何とも鬱陶しい季節でしょうが、本格的な春の到来です。今週は、春分を迎えることになります。確かに朝夕はまだ寒さを感じますが、日中の日差しはすっかり春の陽気を予感させます。冬の間には感じられなかった光の眩しさに、季節の移り変わりを実感する今日この頃です。

教会の事務所でも、春休み中の学生キャンプや、4月8日(日)のイースター礼拝、4月30日(月・休)のバザーなどが話題の中心となっています。今月の前半は、テレビや新聞を目にする度に東日本大震災から一年ということで、震災関連のニュースが圧倒的。確かに真剣に受けとめ復旧・復興に協力、支援を惜しまぬことを心に銘じつつも、どうも心が重くなりがちだったのは、私だけではないはずです。しかし、重い事実を心に受けとめつつも、私たちの歩みは、無から有を生み出してくださる希望の神が共にいてくださるのですから、前向きに力強く踏み出すものでありたいと思います。

様々なニュースを聞く度に、時代が移り変わる時であることを感じてしまいます。

百科事典の代名詞的存在として、世界中で実に240年に亘って親しまれてきた「ブリタニカ百科事典」も、英語版では2010年版を最後に本としての出版が終わるのだそうです。今後は、コンピューターの画面を通してのものになるのだとか。私の子供の頃は、ピアノや本棚を占める何十冊もの大百科事典は、豊かな生活の象徴のようなものでした。時代はどんどん移り変わっていきます。そのような時の流れの中で、あなたの人生の歩みがただ翻弄されたり、振り回されたりするもので終わりませんように。

主キリストは、“わたしが道であり、真理であり、いのちなのです(ヨハネ14:6)”と言われました。この御言葉の約束は、21世紀の今日も全く変わっていません。時代や社会の変化を超越する、何があっても迷うことのない確かな人生が救い主イエス・キリストと共に存在しているというのです。春の到来、新しい季節の訪れの時です。あなたの歩みは、今、この瞬間も主キリストの守りと祝福の中で確実に導かれていることを思い出してください。心の中で、新鮮な祝福を素直に求め、祈りましょう。共におられる主からの恵みは、あなたのために今、芽吹こうとしています。


口先だけで終わらない! 2012年3月11日

東日本大震災からちょうど一年。テレビや新聞、インターネットでも連日、震災関連の特集が組まれています。実際にその大地震の揺れを体験した兄弟姉妹も多いでしょう。しかし、何より大津波により家々が流され、東北の東海岸500qに及ぶ地域に甚大な被害がもたらされ、福島では深刻な原発事故が引き起こされました。死者・行方不明者の数も20,000人近くに上ります。

一年経った今、感じさせられるのは復旧・復興への取り組みが、遅々として進まないことへの苛立ち。被害範囲の大きさや、当地の行政そのものが被災したことや、国の対応の遅さも原因かもしれません。しかし、それは誰かを糾弾して、ダメだ、いけない、と偉そうに言っておれば良いというような簡単なものでないはずです。実は、私たち、被災地以外の庶民の心も、復興への動きの妨げ、足かせとなっているようです。

たとえば、被災地の膨大ながれきの処理。大津波に襲われた地域の土木工事を始めるためにも真っ先にしなければならないがれきの撤去がままなりません。国も全国の都道府県をはじめ地方自治体に協力を要請し、各地の知事、市長なども応じようとしているのに、住民の猛反対で、東京都などごく一部の協力を除いて、まだほとんど実現していません。住民のための公聴会では、がれきを受け入れようとする市長に罵声、ヤジが浴びせられ、県や市のホームページには、“子どものいのちを危険にさらすのか”とか“放射能汚染を拡大させるのか”とヒステリックな批判の書き込みが相次いでいます。

対象のがれきは、岩手や宮城など福島の放射能汚染の影響をほとんど受けていない地域のもの。全くのお門違いの反発ですし、当地の人々は今日もそのがれきのある場所で復旧に取り組んでおられる訳です。“絆”だ“愛”だと、震災以来、美辞麗句がマスコミでは飛び交っているのですが、実際、私たちの心は、本当の神様の愛を知らないままでは、放射能汚染の風評被害の典型例のような情けない状態なのです。

震災のための復旧・復興支援も、また、私たちの身近な出来事や人々の抱えているニーズのためにも、たとえ小さなことからでもしっかり実行していく者となりましょう。“ことばや口先だけでなく”と聖書が語る通り、信じているはずの事柄を実践しましょう。信じていることを、実際に語り、手を動かし、汗をかいて行動すれば、神様からの恵みが必ず実現していきます。


どんな時代でも輝くもの! 2012年3月4日

JALの国際線機内食に“吉野家の牛丼”が登場するようになったと聞いて、これもまた時代の変化なのだな、と実感。海外旅行が庶民の夢であった時代には、機内食もいわば異国体験の一部でした。しかし、誰もが気軽に海外に出掛けるようになり、普段の生活でも洋食は当たり前になってきました。そうすると、国際線の機内では、普段食べ慣れた、ホッとするものが食べたい。となると牛丼!と、B級グルメの王者が浮上したのでしょう。

昔は子供たちの憧れの場所であったデパートの屋上遊園地も、次々に消えつつあるとか…。と言っても、何のことだかピンと来ない若い方々も多いはずです。昭和30年代、40年代の子供たちは、休日には親に連れられてデパートに出掛け、屋上遊園地で遊ぶのが大きな楽しみでした。そして、日本人に外食の習慣を広め、基本的な洋食の概念を普及させたのが、デパートの大食堂。分厚い紙の食券を、指先で器用にもぎるウェートレスさんのわざに感心しつつ、私がいつも頼むのはオムライスとクリームソーダ。近所のお店では売っていない緑のソーダ水は特別で、アイスクリームと混ざった味が何ともおいしく感じたのです。

社会全体が激しく変化し、生活の様相もどんどん変わる中で、50代になって古き良き時代を懐かしむ感覚が自分の中にも芽生え始めているのかも、と思ったりもします。ただ、この週報の記事でも何度も書いてきた通り、私たちの信仰には、時代の変化や社会の変遷を越えていつまでも変わらないものがあることは忘れてはいけないと、心底、思わされています。しかし、それはただやたらと古い物にノスタルジーを感じて、捨てることができない懐古趣味からのこだわりとは違います。

なぜ主キリストの十字架の福音にこだわり続けないといけないのか、と考えておりましたら、あっさりと示されたことがありました。それは、主の十字架による救いが、どんな時代でも一番輝くものであるから、ということ。ただ伝統だから、とか、キリスト教会とはそういうものだから、というのではなく、どのような時代のどんな人々にとっても、十字架で私たちの罪を贖われた主キリストでなければ与えることのできない、真の救いがあるからです。変化が激しく、人々の心が大いに迷っている時代だからこそ、主キリストの福音をキラキラと輝かせていきましょう。時代が移り変わろうと、主キリストの愛は変わりません。


人生に関する誤報にご注意を! 2012年2月19日

去る水曜日、新潟県三条市の小学校職員室で、教職員の財布から現金を繰り返し盗んだとして校長が懲戒免職、というニュースが流れていました。何とも情けない不祥事なのですが、翌木曜日、四国のNHKローカルニュースで“窃盗の疑い 愛媛大学教授逮捕”という誤った字幕テロップが流れたことで、ややこしい話に。この字幕テロップは全くの事実無根。夜間緊急対応の訓練用に放送局内で作られた架空のものだったそうですが、それが実際に放送されてしまったので、さあ大変。

この“小学校校長が窃盗”と“大学教授が窃盗”が、虚実ない交ぜになって駆け巡り混乱状況に陥りました。“それは本当の話…”、“いやいやそれは全くの誤報で、捕まったのは新潟の校長先生”と情報の交通整理が必要な状態に…。私たちが生きるのは、確かに情報化社会なのですが、情報過多の中で真偽の定かでないものも簡単に流布されていますから慎重にならなくてはいけません。

どうも私たちには、新聞やテレビで報道されるものを鵜呑みにしやすい傾向があります。そればかりか、最近はインターネット上で流される様々な無責任な情報にも振り回されつつあります。確かに便利なものも多いのですが、だからと言って無闇に信用しすぎては足元をすくわれます。

最近のドラマや小説、テレビの番組や雑誌の記事で、当たり前のように流される今時の暮らし方が、本当に格好良く、幸せを保証するものであるかも十分慎重に判断する必要があります。今風だから、流行っているから…という判断基準ではなく、本当に神様の目から見ても正しいものかどうかという冷静な視点が必要なのです。

“今はやり”のものに私たちは飛び付きがちです。しかし、人間の本質や幸せの意味はそう簡単に変わる訳ではありません。数年毎の流行りで、幸福の法則が変化することはないのです。毎日、山ほど飛び込んでくる新奇で目新しいものの中だけに幸せの秘訣があるのではなく、永遠の真理を語る“神の言葉”の中に本当の幸せの鍵があることに早く気付きましょう。人生に関する誤報に翻弄されるのは、情報化社会の悪弊です。信じること、望むこと、愛することの価値は、今も昔も変わりません。小手先の安っぽい幸福を売る誤った情報に左右されず、幸せをもたらす真の知らせ、主キリストの福音に触れ続けましょう。


仕えるという、最高の生き方! 2012年2月12日

講演会などでのお話の中で、私はしばしば“人間の進化は20世紀末でピークを迎えて、今はむしろ能力は後退しているのかもしれません”と語らせていただくことがあります。見るところ、新しい技術や製品が世に送り出され、私たちの生活はどんどん便利になっているのですが、その中でかえって本来の人間に備わった能力が退化しているように思わされます。

近くのスーパーにも自動車で出かけている内に体力は減衰し、エアコンの普及により寒暖の変化には弱くなり、携帯電話に知り合いの電話番号も全部記録している内に記憶力はすっかり衰えてしまいました。パソコンや携帯電話の発達で、コミュニケーション技術は進歩したはずなのに、人間関係が苦手な人が逆に増えています。すぐに都合の良いことが起こるのが当然と考える内に、夢を叶えるための集中力や忍耐力なども不足しています。そして、自分のためだけに生きる、わがままな生き方の人が増え続けています。人のために生きる、仕えるという生き方がすっかり陰の薄いものとなってきました。

京大の実験からは、チンパンジー同士でも、餌を食べる道具がなく不自由をしている仲間を見ると手助けすることがあると報告されています。スプーンやストローがなくて困っている仲間が訴えると、必要なものを渡すことが多いらしいのです。手助けなのか、お節介なのか、とにかく人間らしいとされる能力のようなものが僅かながらチンパンジーにもあるようです。残念なことに、私たちの周囲では、人の困っている姿を見ながらも、われ関せずで、無関心なままやり過ごす人が増えています。チンパンジーと能力を比較されるレベルにまで落ちてはならないと思うのですが…。

この研究の発表者によれば、“チンパンジーにも相手が困っている状況を察して助ける高度な能力がある。しかし、自発的に手助けするのは人間だけ”とのこと。私たちは、強いられたから、頼まれたから、誰かを助けるというのではなく、さらに先を行き、自ら進んで人々を助け、仕える生き方を、人生の中で育みましょう。言うまでもなく、私たちはチンパンジーを目標にしているのではなく、人を救うためにいのちまで捨てて、とことん仕えてくださった、主キリストに目を向け続けているのですから。信仰者のいのちには、神に仕え、人に仕える、美しい資質が息づいているはずです。何でもしてもらう、与えられる生き方でなく、自ら信仰によって仕える者へと変えられましょう。


節分を越えて恵みの季節へ! 2012年2月5日

節分は、本来は季節の分かれ目を意味する日。翌日が立春となり、暦の上では春を迎えることになるのですが、今年の節分の朝は、日本各地が零度以下を記録する、異常に冷え込んだ一日となりました。すでに、北陸や東北からは記録破りの大雪のニュースが届けられていたのですが、今回は南国まで例年にない寒さを感じることになりました。

本部教会のある松山でも、2月2日(木)の祈祷会最中のわずか1時間ほどの間に、街中が雪に覆われてしまいました。節分の朝は、四国では珍しい−4℃という冷え込み。私の住むマンション前は山に向かう国道の緩やかなカーブになっているのですが、その傾斜の付いた路面の雪が凍ってしまい、次々と自動車が滑り出す事態に。最初はマンションの窓から眺めていた私も道に出て、バスまで滑って来る事態に野次馬か応援か分からぬ立場のまま、その場に居合わせた人々と滑った自動車を押したりしていました。

市街地で路面が凍ることなど体験したことのない温暖な土地柄、雪には滅法弱いことがよくわかります。4WDにチェーンやスタッドレスタイヤ…など、本格的な冬用の備えのない自動車は本当にツルツル滑りますし、雪道用の運転の仕方もみんな知らないものですから、雪国の方々から見れば情けない光景です。

単に雪や寒さへの備えだけでなく、私たちは何事に関してもしっかりと心備えや対処法を身に付けることが大切です。全くの無防備のままでは翻弄されて、時間や労力を無駄にしてしまいます。しかし幸いなことに、私たちにとって主キリストを信じることは、パウロが“あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています”(ピリピ4:10)と告白しているように、どのような場合にも私たちを支える力をもたらすものとなるのです。

最近は、スーパーやコンビニの商売戦略で、節分には“恵方巻(えほうまき)”を食べる習慣が大規模に宣伝されています。本来は関西の習慣のようですが、テレビのコマーシャルですっかり浸透中です。しかし、そんな縁起を担ぐようなことをしても、やはり所詮縁起物。私たちには、ご自身のいのちを捨ててまで救いを実現してくださった主キリストがおられます。この方と共にある時、私たちはどのような状況にも恐れないで向き合うことができます。主キリストと共に歩む人生は、どのような場面にあっても不安に負けることはありません。さあ、私たちは節分を越えて、恵みの季節へと歩んでまいりましょう。


神の御言葉への信頼! 2012年1月29日

先日、東大地震研が発表した予測に不安を感じた人も多いはずです。それは、マグニチュード7級の首都直下型地震が今後4年間に起こる可能性が70%、というもの。これまで、政府から発表されていたものは、今後30年間で70%だとか、30年間で東海沖地震の確率が88%だとかいうもの。それが、今後4年間と、すぐ手に届く年限に限定しての研究発表だけに不安感が高まります。

しかし、この「70%」というのが、なかなかのくせ者。昨年の東日本大震災が、専門家たちの想定を超える大災害だった経験が皆を慎重にさせているのでしょう。起こり得る危険を、少しでも早めに予見し、警戒の度合いを高めておこうとする姿勢が各方面に顕著です。しかし、「確実」ということは科学的には言い切れないもの。つまりは、いつ起きてもおかしくないので、十分に備えを、ということなのでしょう。合理的で実証主義的本質のある科学は、同時に、かえってうやむやになりがちな要素も併せ持っています。

それに対して、聖書の御言葉は、神の言葉として大変すっきりと語られています。ローマ書には、「彼に信頼する者は、失望させられることがない」(10:11)や「主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる」(10:13)とあり、その約束は明確。救われる確率○○%というのではなく、「誰でも救われる」と断言されています。著者であるパウロは、言うまでもなく、当時の知識人。彼の周囲にいる頭の良いとされる知識人、哲学者らとの会話にいらいらしていたのかもしれません。不確定な要素やうやむやな論議が多い中で、神の愛は確実だと彼が明確に言い切れたのは、彼が、科学や哲学ではなく、神の真理、主キリストの福音を知っていたからです。

世の中は確かに進歩し、人間の知識も驚くほど情報量が増してきました。しかし、同時に何事もこうだと言い切れない不確実さが増しているのも事実。だから、最近の社会の中で幸せになる人よりも、不幸だと感じる人が増えています。選択肢や情報ばかりが増えて、幸せになるどころか、不確かでうやむやな不安な人生に陥ることがありませんように。あなたがこの世に生を受け、神の導きと出会い、そして主キリストの救いを体験したことは否定しがたい事実。そこには、神の愛の深さと御言葉の確かさがあります。あなたは「確実に」救われ、祝福されるのは「確か」なのです。神の御言葉に立ちましょう。


寒さの中でも心は温かく! 2012年1月22日

大寒、ということで、これからしばらくは一年でも最も寒い時期です。ここ数年は、寒さと共にお正月頃から雪が多く降る傾向にあります。雪国の人々にとっては、大変な毎日なのでしょうが、私の周りの“スキー大好き人間”の皆さんからは何となくワクワク感が伝わってきています。寒い寒いと背を丸めていると、心も何となく消極的になってしまいますので、寒さの中でも、冬らしさを味わうつもりで楽しく歩んでまいりましょう。

一番大事なことは、どんな寒さの中にあっても、私たちの心まで冷え込んでしまわないことです。先週は、1月17日が17年前に阪神大震災が起こった日であり、改めて震災関連のニュースが流れていました。中には、阪神大震災と東日本大震災と、二重に被災された方々もおられるとのこと。どうしても心は暗くなりがちです。でも、どんなに悲惨な現実を目の当たりにし、たとえ自分自身がその渦中に置かれることがあったとしても、心の元気まで失ってしまわないことが大切。本当の復旧や復興は、目に見える周囲の状況だけでなく、私たちの心の内面から動き始めるものだからです。

PRACTICA(プラクティカ)の一年を、私たちは歩み始めました。神様から与えられた信仰を、心の飾り物で終わらせるのではなく、本当に機能させたいと思います。そのためには、まずあなた自身のために信仰を用いてみること。何か特別な場合にだけ、慌てて信仰を働かせようとするのではなく、日常のホンの些細な出来事であっても信仰を働かせてみて、信仰者としての実践に慣れていくことが大切です。

外気の冷たさ、寒さだけでなく、私たちの生活にはいろいろな寒さ、冷たさがあります。冷気が吹き抜けるような冷たい人間関係、懐が寒いという方、夢や目標を持つのはやめにしたという人…。そんな様々な寒さの中で、あなたのいのちや魂までもが冷え込んでしまわないように注意してください。むしろ、あなたの心が、霊が、主キリストの愛と聖霊の力によって熱く燃やされていることが大事です。「何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい」(ピリピ4:6)と聖書は語っています。もし、今、あなたを落ち込ませていることがあるとしても、一言、神様に向かって祈ってみれば、必ず助けは与えられます。あなたの心が燃やされていますように。


神様の声を聞いていますか? 2012年1月15日

先週の木曜日、東京で昼食を兼ねたミーティングをしている時でした。場所は、六本木の超高層ビル。突然、大きなチャイム音が響いたかと思うと、「地震が来ます!」という警報のアナウンスが…。茨城沖で起こった地震による緊急地震速報が作動して、ビル内での大音響の放送となったのでした。周囲の方々の携帯電話も同時に作動し、同様の緊急地震速報が届けられていました。わずか数秒の間に、何とか備えろということ。幸い、最新の免震構造のおかげか、その場所では大きな揺れを感じることはありませんでした。

たとえ数秒前でも、地震の揺れが予報されるというのは、世界でもやはり日本ならではの凄い技術だと思います。昨年の大震災以来、地震や津波の予知予報技術はさらに研ぎ澄まされつつあるはず。今回も、しっかり作動したということ。訓練ではなく実際に体験したのは、私自身にとっては初めての経験でした。

しかし、私自身の感覚で言うと、その時、最新技術を感心したり、だから安心だね、と思うより、東京をはじめとして日本は恐い所なのかも…と実感したということ。大音響での警報でびっくりしたこともあるのですが、私たち日本人でもこうなのですから、外国からの旅行客などには日本は恐ろしい場所だという印象が残ってしまうのではないか、と思います。人を守るための連絡や警報が、心理的な部分に限って言えば、人の心を不安に満たしてしまうこともあるということです。

あなたの心には、実際にどのような言葉が届いていますか? あなたの幸せのため、お金儲けのため、健康のため…と、あらゆる“〜のため”の情報や知識が日々数え切れないほど飛び込んで来ているはず。問題は、それらの言葉が本当にあなたの心を豊かにし、実際に幸せのために貢献しているのかどうかということです。中には、逆に不安や心配を増長させているだけ、というものも少なからずあるようです。

人の言葉や世の知恵で生み出せる幸せには限界があります。だからこそ、私たちは本当の幸せのために、いのちの与え主である神様の声を聞く姿勢を失ってはなりません。あらゆる情報や様々な声が飛び込んで来る時代だからこそ、神様の声を聞き漏らしてはなりません。あなたの心の周波数が、神様の声に向かってきちんと調整されていますように。あなたを救い、喜びへと導く神様の声をいつも耳にしていましょう。


今年のテーマは『PRACTICA(プラクティカ)!』 2012年1月8日

東京・築地市場での初競りで、青森・大間産のクロマグロ(269キロ)がこれまでの最高値の5,649万円で競り落とされました。ここ数年、中国の事業家などが最高値を更新して買い付けていた初競りでのクロマグロを、東京でチェーン展開する寿司店が日本の“景気づけ”に、と奮発したそうです。築地市場では、通常、国内産の生鮮クロマグロは1キロあたり数千円が相場だそうですから、今回の1キロあたり9万5千円というのは破格の値段。1貫あたり1万5千円くらいになる大トロが、店頭では通常価格の400円で振る舞われるという噂を聞きつけて、当日は長蛇の列ができたとか。“景気づけ”にあやかりたい人が続出した訳です。日本人のお正月といえば、やはり縁起物がもてはやされます。年越しそばあたりに始まって、お年玉、おみくじに破魔矢、書き初め…、初詣そのものが慣習化した縁起物的な宗教行事です。日本の文化、風物詩とも言えますが、本物の信仰を求める私たちからすれば、その程度でとどまる訳にはいかない、ということになります。

縁起物とは全くレベルの異なる、天地宇宙の造り主であるまことの神様をしっかりと信じて、この2012年という新たな一年を歩んでまいりましょう。新年のテーマをしばらく求めて祈って、与えられたのは、信仰をちゃんと実生活で実行、実践するということ。ますます進展する情報化社会の悪弊か、理屈を言わせたら超一流、文句や批判はプロ中のプロという、かなり困った人々が増殖中です。何が問題かと言えば、口先は立派だけれど、自分自身では何もしない、情けないほど何もできない人が多いことです。

知識や口先だけの信仰生活ではなく、本当に礼拝を守り、実際に祈ってみる、信仰を実行する一年を形作りたいと思います。愛する人々の救いを漠然と願っているだけでなく、本当に時間を作って執り成しの祈りをし、証しをし、救いへと招く者となりましょう。経済的な祝福を具体的に求めているのなら、自分自身も献げ、与える者となりましょう。テーマとしては、“PRACTICA(プラクティカ)”という“実践”を意味するラテン語をつけて、ちょっと気取ってみましたが、何と言ってもあなたの毎日の中身が大切です。

さあ、飾り物の信仰で終わらせるのではなく、実際に試してみませんか? あなたの信仰を用いれば、必ず祝福が事実となって現われます。大いに祝福された一年の日々を、ともに力強く歩みましょう!


2012年の祝福は、御言葉と共に働く信仰から! 2012年1月1日

新年、あけましておめでとうございます。今日から始まるあなたの新たな一年に、主キリストからの圧倒的な祝福が注がれますように、とお祈りいたします。

昨年は、大震災や放射能汚染、大不況のニュースの連続で、本当に厳しい日々を過ごされた方もおられるはずです。確かに重苦しい話題の多い一年でした。そして、今日から2012年。新しい一年を迎えた訳ですが、単にカレンダーが変わった、呼び方が変わったというだけでは、本当にけじめを付けて、新しい祝福の一年を始めることにはなりません。掃除や片付け、衣服やお茶碗も新しいものに変えて、一家そろって正月を祝って…と、年末年始にふさわしい事柄をあれこれ行ってはみたものの、肝心の私たちの心が古びたまま、マンネリ化したままでは、新鮮な日々の到来は実現しません。

ですから、今日の新年聖餐式礼拝で、文字通り心の奥底から神様を讃美し、聖霊の力に満たされて、一年を歩み始めることができるのは、実に意味あること。何と言っても、信仰は、私たちの心の奥底、魂の髄の部分にまで作用するものだからです。主キリストを信じることによって、私たちはこの一年が主の導きの中で真に勝利と恵みに満ちあふれたものとなることを、先取りして確信することができるのです。

今年、私が皆さんと共に特に力を注ぎたいのは、信仰の力を本当に働かせ、機能させるということです。確かに、私たちはクリスチャンとして歩み始めているはずなのですが、どうも、その信仰の働かせ方が十分ではなく、むしろ中途半端なものが多いように思うからです。頭では分かっているのですが、まだ身体がついていかないというか、本当に、信仰によって実際的に生きることができない場合が多いのです。

何が必要か、と言えば、練習です、経験です。様々な場所で、実際に信仰を働かせて行動してみることが大切なのです。お正月のテレビ番組では、スターたちが隠し芸を披露する番組が人気です。もともと器用な方々であるだけでなく、本気でこの半年、一年と練習を積み重ねて、様々な隠し芸ができるようになるのです。頭で分かったように思うだけでは、実際には何も起こりません。何事も試し、実行し、練習し続けることが大事です。ぜひこの一年、共に信仰を働かせましょう。御言葉を貯えつつ、あなたの信仰を働かせて行動してみることが大切です。あなたの2012年が、実際に祝福されることを体験しましょう。


鍵を握る一人の人! 2011年12月25日

先週の月曜日、突然発表されて以来、全世界の注目を集めているのは、北朝鮮の独裁的指導者であった金正日(キムジョンイル)総書記の死去と、それに伴う三男・正恩(ジョンウン)氏を後継者とする同国の今後です。テレビで北朝鮮の人々が頭を振りつつ激しく泣き崩れる様子を見ると、感情表現が豊かだという以上に、無理矢理に悲しみを演出させられる国情が伝わってきて、複雑な思いです。

北朝鮮はすでに、正恩氏を権力の中心として、従来の「先軍政治」を踏襲すると発表していますが、力による統制も、経済の状況も、すでに限界まで来ています。このまますんなり権力の移行がなされるのか、謀反的なことが起こり得るのか、それともこれまでの鬱憤を晴らすような民主化への動きなどが出て来るのか…、予断を許しません。また、国際的にも、対外テロのような動きが起こるかもしれないという懸念から、日本でも警戒態勢が敷かれています。これら一連の騒動の元は、やはり金正日という独裁者の存在。たった一人の人に、同国民が恐怖を抱いただけでなく、国際社会も振り回され続け、多大な被害を被ってきました。

しかし私たちは、そんな多大な迷惑を生み出すたった一人の人とは正反対の一人の人を思い出しておかなければなりません。それは、言うまでもなく、主イエス・キリストのこと。このお方の誕生を、世界中が祝い続けて、すでに2000年を越えました。一つの国どころか、世界の歴史を動かし、何十億もの人々の心や人生のあり方に絶大な影響を与えてきたお方です。報道機関は、このお方の功績を最新ニュースではほとんど取り上げようとはしないのですが、実はこの救い主による恵みの出来事や救いの奇跡は日夜、至る所で起こり続けており、今も世界中に祝福のわざが実現しています。

キリストは、この方しかおられない、という、限定的な“ただお一人”のお方なのです。ただ慣習としてクリスマスを祝うのではなく、一人の信仰者として、主イエス・キリストがなさった恵みのみわざを心から感謝して、クリスマスの日を迎え、喜びましょう。どんなに努力しても清くされなかった私たちの心が、このお方の愛によって洗われ、人の力では実現されなかった魂の救いが、このお方が神と人との接点となってくださったことによって事実となりました。あなたの人生の鍵を握るただお一人のお方がここにおられます。その名は、神の御子、主イエス・キリスト。2011年のクリスマス、心からおめでとうございます。


今年の漢字は、「絆」だそうです! 2011年12月18日

例年、年の瀬を迎えて恒例になりつつあるのが、“流行語大賞”と“今年の漢字”の発表。流行語大賞はすでに“なでしこジャパン”と発表されていましたが、先週、“今年の漢字”の発表があり、大賞に選ばれたのは、「絆」でした。あなたの予想は当たりましたか? あなたが選ぶなら、どんな字にしたと思いますか?

私の予想は、大きく外れました。私が内心選んでいたのは、「難」。東日本大震災に放射能汚染と“困難、苦難”が押し寄せ“避難”する人々が続出、原発の将来やTPPなど判断の“難しい”諸問題が相次ぎ、首相はじめ政治家たちにも“難局”続き…と、ピッタリだと思ったのですが。しかし、「絆」だと聞いた時、国民みんなが毎年毎年、暗いイメージの漢字を選ぶことにちょっと疲れてきたのかな?と思ってしまいました。地震の“震”の字は、すでに阪神大震災の1995年に使ってしまいましたし、ここしばらくパッとしない年が多かったものですから、災厄や不幸に関わる漢字はかなり使い切ってしまった感があります。そんなこんなで不幸中の幸いを見つけようとすると、大災害の中でこそ、かえって助け合い、愛し合うことの大切さを感じたということで、「絆」が選ばれたのだと思います。

今年のはじめに、私は「大飛躍元年!主に油注がれた者の歩み!」と宣言させていただきました。社会は、苦し紛れの感の強い「絆」を選び出したのですが、あなたの一年はどうだったでしょう? 世の中の流れは、自然災害や世界的な経済危機もあり、だんだん殺伐としつつある人々の心に左右されて、どうしても暗くなりがちです。しかし、あなたの歩みには、“インマヌエル(神が共におられる)”の約束を実現してくださる救い主キリストが共にいてくださるのです。主キリストが共にいてくださると、たとえ深いやみの中でも、なお輝き続ける光を体験することができるのです。

さあ、2011年も残り2週間となりました。自分の弱さや力不足を感じる時や、世の中の波に翻弄されることもあるでしょう。しかし、私たちにはどんな時も主キリストが共にいてくださるのです。だから、絶対に大丈夫。どんなに暗い状況でも、神様は可能性の扉を開いてくださるのです。あなたのこの1週間を、また年末までの日々を、神様は用いてくださいます。必ず光をつかんで、喜びのクリスマスを体験します。あなたの上にも、クリスマスの主人公である主キリストの圧倒的な祝福が注がれますように。


喜びと感謝の溢れる集い! 2011年12月11日

この不況下に、ある意味で「景気の良いニュース」と呼ぶべきかもしれません。先週の日曜日に中国自動車道で14台もの車を巻き込んだ多重衝突事故が発生。殊にこの事故が耳目を集めたのは、その内の8台が高級外車のフェラーリであり、その他にもメルセデス・ベンツ3台にランボルギーニまでが…という話題。対向車線を走っていて、巻き添えを喰った車までベンツだったということです。

昔、“スーパーカー”に熱中した人々には、垂涎の的とも言える車が勢揃い、というだけで十分に話題性があります。それがよりにもよって交通事故。幸い重傷の方はいなかったそうですが、被害総額は1億だとか、2億だとか、いやいやそれでも間に合わない…と言われています。報道によれば、愛好家の集いで、みんなでどこかにお出かけの最中での事故とのこと。愛好家が集うとなると、時には一度に何十台も集まることもあるのだとか。そう言えば何年か前、大阪のあるレストランに入ろうとした時、店の前に何台ものフェラーリが停めてあって、愛好家の方々が集っておられるのかな、と思ったこともありました。

街中に1台見かけても大騒ぎしそうな車ですが、そんな車を持っておられる方々が集って何十人にもなることがあるということ。私は、ふと思いました。今年のクリスマスに、本当に主キリストのことを愛し、感謝して、クリスマスの集いに出席される方は、どのくらいおられるのだろうか、と。巷の人気歌手のコンサートには、何万人もの人が集います。武道館の1万人の席が、東京ドームの3万人の席があっという間に売り切れ、という話もよく耳にします。デパートや商店街のセールにも、人々は殺到します。このクリスマスの期間中、どこかで人混みに揉みくちゃにされる、という経験をあなたもされるはずです。どんなに景気が悪いと言っても、人々はあちらこちらで集まっています。

私たちは、主キリストの単なるファン以上の者であるはず。当然です。主キリストの愛を知り、十字架で完成された救いを実体験し、永遠のいのちの希望や聖霊の恵みまでいただいた私たちです。だからこそ、この救い主、神の御子キリストが、事実、人としてこの世に下って来てくださったことを心から喜びたいのです。私たちの心からの喜びと感謝があってこそ、新しい方々をお招きする意味があります。さあ、主に心から感謝しつつ、今年のクリスマスの諸集会に共に集いましょう。


目立たなくても大きな価値があります! 2011年12月4日

松山の本部教会が建つのは、“平和通り”という片側2車線ずつの大通り沿い。道路の中央には、幅5〜6mの立派なグリーンベルトがあります。そこに、しっかり植えられているのが、イチョウの木々。今、そのイチョウの葉が見事に色付き、落ち葉の毎日です。子供の頃、小学校の校庭で、イチョウの落ち葉を拾っても拾ってもまた落ちてきて、全く掃除にならなかったことを思い出します。

私にとっては、このイチョウ並木は日常の光景だったのですが、県外から来られたお客様に「まあ、立派なイチョウ並木ですねぇ」と言われて、改めて、そうか立派なイチョウ並木なのだ、と再評価することになりました。40〜50年にもなるイチョウの大木が見事に色付いて1.5qも続いていると、なかなかの壮観。教会の目の前に、実は十分に美しいものがあったのでした。

レギュラー・シーズンの終わったプロ野球では、今年のMVPが発表されました。セ・リーグでは、中日の浅尾拓也投手が受賞しました。しかし、浅尾投手は先発でもなく、クローザー(抑え投手)でもなく、投手の役割としては一見地味に見える“中継ぎ”。それでも何と2試合に一回以上の計79試合に登板して、優勝に貢献。今回の受賞となりました。目立たない役回りでも、チームのために一番貢献し、リーグで最も活躍した選手としての栄誉を手にしたのです。

私たちは、どうも華々しく目立って、スポットライトを浴びる立場にいなければ、価値ある仕事ができないとか、存在の意味がない、と考えてしまいがちです。しかし、私たちにいのちを与えてくださった神様は、私たちがどれほど地味で目立たず、特別な能力がないように見えていたとしても、私たち一人一人にはそれぞれになすべき事を与え、私たちの人生を最大限に用いてくださるのです。

救い主イエス・キリストのいのちをその身に宿すことになった処女マリヤは、「私は主のはしためです」(ルカ1:38)と語り、自分が取るに足りない者であることを認めつつ、神が人となられるという、この史上最大の奇跡のために用いられました。主キリストに愛されているあなたのいのちも、たとえ目立たなくても大きな意味があります。常に主キリストに結び付いて、本当のあなたらしさを発見してください。一見平凡で、地味に見える私たちでも、主ご自身の御心の中では、大きな価値があるのです。


クリスマスと共に新たな歩みを! 2011年11月27日

放射能汚染に苦しむ福島県で、地元の企業が協力して放射能測定器(いわゆる、ガイガーカウンター)を開発した、というニュースが流れていました。必要な部品の調達から組み立て、製造、さらに販売まで、これに関わる一切の業務を「オール福島」態勢で実施しようというものです。これまでガイガーカウンターと言えば、高価であったり、安価だけれど粗悪な外国製のものであったり、また、同じ地点での測定値にも大きなバラツキが出たり、と様々な問題点が指摘されていたのも事実。

そんな状況で、被災地の人たちが、ならばガイガーカウンターを自分たちの手で、と取り組み始めたのです。復旧作業に関わる専門家にしか扱えない代物とは違って、庶民でも簡単に使える操作性や、2万円を切る価格もリーズナブルで、注目を集めています。東日本大震災といえば、言うまでもなく2011年の最大の出来事。復旧・復興への足取りも、まだまだ遅々として進まぬ印象があります。そんな中で、ただ被災地・被災者の感覚にとどまり続けるのではなく、自ら回復への動きを起こすことは実に重要なことだと思います。

世の中に、暗い話題が多い昨今の状況の中で、最も警戒しなければならないのは、私たちの心が卑屈になり、落ち込みきって、誰かを批判ばかりする泥沼に陥ること。確かに、不幸な事実もあったのでしょうが、それを作家として頼まれてもいないのに、一大悲劇、大河ドラマのように連綿と続く物語に拡大し、自分の人生全体を不幸なものに染め上げてしまってはなりません。

カレンダーが改まり、新年を迎えたら心機一転、新たな思いで立ち上がろうというのでは、遅すぎます。今日からでも、今からでも、私たちは自分の人生の中に光のある生き方を生み出すことができるのです。もちろん、それは自分の意地やカラ元気によるものではなく、主キリストの助けと励ましをいただいてのこと。クリスマスは、飾り付けをして、わいわい騒ぐのが本来の姿ではありません。何と言っても、私たちの人生や魂のあり方を、神の愛によって救い、本来の姿に変えて下さるために、救い主イエス・キリストがこの世界に現われて下さったことを、しっかりと心に刻みつける時なのです。あなたの心に、主は今すぐ働きかけ、救い主のみわざを始めて下さいます。古い否定的な考えから脱出して、主キリストと共に恵みの日々を歩み始めましょう。主は、新しい祝福の日々を造り出すために、あなたのためにも来て下さったのですから。


さあ、クリスマス・シーズンの幕開けです! 2011年11月20日

11月も、はや下旬。例年に比べて暖かい日の多い今年の秋でしたが、この一週間は全国から冷え込みのニュースが届けられています。北国では、雪も降り始めました。山々を見上げると、紅葉が最も美しい季節です。木々の美しさと出会えると、やはり日本の秋は素晴らしいな、と思わされます。

スポーツの秋も最高潮。野球好きの皆さんは、力のこもった日本シリーズの一戦一戦を楽しんだ一週だったでしょうし、バレーボールのワールドカップも、連日のテレビ中継も高視聴率で人気の高さが証明されました。大相撲の九州場所も、盛り上がっているようです。外国人力士優位の状況で、新大関の琴奨菊や関脇の稀勢の里もがんばっているようです。

そんな晩秋の日々ですが、私たちの教会は、いよいよクリスマス・シーズンへ突入、ということになります。毎年、この時期、アンデレ宣教神学院の11月のスクーリングが行われ、それが終了すると、先生方も神学生たちもいよいよクリスマスへ、という訳。かく言う私も、昨日の午後、神学校の授業を終えると何故だか急に、さあクリスマスだ!という感覚が心の中に湧き上がってきました。

本部の松山を始め、各地のクリスマス集会の企画が着々と進み、奏楽やトーンチャイムの皆さんの練習もすでに始まっています。先日私も、九州福音センターや鹿児島福音センター用のチラシ制作のテーマ等を考えていた時、祈りつつ与えられたのが、“The Light in the Darkness(ザ・ライト・イン・ザ・ダークネス)”というフレーズ。今年は、東日本大震災に始まり、放射能汚染に原発不安、過激な円高などによる不況など、暗い話題が圧倒的に多く、明るいものと言えば、女子サッカー“なでしこジャパン”の世界一くらい。文字通り、国全体が暗闇に閉ざされたような1年でした。しかし、そのような暗い状況でも、主キリストの愛は闇に輝く光として、誰に対しても真の救いを与えるものであることを伝えたいのです。

2011年の秋も最終盤。クリスマスの諸行事・諸集会が、これからのひと月の中心的な話題となります。あなたの心も、主キリストに向かって整えられますように。“大飛躍元年!”として歩み始めたあなたの2011年も、クリスマスの恵みの中で、大きな祝福をいただいて締めくくられます。さあ、恵みのクリスマスの日々を歩みましょう。


本当に味わい深いもの! 2011年11月13日

あなたは秋の味覚の王者、松茸はお好きですか? 私は子供の頃から何となく好きだったと記憶しているのですが、3年間のアメリカでの留学生活を終えて帰国してから、実はもっと好きになったように思います。どう考えても日本的な味と香り…、外国の友人たちに、この味の何が美味しいのか、と問われてもなかなか説明できません。しかし、いかにも日本的な何とも言えぬ深い味わいだと思います。日本に帰って来た直後、土瓶蒸しを食べさせていただいた際、ふわーっと立ち上る香りに、思わず“あぁ〜、良い香りだ〜”と自然に思ったことを覚えています。

しかし、やはりこの松茸の味が美味しいと感じるのは、世界では圧倒的に少数派。周囲にアカマツなどの林があり、松茸がたくさん採れる世界の各地域でも、高級な物だとは認識されていなかったのでした。それが、最近では、カナダでも、ノルウェーでも、中国でも、収穫して日本に向けて輸出すれば大儲けできると分かってみんな狂騒状態。その昔のゴールドラッシュならぬ、松茸フィーバーが巻き起こっているようです。

11月も半ばを迎えると、教会の事務所でも先生方やスタッフの間で、クリスマスの準備の話題が連日飛び交うようになっています。教会の飾り付けをどうするのか、とそんな当然な話題ももちろん出て来るのですが、先日、東京・銀座の集会会場であるホテルのロビーには、すでに堂々たるクリスマス・ツリーが…。街を歩けば、もうそこかしこにクリスマスのデコレーションがなされています。最近では、10月末の怪しげなハローウィンを訳も分からず商戦の時期として盛り上げ、それが終わるや否や今度はクリスマスへ、という変な流れができているようです。そして、当然、12月25日の夜には、いきなりお正月の準備へと衣替えする、ということになるわけです。宗教的には大混乱。

松茸の味が分からない人がたくさんいても別に何とも思わないのですが、主キリストの救いと愛の世界を知らないで、ただクリスマスだ、と大騒ぎを繰り返している人が世界中に溢れていると思うと、かなり残念です。クリスマスの装飾などは世の中に出遅れてしまっている私たちですが、しっかりと主キリストの本当の恵みを人々に伝えるクリスマスにしたいと願います。見せかけや盛り上がりとは別に、本当の救い主だけが持つ恵みをお伝えしたいのです。あなたも、本物の持つ深い味わいをいつもお忘れなく!


霊的ブレーク・スルーを経験しよう! 2011年11月6日

タイでの大洪水とも関わっているのかもしれませんが、先週滞在したマレーシアのクアラルンプールも連日の雷を伴う大雨でした。しばしば10月末や11月前半に当地を訪れているのですが、例年にも増して確かに雨が多い印象です。現地の人々の話でも、やはり連日、夕方からではなく昼過ぎから大雨になり、気温も25〜6℃までしか上がらないのはちょっとおかしい、という話。異常気象は、世界のあちらこちらで起こっているようです。

そんな大雨の毎日でしたが、私が集中講義を担当した神学校、スクール・オブ・アクツ(The School of ACTS)では、神様からの恵みの雨が降り注いでいました。今年は、全部で60名ほどの学生たちでしたが、みんな祝福を心底求めていて、教室は活気と期待感に満ちていました。

今年の学生たちは若い世代が中心でしたが、講壇の目の前、一列目の中央には、いつもおじさんが二人陣取っていました。聞くと、ある大きな教団の牧師先生たち。スクール・オブ・アクツで学んできた兄弟姉妹たちが、何だかやたらと解放されて元気になり、教会の中でも力一杯奉仕しているのを見て、自分たちも、もっと聖霊の喜びに満たされ、解放されたい、と入学して学んでいるというのです。私よりも年上の、牧師としては十分ベテランの先生たちが真面目にノートを取って勉強している姿は、とても興味を引きました。

教団の指導者的な立場の牧師先生たちでも、打ち破りたいと願う、自分の小さな殻や限界があるものなのです。若い兄弟姉妹たちと一緒になって、お遊戯のような讃美を一生懸命にし、床に座り込んで熱く祈っている姿を見ると、主キリストに対する信仰はいつでも素直で熱くありたいものだ、と思わされます。

殻を破る、小さな枠を打ち破るという意味で、“ブレーク・スルー(break through)”という表現が最近はよく使われます。それまで閉じ込められていた小さな空間の壁が崩れて、もっと大きく、豊かな世界が広がる、というイメージです。自分の思い込みを超えた新しい世界が開かれること、何だかモヤモヤしている仕事やビジネスの壁が破られること、くよくよ、うじうじしている人願関係から解き放たれること…誰にでもきっとブレーク・スルーの必要があるはずです。何よりも、中途半端で煮え切らない信仰生活から解放されたいもの! 喜びと讃美、力に満たされ、思いっきり主のために仕え、証しに溢れる信仰生活へと私たちもブレーク・スルーを体験しましょう。あなたはもっともっと恵まれるはずです。


誰でもキリストに信頼できる平安! 2011年10月30日

タイでの洪水の被害が止まりません。と言うか、2週間ほど前にニュースが流れ始めてから、雨はとうに降り止んでいるのに、むしろ水位は上昇しているようで、首都バンコクの中心街や政府機能などにも支障が出る状況となってきました。

原因は、今年6月以来の、例年に比べ50%も多い積算雨量と言われる50年に一度という記録的な大雨に加え、地理的な条件も原因として考えられているようです。国土全体にさほど高低差がなく、バンコク周辺になると海抜0メートル地帯も多く、時間が経っても水がはけない状態なのだとか。そう言えば、日本での洪水と言えば、堤防が激しく決壊して濁流が襲う感じがあるのですが、今回のタイでの洪水は水がどこからともなくひたひたと押し寄せ、いつのまにかその辺り全体に水が溢れている感じです。日本人の感覚からすると、何だかのんびりと洪水の中でも生活している人々や、泳いで遊んでいたりする子供の姿を見ると、今回の災害にしても受けとめる感覚がお国柄と言うのか、少し違うのではと思ってしまいます。

一言で自然災害と言っても、起こる場所や人々の状況で、受けとめ方は千差万別。実は、私たちの悩みや憂いであっても、実際に何が起こっているかという事実より、一人一人の心構えや経験の差で、悩みの“重さ”が変わってきます。重要なのは、科学的な“質量”よりも心理的な“重さ”。時には、とんでもない大問題で翻弄されているはずの人が、案外落ち着いて対処しているのに、さほど大きな悩みに思えない事柄でも大パニックに陥る人もいます。最近は、ガラス細工のように繊細過ぎる心の人が増えていますから、ちょっとしたことでも人生の大問題になってしまいます。

あなたの心の粘り強さはどれほどのものでしょう? 思うように進まない物事に対するあなたの心の耐性はどれくらいでしょうか? 人間にはそれぞれ個性があり、違いがありますから、精神力にも差があって当然。そんな違いのある私たちにとって幸いなのは、主キリストが“すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところへ来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。”(マタイ11:28)と語られていること。そう、いろいろ違いがあっても、主は私たち“すべて”の救い主であられるお方なのです。遠慮せず、恐れず、素直に主に頼って、平安をいただきましょう。


盛者必衰…やはりいつまでも残るのは「愛」です! 2011年10月23日

長らく北アフリカ・リビアの独裁者として君臨してきたカダフィ氏が死亡、と報道が伝えています。自身の出身地での反カダフィ派組織・国民評議会との交戦の際、死亡したとのこと。本年1月、チュニジアでのデモで火がついた中東のアラブ諸国での民主化運動が、長年テロ活動の後ろ盾となってきたとも言われる独裁者を、とうとう打ち破ってしまいました。

1969年の軍事クーデター以来、アメリカや国連でさえ手に負えない独裁者としての権勢を誇った人物ですが、やはり人の力はむなしいものだと感じさせられます。「奢れる者も久しからず…」と盛者必衰の理(ことわり)で時代絵巻を物語り始めるのは、「平家物語」。しかし、主キリストはそれよりも1000年も前に「人は、たとい全世界を手に入れても、自分自身を失い、損じたら、何の得がありましょう。」(ルカ9:25)と語られ、人のいのちがまことの神様との関係に根差していないと本当にはかないものであると諭されました。

人は誰もが自分の幸せを追い求め、夢を実現させ、成功したいと考えるものです。しかし、肝心なのは、その“幸せ”や“成功”の定義。何をもって幸せと言うのか、何が起これば成功とするのか、その内容が問題なのです。軍事力や恐怖で国民を屈服させ、世界の国々からも取り扱いの難しい厄介な指導者として知られる人物には成れたカダフィ氏も、自分が信頼した武力で自分のいのちを奪われることになりました。こういう新興国では、社会の反動が実に厳しいので、今後は誰もカダフィ氏のことを英雄だとは呼んでくれず、悪魔の化身のような評価が定着していくことでしょう。

権力で塗り固められたように見えるものでも、崩壊する時はあっけないものです。栄枯盛衰、盛者必衰…人の世の常として、一時は栄えたように見えるものでも必ず滅び失せる現実を目の当たりにする時、私たちは本当にいつまでも続くものを、しっかりと意識したいもの。言うまでもなく、「…いつまでも残るものは、信仰と希望と愛」(Tコリ13:13)であり、また主キリストの「自分のいのちを救おうと思う者は、それを失い、わたしのために自分のいのちを失う者は、それを救うのです。」(ルカ9:24)という言葉にも、心の耳を傾けるべきです。主キリストの与える愛にならう生き方で、弱い私たちも幸せへと導かれ、いつまでも残るものを信仰によってしっかりと築き上げることができるのです。


秋の日々をしっかりと! 2011年10月16日

若い頃には気にも留めなかったのですが、50歳を越えてくると、季節の草花など自然の営みが気になるようになりました。ここしばらく、駐車場にあるキンモクセイが満開になり、独特の甘い香りを辺り一面に放っていて、「秋、本番」という感じです。夜空を見上げれば、「中秋の名月」からは一月経つのですが、鮮やかな満月が浮かんでいます。

かと思えば、全国各地からは桜の狂い咲きのニュースが…。秋口の冷え込みや、相次ぐ台風の影響で葉がすっかり落ちてしまったのが原因かも、と言われています。自然界でもきちんと神様の定められた周期で花を咲かせているものもあれば、周囲の変化に惑わされてリズムが狂ってしまうものもあるということです。

私たちも、秋の日々をそれぞれに祝福されて過ごしたいものです。2011年をここまで順調に歩んでこられた兄弟姉妹もおられれば、仕事や家庭、病気に関するゴタゴタの中を、何とかしのぎつつ過ごしている方もおられるはず。しかし、私たちの置かれている状況はどうであれ、私たちを愛してくださる神様が共にいてくださることを忘れてはなりません。

秋の日々を充実した時とするために思い出しておきたいことがあります。まず、あなたは決して独りぼっちではない、ということ。実は、豊かな現代社会での不幸の多くが、人々の心にある孤独感から始まります。どうせ自分なんか…、誰も私を愛してくれない…と考えることは、想像以上に危険なことなのです。あなたがクリスチャンとなり、教会に通っている事実、そして今、この文章を読んでくださっている事実は、あなたの人生に神様の導きがある証拠です。神様は、私たちを捨てて孤児とされるお方ではありません。

次に、あなたの人生には、ちゃんとした目的や歩むべき道筋がある、ということです。自分の好き勝手で、感情の赴(おもむ)くままに生きる生き方から、神様のご計画のある人生へと私たちは移されています。わたしの示す地へ行きなさい、と神様が語りかけてくださるのは、アブラハムに対してだけではありません。幾多の問題の中にあっても、あなたを導き続けてくださる神様のご計画があります。

あなたの秋の日々をしっかりと! 主キリストの導きをいただきつつ前進しましょう。主と共に歩めば、迷うことはありません。必ず勝利します!


“未確認”情報だけでなく! 2011年10月9日

札幌ではヒグマが住宅地に出没し、大変な騒ぎに…。昨今の異常気象や開発などによる環境の変化によって、従来の生息地にエサなどが不足しているからでしょうか、北国ではクマの出没情報や実際の被害が多く報告されています。本当はこれから冬眠のシーズンなのでしょうが、食べ込んでからの冬眠ができないと、今回のように野生動物が市街地をうろつく事態が続きそうです。

同時にロシアの西シベリアでは、今、科学者たちによる、ある大捜索が行われているのだとか。それは、「イエティ」の捜索。日本で言えば、「雪男」ということになるのでしょうが、シベリアやヒマラヤ、東ヨーロッパの雪山などで、全身毛むくじゃらで二足歩行する未確認動物の報告が相次いでいるのだそうです。

各地での目撃報告や雪の中の足跡などを集めると、どうもネッシーやツチノコなどよりはかなり精度の高い情報のようです。中国などは、国を挙げて多額の賞金まで設定して探しているようですし、今回のロシアでの大捜索に参加している科学者たちはその地域には30体くらいはいると推定していて、本気で捕獲しようと考えています。類人猿の生き残りだとか、未だ発見されていなかった新種だとか、存在の事実が確認される前から、様々な説が飛び交っています。

人生や世界について、相当いろいろなことを知っているつもりの私たちですが、定説を覆す事柄や、「未確認」の事項はまだまだ山ほどあるということ。科学の分野であれば、全く新奇なものに科学者たちは興奮するのでしょうが、私たちの人生の中にいきなり「未確認」の物事が飛び込んでくると、私たちは当惑し、迷い、悩んでしまうものなのです。安定感や安心というものは、「分かっている」という土台の上に生み出されてくるものだからです。

「未確認」な事柄ばかりであったり、それが自分を揺さぶる大きな出来事だったりすると、普段は結構強いと思っている私たちも落ち着きをなくして不安に陥ってしまいます。自分の心を整えて、未知なもの、新しいものにチャレンジする上でも、安心や安定のための土台を心の深みに持っておくことが必要です。家族、仕事、健康、お金、子育て、老後…多くの「未確認」の事柄に囲まれて不安になる前に、「あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です。」(詩篇119:105)と告白して、神様と共に歩む確かさを自分のものとしておくことです。平安の土台、それは神様を素直に信じることです。


霊的な生活習慣を整えよう! 2011年10月2日

夕の涼しさ、肌寒さに、本格的な秋の訪れを感じる頃となりました。街の空気には、キンモクセイの香りが漂い始めました。爽やかな空気を胸一杯に吸い込むと、確かに秋が一番気持ちの良い季節として好まれていることが分かります。

秋は、収穫の秋、スポーツの秋、食欲の秋…と用いられる形容詞も様々。同時に、快眠の秋、でもあるはずです。寝苦しい夏に比べて、秋の爽快さは格別。夏の寝不足による疲れをしっかり取るためにも、ゆっくり、ぐっすり眠る時間も確保したいものです。

最近のある調査では、親が十分に睡眠をとっていない場合、子供たちにも睡眠不足や寝坊、それに食べ過ぎなどの問題が起こって生活習慣が乱れることが報告されています。日本人全体の生活がすっかり夜型になって、不眠症とまではいかないまでも、睡眠習慣に不満を感じていたり、睡眠を軽視する人も相当増えているようです。

そして、誰もが予想する通り、親の生活習慣は子供の生活にも深刻な影響を及ぼすようです。不眠気味の親の子供たちは、何と40%を超える割合で夜寝るのが遅く、睡眠習慣が崩れているのだとか…。そうでなくても、ゲームだ、テレビだ、携帯だ、で深夜型になりつつある子供たちが、快眠者の親の家庭と比べると倍以上の比率でさらに寝不足になっているとのこと。それに加えて、この睡眠習慣の崩れた子供たちには、食べ過ぎや肥満の傾向が顕著に出るようで、悪習慣の連鎖が見られます。

困った状況に陥り、ピンチで神様の助けを求める“困った時の神頼み”的な信仰を繰り返すだけでなく、私たちの信仰生活の習慣的な部分から、恵みをいただくのに相応しいものにしていきたいと思います。しなければならないことや、したいことがやたらと多過ぎて、生活習慣がダラダラと崩れているのをいつまでも放置せず、秋の爽やかさの中で、心機一転、整えるべきものは整えましょう。同時に、礼拝を守る習慣、祈る時間、聖書を読む習慣など、霊的な要素も立て直しましょう。

屁理屈だけの頭でっかちの信仰ではなく、生活の中に、主キリストへの信仰が根付いていることが大切です。取り戻しましょう。作り上げましょう。普段の生活習慣も霊的な信仰生活の動きも、基本に立ち返りましょう。心身、霊肉共に生活習慣の基本が大切です。


もし、本当に当たったら…?! 2011年9月25日

この週報が皆様の目に留まる頃には、もうアメリカの人口衛星は落下しているはず…。先週の半ば、新聞でもテレビでも、この人工衛星落下の話題が急に注目を集めるようになりました。すでに役割を終え、今は宇宙ゴミとなっていた長さ10メートル、重さ6トン近くのアメリカの人口衛星が、大気圏に突入し、地球に落下するというニュースです。

普通は大気圏で燃え尽きるものらしいのですが、今回の衛星の大きさのせいか、NASA(アメリカ航空宇宙局)の予測では26個(計532キロ)の部分に分かれて、相当広い範囲に落ちそうだということです。落下予想の北緯57度〜南緯57度の範囲と言えば、地球上のほとんどの人口を抱える広さ。NASAの計算では、人に当たる確立は3200分の1とのこと。今、世界の総人口が約69億人ですから、日本人に当たる確立は22万分の1で、さらに「私」に当たる確立はというと、21兆分の1だとか。ま、当たらないということです。

実は、人工衛星やロケットの部品の落下は年間400件ほどあるらしいのですが、今回は部品の大きさ、多さが注目を集め、インターネットでは速報サイトが立ち上がり、イスラム圏にでも落ちたら大変だ…と何だか野次馬がつつき回して騒々しくなってしまいました。宇宙からの隕石が落下ということも、「科学的」には日常起こっているわけですし、様々な自然災害などのことも考えても、今回、取り立てて確率が高い訳ではないはずです。

まず「当たりそうもない」ことには大騒ぎなのですが、実は「当たりそう」「起こりそう」な事柄は、私たちの生活の中には他にたくさんあります。次の台風で被害に遭わないように…、今日、出かける時に事故に遭わないように…など、冷静に考えれば確率的には飛躍的に高いはずのものがいくつも思い浮かびます。「当たりそうもない」「起こりそうもない」事柄については世界中で大騒ぎなのに、実際に「当たりそう」「起こりそう」な危険や問題には、案外無頓着なのは、ちょっとおかしな感じです。

今日一日の生活の中で、事故や災害に遭わないように注意することの方が、私たち一人一人にとっては現実的であり、有益だと言えます。普通に歩いているつもりでも、小さな石ころにだって、躓いたり、足を挫いたりすることもあるのですから。それよりも何よりも、私たちの不用意な言葉で人を傷つけたり、神様から与えられた幸せへのチャンスを無駄にしたりすることがないように気を付けたいと思います。人生に危険は付きもの。しかし、そんな危険からも守ってくださる神様が共にいてくださるのですから、人生は感謝!です。あなたの今週の歩みには、危険ではなく、神様からの恵みが備えられています。


人生への好影響を! 2011年9月18日

少しでも健康維持に役立てば、ということで生の青汁を毎日飲んでいます。それがここ数日配達中止に。高知の産地が先日の台風の影響で被害を受け、しばらく収穫できないとのこと。台風12号のもたらした大雨で、西日本のスーパーはどこも葉物野菜の価格が高騰しています。台風はとうに過ぎ去ったにもかかわらず、被害は土砂崩れだけでなく、各方面に残っているということです。

最近のニュースでは、東日本大震災から半年、あるいは、アメリカでの同時多発テロから10年…という話題が度々取り上げられています。大震災から半年の時間が過ぎたのに復旧・復興への働きかけが遅々としたままだとか、立ち上がろうとしてはいるが心に大きな傷が残ったままの人々の姿が取り上げられています。テロに関しては、文字通り世界を変える大事件であったということ…。

確かに一つの事件・事故によって、私たちの人生や社会に大きな「悪影響」が残ってしまいます。それも否定しがたい事実。それならなおさらのこと、逆に「好影響」をもたらすものを大切にしたいと思います。私たちの心はとかく否定的・消極的なものに引っ張られがちですから、意識的に人生への好影響をもたらすものを大切にすべきです。

使徒パウロは、「…神の恵みによって、私は今の私になりました…」(Tコリ15:10)と語っています。自己流の生き方では、どれほど全力で頑張っているつもりでも結局、的外れの方向にしか進めなかったのに、神様の導きを素直に受け入れ、それに従って歩むと、弱さ・足りなさを抱え込んだままの自分でありながらも、神様と人々のために思いっきり生きることができるようになったというのです。

あなたの人生には、今、どのような力が働いていますか? 好影響をもたらすものですか? それとも、悪影響をもたらすものでしょうか? 10年前にたった十数名のテロリストたちの起こした凶行が、全世界をテロの脅威を感じながら生きざるを得ない暗い世界に落とし込みました。一方、2000年前に事実となった主キリストの愛は、今も人々の魂と心を暗闇から光の世界へと導き続けています。あなたの心と人生に、主キリストの愛と癒しが、恵みを生み続けますように。人生への真の「好影響」をもたらす、神様からの恵みに目を開いてください。


過激、過酷な出来事に翻弄されない! 2011年9月11日

和歌山や奈良では、台風12号の甚大な被害が報告されています。時速10キロほどの、買い物自転車程度のノロノロ台風。しかし、そのゆっくりさ加減が各地に大量の降水量をもたらしました。土砂崩れが川の水をせき止め、洪水を起こして、多くの人が犠牲になっています。

ゲリラ豪雨などもそうなのですが、最近の世界的異常気象の影響なのか、台風や豪雨、突風などの被害の程度が以前に比べるとひどいものになってきた感じです。アメリカを襲うハリケーンなども、以前よりも巨大化しているようです。

自然災害だけでなく、政治や経済など社会的な問題でも、昔と比べると何かが起こった時の被害や影響の程度が、大変大きくなってきた感があります。以前なら、小さな陰口や噂話で終わっていたはずのものが、ツイッタ−などインターネットの広まりにより、国中、いえ世界中の風評被害になったり、一つの会社の倒産が単に地域的な影響にとどまらず、日本の片田舎にまで及ぶ、全世界を連動させる大不況を生んだりしています。一昔前なら、子供同士の喧嘩で済んだものが、陰湿ないじめとなって、その挙げ句若い命が奪われたりしています。テレビの中の出来事と思っていたのに、巧妙な詐欺の手口が、振り込め詐欺など私たち一般庶民まで巻き込んだ社会現象になっています。

21世紀の世界の恐ろしさは、従来も確かに存在していた不幸や罪深い出来事が、今までとは比較にならない強烈な度合いで、有名人であろうが何の変哲もない一般の庶民であろうが、すべての人々を巻き込みつつ、そこかしこで頻発していることです。災害や犯罪など、不幸な出来事のインパクトが増しています。

だとすれば、私たちは「…罪の増し加わるところには、恵みも満ちあふれ…」(ローマ5:20)との聖書の御言葉もあるのですから、今まで以上に主キリストからの祝福が注がれることを願うべきだと思います。そして、あなたの人生が、神様という動かされることのない土台の上にしっかりと建て上げられたものとなり、揺るがない幸せを体験できるものとなりますように。

社会が進歩し、人間が賢くなっているように見える時こそ、本当の謙虚さと注意深さが大切です。何事も自分の手で上手に操作できると、自分自身を過信しすぎないことです。自分は大丈夫、私ならそれなりに賢いと思っていても、そもそも人は弱い者なのです。勢いを増すように見える人生の嵐に対抗するためには、神様により頼むことです。神様という本当の土台の上に立つ自分を意識しましょう。主キリストに信頼しましょう。


“どじょう”新首相に期待!? 2011年9月4日

脅威の粘り腰の菅前首相がやっとのことで退陣し、野田新首相の登場となりました。民主党から自民党へと華々しく政権交代したのもすでに夢のまた夢。鳩山首相、菅首相と迷走が続く中で、政権与党としての責務を果たし得るのか、今後の政局にも大きな影響を与える新政権です。

本当は、今後の政策など与党内でしっかり議論を尽くしてから、その方向性に相応しい新総理を選び出すべきだと思うのですが、今回は何と僅か3日の民主党代表選挙。一度は代表戦からの撤退も勧められていた野田佳彦氏が、大逆転で当選。国会では、内閣総理大臣となりました。その代表戦の模様は、議員グループの足し算引き算のようで、昔から批判され続けた派閥選挙そのもの。本当に、信頼に値する人材が選ばれたのかどうかは…。

いずれにせよ、野田新首相本人は無論、一見地味に見えるイメージを踏まえて自身を“どじょう”にたとえて、泥臭く奮闘することを誓っています。ご本人は、詩人・書家の故相田みつを氏の“どじょうがさ 金魚のまねすることねえんだよなあ”の一編が好きなのだとか。スター気取りはやめて、泥にまみれて、この国難続きの事態にもコツコツと実績を積み重ねていこうということでしょう。震災からの復旧復興に放射能汚染問題、原発の是非に、“超”過激な円高…と政府が取り組むべき深刻な急務が山積しています。さあ、国民の期待に応えられるでしょうか?

私たち一人一人は、と言えば、これまた野次馬になりきって無責任な批判ばかりをしていれば良いのではありません。私たちこそ、自分自身の毎日に責任を持ってしっかりと歩んでいくべきです。まだまだ残暑は厳しいのですが、9月を迎えて、いろいろなところに少しずつ秋の気配を感じ始めました。日毎に、喜びや祈り、感謝の溢れる信仰者としての歩みをしっかりと実現してまいりましょう。

別に誰がどじょうで、誰が金魚かは、神様の目には全く関係のない話です。あなたは神様の目には、疑いなく高価で尊い存在。あなたが救われたことには、明確なご計画があります。ヨハネと自分を比較しようとしたペテロに、あなたはあなたで私に従ってくれば良い! と語られた主キリストがおられます。私たちはそれぞれに人生の踏ん張り所に置かれているかもしれません。しかし、私たちの工夫ややる気を超えて、主ご自身の導きがあり、助けがあるのです。あなた自身という、神様から選ばれ、愛された信仰者が、それぞれの置かれた場所において輝きますように。他人への批判や逃げ口上から脱出して、聖霊の導きを信じて、信仰者として大胆に行動して勝利をいただきましょう。


奪い、殺すもの? それとも、いのちを豊かにするもの? 2011年8月28日

タレントの島田紳助さんが突然の引退宣言をし、バラエティーやお笑い番組が好きな人のみならず、誰もが驚いています。暴力団関係者との長年に亘る関係を指摘されたことが原因で、自ら申し出ての引退表明、とのこと。人気番組を6本も抱える、テレビ界屈指の人気タレントの突然の引退に、テレビ局のみならず、国中で大騒動です。それ以外の収拾方法はなかったのか、と戸惑う人も多いようです。

その「暴力団関係者との親密な交際」というのが実際どのようなものだったのか、と昼間のワイドショーだけでなく、一般のニュース番組でもいろいろと取り沙汰されて、いつものごとく異様な盛り上がり。しかし、野次馬的にワーワー騒いでも、何が本当なのか、なかなか実態はつかめないものですから、あまり意味のないこと。いずれにせよ、当意即妙な受け答えや、本音でズバズバ指摘する、明らかに才能のある司会者であったタレントが、本人が「この程度のこと」というものが原因で引退してしまうのは、あまりにも突然で、情けない話だと言えるでしょう。

誰もが自分では、ある程度賢く生きており、自分なりの考えで行動していると思っています。しかし、やはり何と接し、あるいは誰と寄り添って生きているかが、私たちの人生の大事な部分を決定するのです。主キリストは、ヨハネの福音書の中でこう語っておられます。「盗人が来るのは、ただ盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするだけのためです。わたしが来たのは、羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです。」(ヨハネ10:10)

私たちに接近し、親密に関係している物事や人々であっても、主キリストの目から見れば、大きく2つに分けられる、と言うのです。すなわち、奪い、殺すものなのか、それとも私たちのいのちを豊かにしてくれるものなのか、ということ。紳助さんにとっては、何年も前に自分をトラブルから救ってくれた友人や恩人のつもりだったのかもしれませんが、その本性は、彼の成功を台無しにし、恵みを奪うものと接していたということなのです。

あなたはどんな人と接していますか? 何があなたの周囲にあり、何があなたの人生に寄り添っていますか? 世の中で人気のあるものや、人間的な尺度から言えば、あなたを幸せにしてくれるように見えるものかもしれません。しかし、将来的に結果として生み出されるものが、幸せを奪い取られたり、殺され、滅ぼされたりすることなのでは残念です。言うまでもなく、「…見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」(マタイ28:20)と語られた主キリストといつも共にいることが、本当の幸せの土台なのです。いのちを豊かにしてくださる救い主と接し、共に歩んで行きましょう。


主は、確かに癒してくださいます! 2011年8月21日

やはり、夏は全国聖会ですね! 去る8月15〜16日、神戸のホテル・フルーツ・フラワーパークで、第18回となる全国聖会が持たれました。全国各地から集ってくださった300名近い兄弟姉妹と温かい交わりを分かち合いながら、3回の恵まれた聖会や、朝の祈祷会、楽しい食事の時間や交わりの時を過ごすことができ、本当に感謝でした。1泊2日の限られた時間でしたが、内容は実に充実していました。

今回、聖会のテーマとして掲げられていたのは、ずばり「いやし」! 21世紀、便利で快適な社会が訪れているはずなのですが、人々は依然、病んでいます。いや、昔の時代よりも病気や患いの形が複雑になってきて、より多くの人々が病んでいるという状況です。厚生労働省も、従来までの日本の4大疾病(癌、脳卒中、心臓病、糖尿病)に、精神疾患を加えて5大疾病とすることを発表。すなわち、一見、元気そうには見えるのに、実は病んでいる人がたくさんいるということです。

そんな状況にあって、私たちは聖書のメッセージをしっかりと受けとめることができて、本当に感謝です。主キリストの恵みは、単に私たちの精神的心理的な部分に働くだけでなく、経済や日常のことはもとより、肉体上の病にも力強く及び、信じる者たちが人生を生き抜くことにおいて本当に強くしてくれるのです。主の救いは、私たちの存在すべての部分に及ぶのです。

今回の聖会の中でも、単に癒しの学びをするだけにとどまらず、その場でも具体的に癒される人々が起こされることを願って準備していました。すると、その祈りの通りに、主ご自身が兄弟姉妹の上に働き掛けてくださったことを感謝します。鼻の奥の炎症がその場で消え、手の腱鞘炎からの痛みが消え、骨折後数年苦しみ続けた足の痛みがその場で消え、疲れからの身体の痛みが瞬時になくなり、圧迫骨折から消えなかった腰の痛みが消え、自分では祈るつもりもなかった首の痛みがなくなり、心臓周辺に感じていた痛みが消え、五十肩で動かなかった腕が身体の後ろにまで回るようになり、祈る瞬間まで苦しんでいた頭痛が瞬時に消え、不自由だった目が何だか良く見えるようになり…、実に多くの証しがなされました。内科的な病、精神的な病気、内臓や血液、癌など、すぐに癒されたかわからなかったけれど、後からわかるものもあるでしょう。やはり主キリストは今も癒してくださるのです。

今日の礼拝も、癒しの礼拝。主は、あなたを癒してくださいますよ。私たちの信じる救い主は、救いの神、癒し主であることをお忘れなく。素直に、期待して、求めましょう。


「絆」の重さを忘れずに! 2011年8月14日

8月の半ばは、いわゆる「お盆」の季節。仏教的な伝統の流れの中では先祖の霊を家に呼び戻して、供養する行事が行われます。しかし、実際は、その供養も形式的なものになったり、中にはただ職場の夏休みというだけの人も多いようです。今日、私たちは教会での合同記念会礼拝を守ります。あなたにとって大切な方々との、神様のいのちを土台とした「絆」を確認する時としてください。

「絆」という言葉は、最近あちらこちらで耳にする言葉です。何年か前に、東南アジアのカンボジアに伝道に出かけて、カンポートという南部の街を訪れた時のことでした。街外れの大きな川に「KIZUNA」という名の橋が架かっていました。聞けば、日本の経済支援によって、ベトナムへ向かう国道整備のために造られたものだとのこと。日本とアジアの人々との文字通り架け橋となることを願って建設されたものでした。

ただし、この「絆」という言葉。単に響きがよいから、美しい言葉だから用いられるというだけではダメです。大切な人とのかけがえのない関係、切っても切り離せない本当の結び付きを意味するものであって欲しいと思います。

さあ、すでに天に召された方々のことをしっかりと思い出して、今も変わらぬ「愛」の絆を確かめましょう。そして、その方々からもらった様々な恵みを、もう一度丁寧に数え上げるような感覚で「感謝」したいと思います。さらに、私たちも神様をしっかりと信じて、この地上でのいのちを生きて、いつか天国で確実にもう一度出会えることを信じて、心から「喜び」ましょう。

人の力だけの「絆」は、移ろいやすい感情やお金の話や人間関係の複雑さもあって、時には脆いものです。しかし、神様に結び付いた上での「絆」には本物の強さがあります。私たちが知っていようといまいと、厳然たる事実として存在している「絆」でしっかりと結び付けられましょう。天に召された方々も、今を生きる私たちも、共にこの神様による「絆」を受けとめる時、私たちの互いの「絆」も、何があろうと、どれほど時間が流れようと、切っても切れないものとなるのです。

「しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。」(聖書・ローマ人への手紙5:8)


生かされている喜びを大切に! 2011年8月7日

昨日、8月6日(土)は広島、8月9日(火)は長崎の原爆記念日。1945年、太平洋戦争の最終盤に原爆が投下されてから、66回目の夏を迎えています。“1分間黙祷するんだよ”と幼稚園の頃、原爆のことを教わってから、もう45回以上、真夏の高校野球の頃にやって来るこの時を体験したことになります。戦争で若くしてなくなられた方々も数多くおられたのに、私たちは今、当たり前のように平和な日々を過ごさせてもらっています。

スポーツ好きな人には、プロ野球選手として日米で活躍した伊良部秀輝投手の自殺のニュースがいきなりアメリカから飛び込んできたのは驚きだったはず。つい先日はサッカーの松田直樹選手が現役のまま、34歳で急性心筋梗塞での突然の死去。

平和や安全、健康が当然のことのように思われ、誰もが100歳近くまで生きるのが当たり前のような感覚に陥っています。逆に、生かされていることの感謝が乏しくなってきました。生きているのは当たり前。快適で便利、いやそれ以上に面白おかしく、楽しく暮らせなければ自分は不幸だと思う人が増え、そうでないとすぐに不平不満の嵐です。

最近では、放射能汚染で国民全体が神経症状態。運動場や公園、野菜に牛肉、今度はお米まで不安で不安で、あちらこちらに文句が溢れています。しかし、微量の放射能が検出されたとしても、近隣の国々と比べても、日本の環境や食料の方がよほど安全なのでは、と感じるのは、海外に出ることの多い者だけの感覚なのでしょうか。日本は、現状でも十分に世界有数の安全で平和で、物も豊かにあり、様々な機会に富んだ豊かな国だと思うのです。生かされていることを、もっと素直に感謝したいと思うのです。

歴史を振り返っても、過去の時代では戦争や飢饉、病気や環境との戦いの中で人々の寿命は本当に短いものでした。それが、今、日本は世界最長寿国となり、私たちも歴史上最も長生きできるようになりました。生かされているだけで感謝だと思いませんか?

それどころか、わがままでいい加減な私たちでも魂の奥底から幸せになれるようにと、神様は私たちを選び出し、愛し、主キリストの十字架の恵みによって救って下さいました。それも何と永遠のいのちまで保証して下さったのですから、これはもう感謝を心に刻み込んで生きていくより他ありません。不用意な愚痴や不平不満を自分自身で戒めましょう。厳しい時代を生きなければならなかった人々や短い人生で終わった方々の分まで、感謝をもって歩みましょう。今、自分自身に与えられている、この素晴らしい人生を感謝して歩んでまいりましょう。生かされていることの喜びを大切に! まず、今日この一日を、感謝をもって過ごすことです。


見かけ倒しでは困ります! 2011年7月31日

お隣、中国での高速鉄道の事故が、何だか尾を引いています。急激な経済発展を背景に、世界の先進国の仲間入りを果たすべく、国家の威信を賭けて推し進められてきた高速鉄道の大事故です。半世紀を掛けてコツコツと新幹線網を整えてきた日本とは対照的に、ここ10年で日本の4倍もの路線網を整えて、次々に新路線を開業するという荒技の、致命的な欠陥が露呈した感じです。

事故直後に、僅か3時間の間に事故を起こした先頭車両を、それもわざわざ運転席部分は重機で粉々にして、穴を掘って埋めてしまうとか、何十人もの犠牲者の捜索をしないまま事故現場での活動を終えてしまうとか、大事故から僅か1日半で大した修理もなしに営業運転を再開するとか…、素人が考えても無茶苦茶な事後処理。国内外のマスメディアの騒ぎが収まらないと、今度は埋めた車両を掘り返したり、原因究明もされていない段階で賠償金の話が出たり、そうこうする間にテレビカメラの前で、国や鉄道省の非を訴えていた遺族の中心人物たちが徐々に行方不明になったり…、と何だか変なニュースばかりです。

共産党の一党独裁が維持されないと困る国のあり方ですから、国内的にも対外的にも、美しい体面を整えることが最優先なのでしょう。しかし、だからと言って、安全や豊かさが見かけ倒しのものだけでは困ります。中国の人々も、国が発展し社会が大きく変わっていく勢いは楽しみでしょうが、同時に大きな危険性が膨らんでいる事実も知り始めなければならない時期なのでしょう。

世界や国規模の出来事だけでなく、何事でも中身の充実が大事なのは、私たちの人生にも言えることです。私たちの人生の生き方にしても、どんな物事も、格好の良い外見だけでなく、しっかりとした中身、内容が大切です。

夏休みのピーク時を迎えて、どこへ飛ぶ飛行機に乗っても、新幹線に座っていても、いつものビジネス客以上に、小さな子供さんを連れた家族旅行の皆さんや友達同士での楽しい旅行のグループと出会います。世の中全体に暗いニュースが多く、人の心を重くする話題がたくさん私たちを取り巻いているように思える時代だからこそ、家族でいることや友達同士での時間を、見掛けだけでなく十分に楽しんで欲しいな、と思います。夏だから、暑いのは当然。ずっとエアコンの効いた部屋に閉じこもって、テレビやゲームの画面と向き合うだけでなく、家族や友人たちとの、夏にふさわしい生きた時間を過ごしましょう。もちろん、神の家族の一人一人とも、夏だからこその交わりの時間をしっかりと持って下さい。あなたの人生の根幹を支える人々との関わりを、信仰によって充実させましょう。


「知る権利」もほどほどに! 2011年7月24日

東日本大震災に端を発した、放射能汚染問題。今度は、汚染牛肉の話題です。福島の牛だけでなく、汚染された餌の稲わらを食べた東北地方各地の700頭もの食肉牛の行方に関心が集まっています。その上、放射能汚染の稲わらは全国各地に供給されていることが分かり始めて、さあ大騒ぎになってきました。

放射能汚染の被害を食い止めるための措置なら分かるのですが、今度は汚染牛肉を販売した各地のスーパーやお肉屋さんの名前まであちらこちらで公表され始めて、そこでの購買のボイコット、深刻な風評被害にまで発展しそうな勢い。こうなると、もう日本中「放射能汚染神経症」状態。ちょっと大騒ぎし過ぎだと思いませんか?

汚染牛肉ばかりを選んで、毎日、朝から晩まで何年間も食べ続けるのなら問題かも知れませんが、被曝量にしても健康診断のためのレントゲンや病気の治療の一環として受けるCTスキャンなどのレベルと比べれば、何桁も下回るものであるはず。日常の危険で言えば、周囲の愛煙家が吸うたばこによる、いわゆる受動喫煙の方がよほど身体には悪いはずです。今日の事故や怪我の心配なら、交通事故に遭う確率の方がよほど高いはず。家を出る前や車を運転する前に、一言で良いから神様の守りを祈ることをお勧めします。

そもそも新聞やテレビ、最近のインターネットは「知る権利」を、金科玉条のように振りかざして、やたらと情報を流して騒ぎを煽り立てるので注意が必要です。人間は誰でも自由で、何でも「知る権利」がある、とまるで自分が神様にでもなったかのような錯覚は危険です。気が付けば、私たちは詐欺の働き方や人を殺す方法を過去の時代の誰よりもよく知っています。悪賢くなるだけの知識には要注意!そもそも、「人間は自由で、自分で判断でき、神様のように“知る権利”がある」と悪魔に上手くそそのかされて目の前に並べられた危険な果実に手を出してしまった愚かな前科のある私たちなのです。「知る権利」はあっても、正しく知る能力のない私たちなのです。

神様のみこころの鏡に自分自身を映して、いつも落ち着いていましょう。同じ知るなら、まず神の御言葉を知って、自分自身の揺るがない、本当の生き方を整えましょう。“主キリストにあって”すべての事に向き合うことが大切なのです。


なでしこジャパン、奮戦中! 2011年7月17日

ただ今、女子サッカーのワールドカップが、ドイツで開催中。

日本代表の、いわゆる「なでしこジャパン」も予選を突破して出場中。それが、先週あたりからにわかに脚光を浴びるようになってきました。

何としても予選リーグを突破しての決勝トーナメント進出は達成して欲しい、という状況から、強豪のドイツ、スウェーデンを連破して、とうとう決勝進出です。今まで、ランキングでは世界の上位に付けていても、実際にオリンピックや世界大会に出てみるとなかなか歯が立たない状態が続いていました。それが、世界の主要大会での初のメダル、それも銀メダル以上を確定させ、あわよくば金メダルというところまできた訳です。深夜も深夜、未明の試合の連続で、テレビでもなかなか生で観戦できないのですが、決勝戦は日本での連休の最中ということ。頭を朦朧(もうろう)とさせながら、応援する人が続出しそうです。

やはり、何事もあきらめてはいけません。あなたがあきらめるその瞬間、あなたの心に輝いていたはずのどれほど素晴らしい夢であっても、実現への歩みを止めてしまいます。逆に、どれほどの困難が続いてもあきらめず、気を腐らせずに、コツコツと努力を続ければ、必ず目標に到達することができるのです。女子サッカーの世界でも、欧米の有力チームと比較すると平均身長だって10センチも劣ります。いくら技術があると言っても、スポーツの基本はパワーとスピード。体力的なものを比較して日本チームの不利を数え上げれば、キリがありません。

しかし、何年も何年もあきらめずに目標を目指して努力していれば報いられるものなのです。確かに「約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐」(ヘブル11:36)だと、聖書も明言しています。2011年の猛暑の夏を迎えていますが、節電、節電とマスコミに乗せられ、ただ暑さに耐えるだけの夏で終わらせてしまわないように、十分に注意しましょう。あなたのビジネスの祝福への突破口も、もうすぐそこまで近づいています。平安と喜びの溢れる人間関係への扉も、今にも開こうとしています。さあ、あなたの信仰を働かせ、しっかりと祈って、この夏の日々も着実に前進しましょう。

さて、なでしこジャパンは、本日、日曜日の深夜と言うか月曜日の未明に、世界の頂点を賭けて世界ランキング1位のアメリカと激突。今まで25回戦って、まだ一度も勝ったことのない相手です。さあ、どうなるでしょう。でも、サッカーチームを応援するだけでなく、あなた自身が奮い立つ夏を意識してまいりましょう。主キリストの祝福を祈ります。


猛暑の夏、節電の夏! 2011年7月10日

一昨日、中国・四国・近畿・東海地方が“梅雨明け”、と報じられていました。確かに、その日、東京から戻って松山空港で見上げた空には積乱雲。いかにも夏の雲だったので、そろそろ梅雨明けかと思ったのですが、今年は気象庁の方が私より先に梅雨明け宣言に踏み切りました。

するといきなりの猛暑。週間天気予報も、連日、最高気温33℃、34℃…と、数字を見ただけで汗が噴き出しそうです。私の子供の頃は、30℃を超えると本当に暑い日という印象で、小・中学校を通じて、33℃などという日はほとんどなかったと記憶しています。それが、今年も35℃超えの猛暑日が連発されそうな勢いです。梅雨明けが早かった分、昨年以上に暑さを感じることになるかもしれません。

それに今年の夏は、何と言っても“節電”の二文字が頭から消えません。東日本大震災に端を発して、福島第一原発からの放射能汚染が未だ制御にはほど遠く、かつ日本中の原発操業の可否にまで問題が発展しています。今後の原発のあり方に関しては、ごく一部の政治家の問題ではなく、国民全体の将来に関わる問題として、じっくり腰を据えて、納得のいく方向性を探っていかなければならない課題です。

そんな猛暑と節電の夏を、いよいよ本格的に迎えた訳ですが、私たち自身の心構えもきちんと夏向けに整えておきましょう。無防備でいると、“暑い、暑い”とぼやきながら、汗まみれで不機嫌な日々を過ごしかねません。人間の身体は、本来、夏の日々には元気に活発に生きていけるように、ホルモンのバランスなども整えられているのです。それなのに、最初から夏バテ状態で夏の時間を過ごしてしまわないように気をつけましょう。

躍動的であるべき夏に向かって、主キリストによって「明るい”心を与えられるよう、祈ってまいりましょう。この夏の日々にも、主は、あなたのために様々な恵みを備えて下さっています。私たちの信じる神様は、愛の神、恵みの神様なのですから、その神様との関係にふさわしく、心の波長を喜びや感謝が基調のものへと整えましょう。

節電も、眉間に皺(しわ)を寄せて、嫌な雰囲気を漂わせながらのものは考えものです。苦しいだけの夏になってしまいます。専門家の話によれば、一番の問題は午後1〜3時頃のピーク時の使用量。それ以外の時間は十分にゆとりがあるのですから、国全体での15%節電も重要ですが、夏バテして不機嫌になったり、仕事の意欲が落ちてしまうよりは、適度にエアコンを使用してぐっすり寝た方が良いと思います。

さあ、恵みの夏、躍動感の溢れる日々です。あなたの上にも、主キリストからの豊かな祝福が注がれますように。


主のみわざに心から感謝! 2011年7月3日

レイモンド・ムーイ先生をお迎えしてのヒーリング・セミナー(癒しの特別集会)が、東京でも松山でも、大いに祝福されました。各集会の中で直接の癒しを体験された方々はもちろんのこと、大いに信仰の励ましを受けられた方、神様の濃厚な臨在を肌身で感じて恵まれた方、信仰の確信を深められた方など、数多くの方々の笑顔を見ることができ、今回も日本までお招きできたことを心から嬉しく思いました。

確かに信仰の持ち方も、人それぞれだとは思うのですが、どうせ信じるなら素直に、シンプルに信じてみることだと、改めて実感させられました。どうしても理屈の多い、私たち日本人。いのちの与え主である神様、それも私たちを深く愛してくださる方を受け入れることにまで、ああだこうだと屁理屈を並べます。私たちの魂、霊、いのちのど真ん中に関係する事柄だからこそ、かえって素直であるべきだと思います。

まず、何と言っても、“神の御言葉”である聖書の約束を素直に自分自身の心に受け入れてみること。ムーイ先生の隣にいて、通訳をしている最中、このことを私自身が痛切に感じさせられました。同じ説教者として、そのあたりのシンプルさが何だか胸にしみるのです。一つのフレーズを聖書の言葉を使って語っていながら、日本人である私たちはやたらと理屈をこねたがるものだな、と思わされます。

二つ目には、素直に祈り求めること。信仰は、心の納得だけではないはず。信じたことには、素直な行動が伴うのが自然です。神様に向かっての、あなた自身からの明確な行動が大きな力を引き出すのです。祈りの重要性は、誰もが理屈では承知しているのですが、案外、実際には祈らないで終わらせてしまうことが多いのです。あなたに願いがあるのなら、格好を付けていないで、素直に祈り求めてみることです。

三つ目には、疑わないで素直に受けとめる器を用意すること。ムーイ先生は、癒しの祈りをした後で、必ずすぐに痛みの場所を確認してください、祈りの前にはできなかったことをしてみてください、と語られます。そう言えば、私たちはたとえ祈ったとしても、それだけで終わってしまって、本当に癒されることを想定していない立ち居振る舞いをしてしまうものです。癒されるのだ、祈りは答えられるのだ、という信仰を、もう少し持続してみることが必要です。信仰にとっても、簡単にあきらめることは注意すべき事柄なのです。

さあ、梅雨明けも近づいているようです。私たちは、“今!”という間に、主キリストからの“恵みの雨”をしっかりといただきましょう。難しいことではなく、むしろ分かりきった素直な信仰の姿勢が求められています。主の御前では、いつも素直でいましょう。


ミニチュアでなくフルサイズの主キリストを! 2011年6月26日

“地デジ化”の波に乗せられて、我が家のテレビも新品に。画面も大きくなりました。同じテレビを見るにしても、やはり大きな画面の方が良いものだ、と実感。最近では、携帯電話の小さな画面でもテレビ番組を見ることができるのですが、やはり普通のテレビの方が楽ですし、さあ興奮や感動、迫力をというのであれば映画のような大スクリーンや最新の音響設備に越したことはありません。その方が、リアルなものに近くなるからです。

何でも小型にして持ち運びに便利なようにしてしまうのは、私たち日本人の得意とするところ。しかし、その得意技が度を過ぎて、人生の喜びや感謝までもありきたりのもの、素晴らしい出会いも単によくある話だと、既存のカテゴリーに押し込めてしまっては、元も子もありません。全く面白くありません。一番まずいのは、神様の恵みを自分の頭でわかったつもりにしてしまうこと。あなたの人生の“主”であるはずのイエス・キリストが、自分の都合に合わせて、携帯ストラップに吊された人形のようなミニチュアサイズの存在になっていないか、確認して下さい。

あなたが心を開き、信じた主キリストは、単なるお守り代わりのものではないはずです。聖書には、主キリストのなされた救いや癒しのみわざが何十件も具体的に記されていますが、ただそれだけが主のなされたみわざのすべてではありません。聖書の各所で、主は“あらゆる”患いを癒され、“すべての”病を癒されたと記されています。“多くの”人々、“すべての”人々が救い主の恵みに触れることができたのでした。主のお働きには限界や限定がありません。すなわち、聖書の証言であっても、それらは私たちの救いのための必要十分な証言であると共に、神様のお働きのサンプルであって、本物の救い主は惜しみなくご自身の力を用いて、私たち一人一人の持つありとあらゆる問題に向き合って下さり、そのすべてをお取り扱い下さるのです。

あなたの理屈の中で、ミニチュアの主キリストを作り上げて自己満足に浸るのではなく、聖書の証言の向こう側におられる本物の救い主と出会いましょう。あなたの人生に必要なのは、フルサイズの主キリスト! 聖書の向こう側におられる本物の救い主です。この主キリストに触れる時、あなたの人生も変えられ、病は癒されるのです。


天からの“恵みの雨”に潤されよう! 2011年6月19日

西日本各地は例年に比べて相当早い梅雨入りとなり、雨もしっかりと降っているようです。ツツジが散らない内からの梅雨入りでしたので、天気の良い初夏の日々を十分に楽しむ前から雨の季節に突入した感覚だったのですが、今度は紫陽花(アジサイ)など雨のそぼ降る中で美しい花に出会うと、この季節もまた感謝すべきものだと思わされます。

お百姓さんにとってこの梅雨時期の雨は、単に田植えのためだけでなく本当に死活問題になりかねない重要なもの。最近では都市部での水の使用量が増えているからでしょうが、雨が降らない日が続くと、水不足が深刻な問題となって社会生活や都市の機能が上手く動かなくなります。トイレやお風呂などふんだんに水を使用できる便利な生活にすっかり慣れてしまった私たちには、その不便さの感覚は相当なものです。やはり、雨も降るべき時にしっかりと降ってもらわなくてはなりません。

まもなく一年の折り返し地点を迎えようとしていますが、あなたの2011年はここまで順調に動いてきているでしょうか? “大飛躍元年!”となることを願ってこの一年の歩みを始めた私たちですが、このあたりできちんと自分の歩みを点検しておくことが大切です。心を落ち着けて、少しでもゆとりを感じながら、あなたのあるべき本年の後半を描いてみて下さい。その“心の落ち着き”や“ゆとり”を持つためには、クリスチャンである私たちは神様の前での礼拝の時間や祈りの時、聖書の御言葉にしっかりと向き合うことが不可欠です。

自然界の営みには、降るべき時に雨が降っておくことが必要であるように、私たちの歩みが根本からしっかりと整えられるためには、取り巻く霊的環境がまず整えられることが大切です。やはり祈るべき時に祈っておく、献げるべきものは献げておく、周りの人への態度も感謝と愛に根差したものへと早めに切り替えておく、自分のしようと思った奉仕はちゃんと毎日の生活の流れの中に組み込んでおく…、と様々な事柄が動き始め、その場の勢いに押し流されたり、手直しをしづらい状況になってから慌てふためくのではなく、それよりも先に祈りを柱としてクリスチャンらしい幸せの土台を構築しておくことです。

教会の先生方やスタッフのみんなとも、2011年の後半に向けてもう一度態勢をしっかりと整え直そうとしています。あなたにとっても、この6月の後半の時間は大切な時となります。ただドタバタして時間だけが流れてしまうことがありませんように。自分自身が責任を持って動かすべき人生です。自らの信仰でしっかりと神様に祈りましょう。あなたの、本来あるべき日々の姿を思い起こしてください。


素直に神の御言葉に従ってみること! 2011年6月12日

海外伝道に出かける度に、いつも新しい恵みをいただくことができるので感謝です。やはり言葉や文化の違う地域に出向くと、普段当たり前のように思っている場面でも、新鮮さを感じる事柄と出会うことができます。たとえば、食事一つにしても、インドに行ってみると、日本人の言う“カレー”という概念では理解しきれない食べ物に出会うことになり、刺激満点です。

海外伝道と言うとどうしても大げさに響きますが、その中心的な中身は、キリスト教の集会。当然、私たちには十分馴染み深いもののはず。しかし、インドの田舎で、インドの兄弟姉妹の真ん中で、現地の礼拝に出てみるとびんびん新しい刺激が飛び込んできます。讃美のメロディーやリズム感も新鮮ですし、説教の雰囲気も違うと言えば、やはり違います。インドの兄弟姉妹が放つ熱心さが、肌身に伝わってくる感じなのです。

しかし、何もかも“所変われば品変わる”というだけでなく、日本でもインドでも物事の本質は同じだな、と感じさせられるものがあることも事実。インド南部、ニルギリ高原・コタギリの街で行われた今回の特別集会ですが、そこに集った人々の心も、何も特別な信仰心があったというのではなく、私たちと同じような迷いやすい、弱い心の人々も、当然たくさんいたのです。

代表格は、大会前日の祈祷会に集ってくださった牧師先生たちの内の、お一人。50近くの教会が協力してくださり、みんなで救いや癒しの御業の現れを求めて祈った後、牧師さんの一人が祈祷会後にわざわざ近づいて来て、語りかけてくださったのです、「この地域では奇跡は絶対に起こらない!」と。聖霊の働きを信じる教団に属する牧師先生でしたが、最近、近くの街で自分たちの教団主催で行った癒しの集会では、誰一人癒されることはなかったということです。

“人に従うより、神に従うべきです(使徒5:29)”と、聖書は端的に語っています。洋の東西を問わず、生きて働く信仰の働かせ方の秘訣がここにあります。私たちの理屈や経験、信じることを妨げる様々な事情があるものですが、だからと言って、私たちの屁理屈が神の御言葉に優先することがありませんように。残念な牧師先生の言葉があったのですが、私たちは神様の臨在と聖霊の力の現れを素直に求めて、集会を行いました。結果は、素晴らしい癒しや霊的解放を数多くの人が受けることができたのです。今日は癒しの礼拝。素直に、神様の約束に信頼しましょう。主イエス・キリストに向かって、あなたの信仰を働かせましょう。


昨日も今日も、いつまでも変わらないもの! 2011年6月5日

一昨日、インド伝道より帰国いたしました。愛する兄弟姉妹に、ずっと祈り続けていただいたことを、心から感謝いたします。そのインドからの帰国途上、日本のニュースがチラホラと耳に入り始めたのですが、特に国会の混乱の話題は考えさせられました。とりあえず今回の内閣不信任案は否決されたものの、菅首相の立場は与党・民主党内でもフラフラで、遅かれ早かれ退陣は必至の状況です。

つまり、また日本の首相が替わるということ。良い方向に“変わる”のであればまだしも、とりあえずまた“替わる”というのです。やっと最近の国際会議の中で手応えを感じ始めていたらしい菅首相も、日本名物の短命首相となるようです。こんなことでは、変化の激しい国際社会の情勢の中で、しっかりと軸を据えた日本の国策を世界に対して打ち出していくことは不可能です。

そのような、コロコロ変わるべきでないものまで、あっと言う間に変わっていく現代社会にあっても、私たちはいつまでも変わらないものをしっかりと与えられていることは実に幸いなことです。言うまでもなく、私たちの主イエス・キリストのことです。今回のインド伝道も、その中心の内容は、聖書の語るとおりのイエス・キリストを人々に実体験していただくということでした。どれほど丁寧に準備をして、一生懸命私たちが関わったとしても、そこで浮かび上がるものが私たちの生み出した人間的なものでは全く意味がありません。

今回は今までのインド伝道にはない涼しさで、寒さをおぼえるほどの山地での集会も初めてでしたし、いつも窓口となってくださるタンカチャン牧師たちもトリベロールから600qも700qも離れているので、いろいろと不便で身動きが取れません。何よりも、大会前に当地で牧会する、牧師がやってきて、この地域では奇跡は絶対に一つも起こらない、と断言していくような状況で、私たちの開きたい内容の集会は全く未経験な人々の集まりとなりました。

しかし、やはり聖書の言葉は本当です。“イエス・キリストは、きのうもきょうも、いつまでも、同じです。(ヘブル13:8)”とあるように、私たちではなく、主キリストご自身が、集められた人々の中で力強く働いてくださいました。私たちが信じたとおりに、人々は心を開いて救い主キリストを信じ、受け入れ、数多くの病が続々と癒されました。悪霊に取り憑かれた人々もその抑圧から解放されていきました。変わりやすい世の中にあって、ずっと変わらない主キリストが私たちと共に働いてくださるのは本当に大きな恵みでした。インドの人々だけでなく、あなたの心にも同じ主キリストが今日も働いてくださいますように。


人生を変える主キリストとの出会い! 2011年5月29日

ただ今、インド伝道の真最中です。今回の、4夜連続の大伝道集会の開催地は、南インド・ニルギリ高原のコタギリという街。

周囲を茶畑に囲まれた、標高1500mにある山の斜面にへばりついたような街です。従来の灼熱のインドのイメージとは全く異なって、夜にもなると寒さを覚えるほどの涼しさに面食らい、こんな田舎町で人は集まるのか、という不安とも戦いつつ、全力投入の伝道を展開中です。皆様のお祈りを感謝いたします。

無論、インドの人々にはインドの伝統と文化があり、その歴史の中でインド特有の宗教が生まれています。もちろん、私たちの国、日本にも独特の歴史と文化があり、日本の宗教がある訳です。神からいのちを与えられた人間には、どれほど歴史が進歩し、文化が発展しても、神なしには済まされない心の深い部分があるのでしょう。それぞれの民族が、それぞれの歴史や文化を積み重ねる中で、心に響く神のイメージを形にしていくと、当然のこと、世界中に数限りない宗教が存在することになります。

しかし、逆に、いのちの与え主である神の視点からすれば、人々を愛し、救い、恵みに満たそうとする神のみこころは一つ。当然、救いの道は一つで、それを様々な時代や文化のあり方に適応させて、一人でも多くの人々を救っていこうということになります。

どちらがより確かに人々を救いへと導くことができるのでしょう? 人がそれぞれの創意工夫でその場の必要に応じて作り上げた諸宗教? それとも、神の側から人々のために開かれた確実な救いの道? 答えは、神から備えられた道の方でしょう。自分自身が罪深く、様々な歪みを抱えた人間がどれほど努力したところで、その行き着く先には限界があります。

ですから、どれほど宗教熱心なインドの人々にも、どれほど仕事熱心な日本人にも、救い主キリストとの出会いが必要です。主キリストの愛と救いの出来事に向き合う時、私たちは人間の努力の限界を超える、神の備えられた豊かな救いの道を歩むことができるのです。そして、神と共に歩む人生という、真の深みと喜び、感謝を味わう日々を歩んでいくことができるのです。そう、この文章を読んでおられるあなたの心にも、いろいろと理屈をこねたところで、本当の幸せのためには、やはり主キリストとの出会いが必要なのです。


インド伝道の大勝利、大成功のためにお祈り下さい! 2011年5月22日

いよいよ明日から本年のインド伝道が始まります。人の業ではなく、人々を救ってくださる神様の恵み豊かな御業が現わされますように、とお祈りください。私も愛する兄弟姉妹の代表として全力で福音を語り、聖霊のお働きに信頼して祈ってきます。

私が大学生の時、インド・トリバンドラムのロイ・スンダラクーマ牧師(その時はまだ牧師ではありませんでした)と出会って以来、30年にも及ぶインドでの伝道活動です。4万人の人々が集う大集会が、故万代恒雄牧師によってマドラス(今は、チェンナイと呼びます)のマリーナ・ビーチで開かれたり、孤児院の設立・支援の働きが展開したり、村々に教会を建て、若い先生方を支援したり、と実に多くの事柄にチャレンジしてきました。今回も、タンカチャン牧師を中心として、インドの牧師先生方、兄弟姉妹たちが私たちの訪問を心待ちにしてくれています。

明日は午前中に関西空港を出発して、深夜(日本では日付が変わって火曜日の未明)には、チェンナイから車で1時間半ほどのトリベロールという街にあるタンカチャン牧師の教会に到着する予定です。孤児院の訪問や、村の教会の応援などももちろん行ないますが、今回のメインは、今週の木曜日からの4夜連続の野外大集会です。今回は、南インド・ニルギリ高原のコタギリという街での大規模な集会です。おいしい紅茶の産地としても有名な地方なのですが、今回は当地に主キリストの救いと解放、恵みの御業が力強く行なわれることを信じています。

日本での、ここ1週間ほどのニュースでは、福島第一原発に関するニュースで、これまで発表されていたこととはかなり異なる内容が次々と明るみに出ています。たとえば、地震発生の5、6時間後には、一号炉ではすでにメルトダウン(炉心溶解)が起こっていたということ。確か、あったとしても“一部損壊”程度、と言われていたはず。必要以上に破壊的、壊滅的なニュアンスを避けるために意図的にされたことなのかもしれませんが、政府や専門家からの言葉と言えども、微妙な要素やあやふやな言い回ししかできない、人の言葉の限界を感じます。それに対して、今回、私たちがインドの人々に届けようとしているのは、“神の言葉”。日本人、インド人の人種、文化、社会の状況を超える、私たちにいのちを与えてくださった神様からの、いのちと救いのメッセージです。

信仰を込めて、精一杯ご奉仕してきます。どうか皆様のお祈りに覚えてください。主キリストの御名によって、魂の救い、病の癒し、霊的な解放を宣言し、祈ってきます。主ご自身の鮮やかな御業が現わされますように、とお祈りください。感謝です。


みんなで力を合わせる素晴らしさ! 2011年5月15日

ゴールデン・ウィークが終わり、先週はアンデレ宣教神学院の新年度開始となるスクーリングの日々でした。毎年、この時期は4月末のバザーから特別行事が目白押しで、単に休日の多い時期だというのを越えて、本当に充実した毎日となります。今年も、早天礼拝の開始や故万代恒雄牧師の記念会、ファミリーキャンプや九州聖会、そして神学校の卒業式・入学式…と、本当に祝福された楽しい日々でした。

そんな行事の多い毎日の中で、この度は2名の兄弟たちを相次いで天にお送りしたことも、感慨深いことでした。去る5月6日(金)には矢野次男兄(満85歳)が、9日(月)には竹嶋義夫兄(満96歳)が天に召されての前夜式、告別式などを、多くの兄弟姉妹のご参列を得て、厳かに営むことができました。人間的には、死による別れを体験するのですから確かに寂しく悲しいのですが、キリスト者としてはそれぞれ20周年、40周年の信仰を貫いて、天寿を全うされた兄弟たちとは必ず天国でお会いできる、永遠のいのちの約束があります。ですから、心の内には主の御手に愛する魂をお委ねできる平安と、来たるべき世に対する希望を受けとめつつ、葬儀の一つ一つの場面に向かうことができました。

そんな2週間あまりに及ぶ各集会、各行事を体験しつつ、改めて、主キリストに救われた兄弟姉妹たちと大きな神の家族を作り上げ、共に歩んで行けることの素晴らしさを感じ、心から感謝しています。私たちは、ひとりぼっちではありません。主キリストを救い主と信じ、同じ聖霊の恵みに触れている神の家族である兄弟姉妹たちがいつも一緒にいてくれるのです。

バザーでは、共に力一杯奉仕して、放送伝道や海外伝道のために価値ある150万円を超える献げ物を生み出すことができました。素晴らしい恵みです。キャンプや聖会の場でも、一人だけで楽しいと言うのではなく、みんなとの交わりで大きな喜びを心に感じました。新たに始まった日曜朝の早天礼拝には、毎回20名近くの方々が集って下さっていますし、この教会の初代牧師の信仰をしっかり受けとめようと多くの方々が記念会に参加して下さいました。召された兄弟たちのためには、多くの皆様が祈りに駆け付け、新たな主の献身者を送り出す場にも、たくさんの兄弟姉妹が集って下さいました。“独居老人”など、周囲に人がいながらも孤独であるのが、最近の風潮のようです。そんな世の中の流れとは逆に、私たちにはいつも主を愛する兄弟姉妹たちが一緒にいて下さいます。祈りと信仰をもって、みんなで力を合わせることができるのは何と素晴らしいことでしょう。


身近な恵み、当たり前の祝福を忘れない! 2011年5月8日

立夏を過ぎて、季節は春から初夏の装いを見せています。今年はつい最近まで桜をゆっくりと楽しんでいたのですが、もうすっかり新緑の時期を迎えました。今日の日曜日までゴールデン・ウィークを延長させて楽しんでおられる方もいらっしゃるかもしれないのですが、あなたのお休みの時間に、新緑の季節に負けない、神様からの新しいいのちの喜びや躍動感はちゃんとありましたか?

私は、松山の本部教会の兄弟姉妹たちとの一生懸命のバザーを終えて、先週の日曜(5月1日)には聖餐式礼拝、夜には洗礼式と大変恵まれた時間を持ち、5月3日(火)からは2泊3日で九州福音センターの皆さんとの祈りを中心とした九州聖会の時を持つことができ、実に充実したゴールデン・ウィークの日々を過ごすことができました。主にある兄弟姉妹たちと共に過ごす時間が与えられたことは本当に大きな幸いでした。

九州聖会では、普段の雑事から離れて、福岡県朝倉郡東峰村宝珠山の、文字通り山里の自然の中での時間を満喫しました。周囲を棚田に囲まれ、山肌に張り付くようにJRの日田彦山線がのどかに走っています。新緑の木々に囲まれて、ツツジやハナミズキが美しく咲いていました。車で走ればホンの2〜3分のところに日本の名水100選にも選ばれている自然の湧き水があります。水がおいしいだけでなく、宿舎で出していただく料理は、地元の山菜料理で、とてもおいしくいただくことができました。高速を走れば、大都市の福岡から僅か1時間ほどのところに素敵な日本の田舎の生活があります。スーパーやコンビニは高速のインター周辺にしかなく、確かに都市型の便利さや快適さからほど遠い田舎なのですが、そこには間違いなく忘れてはならない日本の自然の良さや田舎らしいのどかな生活があります。

いつも忙しくドタバタばかりしているから見えないだけで、実は新緑に溢れた大自然も、心を和ませる、ゆったりとした生活のリズムも確かにすぐそばに存在しているのです。忙しい、しんどい、大変…そんな毎日や息つく暇もないほどの生活があなたの人生のすべてであるかのように錯覚しないでください。あなたが見ようとせず、見つけようとしないだけで、自然界には確かに新たないのちが溢れ、ゆったりと時間の流れる世界も存在しています。実は、あなたのすぐそばに、あなたが見落としている神様からの恵みがいろいろと存在しているのです。あなたの、春から夏への歩みにおいても、しっかりと神様からの恵みを受けとめてください。自分が作り出した狭い世界の中だけで物事が忙しく展開しませんように。霊的にも深呼吸して、そこにある当たり前の祝福をいただきましょう。


時を超え、歴史を超えるもの! 2011年5月1日

英国のウィリアム王子とケイト・ミドルトン(キャサリン妃)さんの結婚式が、ロンドンのウェストミンスター寺院で行なわれ、100万人が祝福し、全世界では20億の人々がテレビでその模様を視たとのこと。世界の耳目を集めた、故ダイアナ妃の長男の結婚式ですし、王室のあり方が、過去から現在、そして未来へと様々な角度から問い掛けられる難しい時代でのロイヤル・ウェディングです。

350年ぶりに貴族階級ではない一般家庭からの花嫁であり、結婚式後には王子自らオープンカーを運転して移動し、ディスコのようなパーティーをし、二人で家賃10万円の家に住み…、といかにも現代的な話題が満載です。と同時に、イギリス国民のざっと半分は今回の結婚式には特に興味がない、という冷めた反応もある一方で、元の大英帝国に属するカナダやオーストラリアでは祝賀ムードが溢れているとのこと。変動の激しい現代だからこそ、王室の伝統の枠を越えた話題がいろいろと伴ってきます。

そんな世界史にも大きな影響を与えた王室さえ翻弄する時代の流れの中で、私たちの教会にはいつまでも変わらない宝物のような信仰が生きていることは素晴らしいことです。一昨日、4月29日(金・祝)には松山の本部教会において恒例の春季バザーが開催されました。神様は、文字通りの好天で祝福してくださり、朝から夕方まで引きも切らず多くの人々が来てくださいました。婦人会の姉妹たちは一生懸命にご奉仕くださいましたし、その他の部会の皆さんもそれぞれのコーナーを盛り上げてくれました。県外の兄弟姉妹たちにも献品など、多くの支援をいただき、全員参加のバザーであったことを感謝します。

時代の変化と共に進歩し、変わっていくべきものも数多くあるのですが、神様を信じる信仰はどんな時代もその輝きを失うべきではないはず。私たちの生活様式はここ数十年ですっかり変わりました。家族や人間関係も相当変化してきました。しかし、神様に向かう真剣な信仰の態度は安易に変わってよいものではありません。

私は、今回も愛する兄弟姉妹と共に奉仕する中で、心から感謝しました。神様、私たちの教会には奉仕する姿勢がちゃんと息づいています、献げる姿勢がきちんと生きています、と。世の中はやはりどんどんわがままで身勝手になりつつあります。しかし、そんな時代の空気に簡単には毒されず、主キリストの生き様に倣う多くのクリスチャンがいる教会を共に動かしていくことができるのは大きな幸いです。目新しいものが日替わりで登場するような時代だからこそ、時代を超え、歴史を貫く主キリストの愛の基本を私たちは忘れてはなりません。バザーのためのお祈りとご奉仕、本当に感謝でした。


フルサイズのイエス・キリストを! 2011年4月24日

今は何でもインターネットの時代。情報の検索だけでなく、ゲーム、音楽の配信も、最近は映画のレンタルもインターネットを通して、という感じになりました。ただ、同じ作業も広いパソコンの画面の代わりに、小さな携帯電話をのぞき込んでするとイライラしてしまうのは、決して私だけではないはず。フルサイズの画面を、携帯電話では見ることができないからです。フルサイズの情報を見られる画面の方が、随分快適なのです。

ところで、世界中に、主イエス・キリストを信じているという人は、何と20億人もいるようです。それだけキリスト信仰は世界中の人々の心のよりどころ、魂の救いを提供しているということ。しかし、ここでも少々注意が必要。すなわち、みんなが信じているつもりの“主イエス・キリスト”が、フルサイズのキリストであるかどうか、ということです。

クリスチャンだ、と自認している人々の中にも、実はその信じ方の度合いがバラバラです。キリストの言葉が美しく哲学的だから好きなのです、という人もいれば、キリストの無私の生き方に感動して、自分もそんな風に生きてみたいから、と人としての生き様に憧れている人もいます。

しかし、聖書の語るキリストの姿は、はるかにそれ以上のもの。キリストは、彼自身が立派な宗教家であり、立派な人格者だったというだけでなく、何とすべての人の心の汚れ、魂に染みついた罪を一手に引き受け、罪に対する厳正な裁きを身代わりとして受けるために、私たちのために十字架にかかって死なれた、と聖書は語ります。また、彼の生涯は死で終わったのではなく、私たちに与えられる永遠のいのちを証明し、私たちに人間の力を超える、神からの聖霊の恵みを注ぐために、死を打ち破って甦ってくださいました。

十字架の死と、死からの復活を視野に入れてこそ、2000年間に亘って世界の人々を、神の救いに導いたフルサイズのキリスト、本物の救い主と言えるのです。今日は、主イエス・キリストの復活を祝う、イースター。復活節です。あなたの心に、フルサイズのキリストが生きておられますように。イースター、おめでとうございます。主キリストが共にいてくださるので、弱い私たちが強くされ勝利者として生きていくことができるのです。


“大切”なあなた! 2011年4月17日

公立小学校1年生の1学級当たりの児童数上限を35人に引き下げる法案が、国会で成立しました。1980年度から段階的に45人を40人にして以来の、1学級での児童数上限の引き下げ、だそうです。そう言えば、私が小学生の頃は、1クラスは40人前後が普通で、38人のクラス、と聞くと何だか子供の少ないクラスだな、と感じたことを覚えています。

それだけ教師一人当たりの児童数が減るということは、児童一人一人に対して教師の目が行き届くことを期待した措置です。子供たち一人一人がいかに大事で、大切に育てられるべきかということを、法律の面でもきちんと規定していこうというもの。最近では補助教諭も付いて、実際にはそれ以上に関わりの度合は増しています。しかし、その内実はと言うと、先生たちの言うことを聞かない児童がたくさんいたり、子供たちの間ではいじめがあったり、学級崩壊などが話題となる教育の現場の姿があります。

どうも私たちは、みんな自分が大切にして欲しいと思うばかりで、誰かの言うことは聞きたくないようです。また、誰かのことを自分が大事にしてあげようとは考えない傾向が強くなっています。要は、国全体に“わがまま病”が徐々に、そして確実に進行中。小学校という教育の基本となる場に置いても、子供たちの扱いが一筋縄ではいかないのです。すると、どれほど児童一人当たりの先生の関わりの度合いを増やしても、受ける側が際限なくわがままな態度でいようものなら、大した助けにはなりません。今度は、1クラス30人に、いや25人に…と話は際限なく発展して、しまいには子供につきまとう、過保護な親のような先生が個人授業しないと手に負えなくなるでしょう。

聖書は、私たち一人一人が、そもそも神様の目に価値ある存在であることを教えています。“わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している(イザヤ43:4)。”と、明確な神様からの約束があります。しかし、その神様から大切にしていただける恵みを体験するためには、“主を恐れることは知識の初めである。愚か者は知恵と訓戒をさげすむ。(箴言1:7)”との御言葉にもあるように、神様を正しく恐れ、へりくだる素直な心の姿勢が必要となるのです。安っぽい優しさやベタベタした愛想の良さが、人を幸せにするのではありません。謙虚さや感謝の心がしっかりと植え付けられてこそ、本当の幸福感を抱くことができるのです。

あなたの罪のために、いのちまで捨てて下さった救い主がおられることを忘れてはなりません。自分自身に対して、文字通り“有り難い”ほどの愛を注いでくださった主キリストがおられることを認めて、心から感謝してこそ、本物の救い、幸せをいただくことができるのです。神様の与えて下さる本当の“大切”さを、感謝を持って受けとめましょう。


後遺症に負けない強さ! 2011年4月10日

去る木曜日の深夜、東京・銀座での集会の後、出席された兄弟姉妹たちとの会食を終えてホテルに帰り着く頃、いきなりの揺れが。3月11日の東日本大震災以来、広い範囲での余震が続いていたのですが、今回は相当大きな揺れでした。すぐにテレビで確認すると、宮城県沖を震源とする、マグニチュード7.4の大きな地震。宮城県などで観測された震度6強は、今回の大震災の余震の中でも最大のものとのこと。

大災害の後遺症、副作用はまだまだ続いています。今回の地震のように、余震と考えられるものは、大震災発生以来もうひと月にもなろうというのに、まだまだ続いています。福島第一原子力発電所の放射能汚染問題も日替わりメニューのように次々に問題が発生して、原子炉の冷温停止状態に至るには、何ヶ月も何年もかかりそうです。住民の避難問題もかなり深刻ですし、農業や漁業への影響も甚大。東北や関東地方の多くの工場が操業停止に追い込まれている影響で、全国各地の工場も動かなくなっています。自動車関連の工場などは、首都圏や中京地区のみならず、遠く九州でも稼働できない状態です。5月、6月当たりからは、自動車の新車が足りなくなるのでは、とも言われています。

大きな後遺症が、今回の大震災によって発生しています。当然、被災地で家や仕事まで失った人々の生活や、大切な人を失った悲しみの傷が癒され、明るい笑顔が戻ってくるには、本当に何年も何年もかかることでしょう。確かに、未曾有の大災害であり、大きな困難や試練を各地各所にもたらしました。

しかし、だからと言って、いつまでも悲しみや絶望感ばかりに身を任せていてはいけません。社会全体も、いつまでも大災害の後遺症ばかりに振り回されていてはダメです。この週末、東京から西の地域では、どこも桜が満開です。春はすでに訪れており、4月を迎えて会社も学校も新年度の開始の時です。どんなに困難な事柄が周囲にあったとしても、新しさを感じ、新鮮な動きを作り出していくためには、今が絶好の機会なのです。

今日は、癒しの礼拝。日本全体に大きな影響をもたらした大震災とはスケールが違うかも知れませんが、人それぞれに大きな悩みをもたらし試練となって襲いかかってくるものがあります。あなたにとっては、自分の抱える病がそれかもしれません。しかし、忘れないでください。あなたには、いつも救い主であるイエス・キリストが共にいてくださり、主の臨在の中には常に新しいいのちの輝きがあるのです。どんな病や後遺症にも勝る、主キリストの癒しがあります。主キリストの恵みをいただいて立ち上がりましょう。あなたのいのちにも、新しい季節が到来しています。


恵み溢れる春夏秋冬を! 2011年4月3日

例年だと桜の開花の話題が関心を呼ぶ頃なのですが、今年は東北関東大震災の報道が圧倒的で、とんと耳にしません。ニュースの総量が、大震災や放射能汚染に関わるものが膨大すぎるからというだけでなく、どことなくこういう時期に“花見”の話題など不謹慎だ、という感覚も影響しているのかもしれません。

連日のニュースによれば、今回の大震災による死者・行方不明者の合計が30,000人を突破しそうで、今後の復旧、復興へのすさまじく長い道のりを思えば、前代未聞の大災害です。そんな深刻な被災地の現実があるのに、自分たちだけが楽しんだり愉快な時を過ごすことは自粛した方が良い、というような空気が日本中に溢れています。それはそれで、確かに必要な配慮でしょう。

ところが、この本部教会のある松山でも、観光地・道後温泉の春の行事は全部中止で、ゴールデン・ウィークまでの予約は1万数千件もキャンセルが相次いでいると聞くと、心配になってきます。被災地とはかなり離れた四国まで、自粛ムードが漂い、それ以上の沈滞ムードが来ようとしています。大震災をきっかけに、今度は精神的な自粛ムードで自ら不況を作り出そうとしているようなものです。今、日本中で様々な行事が中止され、物品の購入も控える方が良いという空気ばかりが溢れているのは、考えもの。このままでは復旧、復興への動きを底支えする経済力や社会の活気がすっかりしぼんでしまいます。

確かに気持ちの面では被災地の方々を思いやり、配慮と愛をもって寄り添いたいものですが、だからと言って、社会全体の空気が被災地のようになり、みんな湿っぽく落ち込むべきではありません。いくら大震災でも日本全体が壊滅した訳ではないのですから、被災を免れた地域は被災地の分まで頑張るべきなのです。もっと元気を出しましょう。もっと勢いを出しましょう。

外は桜の季節が訪れていて、そのあとは新緑の季節へ…ここ日本での素晴らしい春夏秋冬が巡り来ます。学校では入学式が行なわれ、会社でも新入社員の方々を迎えて、新しい一年度が動いていきます。新しい毎日の動き方に、わくわくしようではありませんか。新しい家族の生活パターンを喜ぼうではありませんか。自分の能力を高める新たなチャンスを楽しみましょう。今年は“大飛躍元年!”ですから、私たちはそれぞれの場所で大成功、大勝利を目指しましょう。そして、神様の恵みによって、人知をはるかに超える大きな祝福を手にしましょう。ご一緒に、大きな祝福のある春夏秋冬を、喜びを持って歩んでまいりましょう。


あなたを取り巻く空気に注意してください! 2011年3月27日

去る木曜日、金曜日の2日間、銀座での集会をはじめとして東京での仕事に取り組んでいました。しかし、東北関東大震災以来の東京は、何だか変な雰囲気でした。

まず、東京行きの飛行機がガラガラ。羽田空港も照明が落とされ、妙な感覚です。出発ロビーは混雑しているのに、到着ロビーには数えるほどしか人がいないのも異様です。鉄道の駅も、エスカレーターが止まっているところがあり、荷物の多い私は、よいしょ!よいしょ!と後悔するはめに。平日の昼間だと言うのに、東京駅、丸の内周辺も人がおらず、大きなホテルが営業をしばらくの間見合わせていました。いつもは混雑するランチの時間ものんびりと過ごしました。銀座のデパートやブランドショップも夕方早々に店を閉じ、24時間営業のファミリー・レストランも午後10時には閉店。それ以降開いているのは、街の小さなラーメン屋さんばかり。コンビニの棚も商品が少なく、何だか寂しい感じです。

それもこれも、大震災からくる福島の原発の不具合や停電によるもの。何よりも、原子炉の制御が未だなされず、大きな爆発などはないものの、放射能が放出され続けていることが、ボクシングのボディー・ブローのようにじわじわと効いてきています。日本人の特性から、パニックになったり暴動が起こったりはしていませんが、今は何だか徐々に人々が東京から脱出するような感じになっています。空気中の放射能や水道水中の放射性物質まで問題になるようになって、どうも人々の心をどんより重苦しい物が取り巻いています。

他の街ならまだしも、日本の中心、世界経済の一大拠点でもあるはずの東京がこういうことでは大変だ、と経済や景気には素人の私でさえ心配になってきます。空気や水までもが、心配な状況です。大震災からの急速な復興を考えなければいけない時に、人々の心が完全に不安や戸惑いで澱んでしまっていては、何も前向きな事が起こってきません。

そんな中での銀座での集会でした。午後9時過ぎまでの集まりですから、本当にみんな来てくださるのだろうか、と内心、心配していたのです。停電で電車が止まることも予想されますので、どなたにももちろん無理は言えません。しかし、ふたを開けてみればいつもの集会に見劣りしないくらい多くの兄弟姉妹が集まってくださいました。本当に感謝でした。この東京にも、主の恵みに触れて心が満たされたいと願っている方々がこんなにもいる、と嬉しく思いました。

いろいろな物が私たちを取り巻き、巻き込んで、何らかの色に染め上げようとしています。不安や恐れがあなたを支配してしまいませんように。私たちは、主キリストの恵みに取り囲まれましょう。主キリストの恵みがあなたを包み込んでいますように。


制御を失った力の恐さ! 2011年3月20日

東日本大震災の被害状況が、いまだに確定できません。今回の地震や津波の被害は甚大で、広大な範囲に及び、被害の確認作業がままならない状態です。余震は今もかなり規模の大きなものが続いていますし、何と言っても福島第一原子力発電所の冷却装置の故障からの放射能汚染の問題は、東北地方や東京近郊など関東地方一帯の停電などの大問題と共に、人々の心に不安の影を落としています。

日本の原子力技術は世界に誇るレベルのものであったはず。安全な日本の原子炉を世界各国にも売り込もうとしていたほどですし、将来予想される大地震でも大丈夫…のはずでした。それが、今回、大地震による停電で通常の冷却装置が不能となり、非常用のディーゼル発電での冷却装置も津波被害により機能しませんでした。マグニチュード9.0という未曾有の大地震によって、想定外の事態となりました。

本来なら、大地震、大津波の被害からの復旧、復興に国民を挙げて取り組むべき時なのに、放射能汚染のことが心配で、何だかみんな浮き足立っています。日本中で、みんながテレビの画面に釘付けです。東京電力のスタッフはもちろんのこと、自衛隊、警察、アメリカ軍、IAEAの技術者…、とにかくありとあらゆる英知を結集してこの不穏な事態を早急に収拾してもらいたいと願います。

これからの世界全体のエネルギーや医療や科学分野での利用など、原子力は大きな可能性を秘めた、文字通り大きな力です。しかし、この大きな力も、一旦、制御を失ってしまうと、他のどんな物よりも扱いにくい、暴力的、破壊的な力と化してしまいます。やはり力強さの追求だけでは、本当の快適さや便利さにはつながらないのです。

そう考えると、恐いのは単に原子力発電所だけではありません。力強さを求め、様々な可能性を秘めた私たちの心も、本当の幸せのためには、正しい制御が必要なのです。単なる勢いに乗った成功法則や、自分の夢を達成するためのビジョン、お金儲けのノウハウや人間関係に関する法則など、私たちを幸せにするための知識や道具はいろいろと備えられているのですが、一番肝心なのは、それらをきちんとコントロールできるかどうかということ。あなたのやる気には主キリストの制御棒が働いていますか? 少々事が上手く運ばないからといって誰かを責めてはいけません。あなたの猛烈な頑張りには、聖霊の安全装置が機能しているでしょうか? 人の頑張りだけでは、どこかで高ぶりや欲望に影響されてしまいます。本当の幸せを手にするために、主キリストご自身が人生の導き手として働いてくださることは、実に大きな祝福なのです。


まさか?!の揺れでした! 2011年3月13日

一昨日の金曜日、東京での仕事を続けておりまして、午後3時からの会議のために早めに待ち合わせの喫茶店に入り、空いた時間を用いてコンピューターを開いてこの週報の原稿を書いていた時でした。じりじりとした揺れが…。「地震ですね」とご一緒させていただいていた兄弟と目を合わせたのですが、揺れが落ち着きません。するとだんだん横揺れが烈しくなり、喫茶店のスタッフからは机の下に隠れてください、との声。しばらくテーブルの下に身を隠したのですが、何となく古いビルだったので、外に出ましょう、と路上に。自動車も止まり、車道には不安げな表情の人々が溢れていました。

東北地方太平洋沖地震でした。明治時代以来、日本での近代的観測史上最大のマグニチュード8.8という“超”巨大地震でした。東日本、北日本全域での被害が拡大し、津波での行方不明者なども相当な数に上りそうで、文字通りの大惨事となりました。

数日前に東北地方での大きな地震があって、まさか、というタイミングでの巨大地震です。これまでの記録で、こんなに大きな規模での地震が相次いだのは例がないことだと、専門家が語っています。阪神淡路大震災の地震の180倍ものエネルギーで、400キロ以上の地域が震源地として指摘される未曾有の大地震となりました。

日本は地震国だ、ということは誰もが認めるところ。その意味では、全世界でも屈指の過去の地震の経験と防災技術を持つはずの私たちの国なのですが、今回の地震はその経験値や十分にゆとりを持っていたはずの予想をはるかに超えるものでした。震源地からは相当距離のあったはずの東京でも、都市機能は完全にストップ。JRも地下鉄もすべてストップしましたし、自動車は道に溢れて深夜まで大渋滞。電話は全く通じない状態に。主要駅周辺には、帰宅が困難となった人々が何千人も溢れてしまいました。

どれほど私たちの頭が良くなり、様々な事柄に備えができているつもりでも、人間の備えなど、大自然の力に比べれば本当に小さなものなのです。やはり、人生にとって、まさか?! という試練ほど恐ろしいものはありません。わかった顔して人生を歩んでいても、やはり私たちには神様の前に素直にへりくだる心の態度が必要です。私たちは、やはり小さな存在なのです。そんな弱くて脆い私たちが、天地宇宙の造り主であられる、全知全能の神様によって救われていることは、実に大きな、かけがえのない恵みなのです。

被災地の兄弟姉妹の上に、主キリストの守りと導きを祈ります。私たちが弱さを覚える時こそ、救い主なる主の助けと守りを実体験すべき時なのです。主キリストの平安と愛が、助けを必要としているすべての人々の上にありますように。


いのちや喜びを拡散させよう! 2011年3月6日

春を目前に“三寒四温”の毎日です。数日前には、北日本や日本海側を中心に再び大雪に。本部教会のある松山はずっと晴れていて、時折、みぞれが降る程度だったのですが、周辺の高速道路は雪で通行止めになったり…。短い期間でも、冬に舞い戻ったような気候でした。

春がすぐそこに近づく時期になると、花粉症をお持ちの方々には辛い日々。今年は、昨年の10倍も杉の花粉が飛ぶ、などという事前の予測もあり、今後の展開を少々心配しています。目に見えるか見えないかの小さな花粉なのですが、それでも大量に飛散するとなると、大変な影響をもたらすことになります。

最近の話題で、世間が大騒ぎしたのが、インターネット投稿による、いわゆる“京大不正入試”事件。容疑者が逮捕されてみれば、仙台の予備校に通う19歳の男性でした。極悪犯罪人でも、組織的な大規模な犯罪を計画した訳でもない、どうもごく普通の予備校生のようです。犯行に使われた携帯電話も、母親の名義で契約されていたものですから、最初に事情聴取を受けた親の戸惑いや驚きはどれほどのものだったでしょう?

昔なら、たとえ悪質なカンニングであっても、その教室の中だけの出来事で済んだことでしょう。それが、日本中を大騒ぎさせ、テレビや新聞を振り回し、今後の大学入試のあり方や、コンピューター社会の難しさを再考させるものとなりました。メールやブログなど、インターネットを活用しての情報発信や新たなコミュニケーションのあり方は、ごく平凡な庶民でも全世界に向けて情報を発信できる反面、ちょっとした個人的な行為のつもりが、数限りない人々を巻き込んで大パニックを起こしかねない危うさや脆さを孕(はら)んでいます。

どうもそういう情報化社会では、良いことよりも悪いことの方が広まりやすく、人々に影響を及ぼしやすいようです。何だか、考えさせられます。もっともっと、人々を勇気づけ、本当の幸せを作り出すための情報がしっかりと世界中に勢いを持って広がっていかないものか、と。同じコンピューターを使うにしても、その一見便利に見える機能に振り回され、とんでもない犯罪や事件へと発展させてしまうのではなく、意識的に良いもの、神様の目にも価値あるものを発信させたいと思います。自分の都合や欲望に任せて最新技術を用いていると、かえって悪に振り回されます。価値の高いものを発信し、恵みを拡散させていこうという、はっきりとした意図を持って用いることが必要となっています。あなたも、いのちや喜び、信仰の恵みを人々にしっかりと伝えていきましょう。


何気なく生かされていることの恵み! 2011年2月27日

去る2月22日(火)に南半球のニュージーランドで大地震が起こり、死者、行方不明者は300人を超える規模となっています。今回の災害では、富山の専門学校生たちを始めとして、30名近くの方々が行方不明となっており、海外での日本人が被災した災害としては大きなものになってしまいました。一人でも多くの方の無事を祈らされます。

地元のみならず、日本からの救助隊も駆けつけ作業は続けられていますが、目の前にがれきの山を見つめつつも、作業がなかなか進まないのは、本当に心が痛くなります。倒壊した建物の状況と、地震前とあまり変わらぬ近隣の建物の対比が、ますますそこに居合わせた運、不運を胸に感じさせ、辛さが募ります。倒壊した語学学校で被災した方々の多くが若い方々であることを思えば、なおさらでしょう。

私たちは、生きていることを当然だと思いがちです。それで、すぐにわがままになってしまいます。あれもこれも自分の権利だ、自分には好き勝手に生きる自由がある、と。そして、気が付けば、自分の思いが叶えられないとか、あの人は私の気持ちがわからないとか、この仕事は嫌だ、毎日が楽しくない…と不平不満の連続に陥ってしまうのです。しかし、実際は、私たちのいのちは本当に脆い、弱いもので、それが今日も守られ、元気に生かされているのは、神様からの恵みと言うほかありません。宇宙のスケールからすれば、ほんの小さな自然界の歪みにしかすぎない事態によって、私たちのいのちは簡単に吹き飛んでしまうのです。

神様からの大きな祝福や力強い導きをいただくためには、逆説的に、自分の小ささを認め、へりくだって自分の弱さを受け入れることが必要です。強さや大きさばかりを求める、そんな一方的な、勢いだけの心構えでは神様からの恵みをいただくことはできません。より大きな祝福のためには、より徹底した素直でへりくだった姿勢が求められるのです。そうでなければ、祝福を受けた私たちは必ずどこかで誤解してしまい、自分の力や強さで何かができると思い込み、かえって手に負えない、愚かな罪人になってしまうのです。

木曜日、金曜日と東京で仕事をしていました。春一番が吹きました。季節は、確実に冬から春へと動いています。手に持っていたコートが、お荷物だな、と感じさせられました。三寒四温を何度か繰り返しながら、春がやって来ます。さあ、私たちも、それぞれの日々の出来事の中に、主キリストのみわざを体験していきましょう。生かされていることを感謝し、今日も主を信じて大胆に行動できることを喜びましょう。そして、新しい何かを実現させていただける喜びを、素直に感謝したいと思います。


私たちの人生のかしら! 2011年2月20日

宇宙飛行士の若田光一さんが、2013年末から国際宇宙ステーションに滞在し、コマンダー(船長)として指揮を執ることが決まったと報道されていました。もちろん、日本人がコマンダーに指名されるのは初のこと。世界各国が協力しての宇宙開発に、日本人がリーダーとして活躍できるのは嬉しいことです。

他方、私たちの国の指導者であるはずの菅首相は、フラフラ状態。予算審議はままならず、お膝元の民主党も一致できず、解散説や降板説までもが囁かれ始めました。テレビや新聞では、もうすでに“次期首相は誰が適任か?”と無責任な憶測も流れています。しかし、鳩山前首相の“方便”発言問題での騒ぎを見ても、今、日本の舵取りを安心して任せることのできる人は簡単には見つからないのかもしれません。

あなたの信じる救い主イエス・キリストは、単にあなたの神様であるにとどまらず、あなたの主であり、本当にあなたのかしらであられるお方となっていますか? 一口に、自分がクリスチャンであると言うことはできても、本当にキリストを自分の主と認めて、ちゃんとへりくだり、従っているかどうかを確認することにはもっと大きな意味があります。

あなたの信仰が、いわゆる“困った時の神頼み”にならないことが大切です。自分の都合の良い時だけクリスチャンになり、困った時だけ神頼みするのでは、所詮、私たちの使い走りのような軽い神様としてしか信じていないことになります。そんなことを繰り返していると、“溺れる者は藁をも掴む”で、結局は全くあてにならないものに命を委ねてしまうことになりかねません。そのような信じ方では、何らかの信心はあったとしても、あなたを救い得る本物の信仰としては働かないのです。

“私はいつも、私の前に主を置いた。主が私の右におられるので、私はゆるぐことがない。”(詩篇16:8)と詩篇の作者が歌うとおり、自分の考えや自分の都合ではなく、神様の臨在と御言葉をまず自分自身の前に置く時、私たちの人生は何があっても動じない、しっかりとしたものとなるのです。あなたは、本当に主イエス・キリストを、あなたの“主”としておられますか? キリストがあなたの主であられるならば、あなたは自分の気持ちや周囲の状況よりもまずキリストの声に耳を傾けるべきです。本当に、キリストがあなたの“主”であられるのであれば、他の方法論ではなく、信仰の手段によって問題は解決されるものだと信じましょう。何よりも、本当にキリストがあなたの“主”であられるのであれば、私たちは不平不満の奴隷にならず、素直にこの人生のかしらであるお方に従っていきましょう。あなたの人生のかしら、主キリストから目を離さないことです。


やっぱり信仰者は凄いですね! 2011年2月13日

ビル・ウィルソン先生をお迎えしてのセミナーが、東京・横浜地域で、そして沖縄で開催されています。本部教会のある松山では2007年にセミナーを開催したのですが、皆さん、その時のウィルソン先生の雰囲気を覚えていますか? 190p台の長身の先生が、にこやかな笑顔と明るい語り掛けで、みんなを一瞬で虜にしてしまいました。

今回のセミナーの開催は、新年が明けて、まもなくのものとなりました。結構ドタバタした、準備の数週間でした。新刊本の翻訳に印刷、集会の告知と具体的な案内、多くの郵便物を出して、何人もの方に電話をしたり、メールを送ったり…、舞台裏では想像以上にしなければならないことがあるもので、主催者の側に立つと、集会に出席するだけでは全く分からない大忙しの毎日となります。特に、昨年末のクリスマスには全国でメリエスト・クリスマスを展開し、お正月早々からそれでなくても忙しく動き回っている私としては、周囲のスタッフや先生たちにも一生懸命に奉仕してもらいながらも、それでも今回はかなり大変だな、と実感する毎日でした。

準備不足を感じつつ、ウィルソン先生を迎えに成田空港に到着した時は、実は、“ふぅ〜…”という具合でした。もちろん、同行の方々もおられたので身体は結構しゃきしゃき動き、明るく話はしていましたが、正直、ちょっと疲れた感じでした。やはり毎日忙しくしていると、そういう感じの時も確かにあるのです。

でも、そんなもやもやした感覚が吹き飛んだのは、ウィルソン先生が「ヘイ、ヘイ、ヘイ!」と、到着口から出て来られた瞬間。一ヶ月に及ぶ旅行で疲れもあるでしょうし、すべてが計画通りに動く訳ではないので心配事もあるはずなのです。しかし、とにかく心が前向きなのだな、と感じさせられました。日本人である私たちは、とかくあれこれ細かい事に悩んで、それで心がどんよりしてしまうことがあります。しかし、そんな感覚は、信仰をもって吹き飛ばして行動していけば良いのだ、とシンプルに感じさせられたのです。

そう、私たちは、同じ鉄道の列車のように見えても、自分では走ることのできない、引っ張られるだけの客車とは違って、エンジンを搭載した機関車や最新鋭の電車のようなもの。周囲の状況や難しい問題に囲まれてため息混じりでフラフラするだけでなく、神様からの力で自ら進んで行くことができる者なのです。悩みに取り囲まれ、内側に引きこもってしまって、落ち込んでいくのではなく、神様から与えられた信仰の力によって先へ先へと進んで行きましょう。各会場で素晴らしいセミナーになっています。来週、感謝の証しをさせていただきます。

信仰者に与えられている力は素晴らしいものですよ!


思いやりか、裏切りか? 2011年2月6日

大相撲が、再び大揺れです。昨年、大問題となった力士たちの間での野球賭博問題の捜査の中で、警察に没収された力士たちの携帯メールの記録に、八百長を示唆するようなメールが多数存在したからです。野球賭博事件とは、直接関わりがなく、はっきり明文化された法律に抵触するものではないものの、大相撲の公共性を考えて警察の方も黙殺せず、日本相撲協会に報告したことで今回の大騒動となりました。名前の挙がった力士たちの内、数人はすでに八百長を認めており、これからしばらくは混乱が収まりそうにありません。

従来から、週刊誌の記事などでは、大相撲での八百長疑惑が取り沙汰されていました。しかし、引退した関取の談話や舞台裏での噂話などが話の出所で、八百長など一切存在しないと強弁し続けた相撲協会の言い分の方が通ってきたのでした。それが、今回は、警察も絡んだ捜査上での疑惑であり、現役の力士たちの生々しいメールのやりとりが開示されたこともあって、ついに八百長事件として避けられない問題となりました。今後の展開の中では、現役力士たちの問題だけでなく、過去はどうであったのかが関心を集めることになります。

そういうタイミングと重なって、実に微妙なテレビCMが流れています。ACジャパン(旧公共広告機構)の中四国版のキャンペーン広告(今回のテーマは“思いやり”)なのですが、…“島根県 隠岐の島。この島に代々伝わる隠岐古典相撲は、必ず1勝1敗で終わる。それは、小さな島で、しこりを残さず仲良く暮らすための思いやりのルール”。文化遺産のような古典相撲では、星のやりくりの1勝1敗は、思いやりで美談となります。大相撲でも、誰も幕下に落ちないように、星のやりくりをし、しこりを残さないように思いやるのは…八百長。大相撲ファンへの重大な裏切り行為だ、と多くの人が叫んでいます。先の広告のホームページのタイトルには、“思いやりも、日本の国技に。”とあります。日本人みんなの心に思いやりを、というスローガンが、思いやりを日本の国技である相撲に取り込んで大変な事態となってしまいました。

小さな島国や、小さな業界でしこりを残さず、みんなが仲良く暮らすための思いやりにも似たものが、ほんの少し状況が変わっただけで、とんでもない事件になってしまうのです。ある視点から言えば、納得のいくものでも、視点を変えれば大変な問題となってしまいます。信仰生活も、自分の思い込みだけで進めてはダメだと思わされました。神様の目から見て、本当に純粋で素直なものであり続けたいと思わされています。ちょっとした妥協や手加減に注意しましょう。基本に立ち返りましょう。原点に復帰しましょう。


何とか手を打たねば…! 2011年1月30日

日本の国債の格付けが一段階下がった、と新聞は一面のトップ記事で伝えていました。関心があるのは自分の財布とせいぜい銀行の通帳という庶民の立場からすると、それがどういうことになるの?と、最近テレビや本で話題の池上彰さんあたりに聞いてみたくなるのは自然なことかもしれません。

しかし、こともあろうか菅首相が、「そういうことには疎くて…」と答えたというので、騒ぎが大きくなってしまいました。民間会社による格付けとは言うものの、日本の財政が不安定で、信用が置けないと言われている訳で、そんなニュースが全世界を回っているのです。国の収入が、税収よりも国債でまかなう額の方が大きいという、どんな素人が考えても異常な事態です。あなたの家庭でも、給料よりも借金して手にするお金の方が多いとなれば、これは誰が考えても危険です。私の所に相談に来られるなら、そんな借金を雪だるま式に増やす生活はすぐにやめなさい、と必ずアドバイスします。

何とかしなくてはいけない、と誰もが思っていますが、なかなか手が打てません。政府や与党・民主党の中でも意見がまとまりませんし、自民党をはじめとする野党も、だから民主党と協力して超党派的に問題解決の方策を練るのか、それとも解散、総選挙へと持ち込むべきなのか、これまた判断は微妙です。その結果、またまた無為無策で時間だけが流れ、国の負債の方は刻一刻と増え続けていくのです。

だからといって、政治家を笑えるほどしっかりした私たちではありません。自分の生活習慣、仕事の仕方や収入の改善、子育てや介護の方法、人間関係を整えることや信仰生活の成長など、自分なりの成長への課題は、みんなそれぞれに見えているはずです。しかし、わかっているはずの事柄にしっかりと対処せず、何も手を打たずに時間だけが流れているのではありませんか? 私たちも、どうも優柔不断にずるずると悪いパターンを引きずってしまっています。

さあ、新しい一週間の始まりです。私たちは、礼拝をもって新たな日々を歩み始めますが、その時には、新しい行動への決意もしっかりと持ちたいものです。神様の臨在の中で、心が潤されるだけで終わらせず、また、愛する兄弟姉妹の笑顔で楽しくされるだけでなく、「よし、神様を信じて行動してみよう!」と、クリスチャンらしい前向きの心構えを持ちましょう。自分が疲れたり、傷付いたりした時だけ働かせる受け身の信仰ではなく、神様を信じて価値あることを実行するために働かせる、積極的、実践的な信仰を持つことができますように。さあ、何かやってみましょう。信じて行動してみましょう!


苦手意識に振り回されない! 2011年1月23日

大相撲では、この初場所も横綱白鵬の安定感がどういっても抜きん出ていました。もう独壇場といった雰囲気で、誰も相手になりそうにありません…が、実はそうでもなさそうです。昨年末の九州場所で、双葉山の69連勝という記録を目前にしていながら、稀勢の里に連勝を「63」で止められたかと思ったら、今場所で再び同じ相手に「23」で連勝を止められたのです。

普通の力士なら単に連勝するだけで喜べるところが、大横綱ともなると大変です。「63」は無論、「23」でももの凄いことなのですが、マスコミは負けたことの方を大きく報じています。本人も、もしかすると「苦手意識があるのかも…」とのこと。大横綱でもそうなのですから、私たち凡人に苦手なものがあってもおかしくはありません。

苦手にもいろいろあります。食わず嫌いで、苦手な食物もあれば、身体を動かすことの苦手な人もいます。あの人だけは、どうも苦手だ、ということもあるでしょう。いつもいつも勝ち続ける、完璧な強さなど私たちにはないのですから、苦手なものが全くない状態など望むべきではありません。

しかし、たとえ苦手なものがあったとしても、心の中に、苦手意識が形作られることはしっかりと食い止めたいものです。試合に負けることもあるでしょうし、失敗することも当然あるでしょう。しかし、そのことと、心の中に根深い苦手意識を持ってしまうこととは、別物なのです。

苦手意識を持つだけで、私たちの心は萎縮し始めますし、人生の生き方が逃げ腰になります。信仰を与えられている私たちは、自分の能力によらず、ある意味で強気の心構えを持つことができるということを忘れてはなりません。ことが実際に起こる前から、臆病風に吹かれてはダメです。自分の心の中に苦手意識を作り出してしまって、始まる前から負けを認めてはいけません。

大横綱でも、ほんのちょっとした苦手意識が、思いもよらぬ2場所連続の黒星を同じ相手に喫することになりました。目の前の敵の存在や問題が確かにあることは否定できないかもしれませんが、苦手意識や弱気といった心の中の敵を自分で作り出してしまってはいけません。神様は、私たちに、“恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。”(イザヤ41:10)と、語ってくださり、私たちを励ましてくださいます。あなたは、神様と共にあって、必ず勝利します。信じて、一歩踏み出しましょう。神様に信頼して大胆に行動すれば、あなたの手には大勝利が転がり込んできます。


信仰の新たな“運動”を起こそう! 2011年1月16日

2011年が動き始めて、はや半月となりました。あなたの仕事や学校での学び、家族との時間は、ちゃんと恵みの軌道上で動き始めているでしょうか?「大飛躍元年!…油注がれた者の歩み!」は、単にスローガンだけで終わらせてはなりません。さあ、この一週間の日々を用いて、神様の備えておられる本来のあなたらしい歩みを、具体的な生活の中で実体験してまいりましょう。あなたは、神に導かれ、愛され、祝福されます。

今、日本のあちこちで面白いことが起こっています。誰が名付けたのか、“タイガーマスク運動”。どこかの篤志家が、児童福祉施設に、今年、小学校に入学する子供たちのために、とランドセルなどを贈ったことがきっかけです。それだけなら、脚光を浴びることもなかったでしょう。しかし、その送り主の名が“伊達直人”だったことで、注目を集めました。40年も前に大人気を博した漫画“タイガーマスク”の、主人公の名を使ったことが話題となり、マスコミで報じられたことで、僅か一週間ほどの間に、日本中の何百件もの施設に、同様の名前を名乗る人々からのランドセルや学用品、おもちゃなどが届けられる事態となっています。中には、中学生からの贈り物もあったり、同じく漫画の“矢吹丈”や“月光仮面”はたまた“いなばの白兎”が登場したりで、何だか奇妙な“運動”にまでなってきています。

巧妙な詐欺や、凶悪な殺人事件ばかりが耳目を集める時代にあって、日本人もまだまだ捨てたものではないな、と思わされるニュースです。ただ、匿名だからこそ良いのかもしれませんが、実名でしっかりと毎日の生活の中で良い行ないをするようになるのもまた大切なことなのだ、とも思わされます。ダサイとか、偽善だとか、どんなに良いことをしても、批判する人々からは必ず批判されるものです。だからこそ、一番大切なのは、周囲の人の顔色に左右されずに、偽らざる自分自身の生き方の中心に、堂々と、神様からの豊かな祝福をいただく自分を見出し、今度はその祝福を周囲の人々のために惜しまずに溢れ出せる自分自身とされていくことです。

さあ、他人事ではなく、あなた自身の本年の歩みの中に、神様の恵みに結び付く、新しい、信仰的な“運動”を起こしてください。タイガーマスクになろうとするよりも、アブラハムやモーセ、ギデオンやダビデ、ペテロやパウロたちを真似たいものです。いえ、何よりも主キリストに心の目を向けましょう。そして、一度限りの善意で終わることのないように、あなたの生活の中に、神の恵みがいつも流れるようにしてください。さあ、神様の愛を受け、私たちも愛をもって生きましょう。恵みの循環の中で、喜びと感謝を忘れずに、“大飛躍”の一年を具体化させてまいりましょう。


大飛躍元年…油注がれた者の歩み! 2011年1月9日

年が明けて、一週間あまりとなりました。あなたの2011年は、順調に滑り出しているでしょうか?まだお正月気分の抜けきれない人や、成人の日を含んだこの連休が終わって、初めて本当の普段通りの日々に戻る感じの兄弟姉妹もおられることでしょう。受験生の兄弟姉妹は、もちろんすでにトップスピードに乗っておられるはずです。私たちもそれぞれに気持ちを整えて、日常の歩みの中で、このお正月に神様に祈ったことをしっかりと定着させ、信仰による歩みを一層深めてまいりましょう。

牧師、説教者として、クリスマスの日々や年末の時間の中で、2011年のための導きを祈っていましたら、「大躍進元年…油注がれた者の歩み!」というフレーズが与えられました。ぜひこの一年を、主キリストによって与えられた恵みの年として、信仰を働かせて歩んでまいりましょう。

この一年、共に大飛躍しましょう。世の中の不況の風や重苦しさは相変わらずです。しかし、いつの間にかあなたの心がそういう否定的なものに毒され、萎縮しているのではありませんか?世の中には依然として閉塞感が漂っているとしても、だからと言って、私たちまで暗い顔をして生きる必要はないのです。不況、不安、不満の悪循環から脱出して、神の恵みの軌道に乗って大飛躍しようではありませんか?

信仰をきちんと日常生活の中で活かせば、神の力が聖霊の働きによって私たちの元に届けられて、神様の知恵や祝福が具体化されて私たちの歩みに大きな変化と成長をもたらします。あなたは、あなたの業界の中で真っ先に不況から脱出することができます。あなたの病は、お決まりのパターンで持病化するのではなく、医師が首をかしげるような神様からの癒しをいただけます。私たちは皆で、悪循環から抜け出して、恵みの軌道に乗りましょう。

あなたも、確かに主キリストに選ばれた、かけがえのない一人であることを思い出してください。あなたのために主キリストのいのちは与えられ、愛は注がれています。聖霊の油注ぎはあなたに与えられています。油注ぎを受けた旧約の王たちのように、神の声を聞き、召しを受けた預言者たちのように、また、主キリストご自身から招きを受けた弟子たちのように、人の評価や世の中の尺度ではなく、神に選ばれた者として堂々と生き、仕事であろうと家族のことであろうと、毎日の事柄に祈りつつしっかりと向き合ってまいりましょう。

あなたの2011年が、主キリストの御手の働きによって、大いに祝福されますように。誰にも私たちの喜びと感謝に溢れる歩みを妨げることはできません。さあ、早速、今週の日々の中にも備えられている祝福を感謝しつつ受け取ってまいりましょう。


2011年、明けましておめでとうございます! 2011年1月2日

新しい一年の始まりです。おめでとう!と口々に挨拶を交わすだけでも、何だか楽しくなってきます。もちろん、挨拶や口先だけの新年の慶びや恵みで終わって欲しくありません。本当に、祝福のある新しい一年の歩みとなることを、信仰によって願いましょう。

私たちの伝統の中には、時や季節の区切り目ごとに、食べ物を絡めて月日や人生のメリハリを付けようとしてきた習慣があります。江戸時代以来の“年越しそば”は、この年末にいただかれましたか?最近では、讃岐うどんの業界が“年明けうどん”を広めようと頑張っているそうです。お正月には“お雑煮”や“七草粥”、2月には“バレンタイン・チョコ”が世界の中でも特異な現象となるほど食べられます。夏には“土用のうなぎ”ですし、これまた日本独特ですがクリスマスには“ケーキ”や“フライドチキン”が必須のようです。

やはり人間の基本的なモチべーションに、食べることは切り離せないのでしょう。やる気を出すためには、じゃ、食べよう!となる訳です。確かに食い意地の張っている私も、何かの用事の度ごとに食べるチャンスを作っています。ただし、食べ物は確かに体力を増強してくれますし、楽しい気持ちを盛り上げてくれますが、本当に魂の内側から湧き上がる力のためには、それ以上のものを取り込むべきです。スポーツ選手に禁じられている筋肉増強剤や興奮剤や、もちろん恐ろしい覚醒剤のことではありません。それは、神様からの御言葉。聖書の言葉です。

旧約時代の預言者、エゼキエルは預言活動を始めるに当たって、“この巻き物を食べよ!”と神様から命じられました(エゼ3:1〜3)。免許や資格、推薦状や残高証明が彼の神様からの使命を支えるものではなかったのです。彼は、神様の御言葉で腹ごしらえをし、その上で人々の前に出て、神様からのメッセージを語れ、と言われたのです。

2011年の始まりです。お雑煮だけでなく、神様の御言葉をしっかり口にし、それで腹を満たしましょう。この一年に目指しているものがはっきり見えている人も、まだ何となくボンヤリしている人も、いずれにしても神様の御言葉をしっかりといただいてスタートしましょう。私たち人間は、何と言っても霊的な存在なのですから、やたらと目に見えるものを用意したからと言って、それだけで幸せへの歩みが実現するのではありません。あなたの目指すべき最善の目標は、神様の御心にあります。あなたを導き、しっかりと励ます力は神様から与えられます。たとえ窮地の中にあるあなたであっても、大勝利の秘訣は神様への信仰を通して与えられます。神様の御言葉と共に前進するあなたの2011年は必ず大勝利します。さあ、御言葉に立って、この一年の祝福を手にしましょう。


変わらないこと!忘れないこと! 2010年12月26日

あっという間に一年最後の礼拝の時となりました。月並みな言葉ですが、本当に時間が経つのが年々早くなっているように感じます。私が歳を取ったから、というだけでもなさそうです。世の中全体が慌ただしく何をするにもせわしない雰囲気を持つようになっています。仕事も家庭の事も、個人個人の生活も何だかドタバタです。だからこそ、こういう大きな区切り目の時には、きちんと心を落ち着かせて神様を礼拝し、祈ることが大切になります。

昨夜の神戸での集会まで、今年も私のクリスマスのスケジュールは予定で一杯でした。今日も、通常の礼拝の後、英語礼拝の中でクリスマスを祝いますし、夜にはクリスマスの祝いを兼ねた愛餐会も開かれます。何よりもキリストのご誕生を祝う喜びは、私の心の中ではしっかりと続いています。12月25日が終わるや否や、クリスマスの飾り付けから年末年始の装いへと歌舞伎俳優の早変わりさながらに切り替えるのは、お店や商店街の都合です。クリスチャンが大して居もしないのに大騒ぎのクリスマスを展開するのが日本的ならば、25日を境目にクリスマスケーキの叩き売りと相通じるようにクリスマス色が一掃されてお正月ムードに染まるのも、何とも日本流。確かにお上手なのですが、どうも心がこもっておらず、中身がありません。

決して大げさなことがなくとも、私たちの心は神様の愛に満たされ、いのちに溢れ、幸せを受けとめることができます。主キリストのこの世に来てくださったことが2000年間も祝われ続けているのは、この真の救い主と共に、何があっても“変わらない”恵みがあるからです。私の2010年のクリスマスは、改めてこの主ご自身の変わらない救いの約束に触れて恵まれましたし、この恵みに触れておられる兄弟姉妹との交わりや出会いをいただき、心の底から本当に幸せだな、と感じさせていただきました。

一年の終わりでもあります。そういう、神様からの恵みとしていただいているものを、決して“忘れない”心の姿勢が大切です。お金を貸したことはよく覚えているけれど、借りたりもらったことはすぐに忘れるというようなことが、よくあります。私たちはそれだけわがままなのです。神様からの恵みはあっさり忘れて、困った時の神頼みよろしく、願って求めたことしか覚えていないのでは困ります。クリスマスを通して与えられた恵みにも、2010年という一年間での出来事でも、与えられた祝福を簡単に忘れないことです。

2010年、ここに至るまで神様の“変わらない”愛が私たちを取り囲んでいます。その恵みを私たちは決して“忘れない”ことが大切です。感謝しましょう。


2000年経っても変わらないもの! 2010年12月19日

何事も変わりやすい時代です。そんな変化の激しい世の中にいると、何年経っても変わらないものを見つけると、ホッとする感覚を持ちます。

指導力の無さをあれこれ言われてきた菅首相が、臨時国会が終わるや否や、自身の「仮免」返上発言以来、何だか急にバタバタ動き始めました。来年度の法人税5%引き下げを指示するわ、諫早湾干拓事業における潮受け堤防の開門を指示するわなど、今度は民主党や閣議の決定も経ていない動きの連発で、身内からも動揺の声が上がっています。“民主”のはずなのに、案外話し合うことや合意形成が苦手なのかな、という印象。そんなこんなで激動の社会の中で、国民の頼みとすべき政権もフラフラがまだまだ続きそうです。

気が付いてみると、今年も残り十日あまりとなりました。一年間、あなたが頑張ってこられた歩みが、しっかり意義あるゴールインをするためには、この残り十日間の過ごし方が大切です。何が大切かと言えば、まず私たちの心の状態を喜びや感謝で満たすことを忘れない、ということ。そして、その作業をいつまでも何があっても変わらない、価値あるものに置くことです。そう考えると、一年の終わりにクリスマスが巡って来るのは、本当に幸いなことです。

イエス・キリストが、神である聖さと愛を持ちつつ、人としてこの世に来られてから、すでに2000年。確かに、安易な商業化やサンタクロースが主役のように思われつつある誤解など、いろいろな問題点はあります。が、それでも本気でクリスマスを祝う人々が絶えないのは、このイエス・キリストによって開かれた神からの救いの道が今も変わらぬ大きな効力を持っているからです。

喜び一杯で手に入れた新車も、10年も経てばくたびれてきますし、生涯で最大の買い物であったかもしれないマイホームも20〜30年経つとガタがきます。元気はつらつ、健康を誇ったあの人も、寄る年波には勝てず…なんてことも耳にします。あれもこれも、使い捨てのような携帯電話や季節ごとのファッションのように、まるで猫の目が変わるように、コロコロと移り変わるものばかりです。

そんな変化の激しい世の中や時代の流れにさらされても、2000年経っても変わらない神の愛があることは、この上もなく幸いなこと。さらに、その偉大で、決して色褪せることのない愛が、私たちの手の届くところにあるというのです。あなた自身が愛され、心の歪みが正され、罪が清められるために、主キリストは救い主として到来してくださいました。

クリスマス、心からおめでとうございます。


本物は本物! 2010年12月12日

台湾の知的財産局が、台湾の食品会社が商標登録した「讃岐」が無効であると決定を出しました。「讃岐」は、やはりうどんで有名な日本の地名だと判断したからです。しかし、他方、中国・上海では中国企業が「今治タオル」と商標登録しており、何と愛媛県の今治市や今治のタオル業界が、中国では「今治タオル」と名乗れないのだとか…。有名デザイナーに制作してもらったロゴも、そっくりなマークが同じ企業によって商標登録されており、ちょっとした騒動になっています。

今治の人々からすれば、迷惑な話で、憤りを覚える事態でしょう。何十年にも亘って、日本一のタオル生産地であり続け、不況にも負けず、今度は全世界を相手に日本の高品質でデザイン性に優れたタオルを売っていこうという矢先、全くの赤の他人が勝手に名をかたり、小手先の法的な手段で儲けようとしているのです。私たち個人に置き換えてみても、どこの誰だか知らない人物が、自分の名前をかたって好き勝手なことをされたのではたまりません。名前というものは、単なる記号ではありませんし、好き勝手に誰彼構わず使われて良いものではありません。名は体を表す…ちゃんと本物だけが、内容を伴った本物だけが用いるべきです。

クリスマスは、単なるイベント名ではありません。12月に入ると、何をするにせよ、“クリスマス”を冠に付ければ良いと思われている節があります。クリスマス・ケーキに、クリスマス・プレゼント、クリスマス・セールに、クリスマス・パーティー…。しかし、本当のクリスマス(Christmas)は、ちゃんとキリスト(Christ)の名前による、純然たる信仰による祝祭です。讃岐うどんや今治タオルを好き勝手に誰かが使うのはおかしいのと同じ以上に、キリストの名前を勝手に用いるのは、正論から言えば全くナンセンスなのです。

他人事ではありません。私たちも、キリスト教会だからと単なる安心感だけで、クリスマスを取り扱ってはいけないはずです。そう、真の救い主イエス・キリストが確かにそこにおられ、キリストの御名に相応しい神の祝福が現わされる本物の祝いの時を持ちましょう。主キリストがこの世に来てくださったことにより、私たちは神が共にいてくださる人生を実体験することができるようになったのですから。

昨日の松山での市民チャリティークリスマスを皮切りに、全国でのメリエスト・クリスマス2010が動き始めました。主キリストの愛に触れましょう。そのいのちをしっかりといただきましょう。そして、心の底から“クリスマス、おめでとう!”と挨拶できる者となりましょう。本物は本物!あなたの上に、本当の救い主の御業がありますように。


まだ終わっちゃいません! 2010年12月5日

先日、我が家に届けられた新聞を眺めていると、中心部の見開き両ページに亘って、“あなたが選ぶ10大ニュース”という大きな見出しがあり、今年起こった国内、海外の主なニュースが百数十件列挙されていました。それらの中から、アンケートによる反応の数によって、読者の視点からの10大ニュースを選出しようという企画です。

確かに、2010年がどういう一年であったのかを確認するためには、主な事件、出来事が一覧できるのですから、大変便利な記事だったのです。が、同時に、ふと思ってしまいました。“2010年は、まだ終わった訳じゃない!”と。実は、まだ12月が始まったばかりで、このひと月に起こり得る出来事に関しては、全くの白紙の状態。しかし、12月は一挙に勢いやドタバタだけで動くものと決まっているかのように、すでに2010年が総括されようとしているのでした。

この一年も12分の11が過ぎたのですから、もう終わりも同然だと考えるのも分かります。しかし、サッカーの試合であっても、試合時間が過ぎた後の、数分間のロスタイムで劇的なゴールが生れることがあるのです。ひと月もあれば、実は想像以上に大きな事が起こり得るのです。それも、神様の御手が動くとなれば、さらに大きな事が起こり得るのですから、この一年をもう終わったかのように決めつけるのは、早過ぎると言うもの。

2010年の10大ニュースを決めつける前に、今日からの残り4週間の間にも、もっと素晴らしい恵みの御業が起こり得ることを考えてみましょう。だから、このひと月の日々も、私たちは祈りつつ、神様に願いつつ、感謝と喜びを持って日々を丁寧に歩んでいきたいのです。私たちがいくら年末やクリスマスのドタバタで歩むことが多い日々だからと言って、神様も同じように浮き足立っているかのように考えてしまうのは、大きな間違いです。私たちが落ち着いていようと、慌てていようと、神様の御心にあるご計画は着々と進行中なのですから。

クリスマスの日々を、主キリストを讃美しつつ、毎日喜んで楽しく過ごしてまいりましょう。主キリストは今も生きて働いておられるのですから、あなたの上にもさらに豊かで、素敵な御業が現わされます。あなたが家族のために祈り、友人たちをとりなして祈るなら、きっと神様の御手は働いて、人の思いを超える素晴らしい御業が実現するはずです。さあ、本年の締めくくりのひと月をここまでの11ヶ月以上に素晴らしい、恵みに溢れたひと月として過ごしましょう。心を落ち着かせて、主に期待しつつ、これからの4週間を大切に、丁寧に歩んでいきましょう。あなたのために備えられた大きな祝福が待っています。


今の内に・・・、今日という間に! 2010年11月28日

北朝鮮が突然、韓国の延坪島を砲撃して、東アジアの安全保障にいきなりの暗雲が立ちこめる事態となりました。核兵器製造に繋がるウラン濃縮にも大々的に着手し、ますます緊迫感が増しています。「瀬戸際外交」などと呼ばれ、近隣の諸外国に対して軍事活動や拉致事件など、ごり押しを続ければ、国際社会が優しく取りなしてくれ、経済支援などを引き出せるという手法も、それこそ瀬戸際の様相です。朝鮮戦争以来の休戦状態は、確かに終戦ではなく、休戦だったのだと思い知らされます。

しかし、日本を含む国際社会の堪忍袋の緒も、永久に切れないものではないはずです。当然、今の内に、北朝鮮が方向転換すべきだと思いますし、そうでなければ融和政策で北朝鮮を懐柔するやり方もそろそろ限界かもしれません。武力での争いなど、誰も望んでいないはずですから。

さて、私たちの2010年の歩みも、気が付けば11月が終わろうとしています。いよいよクリスマスです。この一年も最後のひと月となります。北朝鮮の暴挙や迷走と比べる訳にはいきませんが、私たちの日々の歩み方に関しても、もしフラフラしている部分があるならば、今の内に修正したいものです。これからのひと月を、信仰をもって丁寧に生きれば、かなりの事柄を実現することができるはずです。

ヘブル人への手紙3章13節には、“「きょう。」と言われている間に…”という表現が出てきます。古今東西、歴史や文化は相当に進展したはずですが、それでも人間のだらしない本質は全く変わっていません。むしろ、知識や技術が進むにつれて犯罪が巧妙になったり、人間の罪の性質が深くなっているようです。だからこそ「今日」という時が与えられている内に、悔い改めることは悔い改め、人生の軌道修正をすべきです。あなた自身の心の状態はどうでしょう? 屁理屈や逃げ口上は確かにうまくなっているけれど、すべきことをせずにダラダラと時間を過ごしてしまってはいませんか?

2010年の内に、実行すべき事柄があるはずです。この月末の時を大切にして、本年最終のひと月を内容の濃い日々として歩んでまいりましょう。12月の間に、クリスマスの期間に、信仰を働かせて行動すべき事柄があるはずです。一年の締めくくりの日々を、充実の時としましょう。素晴らしい喜びが溢れ、楽しさと勢いがあり、人々の笑顔が溢れる、そんな素敵な日々をあなたも生きることができます。今日の祈りを大切にして、2010年のクリスマスの日々を生き生きと歩んでまいりましょう。主キリストはあなたのために、救い主となってくださいました。この恵みを十分に体験しましょう。


人として来られたキリストを忘れない! 2010年11月21日

“…イエス・キリストが人として来られたことを告白しない者が大ぜい世に出て行った…(Uヨハネ7)”と、初代教会の時代であっても、実際の出来事から何十年も時間が経つと、救い主イエス・キリストのこともあやふやにしか取り扱わない人々が出現したことが嘆かれています。今に始まったことではありません。

しかし、主キリスト抜きで、どんどんクリスマスが盛り上がり、様々な演出が施されていくのを、クリスチャンとしてただ傍観していてはいけないはず。楽しいパーティーも、愛情のこもったプレゼントも、子供たちと囲むケーキも、確かにどれも素晴らしいのですが、“クリスマス”と呼ぶには、主イエス・キリストなしではやはり問題です。何度も私が口にするように、それは牛肉の一片も入っていない焼肉定食や、ピアニストが現れないままで終わるピアノ協奏曲、たこの入っていないたこ焼きと同じです。

太平洋戦争の体験から、悲惨な戦争の記憶を風化させてはならない、特に広島や長崎の被爆者からはその経験を語り続け、決して過去の出来事にしてはならない、というような声が上がります。人が人を殺し合う悲劇を繰り返さないために、あっさりと風化させてはならない事実があるのです。戦争の過ちや悲惨を繰り返さないためにそうであるなら、全人類の完全な救いのために、神であるお方がこの世に来てくださり、いのちを捨ててくださった事実を、私たちはなおさら忘れてはいけません。

クリスマスは、ただお祭りとして存続しているから素晴らしいのではありません。無形文化財のように、ただその習慣を保護、保存していこうというのではありません。クリスマスが素晴らしいのは、イエス・キリストによる救いが、今も聖書の時代のとおり私たちの人生に実現するからです。単なる大昔の物語ではなく、宗教の説話でもなく、事実、あなたの救い主が来てくださったのです。

21世紀は、もの凄いスピード化の様相を呈してきました。携帯電話も一気にスマートフォンのスタイルに変わりそうですし、紙の本を読む習慣も徐々に消えていくのかもしれません。今までの常識がすぐに時代遅れになりかねない勢いが社会全体に溢れています。しかし、そういう時代だからこそ、変わってはいけないものを見出すことが大事です。人生の愛や喜び、生き甲斐の本質は変わりません。当たり前のことですが、人の霊や魂の本質も変わりません。当然、私たちの救いの道も変わりません。人としてこの世に来てくださった救い主なる神だけが開くことのできた道です。救い主イエス・キリストをしっかり思い起こすクリスマスを祝いましょう。


世界で一番影響力のある人は? 2010年11月14日

横浜でAPEC(アジア太平洋経済協力会議)が開催されています。各国首脳も一同に会するというので、警備体制は厳重です。横浜の方の話によれば、会場の“みなとみらい”周辺の繁華街では通行人よりも警察官の方が明らかに多いほどで、街角ごとに日本中から集められた警察官が立ち、ちょっとした交通違反も厳しく取り締まられているとのこと。確かに、私が東京の行き帰りに飛行機に乗る時も、空港周辺の警備も、手荷物検査も、徹底されている感じでした。

最近、発売されたアメリカの経済誌フォーブスによれば、“世界で最も影響力のある人物”の第一位にランクされたのが、中国の胡錦濤国家主席。経済力や軍事力、政治力を考えれば、これまでずっとアメリカの大統領の定位置だったのです。それが、進境著しい中国の指導者に取って代わられる…。何だか時代を感じさせられるランキングとなりました。中国の新聞ではなく、アメリカの雑誌がそういう記事を載せること自体に時代の重みを感じてしまいます。

これからの時代は、物事の変化のテンポが相当早くなりそうです。世界的なスケールで影響力を持つ人々の顔ぶれも、コロコロ変わっていくことになるかもしれません。しかし、そんな週替わり、日替わりの著名人たちの話題とは全く別に、私たちの世界の歴史や事実に誰よりも大きな影響を与えた人物が存在します。言うまでもなく、主イエス・キリスト。過去二千年間の世界の動きや歴史の出来事、より良い社会の実現のために、また人々の心の善意や幸福感のレベルにまで、誰とどう比較しようとも文字通り最大の影響と結果をもたらしたお方です。

残念ながら、最近のクリスマスでは、この主キリストの存在は軽く扱われています。厳重な警備体制も、特別なニュースが配信される訳でもありません。華やかなクリスマスの雰囲気作りの中で、サンタクロースやトナカイの方が注目を集めているような状況です。街のショッピングセンターでは、10月の終わりからクリスマスツリーを飾っているところもありますが、やはりそこには、本物の救い主はおられません。

しかし、主キリストは、確かにこの世界に来られ、歴史上、世界最大の影響力をもたらしたお方です。それも、圧倒的な政治力や軍事力によってではなく、人々を徹底的に愛し、ご自分のいのちを十字架で捨て、血を流すことによってそれを成し遂げてくださいました。その上、単に世界に対してだけでなく、私たちの心や魂にとっても世界で一番影響力を持つ救い主となってくださったのです。私たちは、この本当の救い主の、この世に来てくださった事実を心から感謝し、喜びのクリスマスを作り上げてまいりましょう。


さあ、クリスマスへ本格始動しましょう! 2010年11月7日

秋が深まりゆくのを日毎に感じる頃となりました。朝夕の空気は、十分肌寒さを感じさせるものですし、いつまでも残暑を引きずったままの秋の装いではなく、本格的に秋冬物へと衣替えしなければいけない時期です。

教会では今、着々と本年のクリスマスのための準備が進められています。すでに、本部松山での市民チャリティー・クリスマスのための協賛募集は第1次を締め切り、チラシやチケットが出来上がりました。全国各地のメリエスト・クリスマスのためのチラシもまもなく完成しますし、各地の会場を定めての準備が動き始めています。集会の内容に関しても、日々着々と素晴らしい計画が練り上げられつつあります。

最近の世の中ですから、毎日のように目新しいものが生み出されます。特に、コンピューターが各方面で大活躍するようになって、従来とは比べようもないほどのスピードで新たなアイディアが簡単に形になるようになりました。さらに、今では現実の形にするまでもなく、情報はコンピューター内部でのデータとして世界中に配信されるようになり、人の頭の中のアイディアも具体的な形にする代わりに、“仮想”現実で済ませることも多くなりました。家やビルを建てるにしても、昔ながらの設計図や手作りの模型の代わりに、コンピューターの画像で完成した姿を見ることができます。

そんなアイディアや情報が至る所に溢れている時代ですが、実際に形となり、具体的現実となった物事の、本物の持つ迫力や重さを軽んじてはいけません。若手イケメン俳優の水嶋ヒロ氏が、今後は俳優業よりも執筆業で、と語った時には、“勘違い芸能人”だと揶揄した人々も、その当人が本名でいきなり小説大賞を受賞したと知ると大慌て。事実は小説よりも奇なり、を地で行くような展開になってきました。尖閣諸島での中国漁船衝突事件も、本物のビデオが流出。隠すことで日中関係を何とか穏便に、と必死であった菅内閣にとって、事件としては大不祥事となりましたが、実際の映像は確かに迫力満点。やはり、想像の世界とは違って本物は説得力に富んでいます。

幸せへの法則は巷に数あれど、私たちの魂までしっかり救いへと導くのは、主キリストの十字架の道のみ。クリスマス・ツリーにケーキ、パーティーにプレゼントと…あまりにも軽率、軽薄な世間のクリスマスではなく、私たちは本当の救い主イエス・キリストのおられる本物のクリスマスを証ししましょう。商業主義の圧倒的なパワーの前には一見無力のように見えても、私たちには本物の救い主の愛があるのですから、本物らしい迫力を発揮しましょう。祈りと愛を込めて、クリスマスの準備を進めてまいりましょう。


人生の進路を決定するもの! 2010年10月31日

去る木曜日、本年のプロ野球ドラフト会議が行なわれ、“ハンカチ王子”こと早大の斉藤祐樹投手はパリーグの日本ハムが交渉権を獲得しました。4年前の甲子園大会で大活躍し、優勝投手になって以来、ずっと動向が注目されていた若者の進路が定まりつつあります。

ただ、ドラフト“会議”とはいうものの、斉藤選手の将来の方向性を定めたのは、話し合いではなく、くじによる抽選です。同投手の場合は4球団の指名が重複してのくじ引きです。各球団の代表者の、指先の感覚次第では、ヤクルトやソフトバンク、あるいはロッテに行く可能性もあった訳です。北海道での活躍か、福岡か、はたまた東京、千葉か、と拠点とする街のイメージも相当異なります。くじを引いた人たちは、もう一つ隣の物にしておけば…と、悔いても悔い足りない感覚で、その瞬間のことを思い出しているはずです。

“プロ野球界”全体の繁栄のため、“プロ野球選手”になるためのドラフト会議ですから、仕方ないと言えば仕方ないのですが、くじや偶然が最終的な決定要因だと考えると、どこか寂しい感じが残ります。やはり、本人の意中の球団はどこだったのか、どこのユニフォームを着たかったのか、と気になってしまいます。

私たちの人生の進路が定まってゆくプロセスには、様々な要因が関わってきます。私たちはそれなりに自分で考えているようでありながら、自分の意見や好みだけでなく、周囲の人々の意見、世間の流行も大いに影響力を持ちます。健康状態も一つの判断材料でしょうし、テストの成績やコネの力も関わってきます。もっと大きな視点で言えば、戦争や平和、貧富や身分の差などの歴史や社会のあり方にも影響を受けます。そして、運や成り行きのようなものが人の生死まで決めてしまうことさえ起こり得ます。

さて、信仰者である私たちは、そういう諸条件とは別に、もう一つの重要な要因があることを思い起こしましょう。そう、神様のご計画であり、導きです。私たち人間の思いや知識から来る将来への決断ではなく、また偶然や成り行きといったものにあっさり委ねてしまうのでもなく、そういう次元とは全く異なる偉大なるお方のみこころに信頼しつつ、道を選ぶことができるのです。神様の御手の中にある人生こそ、最高のものですから。

最近のあなたは、くじを引くような感じでしか物事の選択をしなかったのではありませんか? あるいは、いつもは一生懸命のあなたが、人生の踏ん張りどころ、肝心なところで、何となく成り行き任せで大切な進路を決めてしまったのではありませんか? もう一度、あなたが主キリストを信じる、信仰者であることを思い起こして下さい。神様のみこころを求めましょう。さあ、最善の進路が示されるように、導きを求めましょう。


考えすぎないことも大切です! 2010年10月24日

先週の月曜日から金曜日まで、マレーシア・クアラルンプールにある神学校、スクール・オブ・アクツ(The School of ACTS)での集中講義に出かけてきました。毎年、ちょうど今頃が卒業式の時期なのですが、今年は10月31日とのこと。卒業まで2週間を切った段階、大詰めの時期での授業でした。

卒業式が終わると、当然、神学生たちは新しい生活と仕事の場へと散って行きます。地元のクアラルンプール周辺出身の人だけでなく、広くマレーシア国内各地から集まっていますので、それぞれバラバラになっていきます。もちろん、今回の卒業生たちの中にもアジア各地からの人々も多いので、それぞれシンガポール、タイ、フィリピン、インドネシア、ミャンマー、ネパール、インド、パキスタン、そして日本へと散って行く訳です。

そんな神学生たちと、信仰を熱く語り、祈り合ってきました。これから開拓伝道に着手する人もいれば、送り出してくれた教会で、牧師になる人もいます。音楽伝道や子供伝道へのビジョンのある人、また宣教師になりたいと願っている人など、住む国も地域も違えば、働きの内容も全く異なります。全くの手探りでの伝道開始、という人もいます。

日本人ならさしずめ“用意周到に”というところでしょう。しかし、ほとんどの人が、驚くほどシンプルに、あっさりと新しい歩みへと踏み出そうとしています。自分の給料や、生活の場、環境の善し悪し、どれほど大変な仕事が待っているのか、わからないことは山ほどあるのでしょうが、すべてを神様に委ねて船出しようとしています。神様に救われ、選ばれたことを感謝し、あまり物事を複雑に考えず、聖霊による導きを信じて素直に、一生懸命に、主キリストのしもべとして新しい一歩を踏み出そうとしています。

私たちは、いつも“よく考えてから”と言います。確かに、何もまともに考えようとしないで適当に事をなそうとする人たちが増えていますから、当然です。しかし、逆に、どんなことも自分の理屈が通らなければダメだとか、話の全容が100%見えてこないと何もしない、と言うのであれば、結局何も起こりません。特に、私たち信仰者は、主イエス・キリストを信じて人生の土台をしっかりと据えたはずです。あとは信じて行動することです。

主キリストの導きを信じて、シンプルに行動し、大胆なことをなそうとしている若者たちの信仰は、私たちを感動させます。時には、人間的な物差しでの安全運転ばかりを繰り返す、面白みのない信仰生活に終始するのではなく、聖霊の導きの中で思い切って信じて、行動してみることを選んでみませんか? どれほどあなたの頭が良くても、考えすぎは良くありません。特に信仰の世界はそうです。行動を忘れないことです。


あきらめず、粘り強く! 2010年10月17日

南米チリのサンホセ銅山での落盤事故で、地下680メートルに閉じ込められていた33人の作業員たちが、全員無事救出されました。日本時間の水曜日から、翌木曜日の午前にかけて、一人一人特殊なカプセルに乗って地中から吊り上げられてくる様子に誰もが感動しました。見ず知らずのおじさんたちでありながら、一人一人の名前が紹介されて順に救出されてくると、何だか家族や友人になった感覚で本当に嬉しく感じたのです。

炭鉱での落盤事故と聞くと、まず助からないことを想像してしまいます。土砂の下敷きなら即死でしょうし、幸い落盤そのものからは逃れられても、空気や水、電気に食料、闇と土埃、地中の蒸し暑さの中で…と考えていくと安易に生存の可能性を考えられないのです。それが、今回は、事故後17日経って33人が全員無事でいることが確認され、3〜4ヶ月はかかると言われていた救出作業も順調に進み、事故以来70日目での救出となりました。

ちょっと辛いことがあると、無理をしないであっさりとあきらめ、やめてしまえば良いというような安易な考え方が世の中に広まっているようです。仕事でも、勉強でも、夫婦や親子の人間関係でも、自分にストレスがかかってしんどくなってしまうよりは、あっさりと投げ出してしまうのが得なのだという感覚が蔓延しています。しかし、そんな功利的な考え方が常に正解とは限りません。特に、人生の重要な事柄であればあるほど、小手先の賢さはかえって役に立たず、どんなに愚直に見えても大事なことをあきらめずにコツコツとやり続けていくことが大切です。

即死であってもおかしくない大事故でも、17日も経って全員無事が確認されることもあるのです。暗闇の穴蔵で何十日も過ごすのは本当に大変でしょうし、一瞬一瞬が生きることに対する不安との戦いであったかもしれません。でも、70日経った時には、太陽の降り注ぐ、本来居るべき場所に戻って来ることができました。今回の大事故に関して、誰も簡単にあきらめたり、短気を起こしてパニックに陥り、状況を悪くする人が出なかったのは本当に幸運なことだったと思わされます。

あなたの状況はいかがですか?テレビのニュースで、地球の裏側の出来事だから冷静に見られましたか?あきらめないことです。まだゲームは終わっていません。長く行き詰まりが続いているように思われるあなたのためにも、主キリストの助けの御手は働き続けています。あなたの勝利への突破口は、もうすぐそこまで近づいています。周囲の揺れ動く意見に惑わされて、自ら破壊や終わりを選んではいけません。主は、私たちを助け、救われることにおいては、決して遅くなることはないお方ですから。


今、種を蒔くことの大切さ! 2010年10月10日

北海道大の鈴木章名誉教授と米・パデュー大、根岸英一特別教授がノーベル化学賞を受賞し、日本中が盛り上がっています。日本人のノーベル賞受賞者は、1961年の湯川秀樹博士以来、これで18人。そのうち、自然科学系の受賞はこれで15人。ここ10年は、平均するとおよそ年一人のペースでの受賞ということです。

科学技術立国を目指す我が国としては、日本の研究者たちの業績が世界的な評価を得ることは本当に喜ばしいこと。以前は、押しも押されもせぬ業績がありながら、「日本人でなければ受賞は確実…」などと言われたこともありました。言葉や文化の壁もありますので、今回、鈴木氏の受賞のためには、北海道大学は世界各地でのシンポジウム開催など、相当頑張って応援していたようです。大学も生き残りを賭けた戦いの中にありますので、ノーベル賞受賞者を出すためには本腰を入れた応援をしたということです。

とは言うものの、これで日本の理系の学問は当面は安心…という訳にはいきません。根岸氏は75歳、鈴木氏は80歳、つまり今回の受賞対象となったお二人の研究は実は何十年も前に行なわれたもの。確かに今も、学術や産業に生かされている“クロスカップリング”技術なのですが、実際の研究はずっと昔のものであり、それが各界での評価を高めた結果、今回の受賞となったのです。

では改めて、今、日本の理系の頭脳は大丈夫か?と言うと、ちょっと不安になります。本来、学術研究というものは、熱意を持ちつつ、地道にコツコツ何年も積み上げてこそ、やっと成果が出るものであり、初めから華やかな舞台に立てるものではありません。それが最近では理学部や工学部志望の学生数が減少していますし、博士号取得してもその後の研究や生活の環境が整わないからという理由もあって、かえって学者の層が薄くなっているとのこと。世界を相手に頑張ってみようという若者も減少中で、数年前の統計では、アメリカで理系の博士号を取得した中国人は3448人、韓国人1170人、インド人1103人というのに、日本人は僅か211人だったとか。

今の賞賛のためには、何十年も前の汗と努力があったのだということを忘れてはなりません。これから良いことが起こるためには、実は、今、しっかりと種が蒔かれていなければならないのです。科学の世界だけではなく、これは信仰の世界も全く同じです。急場をしのぐような小手先の技術ではなく、本当に価値ある成果のためには、ずっと先の事柄のために、今、種が蒔かれ、着実な成長が必要です。まだ脚光を浴びてはいなくても、しっかり種を蒔き、小さな芽を育てていくことが大切です。


恐怖?それとも愛? 2010年10月3日

日本海の向こう側、北朝鮮では懸案の金正日(ジョンイル)総書記の後継者問題がいよいよ本格的に動き始めました。総書記の三男とされるジョンウン氏が、いきなり朝鮮労働党や人民解放軍の要職に抜擢され、はじめて現在の本人と見られる写真や映像も流されました。特別な帝王学が施されてきたと衆目の一致する人物ならともかく、これまでの人となりや社会での実績が全く闇の中の人物が、いきなり一国の独裁的な指導者となる、というのです。ごり押し以外の何ものでもありません。

それにしても、古代や中世の王朝、将軍や大名の話ならともかく、現代の27歳の若者が、父親の総書記に次ぐ一党独裁の党中央軍事委員会の副委員長に就いたり、軍の初任が大将だというのですから、とんでもない話です。社会人としてスタートするや否や、自分より上には、今の父親のポジションしかすでに存在しない訳ですし、もしそれ以上を求めようとすれば、他国の侵略か世界征服しかありません。かわいらしさもある子供の頃の写真と違って、かなり太って父親同様人民服で威風堂々と構えている姿を見て、本人の本音を探ってみたくなります。

周囲の政治家や軍人たちも、経験の豊富さや知識の広さに関しては、十分立派な大人のはず、それがみんなで賞賛の拍手です。分別ある人々の真ん中で、「裸の王様」を地で行くような変な話が展開してしまうのは一体なぜでしょう? それは、周囲の人々の心に驚くほど明確に浸透している“恐怖心”です。異議を唱えた瞬間、強制収容所送りにされ、本人のみならず一族郎党、土を噛むような生活に突き落とされかねません。死刑…も、考えられない訳ではありません。そんな“恐怖”が、すべての理性や正義を抑え込んでいます。

人間は誰もがある種の力を求めて生きていますし、自分の生きる環境をコントロールし、何らかの支配を確立したいと願うものです。しかし、すべてを自分の思いのままに支配したいと願い、それを実現する方法が“恐怖心”であるのは本当に悲しいことです。

聖書は、それとはまったく逆の論理が、事実を伴ってこの世に存在していると宣言しています。それは、“愛”による働きかけ。主イエス・キリストは、罪人である私たちを救うためにご自身のいのちを十字架上で捨てて下さいました。この身代わりの愛が、私たちの人生を導き、支配する、本当の力として現わされたのです。人のいのちを奪うぞと恐怖を煽り人を支配しようとする力が存在する中に、自分のいのちを捨ててでも私たちを神様の愛の世界へと導こうとする救いの力が厳然と働いています。“恐怖”の中にではなく、“愛”の中に生きてゆきましょう。主キリストの愛こそが、私たちを幸せにします。


ブレないでいるということ! 2010年9月26日

やはり10年というのは、大きな意味を持つ一区切りの期間です。アメリカのプロ野球の大リーグで、イチロー選手が10年連続での200本安打を達成しました。大リーグの歴史でも、大リーグ記録の生涯4192本安打を放ったピート・ローズが過去「10回」のシーズン200本安打を記録しているだけで、「連続」は初めて。もし来年、200本安打以上を記録すると、それこそもの凄いことになります。

そんなイチロー選手が、彼なりに溜飲を下げる思いがあることを語っています。10年前、大リーガーとしては体格も華奢(きゃしゃ)に見えるルーキーの彼に、米人記者がある豪腕ピッチャーを指して「彼のようなピッチャーからヒットを打つことができるのか?」と無粋な質問をしたとのこと。それが、10年経って、ノーヒットの試合の後など、「どうして今日はヒットを打てなかったのか?」と聞かれるようになった、と。10年経って、周囲の質問も態度も全く変化した訳ですし、そうさせた10年分の彼なりの努力や実力があったのです。

ある一瞬だけ熱く燃えるのであれば、花火ならずとも誰でもできます。しかし、同じことをブレずに、しっかりと10年単位で貫き通すことには、覚悟と共に相当の努力が必要です。いつでも何でも便利な物が、その場で手に入ることが良しとされる昨今の状況は、それだけ物事の変化が激しく、目先の状況に応じて、全てがコロコロ変わりやすい社会の有様を反映するものです。5年、10年と価値あるものが継続されることが少なくなってきました。目先を変えたり、小手先でごまかしたりという類のものが幅を利かせています。

「日本の首相は年度替わり」などとお隣の中国から皮肉られていたと思っていたら、今度は尖閣諸島での漁船衝突問題で、「国内法に則り粛々と対処する」はずが、いきなりの腰砕けで処分保留のまま中国人船長を釈放という、全く訳の分からない対応となりました。仮に政府の関与が全くないのであれば、それはそれで何で検察は外交問題を勝手に配慮してそんな中途半端なことをするのか、厚生労働省の郵便偽装事件の証拠ねつ造と併せて、今後の日本の法の番人は大丈夫か?と言わざるを得ません。どちらのケースでも、ブレまくりとしか言い様がありません。

あなたの信仰が簡単にブレるものでありませんように。ある時は信仰熱心に見えるのに、別の時は、神様を都合良く忘れ去ったようなあなたになりませんように。大切なものほど、いつもブレない、ずっとブレないでいることが大事です。あなたの信仰が、あなたの生活や人生をしっかり貫くものでありますように。ブレちゃだめです。


“みちびき”が大成功! 2010年9月19日

“みちびき”が大成功!と耳にして、誰かが信仰によって大勝利したのかと思いました。しかし、今回は、一般のニュース。去る9月11日、H2Aロケットによって打ち上げられたJAXA(宇宙航空研究開発機構)の新しい衛星の名前が“みちびき”。打ち上げに成功しただけでなく、予定されている地球の周回軌道に乗るための動きも順調のようです。

この“みちびき”は、“準天頂衛星”ということで何をするのかと言うと、日本上空に滞まって、従来のアメリカの衛星を補完しつつGPS(全地球方位システム)を機能させる、とのこと。アメリカの衛星が本来、軍事目的なので日本での民間利用がいつ中止になっても支障のないように、とこれから2号機、3号機と打ち上げられて日本自前の衛星網を作り上げていくのだそうです。GPSの機能とは、自動車のナビや携帯電話など、どこにいても自分の居場所が正確に把握できるもので、最近のIT技術の中でも、特にみんなが知らず知らずの内にお世話になっているものです。

今まで道路地図や、運転手の土地勘に直感、そしてガソリンスタンドのお兄さんに頼って運転されていた教会の自動車一台に、最近、その“カーナビ”を付けました。早速、東京への出張があり、大活躍。東京近辺に不慣れな若い兄弟たちに運転してもらっても迷うことなく目的地に着くことができました。遠い空の彼方、宇宙の入り口にある衛星と電波でのやりとりをして地図上の位置がきちんと分かるのです。大空の彼方にある“目”が、私たちを導いてくれるということです。

私たちには、そんな“みちびき”を超える、常に私たちを見守り、確かに本物の“導き”を与えて下さる神様がおられることを感謝しましょう。衛星からのGPSの情報は居場所を正確に教えてくれても、場所の善し悪しや、そこから次に行くべき場所など、本当の道案内はできません。どんなに優れものであっても、所詮、機械は機械。私たちの人生の意義や目的まで踏まえて働きかけて下さるのは、いのちの与え主である神様だけです。

あなたの秋の日々の歩みは、ちゃんと神様の導きの中にありますか? 自分では大丈夫と思っていても、私たちの見識や思いだけではいつ迷路の中に入り込んでしまうかもしれません。信仰を持つということは、神様との生きた交わりの中に入れていただけることですし、そこで自分自身の視点ではなく、神様の視点から自分の生き様を見つめることができるのです。神様の目には、最近のあなたの生き方はどのように映っているでしょうか? あなたに与えられる神様からの導きをしっかりと受けとめて歩んでまいりましょう。御言葉、祈り、讃美、そしてメッセージを通して神様はあなたに語りかけて下さいます。


幸せの実感! 2010年9月12日

最近、アメリカのプリンストン大学の教授たちによる“幸福感”に関する研究が発表されました。それによると、収入が増えれば確かに買えるものが増えたり、旅行したり遊んだり…と生活の中での満足感は上がるものの、それが必ずしも幸福感が増すことには繋がらない、というもの。

幸せはお金だけの話ではないよ、幸福は金では買えないよ、と私たちもしばしば口にするもの。それが、アメリカ人45万人を対象にした電話調査で、年収と幸福の実感との関連が統計的なデータとして示されたというのです。確かに生活の内容に関しては、収入が増えるほど、“豊か”になり続けるのです。しかし、“楽しく笑ったり”、“幸せ”を実感することは、年収7万5千ドル(約630万円)までは上昇するものの、その後、頭打ちの状態になるとか。

日米の違いや、多少の幸福感のずれもあるでしょうが、でもやはりそうなのだな、という感じです。確かに、私たちの生活にはお金が必要です。生活に必要最低限の金額に始まって、欲しい物が買えたり、好きな場所に旅行できたり、家族と楽しい時間を過ごせたり、自分の趣味のために使えるお金があれば良いな、と誰もが思います。そして、今は、ありとあらゆる物やチャンスが溢れている時代ですから、お金があればあるほど、できることや手に入れる物は増えていきます。でも、お金や物が増えるのに従って、どこまでも幸せの実感が大きくなるのではありません。

人々の様々な問題や悩みに接することの多い牧師としては、その先に別の質問もして欲しいところです。それは、もしかするとお金が増えすぎると今度は、人間関係が難しくなったり、かえって深刻な悩みも多くなる場合もあるのではないか、ということ。生活は楽しそうで、豊かなはずなのに、心の中はとんでもなくギスギスしていて、何だか重苦しさの溢れる毎日を過ごしている人もおられます。

幸せの実感は私たちのいのちに関わるもの。単に財産の多さや物の豊かさとは別の次元のもの。いのちに関する事柄は、結局はいのちの与え主である神様と向き合わなければ、本当の答えは見い出せません。ですから、あなたの生活の必要が満たされ、経済的な祝福が与えられますように、と祈ると同時に、何にも増して、あなたの魂に喜びや感謝、幸せの実感が与えられるように、と願います。お金と幸せを横並びにしてはダメです。経済的にも祝福されましょう。しかしそれ以上に、あなたの心が神様の愛に触れ、主キリストの救いをいただいて、幸せであることが最重要です。幸せを祈ります。


9月です!新しい季節の始まりです! 2010年9月5日

今年の夏は猛暑、猛暑の毎日でした。天気予報には、通常の“晴れ”マークを超えるギラギラマークの太陽が示され、ニュースでは毎日のように、最高気温が37℃だ、38℃だと、うだるような暑さのニュースが、汗をダラダラと流す人々の映像と共に流れていました。“熱中症”という言葉を何度も耳にしました。この暑さが8月が終わってもまだ続き、本当に異常さを実感した夏でした。

まだまだ残暑の厳しい毎日ですが、カレンダーはちゃんと9月になりましたし、学校も始まりました。新しい季節の始まりですから、今すぐ私たちの心を新しい気持ちに切り替えたいと思います。朝夕には、爽やかな風を感じるようになっているのですから、私たちの生活の中にも新鮮さを感じさせるような動きを、ぜひ生み出してまいりましょう。

あなたがこの秋の日々に実現したい目標を、もう一度しっかりと意識して下さい。私たちの能力というのは、非常に曖昧なもので、どんなに能力のある人でも具体的な目標を立てないでただ自然に任せていたのでは何も実現しません。逆に、自分は弱く頼りないと感じる人でも、本当に価値ある目標を意識して毎日を歩んで行くなら、素晴らしい成果を生み出すことができるのです。ですから、2010年の秋の日々をただ漫然とフラフラして過ごすのではなく、今年の秋はこのように過ごしたい、と祈りを込めて願うことのできる、ちゃんとした目標を心の中に意識することです。

日常の雑事を、ただ次から次にこなすだけで今年の秋の日々を終わらせてしまっては残念です。もちろん、日常の雑事とも思われるものの積み重ねが私たちの人生の根幹を作り上げていきますので、それらも大切に。しかし、同時に、自分の殻を破ったり、一回り大きな自分に成長するためには、気持ちに張りを持たせて、目標を持ってしっかりと行動することが重要です。あなたの生活や人生の流れを見ても、確かに実際に踏ん張りどころであり、今こそ信仰を働かせて何か事をなさなければならない、と感じている人もいるはず。神様が備えて下さった機会を、みすみす無駄にすることがありませんように。

日本全体を託されているはずの政治家の皆さんは、どうも政権闘争に明け暮れておられて、政治や経済の実情と本気で向き合っているとは言い難い状態。必要なことをしているのでしょうが、そうこうしている内に、日本の経済事情は手の施しようのない状態へと転落中。他人事ではありません。この新しい季節に、あなたにも真剣に取り組むべき課題があるはずです。さあ、しっかりと行動していきましょう。そのためには、まずあなたが心の中で、神様にきちんと祈ることです。そこから新しい季節が始まります。


やはり最後は人間の責任です! 2010年8月29日

高齢者の所在不明問題が、どんどん深まっていく感じです。事の発端となった東京の111歳の男性の件は、30年以上も前に死亡していたのに、家族が年金などを不正に受給していたとのことで起訴されるようです。しかし、問題は、この一件にとどまりません。

日本中で、100歳を超える高齢者の中で、実は所在が全く不明であるケースが何百、何千もあるとのこと。各地での実態が明らかになるにつれ、戸籍上では生存しているというおかしなケースが次々と報告されています。中には、本当に生きていれば160歳だ、いや180歳を超える人もいる、と大混乱の様相です。もし本当にそんなことがあるなら、黒船来航の頃だ、勝海舟と同世代だ、と江戸時代生まれの人が当たり前のように私たちの周りにいることになります。

インドやカンボジアなど、これまで発展途上国だと言われていた国々などを訪れる度、日本の行政のシステムは本当に進んでいるし、均一化、均質化されて都市と地方とを問わず、安定して浸透していると実感してきました。もともとそういう細かい作業は日本人向きですし、最近ではコンピューターもどんどん使われるようになっているので、かえって間違いを見つける方が難しいのでは、と思わされます。それが、今回の高齢者所在不明問題では、予想もしなかった事態に発展。

結局は、今回の問題も人為的なものです。手続きの方法や、コンピューターを導入したシステムにはさほど大きな問題はないのでしょう。しかし、死亡届など届け出をすべき当の人間がずさんであったり、戦争などの時代を挟んで記録が混乱したり不明になっているにもかかわらず、法律に定められた規定や罰則がないのでお役所の方も放置したままであったり…。どんなに立派なコンピューターが置かれていて、最新のプログラムが起動していても、それを動かす人間が中途半端でいい加減であれば、結局は間違いだらけのものになってしまいます。

私たちの生活も似たようなところがあります。あれがあればいいのに、こんなものが手に入れば幸せなのに…と、私たちは得てして無い物ねだりをしがちです。不足感や欠乏感を安易に抱いてしまって、それらがないことが自分の不幸の原因だと考えてしまう訳です。しかし実際、いろいろな問題の本質は、自分自身の心構えや生きる態度に原因があります。ですから、信仰をもって、神様の前で自分自身を素直に見つめ直す機会を持つことのできる信仰者は幸いです。あなた自身が鍵なのです。さあ今週も、礼拝の時を大切にして、自分自身を修正し、成長してまいりましょう。


あなたの話題の中心は何ですか! 2010年8月22日

8月の後半を迎えています。普段なら“まだまだ残暑が厳しく…”と表現すべき時期ですが、今年は依然として“猛暑”の真っ只中。汗を流す感覚はまだまだ十分に真夏です。それでも、夕暮れの時間が少しずつ早くなっているにつけ、季節はゆっくりとではあっても確実に動いているのを感じます。

最近はやりの話題は、と言っても、あまり大したものがありません。航空機事故や山岳事故などの話題、猛暑の影響か“さんま”が劇的に不漁・・・などと伝えられています。政治の世界では、民主党内は来月の代表選挙に向けてみんな気持ちが大揺れ状態。菅首相始め、みんな気もそぞろ。本来の仕事ではなく、党内事情や自分の立ち位置のことばかりが気になるようです。

そんな中で、数ある英語の辞書の中でも権威中の権威であるイギリスの“オックスフォード・ディクショナリー・オブ・イングリッシュ”(日本で言えば、“広辞苑”という感じでしょうか)に、新たに“hikikomori”という言葉が加えられたとのこと。そう、日本の“ひきこもり”です。日本の若者がコンピューターゲームに熱中し、家族との関係も希薄になり、それが犯罪などにも関連する事態を招く現象が欧米でも報道されることが多く、今回は正式に見出し語として取り扱われるようになったとのこと。

同じ日本発の話題でも、もう少し元気の良い、明るい話題が世界に広まって欲しいものだと思います。洋の東西を問わず、発行される最新の辞書などには、常に世相を反映する最新の語句や表現が掲載されるものなのですが、それがどうも暗い意味やあまり楽しくない言葉ばかりが増えているようで、ちょっと考えものです。

最近、あなたの心の話題の中心は何ですか? どんなことを考えておられますか? いつの間にか、ムカツク、キレル・・・と、すっかり今風のとげとげしい心に染まってしまっていませんか? 情報化社会と呼ばれる昨今、確かにありとあらゆるニュースが巷に流れていますが、私たちの心がどんな情報の溢れる場になっているのか、要注意です。いろいろと事件や話題はあるようでも、不平不満や、怒り、失望に繋がるようなものばかりでは、幸せを引き寄せることはできません。

私たちは、クリスチャン、信仰者です。そういう生き方にふさわしい話題が、心に満ちていることが大切です。祈りが答えられて感謝! 友達が主によって救われて本当に嬉しい! 今まできなかったことができるようになり大勝利! と、信じて生きる者らしい話題が存在していることが重要です。主キリストの恵みが、私たちの話題の中心でありますように。


“神の家族”であることの恵み! 2010年8月15日

昨日までの一週間は、今年の夏を彩る催しで、教会の活動も豊かに祝福されました。まず、週の前半は学生会の夏キャンプでした。愛媛県と高知県の県境に当たる“しもなの郷”での二泊三日間です。今年はカンカン照りの猛暑続きの毎日ですので、このキャンプも当然そのように期待していたのですが、開始直後より何だか文字通り雲行きが怪しい状態に。

台風の影響で、天候が急に崩れたのでした。予報は、絶望的な“雨”。特に火曜日は終日川遊びの予定でしたので、私も心配に・・・。しかし、天候が守られることを一生懸命に祈った私たちの祈りに神様は答えて下さり、当日は、ホンの一時的な降雨を除いては、ちゃんと守られ、すべての予定を楽しくこなすことができました。大きな恵みをいただきました。

また12日(木)から昨日14日(土)までの3日間は、松山の奥道後での全国聖会。今回で何と17回目を数えます。全国からの兄弟姉妹と、集会はもちろんのこと、食事やお風呂をご一緒しながら、信仰の交わりを共にすることができました。年に一度の聖会は、やはり格別。共に主を讃美し、祈り、信仰を高め合う時間を与えられたことは、普段の交わりのスケールを超える祝福でした。

私たちクリスチャンは、単に自分自身が主キリストを信じているということにとどまらず、“神の家族”の一員に加えられるという大きな事実の中で生きています。信仰生活とは、自分の観念の世界だけではなく、主にある兄弟姉妹と実際に分かち合い、体験し合う現実的なものなのです。私たちは、確かに小さな一人ですが、主キリストに結び付くことにより、同じように主に愛され、選び出された兄弟姉妹と結び付き、“神の家族”の一員として生きて行くことができるのです。

引きこもりや孤独死の問題などでも明らかなように、最近の社会では、コミュニケーションの道具や技術が発展しているようでありながら、人々は互いにバラバラになりつつあり、孤独な状況に陥っています。ひとりぼっちの人が増えています。そんな時代状況において、私たちクリスチャンは、それぞれの生い立ちや、生活の状態は違っても、年齢や性格の違いを越えて、一つの家族、“キリストのからだ”を形作ることができるのです。

今日は、記念会礼拝。この“神の家族”の素晴らしいところは、地上での人間関係を超えて、すでに召された主にある兄弟姉妹まで含んだものであるということ。今は、天と地で住む場所を違えてはいても、必ず私たちはもう一度出会うこととなり、主の御許での永遠の命をいただくことができるのです。聖書の約束のとおりに“神の家族”は、恵みに満ちたものです。この祝福を、あなたも自分自身のものとして下さい。


神様のまなざしを意識して! 2010年8月8日

高齢者の所在不明問題が、お盆休み前の全国の自治体を直撃しています。東京都の111歳であるはずの男性が、実は30数年前に亡くなっており、自宅で白骨化したまま放置されていたのが発覚したことが、問題の発端。同居する家族がいるにもかかわらず、また、年金なども受け取っていたらしい事実も、驚きを倍加しました。

連日、調査の進展に合わせて、所在のわからない人の数が、50人、70人だ、100人だと増え続けています。全国的な調査が出揃うまで、日毎にこの数字も増え続けるでしょう。この炎天下、一軒一軒訪問し、確認作業に追われる民生委員の方々も、普段から善意のボランティアでの活動だと知ると、大変なことだと思わされます。しかし、それでも100歳を超える方々に関する調査ですから、それ以下の年齢を含めると実態はもっと深刻なのでしょう。

なぜ?と誰もが思ってしまいます。中には、ちょっとした手続きのいい加減さがこういう事態を招いたケースもあるはずです。家族の死亡届がきちんとなされず、独居老人や家出したまま行方不明になった人などの処理が曖昧で、結果的に生死も未確認のまま、記録の上では100歳を超えることになってしまったとか・・・。もちろん、中には、年金などを受け取りつつ、事実を報告しようとしなかった悪質なケースも少なからずあるようです。

一番の問題は、やはり日本の社会が変化してきたことによります。個人主義的な傾向がどんどん強くなり、マンションなどに住むと、隣の人のことはもうほとんど分かりません。家族そのものも核家族化し、親子であっても兄弟同士であっても「我関せず」で、人間関係が疎遠になっています。そして、人の生き死にであっても、それを大事に扱う意識が薄れ、道徳心や倫理観が弱くなりました。単純に言えば、今回の事件は、私たち日本人を取り巻いてきた“人の目”がどれほど弱くなってきたかを象徴的に示しているのです。

“人の目”は確かにうっとうしいものかもしれません。でも、逆にそれがあるからこそ、私たちはしっかり真面目に生きるという面もあるのです。自分一人だけの人生を生き始めると、どうしてもいい加減になり、だらしなく、徐々に罪深くなったりするものです。私たちクリスチャンに感謝なことは、どんな時も心の中で“神様のまなざし”を意識して生きることができるということ。糸の切れた凧のように気ままにフラフラするのではなく、人の目があろうとなかろうと、心の中で“神様のまなざし”を意識して歩めることは、私たちの人生にメリハリと意味を与えます。存在さえも不確かなものとして空虚な時間を過ごすのではなく、主キリストに選ばれた自分として、しっかりと神様に向き合って生きてゆきましょう。


8月の暑さを超える恵み! 2010年8月1日

今夏の猛暑による熱中症での死者数が、全国ですでに200人を超えたと報道されています。天気予報を見ると、週間予報の欄に連日35℃を超える数字が並ぶ都市もあるほどです。私の子供の頃は、32〜33℃と言えば、もう真夏も真夏。それも連日というのは稀であった覚えがあります。確かに地球温暖化は進んでいるように思えます。

先週は、教会学校のキャンプが行なわれ、楽しく元気な時間を過ごすことができたとのことです。宿泊会場となった“面河(おもご)少年自然の家”は、私も小学生・中学生の頃、訪れた場所。何十年も昔のことだと思い起こしながら、同じ場所に今の子供たちが出かけ、楽しい時間を過ごしたと聞いて嬉しくなってしまいました。また、渓流で泳いだり、昆虫を追いかけたり、と最近街中の生活では縁遠くなってしまった時間がたっぷり取れたのは、本当に楽しい経験であったろうな、と思います。

猛暑、熱中症、集中豪雨の被害・・・と暑苦しく、重い話題もたくさんある今年の夏ですが、やはり夏には夏にふさわしい楽しい時間を過ごしたいもの。8月の日々にはやはり8月だからこその計画があります。教会でも、学生キャンプ(中学生・高校生・大学生)が来週に予定されていますし、その直後には全国聖会が奥道後で開催されます。松山の教会では、納涼大会の計画もあります(8月28日)。大いに祝福されましょう。

暑くて大変な時期が、同時に楽しく躍動感に満ちた時ともなります。私たちは、しっかりと主に祈りつつ、喜びのある、充実した夏の日々を作り出しましょう。主にある兄弟姉妹たちと、讃美と祈りの中で、熱い集会や楽しい交わりを持つことができるのは実に幸いなことです。もし、暑いから、忙しいから、いろいろと予定があるから・・・と気が重くなり、参加を躊躇している方がいらっしゃるなら、今、逆にぜひ参加の意思を固めていただきたいと思います。神の家族との交わりはあなたを必ず元気にしますし、また、あなたの存在が他の兄弟姉妹にとっては恵みのきっかけとなるはずです。

この8月の初日が聖日であるのは、感謝なことです。主キリストにしっかりと礼拝を捧げて、今月の恵みを期待しましょう。暑さをふぅふぅ言う以上に、神様からの祝福が豊かに注がれますよ。もう夏バテだ、と感じている兄弟姉妹、いつもよりゆっくり時間を作って、集会や交わりでリラックスして下さい。教会の奉仕に自分から加わって、いつもとは違う時間を過ごして下さい。あなたの心が教会で、いつもと違う恵みを含んだ空気を吸い込むことができますように。さあ、夏本番、主キリストからの豊かな祝福があなたの夏の日々を彩りますように、と祈ります。


隠れていないで! 2010年7月25日

内閣府の調査で、今回も衝撃的な報告が出ています。「引きこもり」の若者が、全国で70万人になるのだそうです。ここでの「引きこもり」とは、自室に閉じこもったままの人から、コンビニやゲーム店など自分の趣味や好み以外では、ほとんど自宅から外出しない人たちのこと。この70万人以外にも、引きこもりたい、引きこもる気持ちが他人事とは思えない、という「引きこもり親和群」が155万人にもなるそうで、「引きこもり」はもはや特異な例ではなくなってきています。

原因はというと、いわゆる人間関係での躓きが圧倒的。学校で、職場で、人と馴染めなかった、うまくやれなかった、というのです。それで、自宅や自室で、家事は親に任せっきりで、自分はゲームにテレビ、CDにDVD、インターネット・・・と誰にも邪魔されない狭い世界で時間を過ごしているわけです。

疲れた時や悩んだ時は、しばらく一人でいるのも悪くありません。病気であれば、入院や保護も必要でしょう。しかし、それが日常になるのは、異常です。自分で生活費を稼ぎ出し、食事や洗濯も自分で、というのならまだしも、ただ好きなことだけをダラダラしているのではどうしようもありません。少しずつでも自分の生活を支える事柄をやってみる、小さなお手伝いであっても良いので、自分のためのことだけでなく、周囲の誰かのための行動を起こし始めていくことが大切です。

私たち人間は、人との関係の中に生きてこそ、本当の人生を作り上げることができます。人との関係、また神様との関係が、私たちのいのちを形作るのです。それを忘れて、自分一人だけの世界に閉じこもることは、いのちの流れを自分から断ち切ってしまうことですし、そもそも罪人である私たちの心を、さらに追い込んでいくような感覚にもなるのですから、決して良いものではありません。聖書の創世記の物語を読むと、神様の命令に背いて罪を犯したアダムとエバは、神様の気配を感じた時、思わず隠れてしまったと記されています。自分から隠れる、身を隠すことには、この聖書の最初の物語の時代から、何か消極的で否定的な印象がつきまとっているのです。

家の外は、猛暑です。熱中症で亡くなる方も出るほどの暑さです。しかし、そんな時でも、閉じこもっているだけの生活ではなく、やはり外に出てみるべきです。人と会うことです。神様と交わることです。さあ、あなたも心のどこかで隠れることばかりを考えていないで、思い切って外に出かけましょう。顔と顔とを合わせて人々と出会い、神様に向かってしっかりと信仰を働かせる時、あなたは幸せを引き寄せることができるのです。


「梅雨明け」を宣言いたします! 2010年7月18日

今年の梅雨は、各地で大雨となりました。梅雨の初期から南九州を中心に、豪雨に関するニュースがずっと流されていました。先週は、西日本の広範囲で大雨となり、各地で大きな被害をもたらす結果となっています。しかし、そんな梅雨もやっと終わりそうです。最近は、気象庁も慎重で、「梅雨明け」宣言は後追いで出されることが多くなってきましたので、きのう今日あたりで梅雨明けかどうかはまだわかりません。しかし、私は、皆さんとご一緒に「梅雨明け」を宣言させていただきたいと思います。

さあ、2010年の夏の到来です。天気予報では、酷暑が予想されるとのことです。35℃を超える日も多くありそうだということ。暑さに不意打ちされてバテてしまうのではなく、今からしっかりと構えておきましょう。そして、暑さは暑さで、流れる汗をぬぐいながら、この季節に溢れる神様からの祝福を喜びつつ受けとめてまいりましょう。

日本の国技の大相撲も今、大きな危機を迎えています。先場所中から現役力士たちの野球賭博関与がマスコミで報道され始められました。身体を張った、格闘技という特別な世界に生きる力士たちの生活や娯楽の中に、競馬や花札などがあってもそれほどおかしくないとも思われます。しかし、それが賭け事に関する正常な感覚を失わせ、いつの間にか暴力団がらみの賭博にまで手を染めてしまう者が親方、力士を含む多数に及んだ訳です。この後の名古屋場所の開催に関しては、波乱含み。NHKがテレビ中継を見合わせたり、まだまだ開催そのものが見送られる可能性も残っているようです。これまた、他人事ではなく、私たちも自分の間違いや足りなさを正当化している内に、心の基準が大きくずれてしまうことがないように、注意したいものです。

私たちの教会の行事も、本格的な夏を満喫する計画でいっぱいです。まず、明日は「海の日」恒例の海水浴。真っ先に夏の陽射しを楽しみ、今年の夏の幕開けを告げる交わりの一日を満喫しましょう。そして、今月26日(月)〜28日(水)の二泊三日の予定で、教会学校のキャンプが面河(おもご)少年自然の家で開催されます。四国の山奥、涼やかな渓谷での水遊びを中心に、子供たちが待ちに待ったキャンプです。あなたの子供たち、お孫さんたちをぜひ送り出してあげて下さい。

学生キャンプは、8月9日(月)〜11日(水)。高知県の“しもなの郷”での、中学生から大学生までのみんなで、楽しさのはじける二泊三日となります。テレビゲームから解放されて、大自然の中で大いに恵まれましょう。さらに、全国聖会が8月12日(木)〜14日(土)の三日間、松山・奥道後で持たれます。今回は、御言葉がしっかり語られる集会に讃美・音楽たっぷりのコンサート集会もと、大満足間違いなしのプログラム。共に集まり、私たちの国を変えてゆく、力強い信仰の秘訣を分かち合いましょう。8月28日(土)の納涼大会や翌29日(日)の洗礼式まで、夏にふさわしい計画がたくさん用意されています。

高校野球の甲子園大会や各地の花火大会だけが、夏の風物詩ではありません。教会の関わる、主キリストを中心とした諸行事の中で、今年の夏の恵みを十分にいただきましょう。この夏には、夏にふさわしい祝福を神様はあなたのためにも備えていて下さいます。さあ、2010年の夏を、主にあって心から感謝し、楽しんでまいりましょう。いつまでも色褪せない、記憶に残る素晴らしい恵みの体験を数多く分かち合いたいと思います。


いまだ知られざる世界! 2010年7月11日

とかく暗い話題の方が多い昨今、最近の代表的な明るい話題は、“サッカーW杯”と“はやぶさ”だとか・・・。そのW杯の方は、日本チームはすでに敗退し、いよいよ決勝戦。しばらく続いた話題も、一部の熱狂的なサッカーファンを除いてはそろそろ終わりです。一方、“はやぶさ”の方はと言うと、地球に持ち帰られたカプセルから0.01ミリサイズの微小な物質が複数発見されている、とのこと。

真の科学的な価値をうんぬんするためには、まだまだ時間をかけてそれらが地球のものではなく、小惑星イトカワからのものだと確定する必要があるようです。しかし、事業母体のJAXA(宇宙航空研究開発機構)が、事業仕分けの対象となり、大幅に予算が削減されそうで、“はやぶさ”2号機の計画もままならない状況で、世界に日本の宇宙技術の高さをアピールし、私たち庶民の心まで明るく、わくわくさせてくれているのは、何だか皮肉な感じです。

私たちの知らない大きな世界が確かに存在しています。七夕の夜だけでなく、毎晩、見上げればいつもそこに広がっている宇宙ですが、私たちの目に見えているようでありながら、実は、知らないことの方が比較にならない規模で存在している訳です。普段、何気なくマンネリ化した毎日を過ごしていると、人生や世界には自分の知っていること、わかり切っているお馴染みのことばかりのような錯覚に落ち込んでしまいます。文字通り、“井の中の蛙”状態。

思い出していただきたいのは、私たちが信じている神様は、その大宇宙さえ造られた創造主なる神様。しばらく信仰生活を歩むと、神様のことまで何だかわかった気になってしまうものです。しかし、落ち着いて考えてみれば、私たちの知っていることなど、“はやぶさ”の持ち帰った塵のサイズにも満たない、ホンの小さなものにしか過ぎません。神様の与えて下さる祝福は無尽蔵、恵みは無限大なのです。それらの恵みを生み出される神様のみこころの大きさや深さなど、とても想像の及ぶものではありません。

大宇宙だけに限らず、あなたの人生のためにも、神様からのご計画や恵みは、いまだあなたにとって知られざるものとして備えられています。それも、あなたの想像以上に多くの、大きな意味をもたらすものが、あなたの出くわすいろいろな場面、様々な状況のために用意されているのです。私たちの小さな頭や、すぐにいっぱいになってしまう心の容量を超えて、神様のスケールで祝福が備えられ、人生が導かれていることは何と幸いなことでしょう。信仰をいよいよ働かせて、いまだ知られざる恵みの世界を、一つずつ感謝をもって体験していきましょう。あなたの神様は実に偉大な神様なのです。


2010年も折り返し地点を過ぎました! 2010年7月4日

気が付けば7月です。ということは、2010年もすでに半年が過ぎ、後半へと折り返したということ。マラソンの折り返し地点を考えると、これからいよいよ勝負に入る、ということ。今年の梅雨は、南九州を中心に雨が降り続いていますが、私たちは神様からの“恵みの雨”をしっかりといただきましょう。

政治の世界では、参議院選挙がスタート。地方議会の選挙と違って、候補者が絞られていますから、街中はそれほど騒がしい訳ではありません。しかし、日本の現状を見ると、消費税アップや郵政民営化の方向性など、将来に向けて真剣に考え、選択すべき要件がいくつも存在しています。どうも私たちは政治のこととなると、他人事のように考えてしまうもの。しかし、誰かがやってくれるだろうという安易な姿勢だけでは許されない、逼迫した状況であることは受け止めなければなりません。

日本の国技の大相撲も今、大きな危機を迎えています。先場所中から現役力士たちの野球賭博関与がマスコミで報道され始められました。身体を張った、格闘技という特別な世界に生きる力士たちの生活や娯楽の中に、競馬や花札などがあってもそれほどおかしくないとも思われます。しかし、それが賭け事に関する正常な感覚を失わせ、いつの間にか暴力団がらみの賭博にまで手を染めてしまう者が親方、力士を含む多数に及んだ訳です。この後の名古屋場所の開催に関しては、波乱含み。NHKがテレビ中継を見合わせたり、まだまだ開催そのものが見送られる可能性も残っているようです。これまた、他人事ではなく、私たちも自分の間違いや足りなさを正当化している内に、心の基準が大きくずれてしまうことがないように、注意したいものです。

そして、サッカーW杯8強を目指した日本代表チームの奮闘には、深夜にもかかわらず50%を超えるテレビ視聴率を記録するほど、国中の関心が集まり、誰もが必死の思いで史上初の快挙を願ったのでした。結果は、激闘の果てのPK負け。日本中が落胆しましたが、同時に死闘を繰り広げた選手たちには、みんな心から拍手を、と思わされました。私たち日本人も、心の中にしっかりと自信を持って物事に向き合えば、世界に対して胸を張れる堂々とした一事を成し遂げられることが分かったのです。目に見えない“自信”というものが、同じ人間を大きく変えるのです。信仰の力なら、なおさらのことです。

さあ、この年の後半の恵みを信じて、改めて祈って歩み始めましょう。周囲に起こる様々な出来事を通しても、私たちはちゃんと心のあり方や信仰の原則を学ぶことができるのです。この現実の2010年の歩みの中で、力強く勝利しましょう。


人の集まり、人の盛り上がり! 2010年6月27日

先日の木曜日、東京の集会に出かけた際のこと。昼間、銀座を歩いていると、いきなり長蛇の列が・・・。人が並ぶのは東京では当たり前の光景なのですが、いつもは混雑しながらも人が流れている場所で、何百メートルもの行列ができています。当然、これは一体何の列なの?と知りたくなります。

正体は、話題のiPhone4(アイ・フォーン4)の発売初日の行列。先頭は、と言うと、何と私たちの銀座事務所の、道を挟んだ隣のビル。事前に予約した人は、指定の時間前後に並び、当日販売用の行列はさらに長く並んだ、ということ。ニュースによれば、2日前から並んでいた人もいたりで、最長で1qにも及んだとか。新型の携帯電話のためには、人は労をいとわず並んでくれます。その列を眺めつつ、私はもう一度、心の中で祈りました。神様、この行列の先頭が、あと10mずれて、あなたを礼拝する場所に、人々が競って集まるようになりますように、と。

翌日は、早朝からテレビはどこも大騒ぎ状態で朝のニュース番組を放送していました。未明の試合で、南アフリカでのサッカーW杯で日本代表チームがデンマークを撃破、決勝トーナメントに進出した、とのこと。テレビの画面には、徹夜で応援し、朝5時半から渋谷の交差点を占拠して、ほとんど狂乱状態で大喜びする若者たちの姿が映し出されていました。街角では新聞の号外が配られ、スポーツ好きのお父さんたちはみんな試合のことを話したくて話したくてたまらない一日でした。

私自身も、日本が勝ったことでうきうきしつつ、そこで深く感じさせられたのです。人は、楽しい知らせを求めている、と。不況感が浸透し、社会全体に閉塞感が漂う中で、人々は間違いなく明るい、楽しい話題を求めています。そして、思い返しました。私たちには、本当のグッド・ニュースがあるはずではないか、と。心が変わる、人生が変えられる、魂の行く末そのものさえも変えられる、本当の明るい、幸せの知らせを、私たちは神様からいただいています。だから、“福音(素晴らしいニュース)”だと言うのです。

教会は本来、主キリストの十字架の恵みにより、人々が集まり、聖霊の力によって神様の御業を体験し、喜びで多くの人々が大いに盛り上がる場所なのです。今、21世紀のこういう現実の時代だからこそ、“福音”を、“主キリストの救い”を、“聖霊の恵み”を死語にしてはならない、と強く思わされました。人がどっと押し寄せ、人が喜んで躍り上がるような場所・・・それが本来の教会の姿です。新製品への目の輝きや勝利の歓喜は決して他人事ではなく、私たち信仰者のものなのだということを忘れないでください。


自分自身の信仰の価値を再評価しよう! 2010年6月20日

私たち日本人は、謙遜が行き過ぎて、自分の価値を過小評価しすぎる傾向にあります。それが悪い方向を向くと、ちょっと問題があるだけで、自分なんてだめだ、と思い込んでしまうのです。さらに気をつけないと、神様は私たち一人一人に実は十分に恵みをくださっているはずなのに、そんな恵みまで小さく見積もり過ぎてしまいます。自分の消極的な姿勢が、愛してくださる神様まで小さくしてしまうのです。

先日、あるランキング調査を見て、へぇ〜!と感心してしまいました。それは、“おすすめの天然果汁100%ジュース”の上位10位のランキング。Welch's グレープ100やDoleのパイナップルジュース、グリコの赤リンゴ青リンゴ、その他、トロピカーナやミニッツメイドなど世界的なブランドや日本の有名メーカーの商品を押しのけて、トップに選ばれたのが、なんと、“愛媛のまじめなジュース”のPOMジュース。フードライターや、栄養士、食品通販のコーディネーターなど、その道のプロたちによる選出だったのですが、何ともローカルで親近感のあるものが選ばれて意外、かつ嬉しく感じました。

「単なるオレンジジュースではなく、温州みかん果汁が十分に入っていて、濃厚でみかん独特の酸味が何とも言えない」とか、「これぞ日本のみかんジュース!」といった評があり、なるほど!と再評価した次第です。“愛媛では水道の蛇口を開けば、みかんジュースが出て来る”というのは、楽しいジョークですが、地味に思えていた地元のものを改めて認めることができました。そう言えば、飛行機のスチュワーデスさんたちが選ぶ、“住んでみたい街”でも松山が日本一になったこともあり、私の生まれ故郷にしても、探せばいろいろと良いところはあるものなのです。

何でもかんでも都会志向ばかりが強まる時代ですが、地方には地方の良さがあり、そういう良いところは正直に認め、喜びたいと思います。どうも“隣の芝生は青く見える”と表現されるとおり、他人をうらやんだり、自分に関して不足感や欠点ばかりが気になって、与えられている恵みを過小評価することが度を過ぎてはいけません。

ご存じですか?あなたの信仰も、働かせれば十分に機能することを。あなたが心を込めて、主キリストの御名によって祈れば、主ご自身が必ずあなたの祈りに答えて御業をなしてくださいます。自分の信仰ではダメだ、と決めつけずに、まずはしっかり祈ってみることです。神様は愛に溢れるお方ですから、つまらぬ理由で人をえこひいきして扱われることはありません。あなたの祈りも、立派な祈りなのです。さあ、主に向かってあなたの信仰を働かせて、祈ってみてください。あなた自身が信じることです。


仕え献げさせていただける恵み! 2010年6月13日

各地の集会を回りつつ、先月末から今月初旬にかけて行われたインド伝道の証しをたくさん語らせていただいています。神様は、私たちの教会に最先端の伝道の働きを与えてくださっています。今回の伝道を通しても、多くの方々が真の信仰へと導かれ、いくつもの素晴らしい癒しの御業への感謝と証しが届けられています。私たちの孤児院の子供たちも元気に成長していますし、村々の教会も守られ、貧しい人々に主キリストの福音と生きるための知恵が牧師たちを通して伝えられています。今年は、神学校の卒業生として30名もの若者たちを送り出すことができました。

何事も夢や理想を語るのは簡単。海外宣教のビジョンを語るのは、どこの教会でも可能かもしれません。しかし、実際にそれを形にするには、本物の努力が必要です。このインド伝道をはじめとする、私たちの教会の海外伝道が実現しているのも、愛する兄弟姉妹たちの祈りや献げ物があればこそです。私たちは、単に自分の生活や楽しみのためだけでなく、主キリストからの使命のために献げることができることを喜びたいと思います。

週刊誌にこんな記事が出ていました。ある朝日新聞社員が自嘲気味に語ったという話。本年4月、中国青海省を襲った大地震の際、同新聞には現地の貧しさの上に被災した人々に関する記事が多数掲載され、各地からの義援金の話題などが紹介され、後手に回る当地の行政や各国の支援への批判記事も多数載せられたのです。その社員が嘆く“事件”とは、その朝日新聞東京本社8階にあるコンビニのローソンでの出来事。ローソンがレジ前に青海地震への募金を募集したところ、2週間かけて集まった金額が、合計で僅か1,821円だったという事実。“社員専用店”のようなところで、この事実は、“紙面とは裏腹な意識の低さを如実に示している”と嘆きの声があるとのこと。やはり、本当の信仰心や神様からの愛がなければ、たとえ言論では超一流で、30歳で年収1000万円はあるというエリート・ジャーナリストであっても人々に対して施すということはしないということなのでしょう。

私たちは、神様が愛を無償で注いでくださり、主キリストはご自身のいのちを惜しげもなく私たちに与え、聖霊は今も豊かに注がれていることを決して忘れません。そして、主ご自身にならう者として、“クリスチャン(キリスト者)”として、仕えること、献げることを単なる理想論としてではなく、現に実行できることを感謝します。損得でしか動かない人が増える世の中だからこそ、私たちは信仰をもって献げ、奉仕し、主キリストの教会らしい働きをどんどん推し進めていきましょう。奉仕させていただけること、献げさせていただけることは、実に大きな祝福なのです。


表紙が変わってもだめ!? 2010年6月6日

インド伝道のために、祈ってくださったことを心から感謝いたします。連日40℃前後で、日本人からすると猛暑の中での伝道活動でしたが、すべてが主の御手に導かれ、大きな祝福の内に終了することができました。プーナマーリーでの野外大集会も、連日、真剣に悔い改めて主を受け入れる人々が大勢起こされ、癒しの御業も続出しました。耳や目の癒し、膝・足腰の癒された人、様々な痛みからの解放・・・と、聖書の御言葉が宣言する通りの力強い聖霊の働きが現わされました。

多くの兄弟姉妹が里親となって支援し続けてくださっている孤児院にも、ちゃんと子供たちの笑顔が溢れていました。顔馴染みとなった一人一人の成長が、毎年、手に取るように分かります。日本の高校卒業にあたる試験にきちんと合格して、私の顔を見て報告してくれる子供たちもいますし、孤児院から巣立って何年にもなる青年たちが、私たちの来訪に合わせて、証しと感謝の言葉を伝えるために来てくれてもいました。

経済やコンピューター技術の発展著しいインドとは言え、大半はまだまだ貧困に喘いでいるような状態。そんな中で、主キリストの働きのために献身したいという兄弟姉妹たちもたくさん起こされており、今回の神学校の卒業式では、合計30名の卒業生を伝道の働きのために送り出すことができました。現地で主のしもべとして生きていくことには、今後、大きな困難があることも予想されます。しかし、そんな大変な生活にも、信仰と勇気を持って踏み出そうとする一人一人を心から応援して、祈ってきました。

そんな勢いのあるインド伝道から帰国してみると、鳩山氏が首相を辞任して、菅新総理の誕生という、ドタバタの政局に遭遇。お隣の中国からは、日本は“年度総理制”かと揶揄される始末。耳ざわりの良いことを国民に囁き続けて、何とか政権を維持しようとするのではなく、少々の難局にもぶれず、媚びず、狼狽(うろた)えず、日本の将来に向けて本気で踏ん張ることのできる政治家が必要です。しかし、どうも日本の政治はいつまで経っても、表紙ばかりを変えて、中身を変えない堂々巡りが続いているように思えます。

変化や成長のことを、他人事として捕らえて、批判ばかりしていては無責任。私たちは皆、表面や小手先の事柄でごまかさず、魂の奥底から主キリストによって変えられてこそ、本当のいのちの歩みが始まることを思い起こしましょう。主によって内側を変えられ、生まれ変わって、聖霊による進歩と成長をしっかり続けることです。問題の度ごとに怯えて方向転換していてはダメです。見かけだけでなく、主によって内側から変えられて前進し続けましょう。


お祈り感謝です!インドでも福音の働きは前進中! 2010年5月30日

ハレルヤ!ただ今、インド伝道の最中です。南インド、チェンナイ郊外のティルベロールという街におりまして、木曜日からは、ここから車で小一時間ほどのところにある、プーナマーリーという街での4夜連続の野外大集会に取り組んでいます。

月曜日(24日)に日本から移動し、火曜日、水曜日の午前中は、北部インド(西ベンガル、オリッサ、ジャールカンド)で展開しております私たちの神学校の姉妹校からの神学生たちも参加して、合同での特別授業をしました。同じインド人なのに、話す言葉は全く違っていて英語も含めると4〜5言語が入り混じった、文字通り“バベル”のような感じの授業です。

火曜日の夜には、田舎町の牧師の息子が結婚するというので、結婚式のメッセージを頼まれ出かけました。ちょっと失礼な言い方ですが、なかなか面白い経験です。インドの習慣と西洋式の結婚式が何となく面白い味わいで融合しています。日本の結婚式も、外国人から見るとそういう感じかもしれません。また、こちらのテレビ伝道の番組収録もしています。びっくりするほど簡単な装備で、テレビの収録をします。それをコンピューターであっという間に編集して、そのまま放送している、といった感じです。すでに放送されたものを見ながら、気軽で、シンプルで、それでも良いのだな、と生真面目で何でも難しく考えてしまう日本人としては妙に感心させられています。

隙間の時間で、周辺の村々の教会を視察して回っています。今まで、幾つもの教会を建て、支援してきました。それらの教会で、貧しくも頑張ってくれている牧師たちがいますし、私たちの姿を見ると、教会近辺に住む信徒たちが気付いてぞろぞろと集まって来ます。小さな椰子の葉で葺いた屋根の教会や、コンクリートを使っていても簡素な教会が多いのですが、そこで即席の簡単な祈り会をすることになります。経済の急成長やコンピューター大国というインドのイメージとは全く別世界の、貧しいインドの現実が広がっています。

野外集会も始まりました。天候は守られています。連日、37〜38℃の好天続きです。今回は都市部に近い場所での集会で、今までの田舎町での集会と少し雰囲気が異なっています。会場全体に、プラスチックの椅子が並べられました。初日は、ごく普通の週日で働いている人が多いからでしょうか、人の集まりは決して多くはありませんでした。しかし、たくさんの人々が救われ、素晴らしい癒しの御業がなされています。歩けなかった人が歩き出し、左耳の聞こえなかった人が聞こえるようになっています。このあと5000人、10000人と人々が集まって来るはずです。来週の礼拝で、そんな素晴らしい奇跡の証しをさせていただきます。皆様のお祈りを感謝いたします。頑張っています。


大きな世界が広がっています! 2010年5月23日

一昨日の金曜日、鹿児島・種子島で、金星探査機「あかつき」などを搭載したH2Aロケットの打ち上げが成功しました。日本の宇宙ロケット開発は何だか失敗続きの印象だったのですが、今回の成功でH2Aロケットの打ち上げも、11回連続での成功とのこと。お隣の中国がすでに有人宇宙ロケットに成功していることを考えるとまだまだなのかもしれません。でも、やっと本格的な宇宙開発が動き始めたということでしょうか。

また「あかつき」そのものも半年かけて金星に接近し、写真を始めとし大気観測などの様々なデータを送ってくるはずだとか。世界が注目しています。しかし大宇宙の中では、一つの島宇宙に過ぎない銀河系の、その中でのたった一つの恒星系に過ぎない太陽系の、隣同士の惑星の話です。神様の造られた宇宙のスケールからすれば、取るに足りないように見えるこの小さな星同士の間でも、到達に半年もかかるということ。やはり、宇宙は、本当に大きいのですね。SF映画のように、簡単に“ワープ航法”とはいきません。

最近、どうも自分の財布の中身や、今日一日の些細な出来事での心の浮き沈み、家族や友人とのちょっとした人間関係のもつれなど、よく考えてみれば本当に小さなことばかりに捕らわれている自分を発見します。あなたもそんなことはありませんか? 確かに、そういう身近で、親近感の溢れる日常の中の一つ一つも事実なのですが、同時に、私たちを取り巻く全世界や大宇宙に関することなど、普段は全く忘れ果てているような大きな事柄も、私たちを取り巻く事実であることに変わりはありません。

狭い世界に閉じこもりがちな私たちだからこそ、実は、事実として、私たちの周りには大きな世界が広がっていることを忘れてはいけないのです。最近は、ストレスを感じることばかりだ、という人は特に注意が必要です。事実そういうことも起こっているのでしょうが、もう一方の事実として、全く違う事柄も起こっているのです。そう、あなたが悶々としている、自分の心の中の小さな世界だけでなく、あなたの周囲には愛と力、希望と恵みの溢れる神様の世界も広がっています。よく日本人は島国根性だと言われますが、自分自身の心もいつの間にか引きこもり状態になっていないか、注意してください。

確かに、大きな世界が広がっています。神様の祝福の流れる恵みの時も動き続けています。私も明日からの10日間、インドに出かけて野外大集会で、極貧の村で、孤児たちの前で、主キリストの福音を語ってきます。主が必ず私たちの思い込みの世界を遙かに超える祝福で満たしてくださるはずです。大きな恵みの世界が広がっています。あなたの周りにも、確かに恵みの大きな世界が広がっていることに気付いてください。


信仰者の対応能力! 2010年5月16日

世界の屋根“ヒマラヤ山脈”の麓、チベット高原に住む人々には、高地に住むのに適した遺伝子がある、という科学的データがアメリカの研究者から発表されていました。ヒマラヤの麓といっても、実に標高4000メートルにも達する地域です。日本の最高峰、富士山の山頂より高い所にずっと住んでいるチベット人には、血液中の酸素の運搬に重要な役割を果たすヘモグロビンの生成を抑制する遺伝子がある、とのこと。高地での酸素不足を補おうと、血中のヘモグロビンが急増するのを抑制し、逆に高山病などを起こしにくくする効果があるようだ、とのこと。

普段、低地に住んでいる人がいきなり高山に登ると、酸素不足を補おうと急激にヘモグロビンが増加し、高血圧や高山病を引き起こす原因となってしまうそうです。では、チベット人は、酸素不足をどのように補っているか、というと1分間の呼吸数が他の人種より多かったり、血管が厚く丈夫であったり、それらにより酸素を多く含んだ血液の循環を早めることで対処しているようだ、とのこと。

やはり、特殊な地域に住んでいる人々には、それなりの生理学的な理由があるのですね。それも遺伝子のレベルで、明らかな差異があるのは、正直、驚きました。単に、身体の慣れや訓練の話ではなく、気合いの問題でもなかったわけです。身体の深い部分に秘密が隠されていたのでした。遺伝子レベルでの高地対応能力があったわけです。

みなさんはご存知ですか?クリスチャンである私たちには、信仰を持たない人々にはない、状況対応能力があるということを。使徒パウロは、“・・・あらゆる境遇に対処する秘訣・・・(ピリピ4:12)”を身に付けた、と語っています。確かに私たちは、それぞれ弱さを抱えている者でしたが、主キリストを信じ救われたことにより、新しいいのちが機能し始めているのです。

せっかく主キリストを信じたのですから、信仰のもたらす祝福をしっかりと受け止め、力強く生きてまいりましょう。私たちは、主キリストのいのちに接ぎ木されたものであり、そのことにより従来の私たちの古いいのちだけでなく、救いの新しいいのちが流れ始めているのです。そして、もはや古い自分が生きているのではなく、キリストが私の内に生きている!と告白できるほど、新しいいのちをもって生きることができるのです。私たちの霊的な遺伝子は、すでに主キリストのものに代えられていることを自覚しましょう。だから、どのような状況、境遇においても私たちは必ず対処できるのです。必ず大勝利します!


新たな決意を持って! 2010年5月9日

本年のゴールデン・ウィークは、全国的に好天に恵まれ、ふるさとへの旅行や各地の行楽地へ出かける人で、どこも混んでいたようです。特に、高速道路は、休日1,000円の割引がまもなく終了するということもあって、マイカー族による大移動の様相でした。もしかすると、あなたの自動車も渋滞に巻き込まれていたのかもしれません。

その連休が終わるや否や、今度は、今日が「母の日」ということで、商店街やデパート、ショッピングセンターでは特別なコーナーが作られ、様々なプレゼントが並べられています。毎週、趣向が変わるわけですからお店の人も大変でしょうが、消費者の方も、次から次へと行事に追い立てられているようで、結構忙しいものです。

実は、私たちの教会でも、毎年、ゴールデン・ウィークから5月中旬にかけては、何となく慌ただしさを感じる時期なのです。ゴールデン・ウィークは毎年、4月29日のバザーで始まりますし、連休中は九州聖会など各地の特別集会やファミリー・キャンプ、中高生会や大学生会の行事が何かしらあるものです。それに続いて、5月9日の故・万代恒雄牧師の記念会や、中旬には必ずアンデレ宣教神学院の新年度開始となるスクーリングが持たれ、入学式・卒業式が同時に行なわれることとなります。

確かに忙しくもあるのですが、しかし、感謝を強く感じる時でもあります。連休で、ただリフレッシュして休んで終わるのではなく、バザーで奉仕をし、恵まれる集会が持たれます。そして、新緑の5月中旬を迎えるに当たって、この教会の初代牧師の信仰を振り返る機会を与えられ、さらに神学校の新年度と共に、私たちの教会や神学校が生み出された伝道のスピリットに立ち戻り、信仰の原点に立ち返ることができるからです。

私たちの50有余年の歩みには、どんな時も主キリストの救いを人々に伝え、癒しをはじめとする豊かな聖霊の恵みの流れに生きるという信仰が息づいていました。確かに、社会の状況は、半世紀以上も時間が流れれば相当変化したものもあります。生活のスタイルも人の心の状態も、事実、変化してきました。しかし、私たちの信仰の軸は変わっていませんし、それこそが私たちの教会に与えられた、この時代の日本に存在する意味でもあります。

今日の礼拝に始まる、この新しい一週間に、私たちは信仰の決意を新たに持ちましょう。自分の必要を神様に満たしてもらうことばかりを願う、恵みをいただくだけの受け身の信仰から、主キリストが与えてくださった使命に生きる行動的な信仰へと意識を変えたいと思います。私たちみんなに、主ご自身からの召しが与えられているのです。


信仰生活は、感動のあるものです! 2010年5月2日

先日、4月29日(木・祝)の本部教会でのバザーにご参加くださった皆さん、ご協力を心から感謝いたします。本当にありがとうございました。全国各地の兄弟姉妹には、このために祈り、また、たくさんの方々から販売用の献品を数多く送っていただきました。そして、直接、松山の教会で何ヶ月も前からコツコツとご奉仕くださった皆さん、また、当日を含めて身体がクタクタになるまでご奉仕くださった兄弟姉妹に、心から感謝いたします。

今回は、春先以来の不安定な天候の流れの中で、バザーの当日を迎えました。一週間前からの天気予報では晴れと曇りのマークが。しかし、2、3日前からはいきなり雨の印が出現し、確かに寒気に突風、そして雨が降る数日となりました。改めてみんなで祈ったのですが、感謝なことに、天候も守られました。準備のための前日は気持ち良い晴天。そして、バザー当日は、朝方は冷え込み、風も冷たかったのですが、春の日差しが差す快適な一日でした。実は、前日の準備が終わって、みんなが家に帰って床に着き始めた午後11時頃から雨になり、深夜の1時頃は大雨に。しかし、未明には雨はすっかり上がり、当日は多くのお客様をお迎えして大盛況のバザーとなりました。

おいしい食事に、いろんな出店・屋台の楽しい雰囲気、大混雑の商品販売会場に子供たちのゲーム・コーナー。くじ引きも大人気ならば、落ち着いた喫茶コーナーもあり・・・。このバザーの楽しさや素晴らしさは、幾つも挙げることができます。しかし、何と言っても素晴らしいのは、一生懸命にご奉仕に励んでおられるお一人お一人の兄弟姉妹の姿です。私も前日に、大変やる気のある社長さんたちの集まる会でちょっとした講演をさせていただいたのですが、その際にも“ぜひこのバザーにいらしてください!”と自信をもってお勧めしたのです。その理由は、そこかしこにある兄弟姉妹の、信仰の喜びに満ちた姿を見て欲しいからでした。

いまどき、老若男女、何の分け隔てもなく、みんなが心を一つにして、時には楽しく、時には必死に奉仕できる場所というのは、こういう教会の行事しかなくなったと本気で思わされるのです。目先の利害や自分の都合のための、薄っぺらな一生懸命さではなく、主キリストの愛によって動かされる、本当に清々しさのある、素直で真面目な仕える姿勢が私たちのバザーにはあります。本当に、今の世の中に対して誇れるものだと思います。今回のバザーでも、私自身が兄弟姉妹と共に奉仕できたことに心から感動しています。信仰をもって、今回も共に一生懸命ご奉仕できたことは、大きな幸せでした。確かに、本物の信仰生活には、他のものでは代えられない感動がありますね!ハレルヤ!


さあ、春のバザーです!大成功させましょう! 2010年4月25日

新年度が動き始めたと思ったら、4月ももう後半へ。4月29日に毎年行なわれているバザーが、いよいよ目前に迫ってきました。木曜日までの時間を有効に用いて、祈りつつ準備し、主キリストの恵みによって大成功に導いていただきましょう。

私たちの教会の活動で、ただ伝統だからといって、ダラダラと締まりのない形で行なっているものは一つもありません。私たちは、今回のバザーも主ご自身のためのものであることを忘れず、信仰のこもった喜びの溢れるバザーを展開してまいりましょう。

政府は、事業仕分けの第二弾に取り組み始めました。最近の普天間基地移設問題や高速道路の料金改正、郵政民営化の是非や自身の政治資金問題など、何だかもやもやの連続で支持率が急降下中の鳩山首相も、今回の事業仕分けで従来の政府系企業である独立行政法人にメスを入れ、世論の支持の起死回生を計っています。長年、日本人独特の風土で同じことを続けていると、やはり修正しなくてはいけないことがあれこれ出てくるものです。さあ、第一回の事業仕分け同様、世間の高い関心を集めることはできるでしょうか。

私たちのバザーは、誰かから何かをとやかく言われるものでもなく、今回も信仰の姿勢を新鮮に保ち、主ご自身の愛と聖霊の力に満たされ、真に生きた恵みのバザーにしたいと思います。そのためには、まず私たち一人一人が生き生きとした信仰を働かせ、このバザーに全員で取り組むことです。生きた信仰者であるあなたや私がそこにいなければ、どんな立派な組織や運動もいのちの通うものとはなりません。

私たちのバザーは、まず単に親睦を深めるために行なっているものとは違います。伝道のための“献金”を生み出す、という明確な目標があることを思い起こしましょう。収益金は、100%海外伝道と放送伝道のために献げられます。また、このバザーのための労力は、すべて私たち自身の“奉仕”によって喜んで行なおうとするものです。主キリストが私たちの救いのために自ら仕えてくださったように、私たちも思いきって奉仕してみましょう。計算高い生き方とは違って、主にあって奉仕するのだと、しっかり自覚して行動する時、私たちの想像を超える恵みが主から注がれてきます。

その主への奉仕のプロセスにおいて、私たちは神の家族に属する、主にある兄弟姉妹たちと楽しく“交わり”、お互いに祈り合い励まし合っていきます。そして、交わりの温かさや教会そのもののエネルギーに触れていただくために、多くの方を“証し”の場としてのバザーにお誘いするのです。さあ、これからの数日を聖霊の恵みの溢れる時としましょう。

共に奉仕できることを心から感謝いたします。


狭い視野を脱ぎ捨てよう! 2010年4月18日

先週の後半は、マレーシアに出かけてきました。日本は、またまた寒波の影響で“花冷え”を通り越して、“葉桜冷え”の数日だった様子。マレーシアはマレーシアで、やはり異常気象。連日、32〜33℃の気温が続いており、4月の半ばとしては異様に暑いとのこと。地球温暖化の問題は、やはり時間をかけながら本腰を入れないと解決できない深刻なものだと感じさせられます。

そんな数日の間に、アイスランドの火山噴火の影響で、世界の航空便がヨーロッパ全域で大混乱。また、中国は、世界金融危機のダメージを乗り越えて、経済成長率が11%を超える猛烈な勢いを回復したとか。またパナソニック(以前の松下電器)が経済成長著しいインドに工場建設を決めたとか・・・仕事を終えて見た、ホテルのテレビニュースでも何だかいろいろなニュースが飛び込んできました。

日本では、日銀が景気はほんのちょっと上向き加減か?・・・と言いつつ、実は四国と九州はまだダメだと悲しい報告。どうも世界の勢いに比べると、変な泥沼に陥ったまま、身動きできない状態が続いています。個人から国家のレベルまで、借金の話題が圧倒的に多く、家族の関係がフラフラしているばかりでなく、国の舵取り役であるはずの政治家たちも次の選挙のことばかりで頭がいっぱいの様子。この重苦しい空気を何とか取り払わなければならないと思います。

周りの状況ばかりを見ていたのでは、いつまでも振り回されるばかり。山の頂上や飛行機の上から見る景色は、地ベタに這いつくばって見る世界とは全く違うことを思い起こしてください。周りの風景が変わらないのであれば、自分から見る角度や視野を思いっきり変えてみることです。そのためには、何と言っても神様の視点、信仰によるものの見方があることを思い出すべきです。

聖書は、私たちの信じる神様が、無から有を造り出された創造と可能性のお方だと教えています。私たちのいのちは神様によって与えられました。その上、この神様が私たちを愛してくださり、どんな時も私たちの味方となってくださるのだと教えています。そして、私たちの人生を確かに導いてくださるのです。そろそろ私たちの作り出す世界の限界を認めて、思い切ってあなたの心を開いて、神様に委ねてみませんか。神様の視点から、自分自身を含めて物事を見つめ直せば、自分の弱さを痛感すると共に、そこかしこに備えられている恵みや助けがあることがわかってきます。試練や問題と共に、大きなチャンスや飛躍のためのきっかけも備えられているのです。さあ、信仰の視点を意識しましょう。


魂の目は見えていますか? 2010年4月11日

日本人としては初となるママさん宇宙飛行士の山崎直子さんが、天空高く国際宇宙ステーションで活躍中。同ステーションですでに長期滞在中の野口聡一さんと、日本の実験棟“きぼう”での作業を始めました。宇宙空間に日本人が同時に2人いるということも初めてのことで、確かに新しい時代が到来しています。経費などの現実的な話は別にして、日本独自の有人宇宙ロケットや宇宙ステーションが開発されても良いのに、と思ってしまいます。

そんな宇宙の話題に触発されてか、昨日は大学生会の兄姉が、春の陽気の中、新居浜(にいはま)の愛媛県総合科学博物館のプラネタリウムにお出かけ。ドーム直径30mで世界最大のハイブリッド・プラネタリウムとの触れ込みの興味をそそる施設です。ちゃんとギネス認定済みの代物。先月末にリニューアルして、上映プログラムもさらに面白くなっているそうです。プラネタリウムそのもので映し出される星空の鮮やかさも従来のものと比べて、はっきり1ランク上のものとのこと。25,000個の星が、眼前の夜空に投影される訳です。

松山にあるプラネタリウムではコンサートもしたことがあるのですが、その新居浜のプラネタリウムには行ったことがないので、いつか出かけてみたいな、と思っています。しかし、プラネタリウムに出かける時の心配がいくつかあるのです。まず、星空を見る前に、ぐっすり寝込んでしまわないか、ということ。プラネタリウム独特のぐっと深く傾斜した椅子に腰掛けると、もう何分も持ちません。以前、プラネタリウムの係の方から聞いた話では、毎回、上映終了時に電気を点けると、お客さんの2〜3割は寝入っているそうです。ま、それも気持ちの良いことですが。

もう一つは、どんなに美しく何万個の星が半球面のスクリーンに映し出されても、近眼の私には結局よく見えていないのではないか、という心配。仕事のし易さや、細かい文字の見え易さを考えて、今、眼鏡をかけても視力は0.8くらいしかありません。それよりも何よりも、小学3〜4年生の時、仮性近視だと言われた頃から、物がよく見えているという実感は全くありません。プラネタリウムの性能を云々する前に、自分の目を何とかしなければならない、という情けない話です。

“目があっても見えず・・・”では、たとえどんなに素晴らしい物が私たちに提供されようとも、それこそ“豚に真珠”で終わってしまいます。豊かな世界に生きている私たちには、人生に必要なものは大概十分に与えられているものなのです。与えられた恵みや備えられたチャンスを生かすも殺すも、実は自分次第。信仰を働かせて、自分自身の心の感度や魂のセンサーを高めておくことが必要です。


主キリストの復活とよみがえりの力! 2010年4月4日

ここ松山でも桜が満開。今年は、例年よりも早めの桜の開花が各地から報告され、入学式の頃にはすっかり散ってしまうのでは、と心配されていました。それが、先週の寒波というか“花冷え”というか、数日の寒さのおかげで桜はしっかりと咲いています。ちょうど道後公園の側を自動車で走っていた時、それまでのしとしと降る春の雨から、暖かい日差しがこぼれる天気へと変わりつつあったのですが、どこからともなく桜の花を目当てに人々がぞろぞろ集まって来たのはちょっと面白い光景でした。

満開の桜を見ると、私たち日本人は春を実感します。心も何だか朗らかにされる感じがします。と同時に、私たちは、この美しい春の季節が、主キリストの十字架と復活を祝う時期でもあることを思い起こしたいのです。そして、花見とは比較にならない魂の奥底からの喜びと新鮮な力を実体験したいものです。主キリストの死からの復活は、単に歴史上の遠い出来事ではなく、今も私たちに直接の力と恵みを与えるものだからです。

最近は、宗教には関心はないけれど、スピリチュアルには興味があるという人が増えています。“スピリチュアル”という言葉には???という方は、実は十分に“宗教心”や“信仰心”ということがお分かりになる世代。本格的な宗教に取り組むのには腰が引けているのだけれど、占いや守護霊などのことには興味があり、様々な霊感グッズや超常現象には興味のある、霊的なもの(スピリチュアル)好きの若い世代の人々が増えています。

よくあるパターンは、自分の前世のことが気になったり、思うように進まない人生に対しては、生まれ変わったら、その時は上手くやろうと考える傾向です。よく考えてみると、それは、思うようにいかない人生のことを過去の因縁のせいにして納得させようとしたり、もうこの一生ではどうしようもないから来世に期待しようと、いずれにしても今の自分の責任を回避して、逃げ腰の生き方を容認する考えでしかありません。

キリスト信仰の素晴らしいところは、誰であっても、“今ここで”生きる自分自身に対して確かな救いが実現するということ。架空の過去に責任を押しつけたり、全く何の当てもない未来に幸せを期待するのではなく、“今ここで”私たちが神様からの力と恵みをいただくことができるのです。主キリストの十字架は私たちの弱さや心のねじれを取り除くためのものであり、復活は、半死半生のような煮え切らぬ人生が全く新たないのちを得て、真に自分らしい生き方を獲得するためのものです。例外はありません。あなたも私も、この新しいよみがえりのいのちをいただくことができるのです。

心から、イースター、おめでとうございます。


受難週、そして新たな年度へ! 2010年3月28日

春先特有の不安定な天候が続いています。春を通り越して初夏を迎えたかと錯覚するような“夏日(30℃)”に近い気温の日があったかと思うと、真冬に逆戻りのような寒さの厳しい日もあります。暖かい春の日差しの日もあれば、冷たい雨がそぼ降る、一日どんより曇ったままの日も。突風が吹いて飛行機は大揺れしたかと思えば、みぞれ交じりの雨が降ったとも聞きます。黄砂で空がかすむ日もあったりと、本当に変化の激しい気候です。

例年より早めに開花し始めた桜も、ここ数日の寒波で少し引き締まったはず。4月には桜の花は残らないのでは、という心配はとりあえず冷たい空気が取り除いてくれました。これで、新年度の始まりに合わせて、小中学校の校庭にも桜の花はちゃんと残っていそうです。これからの一週間は、年度の変わり目。街中に、新しい季節に対する期待感が溢れる時期です。

さらに今年は、この年度の変わり目の一週間が、教会の暦の上では、受難週からイースターの流れにそのまま重なります。クリスマスは、12月25日と日にちが定められていますが、イースター(復活日)は、月齢との関連で決まりますので、毎年、私たちのカレンダー上では移動することになります。今年は、4月4日の聖日がイースター。そこで、今週は、主キリストの十字架を振り返り感謝する受難週ということです。

お正月を祝ったり、春からの新年度を迎えるといった日本人特有の新たな一年の迎え方とは別に、私たちクリスチャンには信仰による新たな時の迎え方があります。私たちのいのちそのものが、生まれつきの罪の影響を受けたままのものではなく、主キリストの十字架での死によって罪を清められ、新しいいのちをいただくことができるのです。主キリストを死者の中から復活させた、神からの新しいいのちによって生き生きと歩むことができます。

今週の木曜日は、聖餐式。金曜日には、受難日祈祷会。そして、来週の日曜日は、イースター・フェスティバルとして教会の霊園での早天礼拝に、イースター合同礼拝および祝賀パーティーと、受難週とイースターにふさわしい諸集会が準備されています。この一週間を、単に慌しい時とせず、信仰による新たな新生の時として受け止めましょう。主キリストの十字架と復活による恵みは、私たち一人一人にとって、今も何ら色あせることなく豊かに注がれ、いのちを輝かせる大きな力をもたらします。主キリストによって、古いものは過ぎ去り、すべてが新しくなる事実を改めて体験しましょう。あなたの2010年の春の日々にも、救い主キリストの真正な恵みが実現しますように。


信仰者の歩みは常に前進します! 2010年3月21日

昨日は、愛媛県大洲(おおず)市のど真ん中で、大変祝福された時を持つことができました。同市の、市役所と道を隔てた最高の場所に、将来の教会建設のための土地が与えられ、神様の働きのための奉献の祈りを、愛する兄弟姉妹たちと共にささげることができました。道路に面した、形の良い160坪の土地が献げられたのです。

南予(なんよ)と呼ばれる愛媛県南部の拠点として、今後ますます発展しようとする同市の中心部に、主キリストを証しする場が正式に備えられたことを感謝します。日本各地で、ことに地方ではキリスト教会の教勢における苦戦が報告される中、私たちの教会には前進と発展の事実が起こっていることを感謝します。近隣の教会や牧師たちからは南予地域の教会が衰退したり、牧師が高齢化のためにいなくなったとかいう話題ばかりが流れてくるのですが、その流れとは逆に、私たちは今後の拠点となる場所へと主の御名を掲げて進出していけることを本当に嬉しく思っています。どうか、この大洲での教会形成と、新たに整えられた地に証しの会堂が速やかに建て上げられますようにと、お祈りください。

春先特有の寒暖の差が激しい毎日ですが、それでも着実に年度の変わり目を迎えようとしています。一昨日は、松山の本部教会前をスーツに身を固めた若者たちがたくさん通り過ぎました。県民文化会館(ひめぎんホール)で、近くの大学の卒業式が行なわれたからです。一つの時間の区切り目があり、まもなく新しい日々が桜の開花と共に訪れようとしています。そんな大切な時の区切り目に、あなたの心が世の中を覆う閉塞感や圧迫感から解放されていることが大切です。

先週の木曜日、アンデレ宣教神学院の今年度の最終スクーリングにおいて、巣立って行く神学生が、“信じる者に働く神の力(エペソ1:19)”と題して卒業メッセージを語っていました。そうです!私たち、主キリストを信じる者たちには、どんな時も神様のすぐれた力が働いており、世の中の様々な状況においても、力強い恵みが私たちを取り巻き、祝福が溢れるようにされているのです。

さあ、みなさん、あなたの信仰を春からの新しい日々のために整え直してください。せっかく主キリストを信じているのに、重苦しい世の中の色にどっぷり染まり切っているのでは残念です。信じる私たちには、常に前進と祝福の可能性が与えられています。あなたのために、恵みが備えられていることを思い起こしてください。主キリストにあって、改めて力強く踏み出してまいりましょう。


もらうことより、与えることで人は成長します! 2010年3月14日

一昨日の金曜日、衆議院ではいわゆる“子ども手当て法案”が可決され、参議院へと送られました。いよいよこの4月、2010年度からの支給となりそうです。

今年度に限っては半額の一人当たり13,000円ですが、来年度からになるのか、満額となればひと月26,000円が支払われるということになります。総額では、毎年6兆円近くになるそうです。

子どものいる家庭にとっては、助かると言えば、確かにそうなのです。しかし、本当に、日本という国や、私たちの社会のあり方として、良いものかと問えば、決してそうは思えません。子どもが何人かいる家庭になれば、毎月結構な金額になりますが、それを当てにしていると、今度、子どもが成長して高校生になり、子ども手当の支給が終わったら、急に家計を緊縮できるかと言えば、そんな訳にはいかないはず。社会主義国でもあるまいし、国からもらうお金ばかりを当てにする人が増えては困りますし、そもそもそんな財源のゆとりが国にある訳でもありません。将来への借金を増やすだけのことになるのは火を見るより明らかです。

何よりも、他人から何かをもらうということに頼っていては、人間の成長にあまり良い影響を与えません。その証拠に、昨年の春、麻生前首相の時代にみんなお金をもらったことを、どれくらいの人が覚えているでしょうか。そう一人ずつ12,000円もらったのです。しかし、あなたもその額面や“定額給付金”などという名前はすっかり忘れていたはず。2兆円を超えるような大金を、みんなでただ何となく使って終わりました。

確かに、長引く不況で家計も大変。しかし、世界の貧困国のように貧しい人ばかりなのではありません。日本は、なんだかんだと言っても、十分に豊かな国なのです。本当の問題は、お金が足らないということよりも、お金の使い方が間違っていること。消費と言うよりも、浪費と言った方が良いような、放漫なお金の使い方が当たり前になり、お金を使わなければ生きていけない、おかしな生き方にみんな慣れてしまいました。私の子どもの頃は、“貯金するように”とみんなに言われたのですが、今ではテレビでも雑誌でも、体(てい)の良い借金の勧めが平然となされています。

神様の原則からすれば、人は欲しいものを与えられれば幸せになるのではありません。むしろ、人々に対して、自分の持つ良きものを与えることができるようになってこそ、本当の成長が実現します。受けるときは感謝をもって受け、それ以上にさらに喜んで与えるようになって、本当の幸せの世界が実現するのです。もらうことに一生懸命な姿勢では絶対に幸せにはなれません。どんなに貧しくとも、与えることを喜びとする人は、神様が必ず幸せにして下さいます。神様の法則を忘れないで下さい。


幸せを引き寄せる“感謝の心”! 2010年3月7日

最近は、小中学校での子供の給食費を払わない親がいると、問題になっています。本当に貧しいのであれば、それは話は別。ところが、家族みんなで携帯電話を持ち、先生が家に行ってみれば立派な自動車があり、そこそこお金が回っているのは一目瞭然。しかし、給食費のような公共に対する支払いは、黙ってやり過ごし、あわよくば払わないで済ませようという、身勝手な大人が増えているのです。

すると、今度は、「給食費を払っているのに、どうして食事の前に“いただきます!”と子供に言わせるのか」と、これまたどうしようもない文句を学校に言ってくる親がいるのだとか。目先のお金のやり取りばかりを考え、自分の権利しか見えない親がいるのです。多くの人々や社会の協力や援助があって初めて可能な、給食費のような、ごく少額なものであるにも関わらず…です。

さらに、給食費の金額の中身以上に、おいしく調理してくれた方々や、食材を生産してくださった方々の優しい思いや、尊い汗にどうして一言の感謝を口にできないのでしょう。たとえ、お金を払った食事だと言っても、それは植物や動物の命を私たちのいのちのためにいただくのであって、そこには深い感謝を感じて良いはず。そんなわがままで身勝手な感覚が蔓延するのでは、いのちの与え主である神様に対する信仰心は本当に縁遠いものになっていくのだろうと、だんだん悲しくなってきます。

私たちは、教会で何気なく“感謝します!”と挨拶を交わします。ごく当たり前に、何の気なしに口から出る挨拶になっておられる兄弟姉妹も沢山おられることでしょう。しかし、この何気なく“感謝”できることの意味の大きさを忘れてはなりません。与えられたものを、自分の当たり前の所有物のように傲慢な態度で取り扱うのではなく、“感謝”という柔らかい心で受け止められることこそが、人生の豊かさの基礎となるものです。

権利を主張し、要求ばかり繰り返している人が、幸せを手にするのではありません。逆に、与えられたことに素直に感謝する心が幸せを引き寄せるのです。たとえ自分が大きな努力や犠牲の果てに、何かを獲得したとしても、その時、その与えられたことを感謝できる人は、間違いなくその後もずっと続く恵みの循環の秘訣を手に入れたことになります。実生活の中に、教会での時間があり、その中で“感謝”を意識させられる私たちは、本当に幸せです。あなたの心に素直な思いで“感謝”すべきことを思い起こしてください。誰のためでもありません。“感謝する心”が、あなたに幸せをもたらします。


春一番に乗せて! 2010年2月28日

先週の木曜日、松山から東京へと飛び立とうとした時、思わぬ足止めを食いました。羽田空港が濃霧のため、飛行機の発着ができないというのです。幸い私の便は一時間半ほどの遅れで済み、当日の予定も大きな影響を受けずに守られました。しかし、結局欠航となった便も多く、やはり首都東京の交通の拠点が機能しないと大変な混乱になることを感じさせられました。

さて、羽田に降り立ってみると、手にコートを持っていること自体が間違いであると感じるほどの暖かさ。気温だけは、もうすっかり春でした。しかし、風は生暖かく、いかにも雨が降りそうな感じです。素人気象予報士でも当てられそうな予想どおりに、翌金曜日は朝からどんより曇り空。そして、次第に雨模様に。外に出れば強風にあおられ、聞けば“春一番”とか。

少し遅めの感じですが、確かに春一番らしい強風でした。これから数日毎の寒暖を繰り返しつつ、春が急ぎ足でやって来る訳です。先週、九州を廻った際には、梅が美しく咲いており、春に向けての動きは自然界ではもう日に日に早さを増しています。ここしばらくお茶の間を賑わせていた冬のオリンピックも閉幕間近。若い兄弟姉妹が踏ん張ってきた、受験のシーズンもこれからいよいよクライマックスへ。そうこうしている内に桜の開花情報が流れ始めるはずです。

さあ、あなたのもとへも、春一番に乗せて、神様からの恵みが届けられますように。春に向かう話題が、単に自然界や周囲の状況ばかりでは面白くありません。いのちの与え主であり、あなたを主キリストの救いへと導いてくださった神様は、今も生きて働いておられます。空の鳥を見よ、野の花を見よ、と語られる主キリストの御言葉によれば、自然界が小さな鳥や取るに足らない草花に至るまで神様からの恵みをいただいているのなら、私たちはそれ以上の大きな確実さで愛され、祝福されているのです。この春に向かう季節には、新しいいのちの季節にふさわしい恵みがひとりひとりに備えられるのです。

2010年の歩みも早いもので、2月が終わり、3月の始まりとなります。祈りの中で、讃美の中で、いのちの溢れる季節を私たちの恵みのシーズンとして受け止めましょう。あなたの健康の状態も、いつまでも病とお付き合いを繰り返すばかりでなく、しっかりと癒されましょう。あなたの家庭にも温かい言葉や心和む笑顔が与えられますように。職場の雰囲気も、マンネリの空気に染まらず、あなた自身の意識を変えてシャキっとさせてゆきましょう。さあ、春一番に乗せて、聖霊の恵みがあなたにも届けられます!


信仰の“実力”を底上げしよう! 2010年2月21日

カナダのバンクーバーで、冬季オリンピックが開催されています。スポーツ好きな私は、日本選手の活躍にハラハラ、ドキドキの毎日です。先日などは、男子フィギュア・スケートの展開にやきもき…。特に高橋大輔選手には、初日のショート・プログラム後、十分に金メダルの可能性がありましたので、事務所の先生方とも大いに盛り上がり、素人ながらああだ、こうだと熱く語り合っていました。

結果は、ご存知のとおり、銅メダル。日本人男子としてはフィギュア・スケート初のメダル獲得ということです。“快挙!”のはずですが、私の本心はちょっぴり残念。もしかすると金メダルを取れたかも、と思ってしまうからです。そう、4回転を跳ばなければ良かったのに…と、勝負に行って転倒してしまったジャンプが悔やまれます。怪我から復帰した今季、試合ではまだ一度も成功させていない技に、敢えて金メダルのかかった勝負どころで挑む必要があったのか、と思ってしまいます。ロシアのプルシェンコの挑発にまんまと乗ってしまったということでしょうか。4回転は敢えて跳ばず、自分の技の完成度で勝負したアメリカの選手が金メダルとなれば、悔しさがつのります。

自分の実力とは、一体、どういうものなのでしょうか。時々、私たちは“瞬間最大風速”を実力と勘違いしてしまいます。要注意です。本当の実力とは、やはり、よくて“平均値”でしょうし、できれば“大概は大丈夫”というレベルを言うのでしょう。希望的観測は、どこまで行っても希望的観測であって、“実力”ではないのです。もちろん、場合によっては一か八かの勝負に出る思い切りも必要でしょう。しかし、その時、それが実力だと勘違いしないことが重要です。

日本人選手は、オリンピックのような大舞台が苦手。重圧を感じて、力を発揮できない選手が沢山います。金メダル候補だ、メダルは確実だと、私たち外野の人間は騒いでいるのですが、実際に試合に出てみると、あれれ?という結果に。応援する気持ちばかりが膨らんで、選手たちの実力を過大評価しているようです。実際は、やはり実力勝負なのです。

信仰の世界にも、同様のことが言えます。ピンチだ、勝負どころだと、いきなり信仰を働かせようとしても、それでいきなり実力がアップする訳ではありません。実力は付け焼刃的に手に入るものではなく、普段の生活、毎日の出来事の中で着実に育まれるもの。あなたの信仰は、着実に実力を増していますか?それとも、いつまでも急場しのぎのようなものですか?“困った時の神頼み”を超える、真に内容の伴った信仰を成長させましょう。単なる希望的観測ではない実力の伴った信仰を目指しましょう。


主の測り綱の落ちた場所! 2010年2月14日

私たちの神様は、恵みと祝福の神様です。信じるものに大きな恵みを用意して下さり、常に具体的な祝福を注いで下さいます。神様の恵みを、単に精神的な分野の事柄だけに押し込めてしまうのではなく、日々の出来事、毎日の生活に即した物事についても、私たちの思いや想像を超える素晴らしい出来事を期待してまいりましょう。

日本での福音宣教の前進のために、私たちの教会が大いに用いられることをいつも願っているのですが、神様はこの度、実に大きな祝福を与えて下さいました。私たちに、新たな教会設立の場として、素晴らしい土地を与えて下さいました。与えられたのは、愛媛県大洲市の中心部。数年来、兄弟姉妹が集い、ライブ礼拝が行なわれ、私も月に一度は祈祷会に出かけさせていただいている所です。

南予と呼ばれる愛媛県南部の、最近、ショッピングセンターなどが次々に進出して、今後の拠点として注目度の増している地域です。そんな大洲の街の、それも市役所のすぐ側に、160坪の土地が与えられました。集会に集う一人の姉妹に、将来の教会のために不動産を献げる信仰を神様は与えて下さいました。心の中に、その使命が与えられてから約半年の時の流れの中で、様々な奇跡的なプロセスを経て、今回、正式に教会のものとなりました。それに伴って、教会建設に向かって賛同する兄弟姉妹たちからの献金もすでに集まり始めています。

全く何もないように見えた状態から、わずか半年の間に、将来の素晴らしい教会の姿を心に思い描くことができるまでに、神様は確かに事を成して下さいました。主キリストの教会の働きが、確実に拡がりを増しつつ、前進しようとしています。世の中は、まだまだ停滞感が溢れていますが、主キリストの福音の働きは社会のどんな状況の中でも、着々と進められているのです。

“測り綱は、私の好む所に落ちた。まことに、私への、すばらしいゆずりの地だ。(詩16:6)”と、詩篇の作者は、主からの恵みと導きを高らかに歌い上げています。確かに、私たちの地境は、主ご自身のみわざによって押し広げられていくのです。どうかお祈り下さい、ご期待下さい。ここ数年の内に、必ず四国の拠点教会が一つ誕生します。単に心に描くだけの世界を超えて、主が具体的なみわざを成して下さるのです。私は、この一年、真に“変新”する一年が、私たちの教会にも、私たち一人一人の生活にも訪れることを真剣に願っています。あなたのためにも、主のみわざは必ず起こりますよ!


あなたに与えられた御言葉を大切に! 2010年2月7日

先週の木曜日、大相撲の横綱朝青龍が突然の引退を発表しました。先月行なわれた初場所中に、泥酔して一般人に暴力を振るったのでは、という騒ぎの責任を取って、ということ。実際にどうだったのかは、どうも闇の中です。お相撲さんたちが場所中でも酒を飲みに行くのはよくある話。特に、負けた時など、いわゆるゲン直しで、というのはしばしば耳にすることですから、直接の関係者の間でも、さほど大きな事件とも思われなかったのでしょう。何とか上手にもみ消そうという感じの動きでした。

しかし、どうも高まる批判と騒ぎを押さえきれなくなったのか、あるいは、新しい相撲協会理事会との折り合いが付かなかったのか、いきなりの引退となりました。弱くなっての引退でも、怪我での無念の引退という訳でもありません。直前の場所での優勝横綱の、突然の引退です。今、一番強い人がやめてしまうということです。

私自身は、朝青龍のヤンチャで勝気な性格は決して嫌いではありません。闘志むき出しの土俵も、関取の中に無気力さが垣間見える昨今、むしろ貴重な存在だと思います。しかし、プロの格闘家が一般人に暴力を振るったという事件になれば、それはそれで大きな問題ですし、横綱という立場が大相撲の伝統の中では、単なる強さに限らず、特別な品格を期待されていることを考えれば、やはり不適格ということなのでしょう。

それにしても残念な話です。モンゴルからやって来て、日本の国技としての伝統を持つ大相撲の世界で頂点を極めながら、自分のつまらぬ不祥事で引退へと追い込まれてしまいました。土俵態度や日頃の言動などで、横綱としての品格に問題があると今までも何度も指摘されてきた朝青龍ですが、それでも大丈夫と高をくくっていたのでしょうか。

彼にとっては、小さなほころびだったはず。でもそれが、彼の力士生命を奪うものになってしまいました。聖書に登場する怪力のサムソンなども、強さにおいては超一流でありながら、ちょっとした弱さや隙が大きな後悔を生む原因となってしまいました。他人事ではありません。私たちも、みんなそれぞれ大概のことは一生懸命頑張っているのです。かなりいい線をいっているのですが、小さなほころびがないか十分に注意したいと思います。

主キリストの前に、自分の足りなさや弱さを正直に祈ることのできる私たちは幸いです。虚勢を張って生きていかなくてもよいのです。大きなことから、小さなことまで、私たちのすべてを主は取り扱って下さいます。常に、主に整えられつつ歩みましょう。小さなほころびも、“今日”という間に、ちゃんと修正していただきましょう。


あなたに与えられた御言葉を大切に! 2010年1月31日

2010年も、今日が早くも1月の最終日。毎度毎度、思うことなのですが、1年というと十分に長い時間だと考えがちですが、過ぎてみればあっという間です。やはり、“今日”という一日を大切にして、“今”できること、すべきことを丁寧に、一生懸命実行していくことです。価値ある毎日を、積み重ねてまいりましょう。

ただ、忘れてはならないのは、私たちクリスチャンには、自分の考え以上に、きちんとした行動の軸があるということ。すなわち、神様の御言葉。私たちには、いのちのことばである聖書の御言葉が与えられています。新年聖餐式礼拝以来、各集会で私からの御言葉カードをお配りしてきましたが、もうほとんどの兄弟姉妹の手元に届いたはず。それは、あなたにも、自分自身を支え、その年のテーマとなる御言葉をしっかりと意識してもらいたいからです。どうかあなたも、あなたの行動の基軸、生活の指針となる御言葉を意識して下さい。

私のこの一年は、年始に表明したとおり、Uコリント5:17「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」という御言葉でスタートさせていただきました。世の中が難しい状況だからこそ、主キリストにあって、変えられ、新しくされる、“変新する一年”を実現したいと、心から願っています。

牧師だから、聖書の御言葉に従って生きようとする、というのではありません。クリスチャンであるならば、たとえ今日、信仰を持ったばかりでも、御言葉に立つ生き方を実践することができ、神様からの直接の恵みをいただくことができます。私にとっても、10代の始め、信仰を自分自身で意識し始めた頃、「・・・神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。(ローマ8:31)」という御言葉から大きな励ましをもらいました。また、自分自身の信仰を、主キリストに向けて本当に深めた際には、「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。(Tペテロ5:7)」という御言葉が心に響いていました。

あなたにも、あなたの人生を導き、励ましてくれる御言葉が必ず与えられます。あなたがずっと、一生の間、この御言葉によって私は支えられましたと告白できるような確かさで、主ご自身が働きかけて下さいます。ですから、ただむやみに自分の力で頑張ろうとするのではなく、神様の御言葉に立って、日々の生き方を整え、力を得て下さい。今日も、神様は御言葉をもってあなたの心に働きかけて下さいますよ。


信仰者としてのニュースを生み出そう! 2010年1月24日

先週は、大寒を迎えたと思ったら、いきなり全国的に春先の陽気に!火、水、木の三日間は真冬用のコートを持っているのが鬱陶(うっとう)しく感じるような、出張先での日々でした。気が付くと一月も最後の一週間に入ります。そろそろ本年の計画を各自実行していく日々といたしましょう。あなたの実生活には、どんなニュースがありますか。

先日、東京の羽田空港から飛行機に乗った際には、久しぶりにはっきりくっきり富士山を眺めることができました。空から見る富士山も、本当に美しく、素晴らしい光景にしばしうっとり。いつも、お正月に富士山を見ることにはならないのですが、何だか日本だなあとしみじみと感じさせられ、どこか初日の出を眺める感覚に似た、新鮮な思いで見入っていました。そして自分なりの新鮮な思いで、今年への意気込みを改めて祈りました。

鹿児島の兄弟姉妹と、本年最初の集会をさせていただいたのは、火曜日のこと。福岡からの往復にJRを利用したのですが、熊本の新八代から鹿児島中央駅まで九州新幹線が走るようになってもう数年。博多までの全面開通も、もう来年のこと、と聞くと何だかビックリ。そうなると福岡〜鹿児島間が最短1時間ほどになるのだとか。工事はただ続いているのではなく、着々と進んでいるのでした。10年前後の時間のかかる大工事なのですが、もうゴールが見えてきたという感じでしょうか?過去のニュースのままで止まってはいません。

私たちの生活に、いつもビッグ・ニュースがあるわけではありません。しかし、ごく普通に見える毎日においても少しずつ確実に成長し、恵みを数えたいもの。毎年、この時期になると、小学校、中学、高校、大学へと進学する子どもたち、青年たちの話題が耳に入ってきます。もちろん、一人一人に最善の進路が開かれるようにと、丁寧に祈っています。そんな時も、同じように見える毎日でも、子どもたちは確かに成長してきたのだと、大人特有の感慨に耽(ふけ)ることもあります。だからこそ私たちも、普段通りの実生活の中でこそ、神様に喜ばれるように、着実に成長させていただきたいのです。

2010年の幕開けの日々、世の中はやはり何だか落ち着きません。鳩山首相も民主党の小沢幹事長もそれぞれに政治資金に関する疑惑を追及されてあたふた。沖縄の基地問題も、明らかに迷走中。日本航空も破綻。海外からはハイチでの大地震の惨状が伝えられています。そんな中で、私たちは私たちなりに、自分自身の成長のニュースを生み出してまいりましょう。人を愛せるようになりましたとか、仕事の中でもクリスチャンとしての証しをするようになりましたとか、奉仕や献金への信仰がしっかりと与えられましたとか・・・あなたの周りに価値ある信仰者のニュースが生まれてきますように。


主キリストを実体験しよう! 2010年1月17日

先週は、日本全体を寒波が覆いました。福岡や鹿児島まで大雪に見舞われ、南国らしからぬ雪景色に。地球温暖化の問題点が数々指摘される昨今ですので、妙に暖かいだけの冬よりはよほど良いように思うのですが、最近の極端な暑さ寒さも温暖化が遠因であると聞くと何だか不安が募ります。

本部教会の松山では、雪がちらついたくらいで終わりました。しかし、アフリカや南アジアからの留学生の兄弟姉妹たちには、最低気温が0℃前後ともなるともう十分に寒いようです。身体のあちこちに、使い捨てカイロを貼っている姉妹もいるとか。当然のことですが、本国では自然の氷や雪を見ることは無いとのこと。それならと、せっかくの日本滞在の経験として、留学生のグループでスケートやスキーに出掛ける案も浮上してきています。やはり、想像やテレビの世界で終わらせるのではなく、実体験してもらいたいと思います。

最近は、世の中全体が便利になり、快適さが増す中で、かえって様々な出来事の実体験の数が激減し、質も低下しているように思います。日常の料理の手間も減りましたし、汗をかいて遊ぶことも少なくなってきました。座っていれば情報も食事も、何でも手に入る時代になったのですが、リアルな体験がなくなると人生そのものが色褪せてくる可能性も増えますので要注意です。実感が伴わず、人生がスカスカ、空虚になってしまうのです。

私たちの信仰も、屁理屈の集大成のようにならないように、気を付けましょう。理屈に長けるよりも、本物の神様の愛と恵みを実体験する者であり続けたいものです。使徒パウロの人生も、議論好きな律法主義者から、主キリストの実体験者、神の愛の実践者へと変えられていきました。彼の救われた経験に関しても“あなたの見たこと、聞いたことの証人とされる・・・(使徒22:15)”と、聖書は記しています。論理や計算の積み重ねの結果、クリスチャンとなったのではなく、主キリストの恵みに直接触れられて、彼の人生は迫害者から、主キリストのためにいのちを捨てるまでの大伝道者に変えられたのです。

主キリストの御業の中で、変えられ、新しくされよう・・・「変新」する一年を歩もうとする私たちは、その主の恵みの実体験者でありましょう。今の世の中には、怪しげなノウハウも屁理屈も腐るほど存在しています。本当に必要なのは、真の体験。主キリストは、決して理論の上で私たちを愛して下さったのではなく、実際に、人としてのご自身のいのちをもって十字架にかかって下さいました。そこには、否定しがたい事実があります。その主キリストを信じる私たちも、信仰を実際に体験し、実感の伴う信仰生活を歩んでまいりましょう。信仰は事実に立つものですから。


さあ、2010年が本格始動します! 2010年1月10日

新年が始まって10日が過ぎました。しかし、先週、各地を出張で飛び回ってみると、飛行機は年末年始の後、まだガラガラでビジネスマンの姿はあまり見掛けません。東京の電車の混み具合もいつもほどではなく、まだお正月休みを延長中の方もおられるのでしょう。仕事は始まったとはいうものの、賀詞交換会ばかりが続いている方もいるようです。実際は、まだお正月気分がどこかに残っているようです。そして、今日から明日にかけても成人式の連休ということ。

しかし、この連休が明ければ、文字通り、実生活の動く2010年ということになります。すなわち、これからが本当の新しい一年の始まりということ。お正月にはお正月の良さがあり、お正月らしい過ごし方があります。と同時に、普段通りの生活の始まりには、ごくありきたりに見えることでも、十分に大きな意味があるのです。

さあ、2010年が、毎日の生活の中で本格的に始動します。年頭の計画や祈りをお正月気分の産物で終わらせず、本年の実生活の中で確実に形にしていきましょう。三日坊主に終わるべきものは、もう今日までに忘れ去られているはず。今もあなたの心の中に今年の目標として意識されているものは、信仰を込めてしっかりと実現する価値のあるものです。これからの日々の中で、具体的な行動を起こしてまいりましょう。

今までと同じことを繰り返していても、価値ある変化は決して起こりません。どれほど大きな夢や価値ある目標を持ったとしても、ただ心の中で思うだけで何もしないのであれば、何か意味ある変化など起こるはずもありません。信仰においても、どんなに素晴らしい祈りをして、大きな願いを神様に求めたとしても、神様に願うばかりで自分では何も行動しないのでは、そんな怠け者の信仰者に偉大な神様からの恵みが注がれるはずがありません。神様の愛の業によって、人間の功績によらず、主キリストの十字架の恵みにより私たちは救われました。その恵みに慣れっこになるだけで、何もしないまま祝福を空想するだけの信仰生活を過ごしてはならないのです。

今年は、「変新」する一年でありたい、と元日以来、語らせていただいています。そう、私たち自身が、主キリストの恵みによってしっかりと変えられ、真に新しいもの、新鮮ないのちや勢いに溢れたものとなるという、明確な現われのある一年でありたいのです。そのためには、まず自分の仕事においても、学ぶ姿勢や家庭での行動においても、今までとは異なる、何らかの変化を生み出したいものです。さあ、新しい一年を、あなたの新しい信仰のこもった行動で彩っていきましょう。


2010年は、「変新」の一年です! 2010年1月3日

新年、あけましておめでとうございます!

あなたの新しい一年の日々に、人の力や思いを超えた、神様からの大きく深い祝福が注がれますように、と祈ります。主キリストがあなたと共にいて、力強い御業をなして下さいますように。主が共にいて下さる人生の素晴らしさが、あなたの日々に具体化、結晶化されていきますように。

社会全体に何だか暗く重い雲が垂れ込めているような感じの毎日です。世の中の閉塞感や不況感は、確かにまだまだ強いものがあります。しかし、だからと言って、私たちの心の状態まで冷え込んでしまっては大変。主キリストに対する信仰を与えられている者の強みは、私たちの置かれている環境や条件がどのようなものであれ、神様の祝福と力は私たちの内に直接に豊かに注がれ、私たち一人一人が強められるということです。

去る2009年の漢字として選ばれたのは、“新”のひと文字。新政権の誕生や新型インフルエンザが主な理由とのこと。“新”という言葉には本来、新鮮さや期待感など積極的な意味が多く込められているはずですが、2009年の“新”からはそんな躍動感は感じられません。2008年の漢字“変”も、オバマ大統領の“チェンジ!”の掛け声の前向きなイメージよりも、世界同時不況や様々な犯罪などに代表される、手に負えない社会の激変とも呼べる状況の数々を指しての感覚が強いように感じます。つまり、“変”にしても“新”にしても、そこにあっても良いはずの積極的、肯定的なイメージを持ってはいないのです。悪い方向への“変”と苦し紛れの“新”でしかないようです。

しかし、“変”と“新”を改めて眺めていて、気づかされました。この二文字こそ、主キリストの御業を現すものである、ということです。すなわち、主キリストこそ、罪人である私たちを作り変えてくださり、新しい者として下さる、ということ。私たちを変えて、新しいいのちに生きる者として下さる約束が、信じる者には与えられているのです。社会が、移ろいやすく、弱々しく当てにならない“変”と“新”しか語ることのできない時代だからこそ、私たちは、本当のいのちの喜びに結び付く主キリストの与えて下さる“変”と“新”を体験すべきなのです。

2010年は、だから“変新”の一年としましょう。あなたも古い自分から変えられ、祝福の伴う新しい存在として生きていくことができるのです。さあ、“変新”の一年を喜び、共に祝福されてまいりましょう。あなたの上に、圧倒的な祝福を祈ります。


クリスマスから新年へ! 2009年12月27日

皆様にお祈りいただいた今年の“メリエスト・クリスマス”の各地での集会を、昨夜の高松でのコンサート集会によって、恵みの内に終えることができました。12日(土)、松山での市民チャリティー・クリスマスを皮切りに始まった十数回に及ぶ特別集会も、終わってみればあっという間でした。感謝しつつホッとすると同時に、ちょっと淋しい気分になってしまいます。

兄弟姉妹の多くの奉仕と陰でのお祈りに支えられたことを、心から感謝します。みんなが一生懸命、周りの人々をお誘いしようと頑張って証しして下さったことによって、新しい人々もたくさん訪れて下さいました。そして、何よりもそれぞれの会場で、主キリストを自分自身の心の飼い葉桶の中にお迎えする決心を持たれた方が多く起こされたことを本当に感謝いたします。

今回のクリスマスを通して、私の心の中にずっと意識させられた思いがありました。それは、何としても、“クリスマスの主役である、主イエス・キリストを語ろう!”というもの。出張先で入った本屋の、150種類以上の本で品揃えされたクリスマス・コーナーに、“イエス・キリスト”がちゃんと登場する本は、僅か3冊しかなかったことが、正直、ショックでした。文字通り、2,000年に亘って祝われ続けたクリスマスが、完全に骨抜きにされつつある事実を突きつけられたような感覚でした。

綺麗な飾り付けや、心躍るような音楽、温かい雰囲気の演出、おいしい料理や楽しさの演出・・・。家族や恋人たちへの愛の表現や、世の中の弱い立場の人々への思いやり・・・。確かに、どれもクリスマスに関わる素晴らしいものばかりです。しかし、そんなクリスマスらしさが有り余るほど街に溢れる中で、クリスマスの主人公であるキリストの存在感が徐々に失われ、消し去られていくようです。

この一年の締めくくりの時、そして、新しい一年の始まりの時であるこの一週間、私たちは、信仰の中心点をしっかりと思い起こしていたいのです。クリスマスの主人公はイエス・キリスト、そして、クリスチャンとは、主キリストを信じ従って歩んで行く者たち・・・。そう、信仰者のすべては主キリストを中心として動くのです。主義主張が多様化し、物事の中心点が見えにくくなった現代だからこそ、主キリストという明確な中心点を持つ生き方が、迷いのない幸せを実現するのです。あなたの心にも、主キリストが人生の土台として今も生きておられます。年末年始の時間を、慌ただしさのみならず、主キリストにある人生の流れを思いつつ歩んでまいりましょう。


2009年の、“クリスマス、おめでとうございます! 2009年12月20日

寒波が日本全土を覆っています。飛行機の窓から見える西日本の山々にも、雪が積もっていました。我が家でも、さすがに急いで灯油を買いに走りました。確かに、寒さは身にこたえますが、地球温暖化の深刻さを考えると、冬は冬でやはり寒い方が良いように思えてきます。

年の瀬を迎えて、季節感が変わるだけでなく、世の中はさらに激しい変化の中にあるようです。来年度の予算に向けて、民主党政権は、マニフェストとは違う方向へと舵を取りつつあります。やはり選挙時の威勢の良さのままでは、現実は動かないということでしょう。デンマークのコペンハーゲンでは世界の首脳が集まって、地球規模の気候変動に伴う温暖化に歯止めをかけようと大規模な会議が開催されています。しかし、“会議は踊る”というように、それぞれの国益の主張ばかりでは真に有益な温暖化対策がまとまるはずはありません。しかし、そんなこんなの議論を繰り返している間にも、温暖化は進展しているのですから、早くこの困った変動を止めなければなりません。

私の子どもの頃は、こんなにも顕著に地球規模で気候が変化しようとは想像できませんでした。また、私たちの生活や住む街の状況が、これほど簡単に世界の経済動向と連動しようとは思いもしませんでした。それほど、私たちを取り巻く社会や環境の変化の度合いは大きくなっています。文字通り、変わりやすい時代を、私たちは生きています。

そんな変化に象徴される時代だからこそ、本当に変わらないものを確かに自分自身のものとしていることが幸せへの突破口となります。変わらないものの究極とは、もちろん神様ご自身。目に見える世界のものは、どのようなものも結局は過ぎ去ります。形あるものは必ず滅びます。しかし、永遠という尺度を当てても“変わらない!”と断言できる神様の存在を受けとめることのできる私たち信仰者は、何と幸いなことでしょう。

クリスマスは、今も変わらない神様の愛を確かめる時です。神の御子キリストが、私たちの罪を背負い、十字架で取り除くために、確かにこの世に降って来て下さいました。確かにキリストがお生まれになり、確かに十字架の上で救いの道を開き、確かに私たちの救い主となって下さったことにより、あなたも確かに救われているのです。たとえ世の中がどれほど変わろうとも、あなたの魂の中心には、今日も主キリストの変わらない愛が働いています。だから、あなたの人生は、何があっても、魂の土台の部分から大丈夫なのです。クリスマス、おめでとうございます。あなたの心に、いつまでも変わらない主キリストのいのちが、さらに輝きますように。


“変わらないもの”で“変わりやすい”私たちが“変えられる”! 2009年12月13日

一昨日、発表された“今年の漢字”は、“新”。民主党中心の“新”政権の誕生や、“新”型インフルエンザの流行、イチロー選手の9年連続200本安打の大リーグ“新”記録などが、主な理由だそうです。

実は、私の予想は、“変”でした。街角のアンケートでも、圧倒的に“変”が優勢。ただ、昨年の漢字として“変”が選ばれているので、毎年、“今年の漢字”に応募している人々はそれ以外の漢字に、という気持ちが働いたのではと思います。“新”とは言うものの、不況の風は依然として強く吹き続けています。自民党から民主党へと確かに政治は変化しました。しかし、“新”政権への期待も、本当に“新”と呼ぶにふさわしいかは、これからが勝負どころ。芸能人や大学生まで巻き込んだ薬物汚染や凶悪犯罪や巧妙な詐欺の怪事件が連発しているのも、“新”というより“変”の方がぴったりくるような感じです。それとも、この“今年の漢字”を主催する京都の漢字能力検定協会が、今年は理事長一族を巻き込む不正経理事件に揺れ、私などは今年の発表はないかも、などと考えてしまうほどでしたので、“新”たなスタートを切ったということなのでしょうか。

世の中にはありがたくない変化が多数起こっています。だからこそ、“新”しいものを求めたいという気持ちはよく分かります。しかし期待とは裏腹に、以前の世の中に比べると、落ち着きがなく、物事がコロコロ変わって、何だか大変な時代になったと意識することが多くなったことは偽らざる実感でしょう。確実に、人々の心も疲れていますし、イライラしたり、キレたりすることの多い時代になってきました。

そんな状況だからこそ、この年の瀬に、私たちは目先の新しさ、新奇さではなく、クリスマスが、主イエス・キリストのご降誕以来、2,000年に亘って祝われ続けている大きな意味を大切にしたいと思います。神の御子キリストの生涯がこの世で実現したからこそ、十字架と復活の出来事が可能となりました。神の愛が人の罪を取り除くために実際に働き、救いの道が開かれたのです。この救いの約束と力は、何ら色褪せることなく、今も同じ効力を発揮し続けています。主キリストは、ずっと“変わらない”救い主として、私たちと向き合って下さっているのです。小手先の新しさではなく、“変わらない”恵みがあるのです。

今も生きて働かれる“変わらない”主キリストの愛によって、罪人で、自分のわがままによってコロコロ“変わりやすい”私たちが、新しいいのちに満ちた本当の私たちへと“変えられる”のです。“変”な時代だからこそ、“変わらない”神の愛が必要です。さあ、本当のクリスマスの祝福を心を開いて受けとめましょう。


主キリストにしかできない方法で! 2009年12月6日

クリスマスの日々を大切に歩んでまいりましょう。一日の仕事、家族との時間、もちろん、あなたの信仰の時間も、師走特有の慌ただしさ、気忙しさに染まり切ってしまわないように、要注意。この一年の締めくくりの日々として、充実した時間を意識して、毎日を大切に過ごしましょう。

経営者やビジネスマンだけでなく、一年の終わりにはどうしてもお金のことが気になります。不況の影響で、当てにしていたボーナスなどが出ず、困っている人もおられることでしょう。子育てにも、将来の設計にも、家族とちょっと出掛けるにも、携帯電話や日常のファッションにも、とにかく何をするにしてもお金がかかります。私が幼少の頃には、社会全体にまだお金がなくても生活が回っていくような感じも残っていたのですが、今ではすっかり、お金を回さなくてはごく普通に見える生活もできないような社会になってきました。

巷では、お金のかからない政治を、と何年も言われ続けているのですが、やはり政治の世界もまだまだお金がかかるようです。鳩山首相にも、野党・自民党に籍を置く弟の邦夫議員にも、実母からの多額の献金があった、との話。家族や親心に関する事柄でしたら他人がとやかく言う必要はないのですが、こと政治資金偽装の疑いとなるとマスコミもだまっていません。それも、それぞれに10億円近くとなると、到底“庶民感覚”とは言えない訳で、それを全く知らない、気付かなかった、とお二人ともおっしゃるほど毎月何千万もお金が動くのであれば、やはり政治もお金次第ということなのでしょうか。

しかし、こういう世の中の常識とは、全く異なる物凄い実話が存在しています。それが、主キリストの降誕、クリスマスの物語。主キリストは、お金の力で選挙戦をした訳でも、広告を出した訳でもありません。世の中の権威や地位を用いて、人々の注目を集めたのでもなく、インターネットでやたらと情報を垂れ流したのでもありません。ただご自身の言葉と御業をもって、神の救いと癒し、解放を人々に与えられたのでした。

聖書は、神の御子キリストがご自分を貧しくし、卑しい者となって私たちを救いに導いて下さったと語っています(ピリピ2:8)。最後には、十字架の上で、ご自分のいのちさえ捨てて下さいました。世の中の常識とは掛け離れた方法で、実に独創的な方法で救って下さったのです。陳腐で、ありきたりの仕方ではなく、主キリストにしかできない方法で私たちを愛して下さいました。あり得ない方法で私たちを愛して下さった、主キリストの恵みを忘れず、感謝をもってクリスマスの日々を過ごしてまいりましょう。


あなたの心に、メリエスト・クリスマスを! 2009年11月29日

本日の松山の礼拝では、一年振りに私自身がミニ・コンサートのような感じで歌わせていただきます。2009年もあとひと月余り。いよいよ本格的にクリスマス・シーズンへ突入、という時を迎えています。普通にしているだけで何だか慌ただしくなってくる時期でもあります。そんな中でも、喜びのクリスマスを迎える工夫はできないものか、と考えつつ祈っている中で、昨年のちょうど今頃、“お前が歌えばいいじゃないか!”と、神様にシンプルに示していただきました。

今日の歌には、特別、大きな仕掛けがある訳ではなく、コンサートとして特別な趣向を凝らしている訳でもありません。しかし、シンプルに歌わせていただいて、いつもとはひと味違った日曜礼拝を共に守らせていただきたいと思っています。一言一言、一生懸命に歌います。精一杯信仰の思いを込めます。普段、兄弟姉妹と共に讃美する曲目とはまた別の恵みが、皆さんの上に届くことを願っています。

松山での市民チャリティークリスマスが、もう2週間に迫りました。私と共にこのクリスマスに関わって下さる方々は、そろそろドキドキし始めておられるはず。本当に、素敵なクリスマスになりますように、と祈っています。主は、必ずそうして下さいます。そして、これを皮切りに全国で展開される“メリエスト・クリスマス2009”の全ての集会が、確実に救い主キリストの恵みに満ち溢れたものとなりますように、と祈っています。

クリスマス・ツリーやケーキ、サンタさんやプレゼントなどのありきたりの“メリー・クリスマス”で終わらせてはダメ。“Merry”とは、楽しいとか喜ばしいという意味なのですが、クリスマスが月並みのパーティーやプレゼント、ディナーなどの楽しさで終わってはいけません。何と言っても、救い主キリストの誕生を祝う時であり、このお方がこの世に来て下さったことによって、私たちのいのちや人生そのものが変えられたのですから、これ以上ないという喜びや楽しさを心の中に受けとめたいと思います。その意味で、私たちは、merryの最上級、merriestなクリスマスを意識し続けるのです。

2009年、あなたのクリスマスの日々が、主キリストからの最高の贈り物で祝福されますように。玉石(ぎょくせき)混淆(こんこう)、種々雑多なものが溢れ返る世界の中で、本当に最高、最上のものだといえる主キリストの恵みがあなたの心の中に息づいていますように。とかく暗い話題の多い時代だからこそ、私たちはしっかりメリエスト・クリスマスを受けとめ、人々にもご紹介し、心底感謝し、喜んでまいりましょう。


さあ、クリスマス・モードへ! 2009年11月22日

何だか暖かさを引きずったままの晩秋でしたが、やっとと言うか、先週から急に冷え込んできました。それまでと同じ格好でコートも持たずに福岡や鹿児島方面に出掛けた私は、思わず寒さに震えることに。そこで、木曜日、東京へ飛ぶ時にはちゃんとコートを引っ張り出して旅支度。その日は、冬の雨で役に立ったのですが、翌日の金曜日には何だか爽やかな秋晴れとなって、同じコートが今度は邪魔物に。

暖かさや冷え込みを繰り返しながらも、季節は着実に冬に向かっています。ニュースでは、各地での初雪の話題もしばしば取り上げられています。と言うことは、私たちにとってはクリスマスが目前、ということ。まだ実感が・・・という方も多いのではと思いますが、松山市民チャリティークリスマスまで、わずか3週間なのです。そう考えると、ちょっとびっくりしませんか?

今月の初めには、街角にすでにクリスマス・ツリーが飾られているのを発見。11月14日(土)に結婚式の関係で南国・宮崎に出掛けた折には、すでにクリスマス・キャロルが流れているのに驚きました。私たちが教会の事務所で、クリスマス関係のチラシがなかなかできない、クリスマス・ブックはどうなるの?とドタバタしている最中、世の中の方は、主人公であるはずのイエス・キリストを抜きにした商売用のクリスマスをちゃっかり宣伝しているのです。

これではいけない!ということで、チラシもみんなに急ピッチで作ってもらいました。8巻目となるクリスマス・ブックも今週末には出来上がりそうですし、私の新しいCDも、もしかすると木曜日の祈祷会には間に合うかも?“おかにたてるあらけずりの”など、今回も有名な讃美歌を英語の歌詞で収録しています。それぞれクリスマス・プレゼントなどにもご利用下さい。

しかし、何と言っても重要なのは、主キリストをしっかりとお伝えするクリスマス特別集会…メリエスト・クリスマス2009。今年も、全国9都市で合計12回の集会をみなさんと開催します。私たちのゴスペル、お芝居、トーンチャイム、メッセージを主ご自身が用いて下さいますように。もちろん、みんなの笑顔も陰の奉仕も、献げ物も、全てをまことの救い主をお伝えする道具として主が整えて下さいますように。さあ、クリスマスです。私たち自身も思いっきり恵まれ、強められる、祝福に満ちあふれた時をいただきましょう。闇が拡がりつつある時代にあって、いつまでも廃れることのない本物の光、主キリストの恵みを証ししてまいりましょう。最高の恵み溢れるクリスマスの日々の始まりです。


そんなに簡単に決めちゃっていいの? 2009年11月15日

民主党政権の行政刷新会議が本格的に動き始め、各省庁の予算の無駄を洗い出す“事業仕分け”の作業が行なわれています。連日、何百億円、何千億円といった規模で、計画されていた事業の廃止が決められたり、あちらこちらの基金や剰余金など、いわゆる“埋蔵金”の国庫への返金が決められたり、と何だか勇ましい話題が流れています。

素人の私は、でも、ちょっと疑問を感じてしまうのです。なぜって、僅か一日や二日、いや一つの案件ではほんの1、2時間で削減や廃止が決められるものを、どうして今まで何年も、何十年もそのままにしておかなければいけなかったのか、と。よほど国家公務員の方々が何もせずダラダラしていただけなのか、自民党の先生方が全く行財政に関心がなかったのか、それとも想像を絶する利権が絡んでいたのか・・・。それとも、様々な難題があるのを半ば無視するように、今回の“仕分け人”たちがかなり無茶苦茶なことをしているのか・・・。数時間の議論であっさり正しい判断がなされるのであれば、今までの議論や仕事の積み重ねは一体何だったのか、ということになってしまいます。

似たような感覚の出来事に、最近の死刑執行に関する状況があります。凶悪犯罪があり、犯人が逮捕され、マスコミは大騒ぎして、何年もの年月をかけた裁判になります。大概、高裁や最高裁まで裁判は進展する事態となり、詳細な審理を経て死刑判決が下され、刑が確定します。それなのに、今は、法務大臣ただ一人に、死刑囚に刑を執行するかどうかの権利があるかのようになっています。誰が大臣になるかによって、全く実情が変わってしまうのです。日本で最も冷静で厳格な基準であるはずの司法の判断が、いくら大臣といえども、単なる個人の判断によって適当に覆されるかのような印象です。

一国の行政や司法など、最も高いレベルでの判断であっても、やはりその担い手は、頼りない私たち人間。私の素人目からしても、そんなもので良いのかなぁ・・・と思ってしまうのです。だからこそ、私たちは、どんなことでも神様に祈っておくことが大切だと思います。たとえどんなに小さなことでも、どれほど大きな事柄でも。私たちお互いの比較の中では、多少の優劣があるにせよ、神様の目からすれば、愚かさを持った五十歩百歩の弱い人間なのです。

私たちの能力がどの程度であれ、今日も礼拝の中で、“神様、私を導いて下さい。あなたの知恵をお与え下さい”と祈ることが出来るのは、本当に賢明なこと。確かに、先が見えないように感じることの多い昨今の状況です。信仰者だからこその、人生の道しるべがあることを感謝しましょう。そう、“神様の御言葉は私の足のともしび”です。


あなた自身が用いられますように! 2009年11月8日

マレーシア伝道から無事、戻ってまいりました。いえ、大変恵まれて戻ってまいりました。今回は、The School of ACTS(スクール・オブ・アクツ)での集中講義のための4泊5日の旅でした。今年の卒業式もあと2週間あまりに迫り、期待感も高まる神学生たちとの交わりの時間が与えられ、感謝で一杯です。

わずか数日のことですが、日本に戻ってみれば、やはりいくつかの話題がありました。その一つは、2年前の英国人女性・英会話教師殺害に関連して指名手配されている容疑者が整形手術を繰り返して逃走中である、というもの。発表された写真を見比べてみると、確かに顔の印象は相当変わっています。きつい印象の目元がぼんやりとなった感じで、街角で出会っても、そのあたりにいそうな平凡な雰囲気になっています。

整形しての逃走や、別人になりすますという話は、推理小説やテレビのドラマではもう定番となった感のある話題です。しかし、それが実際に起こると、何だか考えさせられます。整形手術もそこまで簡単なものとなってきた訳ですし、それを利用して、別人になりすまして逃げ通そうする犯罪者が、実際にいる訳です。コンピューターの普及に伴って、インターネットなどの犯罪との関連性もあれこれ指摘されるのですが、そこでは特に匿名性の問題がしばしば指摘されます。自分が誰であるかを名乗らずに、隠れたままで他人に罵詈(ばり)雑言(ぞうごん)を浴びせたり、犯罪に関する情報を大量に流したりすることができるのです。

人が“自分を隠す”と、アダムとエバの時以来、どうしても罪を犯すことと結びつく傾向があります。自分の名前を伏せて悪を行ない、自分の顔を変えて捕まらないようにする・・・。逆に、“こっそり良いことをしておいた!”というような話題がしばしばあれば良いのですが、実際はどうもそうなりません。自分というものに責任を持たないと、どうしても悪いことが多くなってしまうのです。

スクール・オブ・アクツの神学生たちは、卒業を目前に控えて一人一人が自分自身の人生の上に、主キリストの力が明確に現されることを切に求めて祈っていました。アジア各地で、それぞれの現場で、様々な仕方で神様によって用いられることを必死で願っていました。ぼんやり、何となく群衆の中で、自分を適当に隠しながらの中途半端な生き方ではなく、はっきりと“私を用いてください”という祈りがなされていました。主キリストの救いをいただいた私たちが、神様の働きの中でしっかりと用いられていきますように。あなたも、“神様、この私を用いてください”と祈ってみてください。


信仰がないと恐ろしい時代になりました! 2009年11月1日

“関関同立(かんかんどうりつ)”の呼び名で知られる、関西の有名私立大学で最近行われた本年度の一年生を対象にした調査に、正直驚きました。関西大学、関西学院大学、同志社大学、立命館大学の一年生を対象に、今、社会問題化している薬物に関する調査です。

何と、3割を超える学生たちが、今、自分の置かれている状況の中で大麻を入手することができるだろうと答えています。実際に誰かが使用しているのを目の当たりにしたことがあるという答えも、3.6パーセントも。また、自分の友人が大麻を使用していると知ったらどうするか、という質問には、10パーセントを超える学生が、個人の自由の問題だから特に何もしないとも答えているのです。

特殊な学生たちに話を聞いているのではありません。今年、関西のよく知られた大学に入った、ごく普通の学生生活を送っているはずの新一年生たち、一万数千人がそう答えているのです。もし、同じ質問を2年生、3年生と上級生に聞いていけば、大麻の問題は、もっとごく普通の出来事のように感じられ、半ば日常茶飯事と化しているのかも、と何だか恐ろしくなってきます。

気をつけなければならないことは、昔なら、ごく特殊な人しか染まらなかったはずの犯罪が、私たち庶民の生活と隣り合わせの位置にまで迫って来ているということ。昔は、悪質な犯罪は、話で聞くか、本や雑誌、新聞などで読む他はありませんでした。それが、テレビの普及によって映像でリアルに再現され、映画やドラマによって馴染みの出来事になり、インターネットで正邪を問わず、ありとあらゆる情報が飛び交うようになって、ごく平凡な庶民であった私たちまでが簡単に罪を犯せる悪賢さを持つようになってしまいました。

次に気をつけなければならないことは、あまりにも個人の尊重や自立が叫ばれる中、自分で好きにやっているなら、周りの人に直接の被害が及ばないかぎり、悪であろうと犯罪であろうと何をしても良いという身勝手な考えが幅を利かせている点です。つまり、自分自身の気持ちや判断が善悪を決める基準になっていること、すなわち自分自身を神にしてしまっていることです。それは、「好き嫌いの問題ではなく、やってはいけないことだ!」という視点が失われてしまっていることを意味します。

「どうして神様を信じなければならないの?」という質問を受けることがあります。しかし、今、現実に起こっている出来事を知ると、私たちの舌っ足らずの説明であれこれ論ずるまでもなく、神様を信じる心を持っていないと大変なことになる時代が到来しています。神様の前で反省したり、軌道修正したり・・・クリスチャンにとっては当たり前のことが、実は幸せへの深い真理なのです。幸せの鍵である信仰を大切にしてください。


恵みの、波紋のような拡がりを! 2009年10月25日

琵琶湖の“ニゴロブナ”など在来種激減の原因となっている、外来魚“ブルーギル”の国内での大繁殖は、もともと天皇陛下が皇太子時代の1960年、米シカゴ市長から贈られた15匹の子孫であると関係の学者たちから指摘され、関心を集めています。この15匹を元に、食料増産を目的に当時の水産庁が繁殖を試み、関西を中心に全国に放流されたようです。しかし、残念ながら食用としては定着せず、また釣り人のマナーとして広がった“キャッチ・アンド・リリース”によって繁殖に拍車がかかったとのこと。

当時の食料問題などを背景に、国策として繁殖を進めたことが、今となってはすっかり仇となってしまった訳です。全国56カ所から採取された1398匹のDNAが、原産国アメリカの13地点、計19匹のものと比較した結果、全てが1960年に贈られたもののただ一つの産地の型と完全に一致したそうです。当然、この報告に天皇陛下も“心を痛めておられる”とのこと。今では、全国で数億匹も生息しているであろうということです。

しかし、考えてもみてください。40年前の15匹が、今では数億匹に。すごいことだと思いませんか?もちろん、天皇陛下ご自身も、友好のしるしとして受け取った15匹の魚が、数十年後に全く別の話題を呼ぼうとは想像すらできなかったはずです。

最近は、世の中を暗くする話題や、悪の蔓延に関する事柄ほど、ものすごい勢いで拡がる傾向にあるようです。大麻や覚醒剤の問題や、携帯・インターネットでの犯罪の拡大など、どれも驚くほどのスピードで、庶民の世界に浸透しています。

そういう時代だからこそ、私たち信仰者は、恵みや祝福、愛といのちの拡がりを心から求めましょう。魚といえば、主キリストご自身こそ、わずか5匹の魚で5000人を超える人々の空腹を満たされました。それも、何年もかけてではなく、まさにその場で。当然、救い主に対する関心は、燎原(りょうげん)に拡がる野火のように人々の心から心へと伝わっていきましたし、使徒たちによって語られた主キリストの福音も、初代教会誕生の地エルサレムからユダヤ、サマリヤ、そして地の果てへと水面の波紋のように勢いをもって拡がり続けました。パウロなどは、今の新型インフルエンザでもないのに、“お前たちはペストのようだ、伝染病のようだ”と反対者たちからその拡がりの勢いを恐れられる始末。

悪い物が拡がりやすい時代だからこそ、私たちは全ての可能性を用いて、主キリストの恵みと祝福を、波紋のように押し広げていきましょう。主キリストにある幸せの原則が、ものすごい勢いで人々の心から心へと拡がる時代が到来しています。


秋晴れの空に何を感じますか? 2009年10月18日

台風18号が大きな話題であった前週とは対照的に、この一週間は気持ちの良い秋晴れの毎日でした。四季の移り変わりが特徴の日本の季節ですが、こんな気持ちの良い日々はそう何日もあるわけではありません。ちょうど神学校のスクーリングと重なった週となったのですが、朝の授業に出て来る時からとても幸せな感覚に満たされました。駐車場のそばにあるキンモクセイの香りも漂ってきて、わずか数秒のことかも知れませんが、祝福された時を持つことができました。

あなたは、こんな気持ちの良い秋空を見上げながら、どんな思いを持たれましたか?そんな悠長な心なんて持てなかったと言う方がいらっしゃるかもしれません。そんな暇はない、と。しかし、時には日常の忙しい出来事の中でも、小さな隙間の時間を用いて心の思いを確認したいものです。恵まれた時間というものは、何も長時間をかけなければ生まれないというものではなく、信仰のスイッチを入れれば、あなたがどこにいようと何をしていようと、その場で体験することができるのです。

何と言っても、喜びや感謝が確かにあなたの心にあることを確認することは重要なことです。ハラハラ、ドキドキ、イライラ、モヤモヤ、ソワソワ、カリカリ・・・と日本語の中には面白い感情表現がいろいろとあるのですが、考えてみればどうも心配や不安、痛みなどを現すものが圧倒的に多いように思います。それは単に言葉の問題というのではなく、私たち日本人の感情が否定的な方向へと傾斜することが多いからでしょう。日本人らしい情緒や繊細さといえばそうなのですが、秋が深まるにつれ悲しみや憂鬱が増すだけでは何だか残念です。

秋のそよ風や、青く澄み渡った空を見上げて、あなたは何を感じますか? あなたの仕事での大変さがあなたの心まで支配してしまうことがありませんように。家庭での心遣いがあなたの心まで疲れ果てさせてしまいませんように。人間関係の躓きがあなたの人生そのものまで行き詰まっているように感じさせることがありませんように。むしろ、あなたの心に聖霊の風が吹き、主キリストの愛や祝福が豊かに流れ込んできますように。恵みの秋を迎えた今こそ、感謝や喜びが自然と溢れてくる心が与えられますように。あなたの人生は、決してあなたが独りぼっちで歩み続けている苦難の道ではありません。救い主キリストが常にあなたと共にあり、あなたを支え、導いておられます。感謝だと思いませんか? さあ、青空を見上げて、あなたも“神様、感謝です!”とささやいてみてください。


目先の状況を超えて働く本物の信仰を! 2009年10月11日

“体育の日”の連休です。最近では、高校や中学校の運動会がどんどん前倒し的に開催され、10月になって運動会の話題を聞くのは、いくつかの幼稚園と地域主催の運動会などのみ。しかし、朝夕の気持ちよさと、日中の日差しの暖かさを思えば、運動の秋を満喫したいものです。部屋の中でゴロゴロしているだけでなく、この連休は思い切って外に出て、いつもより活動的に家族や友人たち、信仰の友たちと楽しい時間を過ごしましょう。

世の中は、やはり暗い話題が多いようです。もちろん、楽しい話題、明るいニュースもあるのですが、私たちの心に与えるインパクトや結果の大きさから言えば、圧倒的に暗い話題が多いのです。失業率の悪化には歯止めがかからず、史上最悪のペースで企業の倒産件数は増えています。年間の自殺者数も、3万人を軽く超えて史上最悪の結果となりそうです。これから冬に向かって、新型インフルエンザへの対応の件も気になります。

しかし、だからといって、私たちの心まで暗くなるのが当然かといえば、決してそうではありません。“たとい、死の影の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。(詩篇23:4)”と聖書に記されているとおり、どんな試練や困難に取り囲まれていたとしても、私たち信仰者の心には、共におられる救い主キリストによって平安が与えられ、着実に前進していくことができるのです。あなたに与えられたクリスチャンとしての信仰を、単に心の飾り物とせず、あなたの人生の歩みを支え、神様からの力を引き寄せ、本当に機能するものとして下さい。

先週は、台風が2年振りに本土に上陸し、文字通り中部地方から東北地方にかけて本州を縦断する形で、各地に様々な被害をもたらしました。今回は、雨よりも、“風台風”という感じでした。東京をはじめとして交通網が大混乱し、竜巻の発生も報告されています。南国生まれの私からすると、やはり四国や九州の人間の方が台風に慣れているように感じます。東日本に台風が直撃すると、“必ず”と言って良いほど大きな被害がでますし、人々の心備えの感覚に微妙な違いがあるようです。

今回、東京・銀座での集会の日が、この台風と遭遇しましたが、それでも会場一杯の皆様の出席を得て、集会は大いに恵まれました。東京でも、台風だからということで家に引きこもってしまうのではなく、台風にもかかわらず、集会での大きな恵みに期待して出かけることを選択する兄弟姉妹たちが、確実に増加していることを心から感謝しています。主の恵みはいつも豊かに備えられています。状況の善し悪しにかかわらず信仰によって前進してまいりましょう。


低調な流れに巻き込まれない! 2009年10月4日

気がつけば10月。本年も残り3ヶ月。“ついこの間まで夏だったのに”という感慨にも似た感覚に襲われます。これからの秋の日々を、喜びをもって充実の時としてまいりましょう。神様によって祝福される信仰を、自分自身でも精一杯働かせていくことが大切です。

2016年の夏のオリンピック開催地を決める国際オリンピック委員会の投票で、“東京”は残念ながら落選。最終選考では、アメリカのシカゴ、南米での初開催を求めたブラジルのリオデジャネイロ、スペインのマドリードとの争いになったのですが、やはり今回は地域性の重視がポイントだったのでしょうか、“温室効果ガス25パーセント削減”の鳩山首相のアピール力ではかないませんでした。ブラジルのリオが開催地となりました。

昨年の第一次審査においては、開催都市としての評価は、東京が一番。今、話題の“エコ”と、開催計画の“コンパクト”さをセールスポイントに、現実的な指標においては、おそらく東京が一番適していた場所であったはずです。しかし、投票は、最終的には人の心が判断するもの。多くのオリンピック委員の心を動かすことはできませんでした。

“東京”が選出されなかった理由の一つに、他の都市と比べて地元の住民や国民の関心や好感度が上がらなかったことが挙げられています。つまり、私たち日本人がサポートしなかったということ。石原東京都知事がオリンピック招致の構想を打ち上げて以来、テレビ、新聞などのマスコミでの低調な報道や国家的プロジェクトの開催意義に対して疑念を差し挟もうとする批判的な空気が、人々の心を冷たいままにしてしまったのです。石原都知事個人への好き嫌いも大きく影響したはずです。

不況で心の閉塞感まで起こり始めている時だからこそ、社会全体に活気を生み出そうとする考えよりも、何事も上手くいかない時代だからこそ余計なことはしないでこのまま静かでいようとする考えが上回ってしまいました。私は、経済を活性化へと刺激し社会全体の空気を明るくするためにも、また21世紀のアジアのリーダー的な文化や社会を持つ日本を世界にアピールするためにも、国を挙げて応援するべきだったと思うのです。

あなたの人生の展開の中でも、失敗や挫折を合理化させたり、何だか重苦しい生活に留まらせようとする心の屁理屈に、安易に同調してはいけません。物事が思うようにいかない現実があるなら、それこそ信仰をしっかり働かせて、聖霊の流れを受け入れましょう。信仰生活を刺激しましょう。積極的に良い流れを生み出すことです。さあ、秋の日々の祝福が備えられています。主キリストをしっかり信じて前進しましょう。


身体を動かそう!頭を使おう!信仰を働かせよう! 2009年9月27日

小中学校や幼稚園の運動会の話題が耳に入ってきます。いかにも秋らしい行事ですが、温暖化や受験、連休との絡みで、昔とは日程などがかなりずれてきた印象です。しかし、実際に運動会に参加してみると、応援の家族も含めてみんなでお弁当を食べることができなくなったり、“一等賞”を喜ぶことができなくなったり、ちょっと考えさせられる変化を目の当たりにしたりします。

何よりも、走るのが苦手そうな子どもたちが増加しているのにびっくり。肥り過ぎやテレビゲームや塾などの影響で、外で走り回って遊ぶ機会が激減したからです。豊かさや便利さ、楽しさが増加しているように見える一方で、もっと基本的な人間としての能力が低下しているのは残念なこと。実は、低下なのではなく、退化なのではと思うと、かなり怖い感じです。

私たちの頭の方も、“脳”力トレーニングなどという言葉が普通に使われるようになりました。昔は、電話番号などはかなり暗記していたはずなのですが、最近では携帯電話のメモリーに頼りっきり。自分は大丈夫、と思っている割に、頭を使っていないのではないかと、ちょっぴり不安になります。自動車にはナビの装着が相当普及してきました。方向感覚や土地勘なども、徐々に衰えてくるかもしれません。

身体や頭を使わないと、やはり私たちの生活は豊かにはなりません。人生は、コンピューターや機械が楽をさせてくれるから恵まれるのではなく、自分自身で体験的に喜びや楽しさを受けとめていってこそ、本当に充実した日々となるのです。実体験の乏しい人生は、やはりどこか作り物っぽくて、味わいに欠けたものとなってしまいます。神様が与えて下さった、自分の身体を動かし、頭を使って楽しさを生み出していく秋の日々としましょう。

そして何よりも、信仰を働かせることをお忘れなく。信じる心、望む心、愛する心がだんだん弱くなって、目先の物事に振り回される生き方がどんどん蔓延(はびこ)っています。私たちクリスチャンは、信仰をもって生きる生き方を与えられたのですから、実際に信じて生きていきたいと思います。“信仰、信仰・・・”と口では言いつつ、全く信仰を働かせないままで物事を終えてしまわないことです。世の中の常識や、心の先入観の範囲でしか物事が起こらない、狭い生き方から解放されて、聖霊によって導かれる恵み豊かな人生に招き入れられたのですから、私たちはしっかり信じ、祈ってまいりましょう。神様から与えられた身体も頭も精一杯使い、信仰も十分に働かせる秋の日々でありますように。


変化と成長を常に追い求めよう! 2009年9月20日

鳩山新政権が誕生し、文字通り新しい政治が動き始めました。“自民党をぶっ壊す!”と宣言して行財政改革に取り組んだ小泉改革が中途半端で終わり、その後継者たちは一年ごとに頓挫。世界的大不況の逆風もまだまだ激しく吹き荒れています。そこで、今度は民主党に期待してみようと言う訳で、先月末の総選挙では歴史的な圧勝!

問題は、これからです。評論や批判を加えるのは比較的簡単なこと。岡目八目で、当事者でない場合はああだ、こうだといろいろと意見しやすいものです。経済、年金、安全保障、失業率、犯罪の増加、教育・・・難問の山積する昨今の状況下、現場で逡巡し迷走する当事者たちを批判して、喝采を浴びるのは簡単。本当の勝負は、今度自分が当事者となった時、果たしてそれ以上のことができるのか、ということ。

新内閣の顔ぶれを見ると、民主党代表経験者たちをはじめとして党の重鎮たちがずらりと並んでいます。オールスターキャストで、難関を乗り切ろうということでしょう。さあ、お手並み拝見。財源は本当に大丈夫か、本当に官僚依存の体質を払拭することができるのか・・・。私たち、国民の期待も選挙の結果だけで終わった訳ではないはずです。

国家規模の政治にせよ、個々人の生活や人生の歩みの事柄にせよ、価値ある変化と成長のためには、まず何を目指しているのかというビジョンや目標が大切です。勢いやノリだけでは何も実現しません。そして、どうしても実際の現場が動いて行くためには、汗やため息、時には涙が必要となることもあります。本物の変化や成長は、刹那的な思いつきとは異なります。どうしてもこつこつと継続し、一つ一つ物事を動かして行く忍耐を求められる作業が付きものなのです。果たして今回の民主党政権にそれだけの肝っ玉が据わっているか、注目のしどころです。

私やあなたの人生の歩みも、今のままダラダラしていて良いはずはなく、それもどれほど神様に真剣に成長を願っているのか、本気度を試される場面が巡ってきます。あなたの周囲を見渡せば、変わらなくてはならないのは政治や経済だけでなく、素直に自分自身の心構えや信仰生活の実践など、成長の余地や変化の必要性はどこにでも見出せるもの。単にテレビの前で、垂れ流し情報の傍観者や見物人で終わることなく、自分自身が日々の歩みの中身をもっと充実したものへと変えて行く者とされようではありませんか。信仰は、神様から私たちに与えられたいのちです。真のいのちのあるところには、いつも成長や価値ある変化が伴います。さあ、この秋、自分自身の成長を求めましょう。


祈られることの幸せ! 2009年9月13日

皆様にお祈りいただき、また献金により支えていただいたインド伝道が、主キリストの大きな祝福の中、無事に終了し、こうやって日本に戻って来ることができました。クリスチャンの数がまだまだ少なく、教会も限られた数しかない日本の中で、私たちの教会には全世界に出て行き、全ての人々に福音を宣べ伝えようという、主からの大宣教命令に従う大胆な信仰が与えられていることを本当に誇りに思います。今回の伝道を通しても、現地の多くの魂の中に主キリストの救いが実現し、たくさんの人々が病から癒されたことを感謝します。聖霊の御業が如実に現されたことを本当にうれしく思います。

そういうインド伝道そのものに関する喜びと感謝と共に、実はさらに喜びを感じることがありました。それは、インドから帰国した当日、去る木曜日に、東京の兄弟姉妹たちと銀座での定例の集会を持った時のこと。会場で私と出会う方々の誰もが“一生懸命祈っていました!”とお声かけ下さり、健康で無事に私が戻ったことを心から喜んで下さったことです。

最近は、海外旅行がもはや特殊なものではなくなり、誰もが一度や二度は海外を旅する経験を持つのが当たり前のように感じる時代となってきました。特に、東京にお住まいの方々にとってはそうだと思います。そんな中で、私は多くの方々に祈っていただき、信仰によって支えていただけたのです。“本当に私は皆さんに祈られているんだ、支えられているんだ”と実感しました。単なる外交辞令を越えて、主キリストにある兄弟姉妹たちが、インド伝道の大勝利と出かけた者たちの安全と健康を祈って下さっていたことをひしひしと感じさせられ、祈られて支えられた私は本当に幸いだと思わされました。

今回は、準備の段階ですでに政治的な方面からの妨害や困難が予想されてもいました。雨季に入っての野外集会ということで、集会そのものが成立するように、との不安と戦いながらの祈りもありました。しかし、そういう困難をただ憂慮するのではなく、また自分だけで踏ん張るのではなく、背後から祈り、主からの御業を信じて下さった方々がいることを、主は私の心にはっきりと教えて下さいました。

信仰者である私たちには、自分で自分のために信仰を働かせるという生き方以外に、祈られる幸せがあります。その逆に、祈ってあげることのできる幸せもあります。自分一人の小さな心の枠を越えて、神の家族の一人一人のために執り成し、執り成される大きな恵みの渦にあなたも入ってみて下さい。私は私で、改めて兄弟姉妹たちのために、さらに一生懸命祈らせていただきたいと願わされています。本当に感謝です。


インド伝道、力強く進行中です! 2009年9月6日

今回のインド伝道のためにお祈り下さり、心から感謝いたします。

日本時間の火曜日午前3時頃、チェンナイ(以前はマドラスと呼びました)国際空港に到着した時はさすがにビックリしました。外は、土砂降りの雨。すでに二十数年に亘ってインドに来ていますが、こんな大雨の中、到着したことはありませんでした。いつもより2週間は早く雨季に入ったとのこと。

私たちにとって、雨は大問題。何しろ、中心となる4夜連続の大集会が野外で予定されているのですから。日本のように、都合良く何千人、何万人も収容出来るホールなどがある訳ではないのです。雨が降ると、それだけで集会は中止ということになりかねません。

3日(木)の集会は、朝から晴れていたにも関わらず、なんと集会が開始されると同時に、まさに人の集まりの出鼻を挫く雨。そして、信仰の決心と癒しの祈りの時になって、また雨。悪魔も集会の要所を狙って妨害しようとしているのだ、とインドの先生方とかえって信仰を熱く燃やすことになりました。

昨日(4日)は、午前からやはり晴れていたのですが、午後4時頃に雨。集会にとって決してマイナスになることはないように、と祈らされました。ハレルヤ!夜の集会は、完全に守られました。雨で緩んだ地面のことを考慮して、今回は椅子を大量に用意しました。2000名を超える方々が集まって下さり、祝福された集会となりました。

すでに信仰の決心者のカードもたくさん集まっています。また、15年間喘息に苦しんだ方が癒されたのをはじめとして、何年間も苦しんだ腹痛や、首の痛みなど身体の痛みから解放された人たち、10年間も悪霊に取り憑かれ、夜な夜な喉を絞められ、腹を蹴られるような体験をしていた人が解放されるなど、主キリストの御業が豊かに現されています。今回は、比較的コンパクトな形での集会なのですが、感謝なことに主の御霊の臨在は濃厚です。

本日土曜日は、私たちの支援で運営している孤児院を訪問。その後、昼前後の時間を用いて、急遽開催の決まった青年大会がもたれます。恵嗣兄、造兄を見て、フィニー牧師、ジョイ牧師らがぜひ青年たちに語って欲しいと、急遽企画してくれました。何と夜の伝道集会の会場には、岡先生を含めて、3名の写真入り大壇幕が案内のため張られています。

もちろん、夜の伝道集会は続きます。本日、そして明日の日曜日とさらに多くの人々が集い、救われ、癒されるはずです。主ご自身が働いて下さり、主の恵みの雨が豊かに降り注ぐ大会となると信じています。インドでも、日本でも、同時に恵まれましょう。遠くインドの地より、主キリストの祝福をお祈りいたします。(トリベロールより)


変化の時こそ、信仰が必要です! 2009年8月30日

今日は、衆議院議員選挙の投票日。320議席にも及ぼうかという民主党の圧勝が予想されており、一方では長年、日本政治の軸であり続けた自民党は100議席を割り込む歴史的な惨敗を喫するのではとの観測が流れています。近年採用されている小選挙区制の性質上、勝敗の結果が全体の得票では僅差でも、議席の獲得という結果においてはどちらかに一方的に偏る可能性が指摘されていましたが、今回はまさにその通りの展開となっています。

今回は、“政権選択”ということが選挙のテーマで、マニフェストに示されている各党の政策が注目を集めました。しかし、実際のところは国民全体を支配する社会の空気やマスコミに主導されての世論形成などが選挙の結果を決めてしまいそうです。深夜までには大勢が判明するはずですが、いずれにしても政治の世界は大きな変化を体験しそうです。

もちろん、この変化の中には、私たちに都合の良いものばかりではなく、不都合なものや予想外の混乱なども含まれるでしょう。私が一番心配するのは、民意で政権選択をしたつもりが、実は選挙の時の盛り上がり以上の決断ではなく、選挙の結果として起こり得る様々な変化や変動に対して、本当にみんな心備えできているかどうかということ。変化の必要性を語ることは簡単でも、事実、変化の渦中でそれを実体験することは大変な労力と気力を奪われるものなのです。しばらく多方面で混乱が生じるかもしれません。

こういう大きな変化を目の当たりにしつつ自分の肝に銘じなければならないことは、私たちの人生に関わる大小様々な変化に際して、私たちはいつも主キリストに祈り、神のみこころを探り求めるべきだということです。変化の時こそ、私たちは祈ることに大きな意味を見い出すのです。アメリカのある有名な神学者は、変化や混迷を深める現代社会の状況に直面しつつ、次のように祈りました。“神様、私に変えるべきものを大胆に変える勇気と、変えてはならないものを守り通す信念をお与え下さい。そして、何よりも、変えるべきものと変えてはならないものとを区別する洞察力をお与え下さい。”

私たち人間の能力は、本当に正しい判断を下すことができません。実は、誰も先行きのことは分かっていないのです。だからこそ、私たちは、これからのことを決断するために、神の視点を大切にするのです。さあ、政治の世界が新たに動くだけでなく、あなたの生活も秋の到来の中で変化が生じるはずです。信仰を働かせ、祈りつつ、前進してまいりましょう。現代を生きる私たちこそ、信仰の力が必要なのです。神が共におられる人生は、弱い私たちでも迷うことはありません。


キリストが私の内に生きておられる! 2009年8月24日

去る8月13日(木)、14日(金)の二日間、兵庫県たつの市において、第16回全国聖会が開催されました。真夏の恒例の行事となった感のある全国聖会ですが、今回も各地から約300名の兄弟姉妹たちの参加を得、一泊二日という限られた時間ではありましたが、大変恵まれた時を過ごすことが出来ました。3回の集会に、世界遺産の国宝姫路城の見学、そして兄弟姉妹たちとの温かい交わりの時など、恵みの濃縮した素晴らしい体験となりました。

今回のテーマは、“キリストが私の内に生きている!”(ガラテヤ2:20)というもの。私たちクリスチャンは、単に宗教を持っているという以上に、私たちのいのちの中に、主キリストご自身の臨在を事実として体験することができるのです。確かに、私たちは救われたからといって完全なものになるのではありません。実際に弱く、欠点もあり、足りないところの多い者なのです。私たちが救われたのは、私たちの功績や業によるのではなく、神の愛のゆえに、主キリストの恵みによって救われたのです。

しかし、だからといって私たちは弱いままの存在ではありません。単なる欠点だらけの無価値な者のままではありません。私たちは弱いのですが、私たちの魂を救って下さった主キリストが私たちの内に宿っていて下さるので、そのキリストのいのちによって私たち一人一人は価値ある存在なのです。弱いはずの私たちが、救い主キリストのいのちによって、実は逆説的に比類ない価値を持つ者とされているのです。

私たちが神の言葉と信じる聖書の教えには、逆説的な教えがたくさんあります。“受けるよりも与えるほうが幸いである”(使徒20:35)や“弱いときにこそ強い”(Uコリント12:10)など表面的な事実を超える神からの特別な恵みがあるというのです。目先の人間的なノウハウや知識が人生の決定項となるのではなく、人間の意識の想定外とも言えるような神ならではの恵み豊かな選択肢が与えられています。

死ねば全てが終わりだと考える人がたくさんいます。しかし、神の言葉は、死を越えるいのちを宣言しており、“たとえ死んでも生きる”(ヨハネ11:25)と、ここでも逆説的な約束が与えられているのです。私たちの存在は、ほとんど価値が無いに等しい土の器のようなもの。しかし、共にいて下さる主キリストのいのちによって、神の愛と恵みを証しする者へと変えられるのです。価値無き私たちの存在の意味を変え、死さえも凌駕し得るキリストのいのちをあなたも信仰によって受け止めて下さい。あなたの理解や常識を超える神の愛の御業を、あなたの人生の事実として下さい。


何気ない毎日にも、溢れる感謝があります! 2009年8月17日

ふとしたことで、恵まれているなあと実感することはありませんか?特別、大きな出来事が起こった訳ではないのに、しみじみと感謝を心の深みに感じる時はありませんか?何か特別によいことがあったから感謝できるというのは、ある意味で当たり前のこと。別に偉くもありません。しかし、毎日の何気ない事柄の中でも感謝することができるのは、一見地味なことに思えて、実は意義あることなのです。

最近も日中は、確かに真夏の暑さですが、朝晩はうんとしのぎやすくなってきました。徐々に秋めいてきた、と言っても良いでしょう。しかし、今年は正直なところ、梅雨を引きずったまま、本当の真夏に成りきらぬまま、秋を迎えそうな感じです。北海道を始め、各地で日照時間不足は深刻で、野菜の不作が報じられています。おそらくお米も不作の秋を迎えそうです。

集中豪雨によってあちらこちらで洪水のような被害が出ていますから、一昔前なら、大災害の一年ということでしょう。農作物の不作も重なって、昔なら、実は大凶作、大飢饉という大変な暗さの一年であったはず。時代劇などの感覚で言えば、農家は年貢米にも事欠き、文字通り水飲み百姓で、生死の境目を生き抜かなければならない事態であったかもしれません。そんな状況のはずが、多少野菜の値段が高いとか、道路の修繕が必要で旅行が不便だったという程度のことで済むのですから、現代の私たちは実は大いに恵まれているのです。

当たり前と思われる事柄を感謝できない、私たちの心の鈍感さや、豊かさに慣れっこになったわがままな心には注意が必要です。幸せが来ないのではなくて、幸せを感じる魂の感性が不感症に陥っているのが問題なのです。食べるものも着るものも豊かにあり過ぎて、むしろ捨てることを考えた方が良いような日常生活。平和ボケと言われるほど、ただぼんやりと過ごすことさえ当たり前のように認められる毎日。趣味やスポーツにしても、次から次へと楽しいことを探すことのできる豊かさ・・・。感謝しきれないほどの豊かさや幸せが溢れています。だからこそ、正しくきちんと感謝する心を持っておかないと、豊かさの中でかえって心がだらけきり、豊かさに麻痺して心が腐り始めるのです。

さあ、2009年夏後半の日々を心から感謝しましょう。神様は私たちに、今年も素晴らしい恵みの夏を与えて下さっています。毎日の当たり前と思われる事柄にも、実に多くの恵みがあります。私たちの家族も、仕事、学校も感謝ではありませんか?信仰の家族である兄弟姉妹たちの存在も、実に感謝!さあ、主にあって、ちゃんと感謝しましょう。


根っこの部分をしっかりと! 2009年8月10日

麻薬所持で、あるイケメン俳優が逮捕されたかと思ったら、近辺の女性が謎の死を遂げていたり、主人の覚醒剤所持にショックを受けて失踪したかと心配されていた人気女優が一転、覚醒剤所持の疑いで指名手配されたり・・・テレビのワイドショーが飛びつきそうな話題が巷には溢れています。一時の手話ブームの立役者となった女優さんの事件ですので、ファンならずともショックです。

大麻の不法栽培や所持では有名大学生たちも次々と逮捕されるなど、最近では、麻薬や覚醒剤、オレオレ詐欺などの詐欺事件や暴力や殺人の話題など、一昔前までは報道されることはあっても、庶民の生活とはかけ離れた場所での事件のように思われていたものが、いきなり私たちの身近なところで起こるようになってきました。どうも、悪や罪の話題がものすごい勢いで私たち庶民の生活にも浸透してきているように思いませんか?

そんな最近の何だか落ち着かない状況を目の当たりにすると、どれほど人間の文化が進歩し、社会が発展するように見えたとしても、神様を信じて心の内側から守られる生き方をすることの価値は絶対になくならないものだと痛感させられます。人間がどれほど賢く様々なものを発明し、利口になっていくように見えたとしても、肝心(かんじん)要(かなめ)の人間そのものにはどうしようもない弱さや脆さが同居しているのです。聖書は、それを罪と呼びます。

世の中が便利になり、生活は快適になる一方、同時に情報化やハイテク化の影響も手伝って、どんなものでも簡単に手に入るようになってきました。すると、昔よりも、罪を犯すことも何だか簡単になってきてしまったようです。何だか怖い感じがします。私たちも、注意しましょう。華やかで格好良く見えるものの中にも、危ないものが少なくありません。

やはり、心の根っこの部分が神様によって守られていることが本当に大切なのです。心の深み、中心の部分で神様を意識し、正しいこと、清いこと、温かく喜ばしいこと、救いや癒しに繋がることを考えることは、私たちの生き方を自然と整え、人生の方向性を知らず知らずの内に修正することになるのです。信仰を持つことは本当に幸いなことなのです。信仰生活は、やはり本物の幸せな人生の入り口であり、土台なのです。

さあ、夏の日々を、主にあって楽しみましょう。家族や信仰の友たちとのワクワクするはずの時間でも、やはりその交わりの土台に信仰、希望、愛があることが大切。神様の愛を土台にして、私たちは着実に幸せな時間を積み重ねてまいりましょう。楽しい夏休みの時間においても、讃美や祈りを忘れずに!主があなたを祝福してくださいます。


インド伝道のために、どうかお祈り下さい! 2009年8月2日

本年の海外伝道の目玉とも言える、インド伝道がもうひと月先に迫って来ました。すでに、礼拝時にもご説明しているように、当初はコインバトールという大都市での最大5万人を集める大野外集会を準備しつつあったのですが、当地の政情不安もあり再考することになりました。大集会の準備をし、人々が集まったあげく、私が説教することが許されなかったり、場合によっては逮捕、強制退去処分まであり得るということで、インドの先生方との相談の結果、今回は場所を変更することになりました。

改めて、今年のインド伝道は、タミール・ナドゥ州ティルニンラユールという街での4夜に亘る野外集会が中心の行事となります。街の規模は大分小さくなりましたが、それでも5,000〜10,000人の人々が集まってくれるだろうと予想しています。本当に感謝なことです。それ以外にも、私たちが長年に亘って支援している村々の教会を視察したり、孤児院を訪れたり、当地のテレビ伝道番組に出演したりの充実した内容となるはずです。

海外伝道と一口に言っても、実に様々な形があります。海外の教会や伝道団体に献金するのも一つの海外伝道の形ですし、海外の活躍する大教会を視察旅行するのを海外伝道と呼ぶ場合もあります。確かに、励ましや交わりに出かけるのも伝道の一部ですから、そういう形も可能です。しかし、実に様々な海外伝道の形式が可能な中で、神様は私たちに最も直接的で、実際的な伝道を委ねて下さいました。現地、インドのクリスチャンではない人々に集まってもらい、直接福音を語りかけ、信仰の決心へと導き、クリスチャンとなった人々のためには教会を建て、現地の働き人を生み出すための神学校まで設立し、地域への浸透のために孤児院も運営し・・・、と文字通りの現地密着の伝道を展開しています。

どうか、本年のインド伝道が、主キリストの臨在のもとで大いに祝福されますように祈って下さい。また、この尊い働きが経済的にもしっかりと支えられますよう、あなたも献金によって直接ご参加下さい。決して、自動的に動いている年中行事ではありません。今回も、しっかりと信仰を働かせ、主キリストの救いと癒しの奇跡が現される、生きた伝道を展開したいと願っています。私たちの信仰が、確かにインドの尊い魂のあり方を変えるのです。あなたも一緒に信じて下さい、祈って下さい。


表面的な条件を超える幸せ! 2009年7月26日

先日の“海の日”は、松山の教会では、毎年恒例の中島での“サマービーチ”。夏の幕開けに際して、みんなで一緒に海に繰り出そうというイベントです。瀬戸内海での海水浴が中心なのですが、行き帰りの短い船旅がちょっとした旅行気分を演出してくれますし、お昼の食事はバーベキューに舌鼓。費用も、メンズクラブからの援助があり何とも恵まれた一日なのです。夏の暑さに負けないどころか、それ以上の元気良さをもって夏を楽しもうとする、季節の祝福を先取りする恵みの時なのです。

先週の日曜日、私は、礼拝メッセージの中で、気象庁に無断で思いっきり梅雨明けを宣言。しかし、翌“海の日”は時折雨が降る残念な天候になってしまいました。出張先の福岡から、私も松山周辺の天候を調べてはやきもきするハメに。“海の日”も、国内での46年ぶりの皆既日食の水曜日も、悪天候に見舞われた地域が多く、どうも先週は日本各地で、梅雨を引きずったまま一週間を過ごしてしまったようです。

さて後日、50名近いサマービーチ参加者の何人かに感想を求めると、誰もがあっさりと、ものすごく楽しかった、とのこと。確かに雨も降りはしたけれども、ちゃんと泳ぎを楽しみ、釣りをし、食事もみんなでおいしくいただきました、と異口同音にうれしい報告が寄せられました。そして、こんな声が、・・・。“結局、天気がどうのこうのというより、教会の兄弟姉妹たちと大勢で一緒に楽しい時間を持てたということ自体で、十分恵まれて楽しいのですよね・・・”。ハレルヤ!天気に恵まれず面白くなかったとか、あれがいけなかった、これがダメだったというのではなく、主にある兄弟姉妹たちとの交わりがあるので、文句なしに楽しめたというのです。

表面的な条件があれこれ整えられたから、やっと楽しくなるというのではありません。少々の不備や欠点があっても、一番大切な要素がしっかりと打ち立てられていれば大概の事はまず合格点。物事の枝葉末節ばかりを気にして、結局はその事実の価値や本質を低めるようなことがあってはなりません。何事も軸や芯の部分がしっかりとしていれば、表面的なことが多少どうであれ、大丈夫なのです。

あなたの夏の日々が、主キリストの恵みを土台としてしっかりと建て上げられたものとなりますように。神様の祝福と導きが、あなたの人生の土台であれば、あなたの歩みは少々の問題では揺るぎません。さあ、主キリストと共に、楽しく喜びに満ち、祝福の現される夏の日々を歩んでまいりましょう。あなたも豊かに祝福されています。


夏の恵みに乗り遅れない! 2009年7月19日

梅雨の終わりの蒸し暑い日々が続いています。九州南部や関東地方では梅雨明けが発表されたようですが、それでもまだ雨と縁が切れてはいないようです。いわば、梅雨は夏への序章。ここ数日の内には、全国各地で梅雨明けとなるでしょうから、気持ちの上でいつまでも雨の鬱陶しさを引きずらず、 2009年の夏を楽しむ心を持ちましょう。さあ、本格的な夏の始まりですよ。

一昨日の金曜日、東京での仕事から松山へと戻ろうとした機内には当然のようにビジネスマンが溢れていたのですが、同僚同士の話題の中心は、全英オープンゴルフに初出場し、大活躍中の17歳ゴルファー石川遼選手。徹夜でテレビにかじり付いていた人も多かったようで、飛行機が梅雨前線に苦しみつつ、大揺れしながら西へ西へと飛んで行く頃には、皆さん爆睡となっていました。何だか重苦しい話題が多い昨今、スポーツ界での日本選手の活躍くらいしか手放しで喜べる話題が少なくなっています。自分自身の17歳頃と比較しつつ、すでに世界最高峰のトーナメントで頑張っている爽やかな姿に、誰もが声援を送りたくなります。

と同時に、どれほどニュースが溢れていても、他人事ばかりでは人生は動いて行きません。同じ東京からの飛行機には、早くも夏休みを楽しもうという家族連れの姿がありました。本日の午後には、私は福岡に飛ぶのですが、きっとその機内にはもっと家族連れの姿が目立つはずです。夏休み早々に、家族や親族、友達同士で夏休みだからこその時間を過ごそうというのです。日本の四季には確かにそれぞれの風情というものがあるのですが、夏はやはり“夏休み”という言葉が似合います。普段では取りにくいお休みを、みんなとタイミングを合わせて楽しむことができるのです。楽しさや喜びは、ニュースで見聞きするだけでなく、是非とも実体験したいものです。

2009年の夏の日々を、神様はあなたのために祝福してくださいますよ。神様のみこころの中には、人間につきもののマンネリということはありません。ですから、今年の夏にも、神様は新鮮な恵みと素敵な出会いで私たちの時間を祝福してくださるのです。皆既日食を実際に見に行くことはできなくても、私たちのほんの身近なところに祝福のための時間は備えられています。さあ、明日の海の日のイベントから、教会学校のキャンプへと、私たちの教会の行事も祝福満載で動いて行きます。あなたも乗り遅れないようにしてください。神様からの夏の祝福は、もうすでにあなたに向かって動き始めています。


与えられた賜物を忘れない! 2009年7月14日

“隣の芝生は青く見える”と諺で言われるように、私たちはとかく他人の持ち物や状況を羨ましがってしまいます。ファミリーレストランで、隣の人の注文した物の方がおいしそうに思われるくらいは、かわいらしいもの。しかし、ことが毎日の生活や人生全体の事柄に及ぶと、事態はもっと深刻になります。あの人はこんなに幸せなのに私はどうして・・・と考え始めると、どうしようもない泥沼に足を踏み入れた状態になります。映画俳優でもないのに、自分でいつも涙のヒロインを演じることになってしまいます。

私たちは、それぞれに神様から価値ある賜物をいただいています。この事実を見失ってはなりません。自分はダメだ・・・と最初から思い込みがちな私たちなのですが、実は他の人から見れば十分に“青い芝生”に見えるようなものがあなたにも与えられているのです。ダメだ、ダメだと自暴自棄になりやすいあなたのことを、羨望の眼差しで眺めている人も必ずいます。そんなバカな、と思ってしまうでしょうが、実際にそうなのです。

先日、東京のおしゃれなレストランで、立派なお品書を目の前にした時のこと、とびっきりのシーフード料理の名前が並ぶ中で、特に新鮮な素材を使うことを表現する一文に出くわしました。そこには、こうあります・・・“愛媛、宮城などから新鮮な魚介類を毎日直送しています”。・・・愛媛のお魚は高級品・・・?私たちには、当たり前の食材でも、高級食材が競い合う東京で、十分に商品価値を上げる高級品として出ているのです。愛媛の新鮮な魚介類は、東京では高級品で通るのです。

私たちは、自分の劣等意識のある部分だけをことさらに突き回しては、人と比較して落ち込みます。その繰り返しです。しかし、冷静に見つめれば、あなたの何気ない能力や当たり前のように感じている持ち物は、他の人から見れば十分に宝物なのです。マイナス“思考”は、マイナス“指向”から生まれてきます。ダメなものばかりに注目して、人との比較を繰り返すのであれば、劣等感だけが強くなり、さらにそれを自虐的に強めることにしかなりません。

あなたに与えられた、神様からの恵みの賜物を忘れないことです。あなたの何気なさの中に、素晴らしい輝きを放つものが備えられています。あなたに与えられた“良きもの”に目を向けてください。神様を心から感謝し、讃美を口にすることを忘れず、その賜物を育てていきましょう。つまらぬ比較ではなく、神様に選ばれ、愛されたあなたに備えられている賜物を大切にしてまいりましょう。


御言葉に対する変わらぬ信頼! 2009年7月5日

私の2009年後半の日々は、東京でのレイモンド・ムーイ先生の癒しのセミナーで始まりました。梅雨の最中の日程でしたので、雨の降り方が心配でした。集中豪雨の話題もあった東京でしたが、ほとんど傘を使うこともないような状況で感謝でした。東京福音センターの事務局のある、銀座4丁目の教文館の会場には主キリストからの力強い御業を求めて、6回の集会に毎回満員となる人々が集ってくださいました。

昨年の7月、松山と東京で開催したセミナー以来の、約一年振りのムーイ先生の集会だったのですが、やはりムーイ先生のメッセージはいつも明確。癒される理由をああだこうだと心の中で論じたくなる私たちの習性に対して、神の御業は神がそう御言葉で語られているからだ、といつも通りの大切な主張が繰り返されていました。御言葉への信頼です。

麻生首相の自民党政権がぐらついています。その一つの理由は、何かにつけ首相が“言ったのか、言わなかったのか”という話題がやたらと多いということ。厚生労働省の分割を首相が指示したのか、しなかったのか、・・・内閣改造をすると言ったのか、言わなかったのか・・・解散総選挙の時期に言及したのか、しなかったのか・・・。確かに政治家の言葉ですから、時には玉虫色も必要なのでしょうが、それにしても発言の内容はもとより、首相自身の意図が毎度のように軸がぶれているように見られることは、致命的なことになりかねません。

日本中で一番しっかりしてもらわなければならない人の言葉がいつもぐらつくのに対して、神様の御言葉が変わらないことは、見逃してはならない事実です。実は、首相だけの問題なのではなく、今の時代は私たちも含めて物事の判断がその場の状況に左右されて変わりやすいことが、安定感のない生活を生み出しています。コミュニケーションの道具や機会は飛躍的に向上しているのですが、それらを用いる立場の人間の心は不確かなままであるばかりか、豊かさが仇(あだ)となって、かえって弱々しく揺れやすいものとなっているのです。

私たちの心に、“神様の御言葉”という変わらぬ軸を打ち立てましょう。自分の理屈が通ったから信じているというのではなく、まず神様の御言葉がこう宣言しているからそうなのだ、とストレートに信じることが大切です。あれこれと理屈が多く、状況に振り回されてコロコロと物事が変わりやすい時代だからこそ、そういう人間的な弱さを越えて、神様の御言葉だから信じるという態度が大きな価値を持つのです。それがあなたの信仰を強めます。今こそ、神様の御言葉を軸として生きていくべき時なのです。


成功や幸せも質が肝心! 2009年6月29日

私が高校生の頃、大人気だった“チャーリーズ・エンジェル”の米女優ファラ・フォーセットや、言うまでもなく世界のスーパースターとして有名だった歌手のマイケル・ジャクソンが相次いで死亡・・・というニュースが報じられています。時の流れを感じると共に、やはり人の死に際してはいろいろと考えさせられるものです。

マイケル・ジャクソンなどはまだ50歳。今年は、久しぶりの世界ツアーが予定されていたはずでした。全世界で何千万枚もの楽曲の売り上げを誇り、一体どれほどの大金がこの一人の人物の周囲で動いたのか、想像もできません。前に歩いているのか、後ろに進んでいるのか、トリッキーな“ムーン・ウォーク”も世界に広まり、どこに行っても一挙手一投足にファンの目が釘付けになる大スター中の大スターでした。

遊園地のような大豪邸にも住み、庶民感覚からかけ離れた大成功者なのですが、一方では度重なる整形手術の話題が流れ、慢性的な病気を持ち、性的虐待などの訴訟をいつも抱えていました。当然、家庭的な幸せがあったとは思えません。大スター過ぎるが故の大不幸の中に居続けた人生だったように思われます。

私たちは、常々幸せになりたい、成功したいと口にするのですが、実は本気で幸せや成功を口にするなら、その質を問いただしておく必要があります。よく言われることですが、事実、お金が腐るほどあったとしても幸せであるとは限らないのです。庶民である私たちとしては、それはそれで一度は、そんなお金持ち感覚を体験してみたいものだと感じるもの。しかし、やはり、お金がたらふくあったとしても幸せを保証するものとはならないのです。幸せにも、成功にも、本当に質の良い中身が伴うことが大切なのです。

アメリカの神学校で学んでいた今から25年前、ある金曜日の授業が終わった夕刻、神学生たちで集まり、祈祷会を持ちました。アメリカ人の学生はもちろん、アフリカやアジア各地からの神学生の友人たちが集っていました。人々の救いのために、私たちを用いてください、と幾つもの課題を挙げて祈った中で、当時、世界中の若者たちのカリスマであった歌手のマイケル・ジャクソンやマドンナを救ってください、と熱く祈ったことを思い出します。彼らは、文字通りの大成功者なのですが、実は同時に、私たち無名の信仰者たちから祈られなければならない、まだ霊的な不幸の中にある人々だという事実を見落としてはなりません。主キリストが与えてくださっている幸せを感謝しつつ、この平安と喜びが一人でも多くの人々に伝えられるよう、ますます祈ってまいりましょう。


夏に向けての心構えを整えよう! 2009年6月21日

梅雨の最中のはずが、全く雨が降りません。これも地球温暖化の影響かもしれませんが、ここ本部教会のある松山では、梅雨入り後、すでに梅雨明けかというような晴れ渡った、蒸し暑い日が続いています。東京からは、土砂降りの雷雨、というニュースが流れてきています。人間の勝手ですが、もう少しバランスよく降ってもらいたいものだ、と思ってしまいます。

もう真夏のようだ、と暑さにぼやいてみても事は始まりません。私は、自分の気持ちを早々と夏モードに切り替えさせていただくことにしました。季節の変化に振り回されるよりも、自分から夏に対応する心構えを整えて、本年の夏を十分に喜び、楽しみたいと思っています。

2009年の夏も、すでに計画の段階から恵みが目白押しです。7月になれば1日(水)から3日(金)にかけてレイモンド・ムーイ先生をお招きしての癒しのセミナーおよびビジネス・セミナーを東京・銀座で開催します。今回も、今も生きて働いておられる神様の素晴らしい御業が現されるのは必至。私自身もわくわく期待しています。教会学校は、7月30日(木)より8月1日(土)の2泊3日で、海でのキャンプ。中高生、大学生たちは、8月9日(日)〜11日(火)で学生キャンプ。四国の清流で泳ぐ山のキャンプです。全国聖会のこともお忘れなく。8月13日(木)、14日(金)の2日間、世界遺産の姫路城近くの兵庫県たつの市での開催となります。どうか今からしっかりとご予定に組み込んでください。

もちろん、松山では、7月20日(月・祝)の海の日の海水浴や、8月22日(土)の納涼大会も計画されていますし、伝道の働きにおいては何と言っても8月31日(月)から9月10日(木)にかけてもたれるインド伝道を忘れる訳にはいきません。今回は、南インドのコインバトールでの大集会が今も着々と準備されています。

先日、韓国から伝道の働きのために日本に来ておられる方々が松山の本部教会を訪れてくださり、日本を拠点にこれだけ生き生きと福音宣教のビジョンに燃えた教会と出会えて本当に感動した、と素直にその気持ちを伝えてくださいました。私たちの働きは、祈り求めているリバイバルの実現に比べればまだまだ小さく、小粒なもの。しかし、世界規模の視点から見れば一見小さく見えても、その中身には大きな信仰とビジョンが生きているのです。私たちの内側には、夏の暑さを越える、聖霊の熱さがあります。信仰が生きています。さあ、夏の暑さを凌ぐ聖霊の躍動感で楽しい、恵みの日々を歩んでまいりましょう。


心の器を押し広げよう! 2009年6月14日

日本全国、梅雨入りです。北海道を除いて、少なくともこれから数週間は雨と湿気とのお付き合いの時期となります。鬱陶しくも感じますが、アジサイのように雨に濡れてこそ本来の美しさを醸し出す花もあり、梅雨の時期の楽しさもあります。小さな子どもたちの中には長靴をはくのが楽しみということもあるはずです。

何よりも春夏秋冬、日本の四季のメリハリを生み出すためには、どうしても降ってもらわなくてはならない雨です。本部教会のある松山でも、是非とも雨が欲しい状況になっています。早くまとまった雨が降らなければ、梅雨の最中に断水が実施されそうな事態です。1995年の大渇水以来、毎年のように水不足の話題が出てきます。明らかに、市周辺の給水源となっているダムの貯水能力が小さく、ちょっと雨が降らないだけで地元の報道番組にはダムの貯水率が何パーセントになったと心配をあおるニュースが流れます。人口の増加や都市化、工業化の進展、水洗トイレの普及や朝シャンなど生活スタイルの変化などが重なり合い、もはや50年前の給水計画では間に合わなくなっているのです。

外部の方々からすれば、早く何とかすれば、ということなのでしょうが、新たなダムを建設できる場所もなく、周辺の市町村もそれぞれの利害の絡みがあって何の進展もありません。大変困った状況ですが、何とかしなくてはいけないという事実だけは厳然としています。器を大きく、ということです。

あなたの生活の中でも、器を大きくした方が良い事柄がたくさんあるのではないでしょうか。昔はこれで良かった、しかし、今の状況には全くあっていない、というようなことが起こっていませんか。時間の使い方やお金の問題だけではなく、一番肝心なのは、あなたの心の容量。昔はゆとりを持って物事に取り組めていたのが、最近は何だか物事に追い立てられるようで、次第にイライラするまでになり、時には些細なことで爆発寸前にまでなってしまうようなことはないでしょうか。

主キリストの救いにあずかると、それまでの自分中心の生き方から解放されて、人々を思いやる愛まで与えられます。主にある救いは、私たちの心の容量までアップさせるのです。クリスチャンとなったのに、旧式の古い小さな容量の心のままで生きてしまうことがありませんように。主キリストの愛に触れて人々に接する心も、自分の将来を見据える心も、そして今後に起こり得る試練や問題に柔軟に粘り強く対処するためにも、あなたの心の容量が信仰によって大きくされますように。新しい時代は、容量を拡大した信仰の心で歩んでまいりましょう。


謎めいた話のままで・・・! 2009年6月7日

毎週のように物議を醸す動きを発しては世界各国を揺さぶる北朝鮮から、今度は体調不安説の根強い金正日(キム・ジョンイル)総書記の後継者として、同氏の三男の金正雲(キム・ジョンウン)氏が内定した、というニュースが届いています。しかし、この三男のことがやたらと謎めいているのです。

学生時代にはスイスに留学していたことがある、とか、現総書記の元料理人であった日本人の証言からは、スポーツマンで性格は兄弟の中で一番父親似であったとか、小学生の頃は別人になりすまして日本にも遊びに来ていたようだとか、断片的な情報が飛び込んでくるばかりで、正体は未だ闇に包まれたまま。新聞やテレビの顔写真でさえ、明らかに10代の頃のもので、今後の世界情勢の鍵を握る人物の話題にはちぐはぐ。世界の報道機関も情報不足です。まだ26歳ということで、行政や軍の職務でも経験不足は明らかですので、今後の展開は予断を許しません。

仮にも現代世界の一国の運命が、時代外れの独裁者から、今度は謎に包まれた人物の手に委ねられようというのでは、住民の不安は推し量ることができないほどでしょう。政治や行政、企業の経営についても情報開示が叫ばれ、個々人の主張や生活までもがブログで紹介されるご時世に、秘密のベールのままで一大事が動いているのは実に奇妙なことです。国の繁栄や人々の幸せが、謎の人物の未知数の能力に委ねられようとしています。

正反対に、私たちの救いや平安は、神のご計画によって明らかにされたお方によって実現する、と聖書は断言しています。謎や不可思議なままで人々の興味を引きつけようとする宗教がありますが、聖書の教えはそれとは逆に、私たちを救ってくださる神のご計画は明確に示されていると語っています。“神は、むかし先祖たちに、預言者たちを通して、多くの部分に分け、また、いろいろな方法で語られましたが、この終わりの時には、御子によって、私たちに語られました。(ヘブル1:1,2)” 、また“しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。(ローマ5:8)” と御言葉の宣言は明確です。

明らかにされた神からの救いのご計画があります。だからこそ、私たちも中途半端な姿勢ではなく、はっきりとした信仰の態度で従うのです。私たちを救うのは決して闇や謎の力ではなく、明瞭に示された神の愛によるのです。私たち一人一人には、十字架で罪のあがないを成就された救い主キリストがおられることを感謝しましょう。この世に示されたただ一人の救い主にあってこそ、救いの道が開かれるのです。


自己正当化ばかりでは話になりません! 2009年5月31日

北朝鮮が核実験を強行し、国際社会の非難を浴びています。前回の長距離弾道ミサイルの発射実験をした際は、“人工衛星だ”と強弁する北朝鮮に対して、中国やロシアは問題を深刻化させることを懸念して、結局国連の安全保障理事会でも議長声明での非難どまり。しかし、今回はあからさまに核実験を実行ということですから、そうそう甘い顔はできません。そうすると、北朝鮮は、日本海に向けてミサイルを数発発射。

各国が批判姿勢を鮮明にして、国連では新たな制裁決議もなされそうな勢い。北朝鮮を刺激したくない隣国の韓国もとうとう核不拡散条約に批准して、近海での船舶の臨検も可能な体制になりそうな情勢です。そうすると、北朝鮮はこの韓国の動きを一方的に“宣戦布告とみなす!”と言いがかりをつけてきます。韓国や日本も戦争になれば、北朝鮮の軍隊に攻撃されて国土が血の海になり、都市部は修羅場になるだろうと不気味な布告をしています。

国家も、単なる人の集合体ではなく、それぞれに国家の意志や人格ともいうべきものがあります。しかし、この北朝鮮という国はどのような場合にも自己正当化の論理が働くばかりでそれ以外の反応は出て来ません。少しでも自国の利にならぬことがあると、他国を非難するばかりか軍事力をちらつかせて脅しをかけてきます。自分が物騒なことをするから周辺各国も神経をとがらせているのに、悪いのはいつも相手の方だと言うのです。こういう態度ではどのような問題も埒(らち)があきませんし、底なしのわがままを認めて経済支援する以外に解決がないというのでは全く話になりません。

私たち個々人のケースに当てはめてみても、自分の非を認めることができず、反省することのできない人は、多くの人々と楽しい人生を過ごすことはできません。自己の生存本能のままに、自分の感性の赴くままに生きている動物たちとは違って、人間である私たちには自分を見つめ直し、反省する、やり直すという素晴らしい能力を神様は与えて下さっています。

最近は世の中が不安定で、経済的にも厳しい状況が多いからでしょうか、何だか人々の心の中で攻撃性ばかりが強くなっているように感じます。人に優しくしたり、思いやってあげること、自分自身の心を柔軟にして謝ってみること、そろばん勘定を越えて愛してみること・・・そんな信仰的な生き方が本当の幸せを形作るのです。主キリストの御前での悔い改めが、実は逆説的に大きな幸せの根拠となるのです。自己正当化ではなく、素直で、いつも修正の利く心の状態でありたいものです。


神様の基準を忘れないことです! 2009年5月24日

先週の木曜日より、司法制度の大きな変更があり、裁判員制度が運用されるようになりました。ご存知のように、今までの裁判は、その判決、量刑などに関しては、裁判官の職務職権においてなされていたもの。それが、最近の凶悪な事件に対する判決の庶民感情とのずれなどの是正の必要も叫ばれるようになり、今回の新制度となりました。

今までは、いわばプロの裁判官に任せていた判決に、たとえ一部であろうとも、私たち庶民が直接に関わるということです。裁きの座に庶民が就くことに関しては、権利と見るか義務と考えるか、いろいろな視点があるでしょうが、一般的な反応は、みんな実は少々不安でとまどっているというのが実感でしょう。“私みたいな人間が、どうして他人の罪を宣告し、刑に定めることができるだろうか”と感じてしまい、そんな厄介なことは裁判官がしっかりやってくれれば良いのに、と思ってしまう人が多いようです。

実際、裁判員制度で使用される法廷の構造などを見ると、裁判員たちは裁判官と並んで被告人の真正面に座ることになるようです。真っ直ぐに被告人の顔を見据えることができるか、もし反省の色の見えない極悪犯罪の罪に問われた被告人に睨みつけられたらどうしようか・・・そんなことをあれこれ考えてしまうのは、やはり私たちの心構えがまだ十分に整っていない証拠です。

私も、日本人である私たちには、アメリカのように市民が直接判決に関わる陪審員制度のような形はそぐわないのではないかと感じています。私たちは、どうも自分の視点や意志ではっきりと物事を判断するというよりも、全体や周囲の合意や空気を基に物事の判断をつけていることが多いからです。そんな協調性は高いが、個人の意志は薄弱な私たちが人を裁くとなると弱腰になるのは当然。どうしてこんな人間が、他人様を罪に定めることができようか、となるのです。

私たちが自分の気持ちや自信を判断や決断の基準にすることは、実は本当に脆いものなのです。自分自身を基準にしようとすると、情けない自分が土台なのですから、判断の基準はどんどんいい加減なものになってきます。妥協以外にありません。そんな弱く、情けない私たちだからこそ、神様を信じる価値と信じなければならない意味があるのです。足りないことの多い私たちだからこそ、揺るがない真理である神様を心の基準として持つ。弱い私たちだからこそ、中途半端な生き方に終始しないように、神様の基準をしっかりと意識するのです。あなたの基準ではなく、神様の基準をもって自分自身を含め、物事を正しく判断していきましょう。


受ける側から与える側へ! 2009年5月17日

先週は、2009年度のアンデレ宣教神学院の最初のスクーリングの週でした。月に一度の集中スクーリングを軸として授業を行なっている神学校ですので、普通の学校とは少々異なったタイミングでの新年度の開始となります。その新年度の開始と併せて、卒業式が行なわれるのもユニークな点です。年度末の3月までは授業が行なわれますので、卒業式だけを特別な日程で開催するより、新年度の開始と併せてみると、新入生、在学生にも大きな刺激となって、むしろ効果的な方法ではないかと思わされています。

今年は、2名の卒業生を送り出すことができました。現代日本の抱える、大きな霊的ニーズを考えると全く微々たるものなのですが、日本中の教会が何だか閉塞感の中に閉じ込められている状況下で、とにかく理屈だけでなく、何かを起こし続けていることは意味あることです。単なる学校の卒業生ではありません。主キリストの福音を人々に伝えようと、神の僕として生きることを選び取った働き人を、人々の生活の現場に送り出すということなのです。

人から何かをしてもらうことを求める人が、何だかやたらと増えてきたように感じる昨今。そういう時代的な風潮に逆行するように、受ける側から与える側へと人生のシフト・チェンジをする人々が実際に生まれているのです。今回の卒業生のお二人も、主キリストの愛と恵みが人々に伝わっていく、神から人への祝福の仲立ちをしようと目をキラキラと輝かせながら巣立っていかれました。

誰が考えても明らかなのですが、人から何もかもしてもらって、自分は何もしないでいるだけでは、家庭も学校も会社も、そして世の中全体が早晩行き詰ってしまいます。それなのに、自分の要求や権利ばかりを声高に主張することが脚光を浴びています。もらうこと、してもらうことだけは思いつくけれど、与えること、気遣うことなどには全く鈍感な人が激増しています。そんな時代状況だからこそ、“受けることよりも与える方が幸い”と言われた、主キリストの言葉に真剣に応答する生き方が価値を持つのです。

神学校の卒業生だけでなく、主キリストを信じるクリスチャンは皆、この与える生き方への促しを受けているのです。受けるだけの生き方は必ず行き詰ります。与える生き方は、いのちの与え主である神様ご自身が恵みの源となって下さるので、どこまで行っても行き詰ることはありません。あなたの心も、受けることばかりを期待している状態から、与えることのできる自分を素直に喜べる、愛に満たされた心へとスイッチを入れ替えることが大切です。受ける側から与える側へ、さあみんなで成長しましょう。


ストレートな“ありがとう”を! 2009年5月10日

中には16連休の人も、と言われた今年のゴールデン・ウィークももう終わり。新型インフルエンザの騒ぎの中でも、家族や友だちと遠出して楽しい時間を過ごされた方も多いはず。松山の教会に程近い道後温泉界隈も、“高速道路土日祝日1000円”の効果もあって、県外ナンバー車がうろうろ。徳島、姫路、岡山、大阪、三重・・・と、私自身が見かけたナンバーも様々。先日、スーパーの駐車場で隣に停まっていた車は、練馬ナンバーでした。

実際にどれほどの経済効果があったかは、専門家の評価を待たなければなりませんが、例年のゴールデン・ウィークに比べて、今年の高速道路の渋滞は、2倍も発生。人々の動き方、休日の過ごし方が確かに変化しました。高速料金も定額給付金も、何事にも賛否両論あるものですが、やはり思い切って何かをやってみれば、確かに何か変化が起こるものなのです。

さて、今日は母の日。あなたの“ありがとう”の表現の仕方についても、目を向けて欲しいのです。なぜなら、最近の風潮では、人に対して文句を言ったり、自分の権利を強く主張すること、あるいは人の目を上手くごまかしたりすることについてのノウハウや心構えはどんどん広まっているのですが、良い事を表現することに関しては、思いのほか消極的な空気が流れているからです。

“母の日”は、教会の中から生まれました。教会には、いつも神様から人へ、人から人へと、働きかける愛と恵みが生きており、それに呼応する感謝や讃美が満ちています。そして、毎日、当たり前のように受けている親からの愛に対しても、素直に喜んで、“ありがとう”と表現することができるのです。ニュースでは暗い悲惨な話題が止めどなく流れ、インターネットでは他人への誹謗中傷が溢れかえる時代です。噂話や私たちの心の思いも、何だか嫌なものが増えてきています。そんな時代だからこそ、素直な“ありがとう”は、その短いフレーズ以上に大きな意味と影響力を持つのです。

“ありがとう”を言おうとすると、誰でも照れたり、恥ずかしく感じてしまうものです。だからこそ、ちょっと勇気を出して、“ありがとう”を言ってみる価値があります。実は、簡単で小さなことですが、これをみんなが実際に口にするだけで、私たちの周囲には大きな喜びの力が動き始めるのです。喜び、祈り、感謝はクリスチャンの専売特許と言っても良いぐらいのもの。ストレートな“ありがとう”を、口にしたいと思います。そうすれば、あなたの周りにも、聖霊に満ちた恵みの空気が必ず流れ始めます。


“蟻の一穴”にご用心! 2009年5月3日

豚インフルエンザ(インフルA)が、大きな憂慮をもたらす事態となってきました。ちょうどゴールデン・ウィークと重なって、海外旅行などを計画していた人にはちょっと困った状況です。このまま旅行に出発しようか、中止しようかと、迷っておられる方も多いはず。

心配される毒性はさほど高くないということですので、万が一、発症が疑われる場合にも早目に手を打てば大丈夫。一番いけないのは、パニックになること。日本での発症の疑われる方を、まるで犯罪者か何かのようにカメラで追いかけ回るテレビ、新聞などのマスコミの大騒ぎにむやみに乗せられないことです。

しかし、改めて考えさせられるのは、普段は健康を当たり前と思っている私たちが、目に見えないような細菌やウイルスによって、場合によっては生命の危険にまでさらされるということ。体重比で言えば、何億分の一か、何兆分の一かのウイルスに感染することがきっかけで、生命を落とすという信じられないことが起こるということです。

インフルエンザへの感染は単に誰かの失敗や過失というわけではありませんが、“蟻の一穴”のたとえのように、ホンの小さなものと思われる原因が大きな失敗や悲劇の引き金ともなりかねません。細菌やウイルスのように非常に原始的な簡単な構造をもつ微細な生物に、21世紀の高度な文明を作り上げた人類が甚大な被害を受けるのです。小さいからといって馬鹿にできませんし、油断は禁物です。

私たちの心の中のことについても、同様なことが言えます。罪の種は、誰の心の中にもあるもの。一見、特別なものとは思えず、お互い罪人同士、それぞれに罪があるからと責め合う訳にもいきません。しかし、聖書は、私たちの嘘やごまかし、小さな悪口が大きな罪を生み出す可能性があり、ひいては私たちの人生全体に暗い影を落とさせる重大な原因となるのだと警告しています。

今、国を挙げて、インフルAの進入を食い止めようと、空港などでは検疫などの、いわゆる水際作戦が必死で展開されています。私たちの心も、小さな罪の種や悪の芽に対して、十分に注意を払いたいもの。折角のゴールデン・ウィークを、罪の力で振り回されて終わることがありませんように。あなたの大切な家族や友人たちとの楽しい時間です。つまらぬ悪意の言葉を口にしないように。笑顔と優しい雰囲気で接しましょう。あなたの心がキリストの愛と聖霊の力に満たされていることが大切です。楽しいはずの時間を、悪魔に奪われぬように、神様の恵みで満たしておきましょう。


“ストレス対応モード”の信仰を! 2009年4月26日

人気グループ、スマップの草g剛さんが泥酔の果てに公然わいせつ罪で逮捕されたり、女優の清水由貴子さんが自殺したりと、好人物の残念な事件が続いています。先週、東京に出かけた際、三度乗った電車で、二回、人身事故の影響で遅れが出ていました。この時の“人身事故”とは、もちろん、電車への飛込み自殺のことです。

一生懸命頑張っている、良い人たちや、ごく平凡な生活をしているはずの庶民の日常に、ストレスが大きな問題となってきています。良い人たちが苦しみ始めている訳ですし、どうして?と思われるようなごく普通の暮らしをしている人々の心の中にも、何だか重苦しいものが宿り始めているのです。特別な問題があったからとか、あの人はだらしない生活をしているからとか、あの人はもともと気が弱かったから当然というのではなく、真面目に長年、一生懸命に頑張ってこれたはずの人々にも様々なストレスや重圧に苦しむ様相が見えてきたのです。気をつけなければいけません。

様々な予防策や、処方箋が語られはするのですが、私が牧師として本気でお勧めするストレス対処法は、たった二つ。まず第一に、とにかく睡眠をきちんと取るということ。ちゃんと寝てさえいれば、人間の心は少々の問題があっても、必要以上に悲観的になったり自暴自棄に陥ったりしなくて済みます。何度も申し上げているように、不登校の問題なども、基本的には子供たちが寝不足で朝、不機嫌なことが一番大きな原因だと思います。第二に、ちゃんと神様との交わりの時間を作り出すこと。暇になったら教会に行きます、と言うのでは、今の時代、誰も教会に来られません。いのちの与え主である神様との信仰による交わりこそが、私たちの心を本当に潤すものであることを忘れてはなりません。神様と共にある自分をつかんでおけば、どんな問題の中でも事態は必ず解決に向かって動き始めるのです。勝利と祝福への動きが起こり始めます。

本物の信仰は、私たち人間が生きる限り、どのような状況においても救いを与えるものです。だからこそ、21世紀を生きる現代人も、信仰を持つ意味があるのです。信仰は、決して過去の遺物ではなく、むしろ何よりもタイムリーに、私たちを救う神様からの祝福をもたらすものなのです。ストレス社会という現実が、あなたの側にもヒタヒタと迫りつつある昨今の状況だからこそ、主キリストへの信仰を飾り物で終わらせず、あなた自身の確固たる救いや力強い前進のために用いるべきなのです。主キリストがあなたに与えて下さった、生けるまことの神様への信仰にはちゃんと“ストレス対応モード”が付いています。あなたとご家族の幸せのために、本物の信仰のスイッチを入れて下さい。


“ごね得”はもうやめにしましょう! 2009年4月19日

北朝鮮という国の対応を見ていると、本当に国という体(てい)をなしているのか、本当に疑問を感じてしまいます。国際社会が猛反発する中、長距離弾道ミサイルの発射を強行。国連が安保理の議長声明の形で抗議を表明すると、今度は、平和目的のための人工衛星打ち上げをしただけなのに、なぜ他の国々から文句を言われなければならないか、これは内政干渉だと言い出しました。挙げ句の果てに、日本やアメリカを含む6カ国協議には出ない、封印していた核開発を再開する、と言いたい放題です。

最近、私の自宅から教会に来る途中の道路が、整備されつつあります。特に、温泉地として有名な道後から東に向かう道路は、やっと幅が広げられ、市民にも観光客にも快適なものとなってきました。そんな道路工事が着々と進む中にも、立ち退かないマンションが。つい最近は、明らかに工事にかかる部分の倉庫のような建物の上にも電気の看板を設置して、素人目にも立ち退きをごねているのかな、と思わされる状況です。詳しい事情はわかりませんが、おそらくそんな話でしょう。

どうも自分の権利ばかりを主張して、他の人のことは全く配慮せず、それが自分らしいと思い込む態度が、最近は個々人でも、団体でも、国家のレベルでも増えてきた感があります。主義、主張を論じることが重要であることは、誰しもが認めるところ。しかし、それが単なるわがままや身勝手のごり押しでは困ります。何だか、ギスギスした、温かみや優しさのない世の中になったものだと、ふと溜め息をつきたくなります。

ごねれば何でも得になる、という愚かな思い込みから抜け出すことが大切です。当然そんなことは分かっているつもりの私たちの心の中にも、どこかで同じようなつまらぬ論法がないでしょうか。最近は、どこも訴訟ばやり。自分に都合の悪いことがあると、すぐに裁判の場での争いになります。しかし、実際には法廷ですべての白黒が決着して、完全な解決が生まれる訳ではありません。裁判の判決が出たところで、本当に問題が最終的にあるべき所に落ち着くためには、どうしても人間らしい、温かい、柔らかな心がなければなりません。法律の条文や裁判の冷たい判決文だけでは幸せは到来しないのです。

罪や欲望のごり押しが、幸せを作り出すことはありません。ごね得で手にする利益は、本当の幸福を生み出すものではありません。どこかで必ず不利益をもたらします。私たちには、世の中の論法とは異なる、主キリストの愛に基づく原則があります。そう、どんな時も愛することを忘れないこと、いつも与えることを忘れないことです。私たちの幸せの原則は、キリストの救いの中にちゃんと備えられています。


慌てない、大騒ぎしない! 2009年4月12日

北朝鮮から問題の飛翔体が発射されたのは、先週日曜日の松山での第2礼拝の最中。その前日には、発射に関する誤報が2度も流され、発射の前後数日は文字通り日本中が大騒動の有様。北朝鮮は「人口衛星の打ち上げ」と強弁し続けていますが、地球軌道上に人工衛星らしきものが到達した形跡は無しと国際社会は断定。慎重(しんちょう)居士(こじ)の日本政府も、10日になって飛翔体は“ミサイル”だ、と遅まきながらの断定。ミサイル落下の可能性が云々されると、日本海にはイージス艦が展開し、PAC3地対空ミサイルも配備され、日本中がいきなり厳戒態勢の雰囲気でした。出港するイージス艦を見て「まるで戦争のようだ」という感想がテレビでも流れて、何だか物々しい状況に・・・。

確かに、北朝鮮の核開発疑惑は由々しき問題ですし、それが長距離弾道弾に搭載される可能性があるとなると、日本や極東の安全保障だけでなく、世界規模の懸念となります。しかし、同時に、何だか騒ぎ過ぎの感も。ミサイル一発が上空を通過するだけで、政府も各地のお役所も、マスコミも大騒ぎ。北朝鮮に対して強い抗議を突きつけるというよりも、むしろ今後、日本に向けてはミサイルを打つぞと脅しただけで国中が縮み上がるのだという自信を持たせてしまったのではないかと心配になります。

私流の荒っぽい言い方をすれば、今回のミサイルの落下を心配するよりは、今日一日、交通事故に遭わないように用心することの方が、確率の問題では桁違いに大きいことのはず。“大山鳴動して鼠一匹”では、何とも情けないのです。どうも私たち日本人は平和ボケが酷(ひど)くて、ちょっとした問題や危険が迫るだけで、天地が滅びるかのような大騒動に発展してしまうようです。確かに懸念は存在していても、だからと言って、問題に対して過敏すぎるのは考えものです。

私たち個々人に関しても同じことが言えます。悩みや問題があるのは、誰にとっても嫌なことです。しかし、だからと言って、それで人生が終わりになってしまうかのような大騒動に発展させるべきではありません。悩みや問題に過敏になり、与えられているはずの幸福感まで吹っ飛ばしてしまっては元も子もありません。花粉症などの身体のアレルギーだけが問題なのではなく、心の過敏症にも要注意!大騒ぎしなくても大丈夫です。 「あなたがたは、世にあっては患難があります。」とキリストは語られました。その上で、「しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」(ヨハネ16:33)と断言されたのです。さあ、イースターの聖日です。主キリストの復活のいのちで、あなたも本当に強くされて下さい。イースター、おめでとうございます。


頼りがいのある人! 2009年4月5日

先週、学生キャンプが持たれ、30名近い中高生、大学生のみんなが参加してくれました。愛媛県大洲の国立“青少年交流の家”を会場として、2泊3日のスケジュールで、野外での活動やスポーツ、そして、もちろん集会など、春休みにふさわしい交わりの時間を満喫しました。春先の山際のことですので、2日目の夕方などは真冬に逆戻りかと思うような冷え込み。そんな中でも、みんなでわいわいと野外炊さんに取り組み、それもまた印象に残るイベントとなりました。

若者たちのキャンプですので、大人の関わり方が、いつも気になるところです。大人が何から何までバッチリ準備して、若者たちがただお客さんとして参加するのなら、そのあたりの塾がやっている合宿と変わりません。何も私たちでなく、イベント会社でも高いお金さえもらえば、どんな準備でもしてくれるはず。しかし、私たちが開くのは、教会のキャンプ。主キリストのいのちと恵みをいただきつつ、若い兄弟姉妹が信仰を軸として成長し、新しい人々も導かれてくる、そんなキャンプです。

今回のキャンプに参加して、若い兄弟姉妹たちの中に、着実に成長のしるしを見ることができて本当に感謝でした。全体のプログラムの進行に積極的に関わってくれる若い兄弟姉妹たちも沢山いましたし、みんなとの和やかな時間を作り出そうといろいろと気を遣ってくれるみんながいました。語る言葉を聞きながら、信仰の面でも、ぐっと成長してきたな、と感じさせてくれる兄弟姉妹たちもいました。

一言で言うと、若い兄弟姉妹たちの中に、確かに“頼りがいがある”という感覚が育ってきているのは、本当に感謝なことです。最近は、自分の都合や自分の気持ちのことしか考えられない人が増えていて、世の中全体がわがままな空気に包まれています。そんな中で、人のことを思いやってあげられる優しい気持ちがある、人がしないことでも自分がしてあげようとする、この人に任せておけば大丈夫だ・・・そんな価値ある心構えを持った兄弟姉妹へと、若いみんなが着実に成長してきています。

“頼りがいのある人”になるためには、主キリストが私たちに注いで下さった、“与える愛”を持っていることが大切。それも、付け焼刃的にではなく、ごく自然と自分のいのちの一部として持っていることが大事なのです。私たちを救うために、ご自身のいのちまで献げて下さった主キリストの愛が、私たち一人一人の成長のためにも不可欠なものなのです。自己中心の世の中です。主キリストの愛を受けて、私たちも人々にとって“頼りがい”のある一人一人へと成長してまいりましょう。


桜の季節に、新たな決意を固めよう! 2009年3月29日

先週、月曜日からのマレーシア伝道から戻って来て真っ先にうれしく感じたことは、桜が咲き始めていたこと。ここ松山でもすでに5〜7、8分咲きになっていました。街の雰囲気や食べ物にも「ここは日本だ」と感じるのですが、ふと春の日差しに照らされている桜を見ると、いかにも日本らしさを感じてしまいます。

この桜の季節から、また新しい一年が動き始めます。特に、この一週間は、実際に引越ししたり、会社の中での異動があったり、学校の先生の離任式が行なわれたりで、そんな時の流れの中での区切り目を実感させられる日々となります。新しい一年には、やはり、新鮮な思いを。同じ一年でも、心構え次第で日々の彩りは変わり、成果そのものは天と地ほどの差が生まれてきます。

桜の美しさに浮かれて、ドンチャン騒ぎをして終わるだけでなく、しっかりと新たな一年に向き合う決意を固めたいもの。この文章をお読みの方々の中にも、“今年こそ・・・”と思っておられる方は多いはず。今、この文章に目を通して下さっている事実も、あなたのために神様からの祝福が備えられている証拠です。さあ、価値ある一年度を生み出す、心構えの秘訣を意識して下さい。

@今までと同じ事をしても何も変わりません。今までと違うことをしてみよう!

せっかくの新しい一年です。今までのあなたが踏み出せなかった事柄をぜひ実現しましょう。今までとは違うことをしてみないと、新しいことは起こりません。これまでのマンネリの延長ではなく、新たな世界を拓きましょう。

A考えているだけではダメ。実際に行動してみることが大切です!

どんな良いアイディアも、形にしなければいつまでも“案”のまま。屁理屈が上手が人は増えていますが、素直に行動できる人が逆に減っています。あなたの生活習慣や、小さな言動、時間の使い方、人との接し方・・・身近なところから実際に行動してみましょう。

B目標の質を下げては単なるダラダラ。価値の高いものを目指しましょう!

自分のわがままを通すことばかりを考えていても、人は決して幸せにはなれません。周囲のみんなを幸せにするもの、神様の御心にかなうものをあなたの目標にして下さい。欲求や欲望だけに振り回される生き方から、真の志のある生き方へと成長していきましょう。

あなたの毎日の生活に、神様を意識する時間がきちんと形作られていきますように。日曜日の礼拝、毎日の祈り・・・幸せを呼び込む新しい習慣を作り出して下さい。


決して不可能ではない! 2009年3月22日

スペースシャトル・ディスカバリーの打ち上げによって、今回、宇宙へと飛び立った乗組員の一人は、日本人の若田光一さん。何と3回目の宇宙旅行です。ディスカバリーは、国際宇宙ステーションにドッキングし、今後の若田さんの働きによって、日本の実験棟「きぼう」が完成させられる運びとなります。

それに加えて今回の重要な予定の一つに、宇宙での長期滞在に伴う人体への影響を調べる実験があります。他でもない、若田さん自身の身体を実験台にして、宇宙で人間が長期的に生きて行けるか、その可能性について考えようというのです。無重力の世界では、骨密度が急速に低下するなど、人体の機能が急激に変化することも報告されていますので、実に興味深い実験です。今、こうしている間も、若田さんは地球の周りの宇宙空間を宇宙ステーションに乗って飛んでいる訳です。

SFの世界では、宇宙遊泳も、宇宙ステーションも、宇宙での何年にも及ぶ生活もごく当たり前の事として、何十年も前から描かれてきた物。小説や映画の中では、当たり前のように宇宙船が星雲間を飛びまわり、人類は地球を離れて何年もの宇宙旅行に出たり、別の天体を新たな棲家(すみか)にしていたりします。しかし、科学的な想像上の世界では簡単なことでも、事実となると実に大変なことであり、何年、何十年、何百年もの知識と技術の積み重ねが必要なのでした。でも、不可能ではなかったのです。

私たちの周りの出来事においても、それまでできなかったことがいきなり、それもあっさりと可能となるという事例を見つけることができます。幼児の頃は自分が自転車に乗れるとは思えず、水の中を泳ぐことはとてもできないと思っていても、それらのことは少年の時期を迎える前に、いともあっさりと可能になるものです。自分が人の親になるとはとても想像できなくても、赤ちゃんを抱きしめてからは、いつの間にかそうなっているものです。今では、携帯電話という個人用の通信機をいつの間にか誰もが持っていますし、テレビやインターネットでは、世界中のニュースがリアルタイムで流れています。

私たちの成長も、大人になったから止まったというのではなく、春の到来と共に、もう一度それぞれに成長したいものだと思います。決して不可能ではありません。これからの新しい一年度に、自分なりの信仰者としての成長や飛躍を考えてみたいものです。子供の頃の感覚や、科学技術の話題だけでなく、今までできないと思っていたことが、いきなり、それも案外あっさりとできるようになる、ということを体験してみましょう。そんなところにも、信仰の働かせどころがあるのです。


時効ということ! 2009年3月15日

最近、凶悪犯罪の被害者や被害者家族からの要請で、時効撤廃の動きが出ています。確かに、殺人事件の時効が15年と聞くと、“わずか15年で・・・”と当事者でない私たちも感じてしまいます。昔と違って、めまぐるしく物事が移り変わり、時間がアッと言う間に過ぎてしまう時代です。同時に、人生の時間は延びていますので、私たちそれぞれにとっても15年は、案外短く感じられる期間になってきたのです。被害者感情からすれば、時間が経てば罪に問われないというのは、納得のいかないことでしょう。確かに、犯人が逃げ回り、身を隠す範囲も世界中に広がっていますから、凶悪犯罪に関する時効は、期間を延長するか、撤廃するかを考えた方が良いのでしょう。

一方で、親子でこのまま一緒に日本で生活したいと特別在留許可を求めていたフィリピン人のアラン・カルデロンさん一家の願いはかないませんでした。日本で生まれ育った長女の、のり子さん(13歳)だけには特別許可が下りたものの、両親は偽造パスポートを使っての入国が悪質とのことで、不法滞在者としてフィリピンへ戻らざるを得なくなりました。のり子さんは日本に残って生活をするということで、バラバラになる家族のことを思うと何だかかわいそうです。確かに違法に入国し不法滞在、という事実なのですが、十数年も静かに日本の生活に馴染んで平和に暮らしてきた家族のことを思うと、こういうケースでは、逆に時効があれば良かったのにと思ってしまいます。

皆さんは、聖書が時効についてどう答えているか、ご存知ですか?永遠に変わることのない神様だから、とことん人の罪は罪として裁き続けられるのでしょうか?実は、聖書の教えは正反対。神様は、私たちの罪をいつまでも忘れずに、裁き続ける代わりに、赦すことを宣言されました。永遠に思い出さない、とも語って下さいました。もちろん、人の罪をうやむやにして赦すという、いい加減なものではありません。私たちの救い主イエス・キリストが、私たちの罪を全部そっくりそのまま背負って身代わりとして死んで下さることによって、完全な赦しが与えられるというのです。

いつまでも赦されない、永遠に赦してもらえないことは、本当に悲劇的なこと。私たちのいのちのために、確かな赦しの道が備えられていることを感謝したいと思います。同時に、人をいつまでも赦さない、永遠に怨み続ける、憎み続けるというのも、悲しいことです。神様ご自身が、裁きを超える、赦す愛を示して下さっています。人の世の“時効”を超える、徹底的な赦す愛をいただいて生きていける私たちは本当に幸せです。


人生の大局を見失わない! 2009年3月8日

日替わりで物事の状況がコロコロ変わります。そんな時代です。政治の世界でも、迷走を続ける麻生首相や何だかまとまりのない自民党に対して、“解散!総選挙!”と勢いで圧倒していたはずの民主党も、小沢代表事務所の献金問題で、いきなり検察と対決することとなり、突然慌てふためいています。わずか一週間、たった一つの疑惑で、一国の政治を取り巻く情勢が変わるのです。最近の世相の落ち着きのなさは、マスコミによるその場その場でのヒステリックな節操のない報道が大きな原因だと思うのですが、それにしても落ち着きのない毎日です。

だからこそ、自分の人生や日々の生活に安定感を生み出す工夫を忘れてはなりません。でないと、ジェットコースターさながらに、上へ下への大騒ぎに私たち自身が陥ってしまいます。小学生の頃、先生からはよく“落ち着いて行動すること”と言われました。それが今では、立派な大人たちまで、何だか浮き足立ったパターンの暮らしぶり。

信仰を働かせて、自分らしい落ち着きを作り出すことが幸せへの身近な鍵です。3月も半ばになると、4月以降の生活や仕事、学校などに関連して、様々な動きや変化のことが話題に上ります。学生たちの進路、転勤の話題、引越しの準備・・・日本の春に付き物の話題を、今年も私の周囲でも耳にするようになりました。ご当人たちの期待や不安もあれば、周囲の私たちも心配したり、淋しかったりの思いを抱いています。桜の季節に向かう時期は、ワクワクした気持ちと共に、一抹の淋しさを覚える時期でもあるのです。

私たち人間には、これから先の事柄は完全には予測できないので、不安を覚えるのもいたし方なし。しかし、だからと言って、何でも成り行き任せではダメ。目先のことだけを考えるのでは、あまりにも刹那的(せつなてき)です。そんな弱い私たちのためにこそ、真の神様を信じる信仰があるのだということを思い起こして下さい。未来を見る能力に限界のある私たちだからこそ、時を超えて働かれる神様が共にいる恵みを確かに受け止めたいのです。

信仰を働かせることによって、私たちは初めて本当の大局的な視点を持つことができます。人間の狭い視野を超えて、神様の視点から物事を見ることが可能になるのです。あなたの春の計画やこれからの展望について、祈りつつ神様からの視点が与えられるように求めて下さい。近視眼的に右往左往する移り変わりの激しい生き方だけでなく、信仰者の腰のどっしり据わった、先を見据えた生き方があることを忘れないで下さい。神様が共にいて下されば、これからのことも絶対に大丈夫なのです。


私たちが神の家族であるということ! 2009年3月1日

NHKの現行の番組中の最長寿番組・・・実に52年目を迎えている“きょうの料理”の内容も、時の流れにつれ徐々に変化しています。今月末には、料理の材料の目安が、従来の4人分から2人分へと変わるそうです。1957年の番組開始当時は、5人分でスタートしたものが、1965年からは4人分へと変更され、最近の番組テキストの読者アンケートの結果から2人分を望む声が多いということで、44年ぶりの変更に踏み切ったということです。

核家族化、高齢化、少子化、離婚の増加などの影響で、日本の家族の規模がどんどん小さくなっているということです。2005年の国勢調査によれば、1世帯の平均人数は、2.55人だとか。私が小学生の頃には、平均4人近くと習ったと記憶しています。今では、同じ料理を作るにしても、家族でも4人分では多すぎるということ・・・。ちょっと淋しい感じを覚えるのは、決して私だけではないはずです。家族というのは、私たち人間が生活していく上での最も基本となる人の集まり。それが時代の流れと共に、徐々に小さくなっているのです。

集団よりも個人に重きが置かれる今どきの風潮ですから、家族同士でも一緒にいるというよりも、だんだんと個々人がそれぞれ別々に暮らしていくことが当たり前になっているのでしょう。しかし、人は一人で生きていくようには造られていないのですから、むやみに家族の規模が小さくなり続けることには、良いところだけでなく明らかに短所と言うべきものも増えていくはずです。

クリスチャンの世界には、“神の家族”という考えがあります。私たちは、主イエス・キリストを信じ受け入れたことにより、主にある兄弟姉妹としての新しい生き方が与えられたというのです。お互いを○○兄弟、◇◇姉妹と呼び合うのは、単なる称号ではなく、それぞれを霊的な家族の一員と認めているからです。個人個人がバラバラになって、孤立した時間が多くなる現代風の生き様とは全く別の、共にいて励まし合い、祈り合う、神の家族の一員として生きる意識を大切にしたいものです。

人が共に集う所に、明るさが芽生え、温かみが生じ、勢いが生まれてきます。悲しみは分かち合うことができ、楽しさは何倍にも喜び合うことができます。神の家族が、その規模や人数においても成長していくことは、本当に素晴らしいことなのです。世の中の家族の有様が、どんどん小さくなっていく中で、私たちはぐんぐん成長する神の家族を意識しましょう。


コロコロ変わる?それとも、ずっと続く? 2009年2月22日

100年に一度の大経済危機の中、景気の回復や社会情勢の低迷打破への主導的働きをなすべき肝心の日本の政治が安定しません。政治には全くの素人の私が見ていても、何だかふらふらしている感覚を抱いてしまいます。小泉元首相の長期政権以降、安部元首相、福田前首相と一年も持たない内に日本の指導者の顔が変わって、最近ではどうも麻生首相の足元も相当危くなくなってきました。

麻生首相本人の話題だけでなく、先週はすでに辞任した中川財務大臣のパリG7での変てこな会見など内閣総出演で不安定さを演出しています。“ろれつが回らない”のか“酩酊状態”なのか“眠くてたまらない”のか、表現は様々ですが、日本を代表する大臣が国際会議で見せるべき態度でなかったのは一目瞭然。実に情けない光景でした。無責任な野党と一緒になって“やめろ!やめろ!”の大合唱に乗る気は毛頭ありませんが、それにしても日本国中の大切な事柄の安定感が欠如しています。

世の中の流行だけでなく、大臣も総理もコロコロ変わるおかしな世の中です。だからと言って、そんなふうに変わるのが自然なのか、変わりやすいことが良いことかと言えば、慎重に考えてみる必要があります。アメリカのオバマ大統領が言うように“変わる”ことも必要です。しかし、その変化の度合いが限度を越えて不安定なものになる可能性がある時には、真剣に変わらないものを意識することが大切です。真の価値を生むバランス感覚が不可欠なのです。

何事も不安定になる時代においてこそ、ずっと続く、いつまでも変わらないものの尊さを問い直す必要があります。実は、私たちの存在やいのちに関する大事なものほど、コロコロ変わることよりも、ずっと変わらず続くことに価値を見い出すものが多いのです。親子の情愛は簡単には変わりません。日替わりの友情など、友情と呼ぶに相応しいものではありません。少々の困難で挫折する夢や志は、いつまで経っても決して実現されることはありません。

信仰は、神様と私たちを結ぶいのち。簡単に付いたり離れたりするものではありません。一方の当事者である神様は“永遠”という言葉を使って私たちに対する変わらぬ愛を約束して下さっています。もう一方の当事者である私たちの方はどうでしょう? いくら世の中の風潮だと言っても、簡単に染まってはいけないものがあります。信仰については、コロコロ変わるものではなく、ずっと続く価値あるものを意識しましょう。


春一番の季節です! 2009年2月15日

先週は寒さの緩む日が続きました。もちろん、これからも冬に戻ったように感じる寒い日もあると思うのですが、季節は着実に春に向かって流れています。年末年始の頃に比べると陽も随分と長くなってきました。

各地から“春一番”の話題も届けられ、同時に、中国大陸からの黄砂も飛来する時期となっています。考えてみると凄いことです。中国の奥地やモンゴルの砂漠などの砂塵が風で上空に巻き上げられ、強風に乗って、何百キロも一千キロ以上も離れた日本にまで飛んで来るというのです。自動車のボンネットなどに薄く積もった砂は、何とはるばる中国の大地から飛んで来たもの。春の訪れは、冬の間の何だか萎縮した狭い世界を一気に広げる、躍動感に溢れた感覚を伴っています。

まだまだ寒い日は続くでしょうが、あなたの心も春への備えを忘れずに。いつまでも冬の心のままでいないように。それでなくても不況だ、100年に一度の経済危機だと言われている昨今の状況ですから、あなたの生活の中にも凍て付いたように感じる出来事が起こっていたかもしれません。しかし、新しい季節は必ず到来します。そして、何よりもあなたのために神様が着々と事を押し進めて下さっていることを信じてまいりましょう。

中国の大地の砂粒が、遠く離れた日本にまで飛ぶことがあるのです。私たちの置かれている狭い世界の出来事が、ずっと続くと決め付ける必要はありません。あなたの人生は、決してあなたの小さな力だけで動かしている訳ではありません。あなたの周りには、あなたの想像以上にあなたを愛し、支え応援して下さっている方々がおられますし、何よりもあなたを救いに導いて下さった神様が力を注いで下さり、守り導いて下さいます。自分では、1ミリたりとも動くことのできない砂粒が、何百キロも空を飛ぶことがあるのなら、私たちの人生には計り知れない可能性があることを認めるべきです。

私たち人間は、この世に存在するものの中でも最高のものとして、神様からいのちを受けました。しかし、最高のものだからこそいただいた意志や感情の働きが、神様の導きから離れて、時にはマイナスの方向を向くことがあるので厄介なのです。大きな夢と可能性を与えられて生きているのに、逆に“もうだめだ”とか、“もう終わりだ”とか思い込ませて、自分で自分を行き詰らせてしまうのです。さあ、神様の臨在のもとで、霊的な深呼吸をしましょう。心を開き、新鮮な霊的な空気を魂の深みにまでいただきましょう。あなたのためにも、新しい祝福は確実に備えられています。


奇跡のある信仰生活! 2009年2月8日

あなたの日々の生活の中に、神様からの恵みが溢れている事が大切です。いつの間にか、あなたの信仰が、自分の力だけでのやせ我慢のようになっていないか、十分に注意して下さい。どうしても私たち日本人は、神様に対する信仰を頭だけで理解しようとし過ぎるのです。

私が、“奇跡”ということを口にすると、“奇跡なんて起こらない!”と反発される方がおられます。確かに、学校の勉強で学んだ範囲では、科学の方程式が許す範囲のことしかこの世では起こらないのです。しかし、果たして、あなたの生活は、数学の公式や理科の実験のとおりに事が運ぶだけの毎日なのでしょうか?予想通りに事が運ばなかったり、自分の想像を超えたことが起こったりすることは全くないのですか?

キリスト教は真面目な宗教なのだから道徳的な話だけをしておけば良い、と考えておられる人もいます。“奇跡なんていうのはオウム真理教と一緒だ”とかなり荒っぽいことを言われる方もおいでです。しかし、そもそも私たちの聖書を開いてみると、そこには奇跡が満載。何よりも、私たちの救い主イエス・キリストの出来事も、“神が人となられた”という事に始まって、癒しや霊的な解放など主ご自身の日常は奇跡が溢れていたのですし、人の罪を背負っての十字架での死や、死からの甦りなど、実は奇跡の塊りのようなものなのです。聖書から、奇跡を抜いて学ぼうというのは、熟しきったオレンジから新鮮な果汁をわざわざ抜き取ってから楽しもうというようなものなのです。

世の中に蔓延する安っぽい奇跡に失望している人が沢山いることは事実でしょう。しかし、だからと言って、私たちを本当に救いに導き、また救いの喜びの溢れる生活だからこそ現される、本物の奇跡があることを全く語らなくなるのは、かえって大きな罪作りと言わざるを得ません。確かにダメな教師やいい加減な医師もいるでしょう。でたらめな牧師というのも存在するかもしれません。しかし、だからと言って教育や医療の理想や崇高さをなくしてはなりません。そして、教会には、いつも私たちを愛し、救って下さる神様の愛と力が、時には人間の常識を超えて現される恵みの世界が広がっているべきなのです。

奇跡を信じられない時代だからこそ、私は敢えて“奇跡”を口にします。信仰の世界は、私たち人間の頑張りだけで終わるものではなく、常識や予想さえ遥かに超える神様の豊かな恵みの世界なのです。あなたのために、本当の恵みをお与え下さる神様に、今日も信仰をもって期待しましょう。


日進月歩の世の中で! 2009年2月1日

厚生労働省の主導する産学協同チームが、いろいろな型のインフルエンザ・ウイルスに効く万能ワクチンの開発に成功した、と発表しました。インフルエンザ・ウイルスは、頻繁に変異し、ウイルス表面のとげの形を変えるため、その都度ワクチンもその変異に対応して新たに作り直されなければなりませんでした。流行する型の予想が外れると、接種したワクチンの効果も著しく減じられると言われてきました。

その上、特効薬のタミフルに対する耐性まで備えたウイルスが登場しているとあって、今後、鳥インフルエンザの流行に伴って、人体への感染の可能性などが論じられると、何十万、何百万もの人命を損なう可能性があるとまで言われ、いやがうえにも不安が増大していました。

そこに、今回の万能ワクチンの報道。イギリスでも、同じようなワクチンの開発が進んでいるとあって、医学の世界はまさに日進月歩。今後、人体への安全性などが確認された上で世界に供給されることになれば、人類はインフルエンザを克服したとも言えるような時代を迎える訳です。

今日一日が、昨日と比べて劇的に変化している訳ではありません。しかし、私たちの社会は着実に動き、毎日の出来事が集積される中で、事態は確かに変化しています。中には、今までの状況を一変させてしまうような、大きな意味のある変化も生まれてきます。

気が付けば、2009年もすでにひと月が過ぎ、2月の始まりとなりました。世の中が、大不況の閉塞感の中にあっても日進月歩を続けるように、あなたの生活の中にも進歩は生まれているでしょうか?ドタバタと雑音ばかり大きくして、忙しそうに動き回っていても、何も生み出していないのでは、籠の中でひたすら車輪を回し続けているハムスターとさほど変わりがありません。堂々巡りの達人で終わるのではなく、“わたしが示す地へ行きなさい”とアブラハムに語られた同じ神様(創12:1)が私たちと共にいて下さるのですから、人生の大きな目的を意識し、具体的な目標に向かって着実に前進するものでありましょう。

さあ、新しいひと月の始まりです。この一ヶ月が、主キリストの導きと祝福の中で、大いに恵まれた日々となるように、信仰を働かせて期待しましょう。与えられた日々を大切にして、祈りを込めて、なすべきことをしてまいりましょう。“2月は逃げる”などとも言われて、実際、日数の方も何日か少な目ですので、お互いに注意しましょう。恵みのひと月の始まりを感謝し、喜びをもって歩みましょう。


言葉の力! 2009年1月25日

アメリカ合衆国の第44代大統領に、バラク・オバマ氏が就任しました。先日の就任式の模様は全世界に同時中継され、私も、本当は眠れば良かったのですが、火曜日の深夜というか水曜日の未明、出張先のテレビにかじりついて見てしまいました。

大統領の宣誓に際しては、リンカーン大統領の用いた聖書が用いられ、また、公民権運動に取り組み暗殺されたキング牧師の“私には夢がある!”と語った、人種を超えて人々が一致する理想を誰もが思い起こしていたようです。就任式に先立って国家礼拝が執り行なわれたり、確かにそこかしこにアメリカの歴史に流れるクリスチャン色の溢れたものでした。

黒人初の大統領ということで、かつての奴隷制の問題や、公民権を巡る平等の基準などのことを思い浮かべると、確かにアメリカの大統領という現代社会での力の頂点ともいえる地位に黒人であるオバマ氏が就いたことは大事件です。しかし、今回の大統領選挙で、オバマ氏が選ばれたのは、“黒人”を前面に押し出した、人種問題を中心とした動きではありませんでした。むしろ、アメリカの白人たちも、少なからずオバマ氏を支援したのです。それは、今のアメリカが直面する経済金融危機や全世界でのテロとの戦いのあり方、環境問題への取り組み方など、前政権までの流れからの変化や変革を人々が望んだからです。

オバマ氏が人々の心をつかんだのは、何と言っても演説の魅力。分かりやすいフレーズを多用し、牧師の説教のような雰囲気で、人々の心に響く語りかけをしたからです。日本でも、オバマ氏の演説の本やCDがヒットしているのですから、当のアメリカ人たちの心に響いたのも当然でしょう。そう、一人の人物の用いる言葉の力が、全世界の流れを変えた特別な選挙戦だったと言えるでしょう。

言葉は、確かに、言霊(ことだま)。単なるコミュニケーションのための情報の羅列ではなく、その人の魂の叫びや訴えが形となったもの。私たちには、神の言葉、聖書があります。神の御言葉だ、と当たり前のように表現しているのですが、本当にその言葉の持つ力を意識しているでしょうか?ただのおしゃべりで軽いだけの言葉ではなく、オバマ氏が、本来の言葉の持つ力を再確認させてくれたのですから、私たちはもっともっと御言葉の力にこだわりたいものです。あなたの手元の聖書には、あなたの人生を変える神の御言葉が記されています。神のいのち、聖霊の力が働く御言葉なのです。クリスチャンである私たちだけが体験できる神の御言葉の力強さを、しっかりと受け止めましょう。


あなたの助けは神様から来る! 2009年1月18日

あなたの助けは神様から与えられます。この単純、かつ最重要の約束を思い出して下さい。詩篇の作者は、“私は山に向かって目を上げる。私の助けは、どこから来るのだろうか。(詩121)”と、苦難の中にあって問い掛けます。しかし、すぐさま“私の助けは、天地を造られた主から来る。”と、信仰者としての確信を告白しています。

“100年に一度”と表現される不況下、世の中では犯罪の質までもが変化しています。昨年末から、タクシー運転手が深夜に自分の車の中で乗客に襲われたり、思いつきのようなコンビニ強盗などが頻発しています。何千万も何億も盗んでやろうというような大仰な犯罪ではなく、生活苦や借金の返済に追われてわずか数万円の目先の現金を奪うための、何とも悲しくなる犯罪です。被害金額はコソ泥の範囲でありながら、たかがそれだけのために尊い生命が奪われる現実を見ると、現代の行き詰った社会が抱えている闇の深さを、いやが上にも感じてしまいます。

“100年に一度”と言われるのは別に統計学的に、科学的に算出されたものではありません。おそらく一生に一度あるかないか、という深刻な感覚を、より明確に実感するためのもの。ということは、今こそ、あなたの人生の踏ん張りどころである、ということなのです。どの時代に生きても、やはり順境の時もあれば、逆境の日もあります。一見豊かで、何事も便利になっているように見える社会でも、その豊かさや便利さを生み出している社会のシステムがちょっと歯車を狂わしただけで、想像を越える困難を作り出すことになってしまいます。

試練や問題の中にあって、解決の方法を探る仕方はいろいろとあります。選択肢の多様に存在している社会だからこそ、ありとあらゆる方法が提案されます。しかし、と言うか、だからこそ、と言うか、信仰者である私たちは、信仰者だからこその方法を用いたいもの。そうでなければ、信仰者という生き方までがぐらついてしまって、余計に悩みが深くなってしまいます。

あなたへの答えは、単純明快です。あなたのための答えは、神様から与えられます。あなたのための助けは、世の中の常識通りの面白みに欠けたものではなく、神様の創造性と自由さに溢れた方法で力強く現わされるのです。あなたのための最善の答えは、天地を造り、あなたに命と価値ある人生を与えられた神様から来るのです。たとえ四面楚歌、八方塞がりの状況であっても、天への方向はいつも開かれているのです。


ゴタゴタ言わずに、行動しましょう! 2009年1月11日

2009年の日々が動き始めました。あなたの仕事の状況や学校での出来事も、また家庭での時間も、普段どおりの事柄の中で新しい一年が事実となり始めているはずです。お正月には、いつも素敵な夢を描くはずなのですが、いつまで経ってもそれが実現しないのは、夢を夢のままで持ち過ぎてしまって、事実とするよう努めないからです。

“100年に一度”とまで評される急激な不況の嵐の中で、政財界共に具体的で効果的な施策が早急に求められています。しかし、新年早々に開会したのは良いものの、国会での論議はどうも迷走しそうな気配。緊急経済対策の柱となる第二次補正予算に関しても、給付金の是非に関して連日の議論、議論。しかし、与野党共に、現実の不況に対する効果的な政策をと声高に訴えている割に、実際には次の選挙を睨んでの布石のようにしか見えず、何だかすっきりしません。どうすれば国民の人気を取れるかが、議論に関わる政治家たちの頭に一番大きく響いているテーマのようです。

ああ言った、こう言ったとゴタゴタした論議を繰り返す暇があれば、本当はもっと素早く有効な手段を打つことができるはず。本当は頭の良い国会議員の先生たちが寄ってたかって議論しているのですが、そうすればするほど頭の悪い庶民からも愚かに見えてしまうのは何という皮肉でしょう。理屈や議論は言い出せばキリがありません。本当は、小異を捨てて大同を良しとする勇気が今こそ必要なはず。国家の規模でも、素早い行動が求められています。

私たちも、せっかくの新年を与えられておきながら、ああだこうだと屁理屈をこねているだけでは、この一年にも結局何も起こりません。自分の能力や環境の十分でないことを理由に、あれがダメだ、これもまだ心配と言っているだけでは、人生は全く前進しません。何事もある程度考えた後は、時を逃さずしっかりと行動することが大切です。ゴタゴタ、ウダウダ言い続けることでは人生は決して動かないのですから。

スッキリと行動するためには、自分の判断だけを頼りにしないことが肝要。どんなに頭が良さそうに見えても、私たちは所詮人間なのですから。私たちにいのちを与え、私たちの魂を救って下さるお方に信頼しましょう。神様の御言葉に立ち、助けと導きを求めて祈ったら、後は大胆に行動することです。あなたに与えられた素晴らしいアイディアを、単なる白昼夢のままで終わらせず、今日一日のあなたの生活の中での事実とすることです。この一週間のあなたの職場で学校で、また家庭で、新しい一年に相応しい、何か新しい事柄を実行しましょう。


新年の祝福をお祈りいたします! 2009年1月4日

2009年の始まりです。この一年の歩みの上にも、主キリストからの大きな祝福が注がれ、信仰者としての日常に、主が共におられる恵みが豊かに現わされますように。あなたの一年の祝福を、主にあって祈ります。

昨秋以来、世界金融危機の影響が私たち、日本の庶民の日常にも現れるようになってきました。リストラや派遣切りといった話題が、他人事ではないという兄弟姉妹もおられることでしょう。トヨタ自動車のような日本の超一流企業までもが、春先には史上最高益を記録しながら、年末には全ての黒字を食い尽くして赤字に転落というような、劇的という言葉を越えて、文字通り未曾有の不況のシナリオが展開しています。あっと言う間に、何千億円ものお金が消えていった訳で、最近の経済や金融の複雑さは素人である私たちだけが戸惑っているのではなく、その道の専門家たちでさえ一寸先は闇なのだと感じさせられる状況です。

だからと言って、一年の始まりを愚痴や諦めを口にして始めるのは、私たちにとっては全くの間違い。なぜなら、聖書は、クリスチャンの生き方の中には、“・・・あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています(ピリピ4:12)”という極意が与えられていると宣言しているからです。世の中の空気に流されるのではなく、あなた自身の心の中に神の御言葉を響かせましょう。神の御言葉こそが、私たちの人生の土台なのです。

昔は良かった、バブルの時代は良かったと、とりとめのない郷愁に浸るのではなく、新しい一年に相応しい心構えを持ちましょう。神様は、私たちにマンネリの人生や、誰かが歩んだ、古びた人生を押し付けるのではなく、全く新鮮な日々の歩みを与えようとしておられるのです。たとえ試練が多くあるように思える状況であっても、それに私たちが勝利できることを知っておられるので、この時代に生きることを許しておられるのです。“見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます(マタイ28:20)”と約束された主キリストの言葉は、全く変わっていません。

あなたの、今年の出来事の中で、必ず主からの力が注がれ、あなたでしか体験できないような恵みの物語が展開します。あなたを用いて、神様は素晴らしい信仰者のストーリーを動かして下さいます。この一年には、この一年にしか味わえないような、素晴らしい恵みを主は備えて下さいます。新年を、心から喜びましょう。主イエス・キリストの年、2009年は、必ず祝福の年となります。あなたの上に、主からの祝福を祈ります。


そんなに急いで変えなくても! 2008年12月28日

本年のクリスマス集会をすべて無事終えることができました。それぞれの会場での集会に、独自の趣があり、本当に感謝な2008年のクリスマスでした。多くの新しい方々をお迎えできた集会や、清清しい涙に溢れた場面もありました。兄弟姉妹の奉仕の輝きが溢れた集会も忘れることはできません。何よりもクリスマスの主役である、主イエス・キリストをみなさんにしっかりとお伝えできた事は、商業主義的なクリスマスが蔓延する中では、実に大きな意味あることであったと思います。

一連のクリスマス集会の最後は、今年は12月25日(木)、東京・銀座でのものでした。出席された方々に心から喜んでいただき、感謝の内に終えることができました。集会後、何人かの方々とお茶の時間を持ち、お開きにして、近くのホテルへと歩いて帰りました。その際、街の姿にビックリ。午後10時半過ぎだったのですが、銀座に居並ぶ日本を代表する高級店の店先が、どこも人で一杯だったのです。お店が、ではなく、店先の奥行き50cmから1mほどのショーウィンドウが、どこもかしこも人でいっぱいなのです。

そうです。どのお店も、クリスマス当日の営業が終わって、閉店するや否や、年末年始用の飾り付けに大変身している最中だったのです。つい1時間前まではクリスマス・キャロルが流れ、温かな雰囲気が溢れていたのに、いきなりの衣替えです。日本はいつの間にキリスト教国に?と見まがうほどのクリスマス・ムードが、僅か数時間の内に払拭されてしまうのです。文字通り、あっと言う間の様変わりです。

何もそんなに慌てなくても・・・と、つい感じてしまいました。今年の漢字は、“変”が選ばれました。確かに、いろいろな変化が気になる、不安な一年でした。しかし、それは何も大事件に関わらず、私たちのごく身近な所にも常に起こっていることなのです。もしかすると、大事件以上に、身近な出来事がコロコロと安易に変わることが私たちの心を大きく動揺させる原因になっているのかもしれません。

確かに年の瀬は、それでなくてもいろいろと忙しいもの。だからこそ、心がドタバタしないように、平安をいつも以上に意識しましょう。クリスマスが終わったからといって、何も主キリストの恵みがすぐに消えてしまうのではありません。世の中のクリスマスが終わっても、主は私たちと共にいるということが、本物のクリスチャンである私たちと、見掛け倒しのクリスマスを祝っている人々との違いです。主の恵みをしっかりと受け止めつつ、感謝をもってこの一年を締めくくり、新しい一年を迎えましょう。


心を込めて、クリスマスおめでとう! 2008年12月21日

クリスマスは、すっかり日本の年中行事の一つとなってしまいました。クリスマス・ツリーも、クリスマス・プレゼントも、“クリスマス”を冠に配した行事は、誰にとっても当たり前のことのようです。考えてみれば、クリスチャンでもないのにクリスマス(・・・私流に言えば、“キリスト祭り”)を祝うことは何だか不思議なことなのですが、それをさも当たり前のようにしてしまうのは、いかにも外国からのものを受け入れては自己流に改変してしまう日本人らしいところです。

しかし、だからと言って、クリスマスの主役であるイエス・キリストが、サンタクロースに取って代わられたり、クリスマスが単なる買い物やラブ・ストーリーの場と化してしまうことには要注意。神の御子イエス・キリストがこの世界に来られたことによって、歴史の流れや人の魂のあり方に関して、凄まじい変化が起きたことを見逃す訳にはいきません。そして、その結果と影響は今も力強く働き続けているのです。

神の御子であるキリストがこの世に下って来て下さったことによって、私たちといのちの与え主である神様との接点は事実となりました。主イエス・キリストが、私たちの罪の身代わりとなって十字架について下さったことによって、救いの道が拓かれました。主が、死の力を打ち破ってよみがえって下さったことによって永遠のいのちが確かなものとされました。クリスマスが祝う、主キリストの到来によって、“救い”が事実となったのです。

最近の世の中も、どうも暗い話題が多いようです。急激な金融や経済の変化の中で、この年末年始も世の中の暗さはその度合いを増しています。だからこそ、私たちは、暗闇の中の光を宣言します。この世の光である方が、私たちのところに来て下さいました。人々の心を覆う暗闇が深まっています。だからこそ、私たちは、全ての悩みからの解放が起こり得ると宣言します。すべての心の思いが、神の愛によって支えられ、弱いはずの私たちが強められるのです。

私たちは、決まり文句となってしまった“メリー・クリスマス”ではなく、心から“クリスマス、おめでとう!”と告白することができます。私たちが、改めて受け止めたいのは、イエス・キリストの物語の伝える本当のクリスマス。最高、最上のクリスマス・・・メリエスト・クリスマスなのです。あなたの心にも、このクリスマスの喜びが届きますように。あなたの心の中にも、主イエス・キリストが成し遂げて下さった正真正銘の救いが実現しますように。“クリスマス、おめでとうございます!”


変な一年、だから締めくくり方が大切! 2008年12月14日

“今年の漢字”が発表されました。“変”とのこと。世界金融危機にまで発展した金融情勢の変動や食の安全性に関する意識の変化、アメリカの次期大統領として選出されたオバマ氏の掲げた変革(change)のスローガンなどが主な理由のようです。急速に変化する社会の様相が底辺にあり、どうも不安を感じさせるもの。変な人が急増している、とみんな感じているのかもしれません。良い方向への変化を求めている、というのはどうも強がりのようです。

そうです。確かに“変”な一年でした。だからこそ、私たちはこの一年の締めくくり方に十分に注意すべきです。“変”な一年をマスコミと一緒になってただ眺めて、あるいは嘆いて終わるのではなく、少なくとも私たちに関わる状況については本当に良いものとして締めくくりたいと思います。世界や日本全体をいきなり変えることはできないでしょう。しかし、自分の心や生活の状態、周囲の人々との関係など、2週間あまりの限られた時間であっても、きちんと整えることができるものはまだまだ存在しています。

祝福への変化を事実とするための鍵は、やはり主イエス・キリストとの関わり。聖書は、主キリストがこの世に来て下さったのは、私たちの救い主となって下さるためであったと語っています。この主キリストとしっかり向き合う時に、変わるはずのなかった私たちの心までもが、変えられるのです。放っておけば、内に潜む罪の力によってダメになるマイナスの変化しか考えられない心の状態が、救い主と共に人生を歩み始めることによって、初めてプラスに向かって成長し始めるのです。

年末を迎えるたびに、人々は“来年こそは良い年に”と口にするものです。しかし、それは希望への期待というよりも、幸せの先延ばしのような感覚です。弱い人間にはそれくらいのことしかできません。しかし、もし主キリストと共に歩むならば、その弱い私たちが、今、この場所からでも祝福に向かって人生の舵を取ることができるのです。人々を不幸にしたり、訳の分からぬものに頭を悩ませたりする方向への変化ではなく、主キリストは私たちの人生を喜びといのちへと変化させ、導いて下さるのです。

クリスマス、心からおめでとうございます。この難しい時代を生きる私たちのためにも、主キリストは救い主として働きかけて下さいます。あなたの2008年が“変”な一年で終わってしまうのではなく、喜びと感謝を持って力強さを感じながら締めくくることができますように。主キリストの下さる真に価値ある変化を受け止めて下さい。


私たちが作る本物のクリスマス! 2008年12月7日

気が付くと、2008年ももう12月。何もしなくても、これからの毎日は日に日に慌しさが増していくはず。しかし、そんな師走の雰囲気の中にあっても、決して忘れてはならないのは、もちろんクリスマス。それも、本物のクリスマスを作り上げることです。

偽装ばやりの昨今・・・。でも、クリスマスまで、偽装で終わらせられては大変です。確かに、デパートや商店街は、教会よりもうんと上手にクリスマスの雰囲気を作り出しているかもしれません。レストランの食事も、クリスマス・ディナーと銘打たれたものは本当においしいものでしょう。しかし、だからと言って、クリスマスを適当に商業主義にまみれた日本流で終わらせてはなりません。

なぜなら、主イエス・キリストは、昨日も今日も生きておられると聖書は約束しているからです。その主キリストの誕生を祝う時がクリスマスなのですから、このキリストのことを本当に知っている人々が祝うのでなければ、何だか中身のない、外見だけのクリスマスに終わってしまいますし、そのクリスマスの本当の素晴らしさも生み出されるはずがありません。

インド伝道を始めた頃、それなりの雰囲気のレストランで、ミートソース・スパゲッティーや八宝菜を食べたことを覚えています。メニューには写真まで添えられていましたので、現地の辛い食事に疲れた頃、日本でも馴染みのイタリア料理や中華料理の味でちょっと一息つこうと考えたのです。出された料理の見栄えもまあまあ。しかし、一口味わって悩んでしまいました。とても予想した味の範疇(はんちゅう)には入らない、摩訶(まか)不思議な味だったからです。確かに見かけは馴染みの料理。しかし、味は本物とは似ても似つかぬものだったのです。

理由は、簡単。作るコックたちが、私たちが知っているそれらの料理の味を知らなかったからです。同じような材料を揃え、同じような見かけには作っているものの、本当のおいしい味を知らないものですから、全く別物ができてしまいました。どれほどおいしそうに見えても、実はおいしくないのでは話になりません。

そう、今の日本で、本物のクリスマスを作ることができるのは、主イエス・キリストの救いと愛を知っている私たちだけ。ですから、私たちはこの2008年の一つ一つのクリスマス集会を丁寧に、心を込めて作り上げたいのです。準備のひとコマひとコマに、またお招きするお一人お一人に対する愛を込めて。さあ、私たちの手で、この年も主キリストのおられる本物のクリスマスを作り上げてまいりましょう。


いのちの源に要注意! 2008年11月30日

近頃生まれる赤ちゃんの出生時の体重が、戦前の水準さえ下回り始めたと聴いて、ちょっとビックリしています。昭和55年の平均、男児3230グラム、女児3160グラムをピークに、徐々に減り始め、最近のデータでは昭和15〜17年平均(3050グラム、2970グラム)さえ下回ったそうです。生活全般に豊かな時代で、この結果は意外。世界でも今のところ日本だけの現象で、諸外国からも注目されています。

原因は、女性のダイエット偏重に喫煙、ストレスなど。もちろん、小さく生まれても大きく育ってくれれば良いのですが、妊娠中の胎内環境の悪化によって、胎児の中に発育を抑制するプログラミングもなされてしまう、とのことで何だか恐ろしい話です。生まれてから急に栄養を摂るようになると内臓肥満や腎不全など子供の頃から生活習慣病にかかりやすく、母体からのストレスにさらされていると、出生後にもちょっとしたストレスでキレやすくなるそうです。

同じようにかわいらしい赤ちゃんであっても、いのちの源の質が問われる時代となってきました。健康的なお母さんの楽しさや喜びの伝わってくる胎内環境で育まれるのと、いつもイライラした、食生活のバランスを壊したお母さんから生まれるのとでは、同じように見えるいのちでも、大きな質的な違いがあるのです。

あなたのいのちの源は、健全ないのちに溢れたものでしょうか?世の中の流行や、実際は当てにならない人間を人生の土台とし、いのちの源としていると、しっかり生きているつもりの人生そのものが内側から崩れることになりかねません。同じいのち、一見似たように見える人生でも、その根底に流れているいのちの本質が問題です。外見だけなら、誰でも案外簡単に整えることができます。そういう時代だからこそ、中身が問題になるのです。

2008年も、いよいよクリスマス・シーズン到来。私たちがその気になるより、ずっと早めに街中にはクリスマス・ソングが流れています。ショッピングセンターには、羨ましくなるほど立派なクリスマス・ツリーが飾られています。しかし、そんな見掛け倒しのクリスマスで終始するのではなく、クリスマスが意味する本当の価値に目を向けたいものです。主イエス・キリストは、神と人とを結び付けるためにこの世に来て下さいました。暗闇に支配される私たちの世界に、神からの光、本物のいのちが流れ込んでくるというのです。クリスマスが伝える、神の奇跡により、恵みの神をあなたのいのちの源とすることができるのです。イエス・キリストによって、あなたのいのちの源が変えられるのです。


働くこと、働けることの素晴らしさ! 2008年11月23日

今日は、“勤労感謝の日”。祝日だ!と休みのことしか気に留めないことの多い私たちですが、今日は素直な心で働くことを考えてみましょう。勤労感謝の日は、働く人、働いてくれる人たちへの感謝を持とうという日のはずですが、私たち自身、そもそも働くことができることを、心から感謝したいと思います。

最近では、働かないで、遊んで暮らすことばかりを考えている人が増えています。先日のニュースで、小・中・高校での暴力事件の増加が深刻化していることが報道されていました。それと軌を一にするように、将来は遊んで暮らしたいという子供たちの数も急増中。自分の思いが遂げられないとすぐに人を傷つけ、自分はというと、ずっと楽をしていたいというのです。大人の世界でも、大儲けしたいと不労所得の株や投資のことばかりを考えていて、全く働かずにいて最近の金融危機で青ざめている人も少なくありません。

しかし、単純なことのようですが、やはり人生は一生懸命働く人が幸せになるようにできています。これが基本です。神様が、最初に人をお創りになった時以来、私たち人間の存在には働くことが当然のこととして備えられていたのでした。ですから、少々しんどいから、楽な方が良いから、と怠け癖を増長させてダラダラした生き方をしていると、かえって人生の喜びが消えてしまうのです。楽をし過ぎると、かえって幸せでなくなるという面白い現実。

若い女性の皆さんから、どういうところを見て結婚相手を見つければ良いのかと訊かれる時はいつでも、いくつかのポイントと共に、働くことに理屈のいらない男が良いよ、と答えます。何をするにしても、変な理屈がないと人が動かない、おかしな世の中になってきました。屁理屈を山ほどこねないことには重い腰を上げない男では、家族の幸せは程遠いものです。働くことに屁理屈を言わず、生き生きと仕事に励めることは実に幸いなことなのです。私たちの教会には、実に働き者の兄弟姉妹たちがたくさんいることを私は神様にあって本当に誇りとしていますし、そういう皆さんの存在を心から感謝しています。

何気ないことかもしれませんが、毎日健康で、元気に働くことができることは感謝なことではありませんか。働くことを通して、与えられた命を最大限に用いて神様に仕え、周りの人々を支え、そして、自分自身を活かしてゆく・・・。働くことによって、恵みの連鎖が起こってきます。人々から期待されることによって、ますます価値ある仕事をしてゆくことができます。信仰をもって働くことのできることを、感謝しましょう。


特効薬はありますか? 2008年11月16日

金融危機の閉塞感、深刻化を打破するために、麻生首相の旗振りのもと、“定額給付金”の支給が決まりました。ただ、金額や支給方法など、政府と各市町村の間でこれから詰めなければならない問題も山積状態。“高額所得者”を除外するのか、しかし、そもそもその高額所得者をどこで線引きするのか・・・。一庶民として事態の推移を眺めている私からでも、一筋縄ではいかない課題です。連日の報道を見ても、素人目にも混迷していることがわかります。

首相としては、この世界的な未曾有の金融危機において、とりあえず即効性のある手を打たなくてはと考えるのは当然のこと。しかし、それが誰が考えても難しいことなのです。“特効薬”をすぐに用いたいのですが、その“特効薬”が何なのか、簡単にはわからないのです。“これが特効薬だ!”と叫んでいる人は多いのですが、どれも副作用が強そうで、安易には手が出せない状況なのです。

麻生首相にも、アメリカの次期大統領のオバマ氏にも、誰もが特効薬の使用を期待しています。しかし、事態はそれほど簡単なものではありません。指導者に選ばれるまでの選挙の段階では、いろいろと威勢の良いことを口にすることができます。しかし、いざその立場に就いてみれば、事態は本当に複雑で、おいそれと手が出せるような状態ではありません。やはり、じっくりと腰を据えて、時間もかけ、汗を流しながら、コツコツと動かしていかなければならないものなのです。

スピード化の時代です。ノウハウばやりの世の中です。ピンチに陥った時も、特効薬があると、安易な解決を求めて、すぐに手を伸ばしそうになります。しかし、本当に価値ある答えは、簡単に転がっている訳ではありません。やはり、問題の解決のためには、当然のことをなすべきです。私たちの生活においても、安易な特効薬ばかりを求めて右往左往することがありませんように。“安物買いの銭失い”などと言われるように、“急(せ)いては事を仕損じ”ます。そもそも私たちには、人生のどんな問題に関しても救い主キリストがいて下さいます。主キリストに祈ることで、どのような難問でも解決に向かって動き始めるのです。主が与えて下さったのは、あなたのいのちと人生を根本から変える尊い救い。あなたが直面するどんな危機においても、安物の特効薬ではない、本物の解決が主キリストの内に備えられているのです。


今こそ“変革”の時! 2008年11月9日

アメリカの次期大統領選挙に、オバマ氏が当選。来年の1月には、史上初の黒人の大統領の誕生となります。現代の世界で、アメリカ合衆国の大統領と言えば、世界で最もパワフルな人物、最高の権力者と言ってもおかしくありません。その立場に、47歳の黒人男性が就くことになったということです。

わざわざ大昔の事柄と比べる必要もありません。私たちが生きてきた、それぞれの何十年前かを振り返るだけで、その頃には起こりそうになかったことが起こったわけです。当のアメリカでも、つい半世紀足らず前には、のちに暗殺されてしまったキング牧師らを中心に公民権運動が起きていたのでした。それが、とうとう、その白人が圧倒的に優位な国においても、黒人の指導者を選ぶ事態となったのです。

同時に、それだけ社会全体で変化が激しく、誰にも簡単には解決できそうにない緊急の課題が山積している事実があります。そういう状況だからこそ、“変革(change)!”をスローガンとして掲げたオバマ氏が、人々からの幅広い支持を受けたのでした。連日、株価も乱高下する金融危機の様子を見ていても、文字通り、世界中が連動して、激しく揺れ動く時代を迎えたのだということがわかります。のほほんと同じ事をしていたのでは、どうしようもない状況に、望むと望まざるとに関わらず誰もが巻き込まれるようになりました。

私たちも、ただ漫然と過ごしていたのでは、失敗してしまいます。いきなり世界を相手にする必要はありませんが、私たちを取り巻く状況の変化をきちんと見つめつつ、その都度、最善の手立てを講じたいと思います。あなたの会社や、子供たちの学校、家庭の話題など、身近な話題を取り上げてみても、ついこの間までは取り上げられなかったものが、何だか切実な問題になり始めているはずです。

さあ、クリスチャンとしてのいのちをしっかりと働かせましょう。私たちは、単なる名目上の信仰者ではありません。神様があなたに与えて下さったものは、実際にあなたを救い、いのちと喜びに満たす、生きて働く信仰なのです。ですから、どれほど変化の激しい職場の問題でも、人間関係の複雑さでも、信仰によって自分自身を変えていくことができるのです。そう、変わらない神様の恵みによって、私たちは必要な“変革”を手にすることができるのです。テレビと一緒に、ただ野次馬的に騒いでいるだけでなく、自分自身の中にも確かに変革され、成長すべきところがあることを認めて、私たちのための“変革”の風を呼び込みましょう。


もったいない引退です! 2008年11月2日

マラソンの高橋尚子選手が、突然の引退発表をしました。怪我や体調の不良に苦しみ、練習するにしても自分の満足の行かない状態になったので、ときっぱりと引き際を決断したのでした。誰からも愛される、国民的な人気のランナーの引退宣言にみんなびっくり。私も、当然、驚きましたし、同時にもったいないな、と感じました。確かに36歳という年齢ですから、それも一つの選択肢でしょうが、まだまだ第一線で十分に存在感を示し続けることができると思いました。

元の監督である小出氏が、同じように語っていました。“もったいない。40までは充分やれるのに。一人でやってて、どうすりゃいいのか、わかんなくなっちゃったんたんだろう。”高橋選手自身の意思で、独立して自分のチームを作って頑張ったのですが、どうも上手く機能しなかったようです。確かにトレーナーや栄養士など、若い専門家を集めていたようです。しかし、本気で高橋選手を叱ったり、入れ込み過ぎる彼女を抑えたり、思い切って休養をとったり、年齢と共に練習の質を大胆に変化させる手助けをすることができなかったようです。高橋選手をコントロールし、世間の重圧からの盾となってくれる人が必要だったのです。

マラソンは、11戦して7勝。最近の不本意な数レースを含んでも圧倒的な強さでした。シドニーの金メダルの時、楽しくてたまらないと言って、爽やかな風のように42.195キロを走り抜けた高橋選手です。引退を自身に迫った本気度を考えても、かえってもったいない結末だと感じてしまいます。本当に走ることが好きで、なおかつ強い、本物のランナーが引退してしまいました。

私たちも、注意が必要です。自分で、自分なりに頑張っていると、それで十分だと思い、それ以上はどうしようもないと考えてしまいます。でも、そんな頑張っている私たちにこそ、人生を大局的に見てくれる存在が必要です。どんなプロの世界でもコーチやアドバイザーの助言は必要です。同じように、毎日の生活を頑張っているあなただからこそ、あなたの人生全体をしっかりと見つめて下さる神様の存在が大きな意味を持ちます。

信仰は、逃げて助けを求める生き方とは大違い。価値ある人生をしっかりと生きようとする人にとって、神様がいつも共にいるという約束は、素晴らしい祝福への保証なのです。私たちは、自分一人の小さな枠組みの中だけで全ての事柄を判断しては駄目です。家族のこと、仕事のこと、将来のこと、学びのこと・・・本気で挑戦するあなただからこそ、あなたのいのちのことを一番知っておられる神様の声に耳を傾けることが大切です。


集中力のある信仰生活! 2008年10月26日

最近、福岡市のある中学校で、授業一コマの長さを従来の50分から、半分の25分にする取り組みが始められました。生徒の集中力を保つとともに、増えたコマを割り振って主要教科をほぼ毎日設け、基礎学力の定着を目指す試みだそうです。授業時間を80分や90分に延長しようという意見がある一方で、正反対の処方箋が出された訳です。

“ゆとりの教育”以来、子供たちの学校での授業数を聞くと、国語、数学、英語、社会、理科などの主要科目でも、私たちが中学生だった頃に比べるとビックリするほど減っていました。ですから、主要教科を毎日のように配置するのは納得の行くところ。私としては大賛成。しかし、子供たちの集中力が低下してきたから授業時間を短くする、というのであれば、これは逆に心配になってきます。それに、25分という短時間の授業で、先生方がテレビやラジオ番組での授業のように、手際良く、内容の濃いものを毎日提供できるかどうか、それも気になるところです。

あなたの集中力は、どのくらい持続しますか?最近の傾向は、若い子供たちを中心に注意力散漫な人が増えているようです。現代は、確かにスピード化の時代。電車や飛行機が速くなったというだけでなく、生活のテンポも速くなり、物事がコロコロと変わりやすくなってしまいました。それに伴って、その場その場で、物事を瞬時に処理する能力は高まってきているように見えます。しかし、じっくり腰を据えて初めて身に付くべき事柄は、何だか苦手な人が増えているようです。あなたも最近、何だか細切(こまぎ)れにしか集中力を働かせられないようになってはいませんか。

例えば、私の大好きな音楽の世界でも、きちんと楽器を演奏できる人が減ってきているような印象があります。お手軽に、誰でも楽器に触れることはできるのですが、本当に上手な人はかえって減っているようなのです。チャンスは溢れているのに、かえって集中することができず、本当の力が身に付かないのです。じっくり練習する人が減っています。

信仰の世界も、集中力が減衰したままではいけません。神様からのいのちで生きることは、私たちの人生にとっては存在そのものに関わる大事なことですから、本当はじっくりと取り組むべき事柄。苦しい時だけの、細切れの集中力ではなく、じっくりと神様に向き合う真面目な姿勢が大切です。落ち着きのない、何だか短気な信仰生活を良しとしてしまうのではなく、本当に成長のある、神様に根付いたものへと一歩前進したいもの。さあ、あなたの心を、神様にしっかりと結び付けて下さい。


受け入れるものに要注意! 2008年10月19日

時は、食欲の秋。放っておいても、食べ物がおいしく感じられる時期です。私も9月上旬にインド伝道から戻って以来、日本の食事がいつも以上においしく感じられて、体重は微増傾向。毎日、これも食べたい、あれも食べたい、と心の中では食欲と自制心との間のミニ・バトルを繰り広げる日々です。

そんな時に限って、中国から輸入された冷凍インゲンから高濃度の農薬が発見されて、また大騒動です。スーパーやコンビニで食品を手に取っては、裏返して産地を確認することが日常の所作になってきました。東京では、ふぐ調理師の免許を持った料理人が、自分で調理したふぐを食べて、一時は意識不明の状態に。ちょっと情けない話ですが、いずれにせよプロでもそんな間違いを犯すのですから、ごく平凡な私たちも食べるものを精一杯気を付けなければならない訳です。表示をしっかり見たり、十分水で洗ったり、いつも以上に熱を通したり・・・とりあえず、そんなところでしょうか?

口からおなかに取り込む食材だけでなく、目や耳から心に入るものに対しても十分に注意が必要です。私たち人間の心は、いつも機械のようにきちんとした基準を保っているのではなく、だんだん環境に慣らされたり、状況に流されるようなことが起こるからです。殺人事件や詐欺をニュースやドラマで当たり前のように受け止めている内に、単なる報道をチェックしているのでも、娯楽として楽しんでいるのでもない、別の事態が生じます。あなたの心が徐々にそういう悪いものに対しても鈍感になり、何だか平気になってしまうものなのです。

“まあ、いいかぁ・・・”と柔軟に対応しているつもりが、自分にとってはマイナスにしかならないものを取り込むことにならないように注意が必要です。ごく普通にスーパーに並んでいるから、テレビで当たり前に流れているから、といって安心してはいけない世の中になってきました。現在は、世の中の豊かさが仇(あだ)になって、実は人に対して害毒となるものさえ垂れ流しにし、ごく当たり前に流通されていることがあるからです。

信仰を持つことは、優柔不断な私たちの心に、はっきりとした基準を与えます。何でも流行を追い求めるだけでなく、また適当に楽しいものばかりを受け入れるのではなく、自分自身にとって本当に必要なものを求める姿勢が必要です。豊かに物が溢れ、情報が氾濫する中でただ受身なのではなく、真に正しいものを選ぶことが大切。あなたの心にも、生きて働く信仰がしっかりと機能していますように。


称賛に値する生き方! 2008年10月12日

本年のノーベル物理学賞を、シカゴ大学名誉教授の南部陽一郎氏、高エネルギー加速器研究機構名誉教授の小林誠氏、京都産業大学理学部教授・京都大学名誉教授の益川敏英氏の3氏が受賞しました。その速報の興奮冷めやらぬ翌日には、ボストン大医学校名誉教授の下村脩氏が同化学賞受賞のニュースが続きました。世界に出て行って仕事をすることの多い私としても、日本人が高い評価を受けることは本当に悦ばしいことです。

毎年、誰か一人くらいは日本人受賞者が出るかと期待されている、世界最高の栄誉とも言われるノーベル賞。それが今年は、何と一挙に4人もの受賞者が出た訳です。日本人としては、これで16人目だとか。本来の業績が正当に評価されるなら、日本人からはもっと多くの受賞者が出ていて当然だとよく言われます。英語などの言葉の壁や、文化の違いを越えて、徐々に評価されやすくなってきたのでしょうか。今回受賞した南部氏なども、もう何十年も前に受賞していておかしくないと言われ続けてきた人物です。文学賞でも、毎年、受賞の噂の絶えない村上春樹氏などもおられます。

特に、物理学賞や化学賞など、“科学”に対する評価ですから、選考方法も純粋に“科学的”なのだろうと素人は思い込んでしまいがち。しかし、この“科学的”に選考、選出するということが実はなかなか難しいことのようです。どうしても、誰かの主観の入った評価や推薦が不可欠ですし、科学だから、世界最高峰の賞だからと言って、純粋に客観的な評価がなされるということは不可能なのです。本当はノーベル賞に値する、あるいはそれ以上の功績を残した科学者たちが、世界には実はたくさんいるのでしょう。

また、ノーベル賞のように世界中から称賛される賞をもらえる人だけが立派なのではありません。まして、私たちの人生の生き方を考えてみれば、ただ名誉や称賛を受けるから成功者だとは限りません。人の世の中での称賛は、あくまでも一つの視点からの評価であって、それが全てではないのです。そう考えると、私たちも、ノーベル賞などとは直接縁のない人間かもしれませんが、だからこそ、むしろ、この一つのかけがえのないいのちを与えて下さった神様を常に意識して、真に称賛に値するようにしっかり歩むものでありたいと思います。“・・・ほめられたり、そしられたり、悪評を受けたり、好評を博したり・・・(Uコリ6:8)”様々なことが起こる中で、神様の目に堂々とした生き方をしてまいりましょう。神様は、私たちのために、“いのちの冠(黙2:10)”を用意して、見守り支えていて下さいます。


信仰のムーブメントを! 2008年10月5日

最近、スーパーの店頭からバナナが消えています。販売していない訳でも、入荷していない訳でもありません。爆発的に売れていて、すぐに売り切れてしまうのです。私も、東京や福岡などの集会の前、小腹を満たそうとよくバナナを一本、コンビニで買い求めていたのですが、ここ2週間ほど、どの店でも見ることができなくなってしまいました。

原因は、ダイエットの特集のテレビ番組。朝食をバナナと水で済ませると減量にテキメンとのことで、何だか凄いブームになっています。ある街では、バナナを求めて、ご婦人たちが自動車をぶっ飛ばしてスーパーからスーパーへと争奪戦まで展開されているそうです。バナナの身になってみれば、別に何があった訳ではなく、ずっと同じバナナなのですが、突然、人気者になってしまった状態。戦後の高級食材から、最近では何だか安い果物というイメージが定着してしまったバナナですから、いきなり、ひょんなところから復権といったところです。

しかし、考えてみれば、日本人である私たちも何と流行に弱いのでしょう。たった一つのテレビ番組がきっかけとなって、日本中でバナナが手に入らないほどの大流行が起こるのです。輸入業者の話によれば、恒久的にバナナの消費量が増えるとは思えないので、フィリピンや台湾などからの輸入をすぐに増やす予定はない、とのこと。すなわち、今回のブームもあくまで一過性のものと見ている訳です。

ただし、流行があることが決して悪いことだとは思いません。私たちの、ごく普通の人生の流れに、アクセントや色合いを付けてくれるものだからです。平凡な人生に、楽しさや勢いを生み出すきっかけとなります。だとするならば、私たちはクリスチャンとして、単に世の中の流行に乗るだけではなく、信仰を土台としたブームをあれこれ起こすことを本気で考えるべきだと思います。あなたの生活の中には、世の中のマスコミが作り出した流行ではなく、信仰者として熱く燃えるブームがあるでしょうか。祈り方や献げ方、兄弟姉妹との交わりを作り出す工夫や、信仰の成長へのチャレンジ・・・など、常に熱く、主に喜ばれるものを追い求めたいと思います。

世界の歴史の中で、社会全体に多大な影響を及ぼした福音宣教のリバイバルの働きも、個々人のクリスチャンや一つの教会の信仰のムーブメントから始まりました。私たちが本気で日本でのリバイバルの実現を求めているなら、ダイエットであっても大ブームを起こすことのできる事実は、ある意味で大きな励ましです。単なる流行のとりこではなく、聖霊の働きによって、信仰のムーブメントを起こしてまいりましょう。


思惑違い? 2008年9月28日

麻生太郎氏が、自民党総裁に選出され、次いで内閣総理大臣への任命に伴って、新しい内閣が動き始めました。何度も総裁選にチャレンジしてきた麻生氏にとっては、“積年の念願かなって”というところでしょう。しかし、これからが本番。金融不安、原油高、年金問題、格差社会・・・難問が山積する中、日本の舵取りは上手く行くでしょうか?

早速、内閣支持率の調査結果が発表されていましたが、49パーセントとのこと。国民に人気の高い麻生氏が総理となっての数字でしたが、安倍内閣発足時の70パーセント台には程遠く、福田氏の時の57パーセントにも及ばず、自民党にとっては、正直、思惑が外れたといったところでしょう。近い内に衆議院の解散、総選挙が実施されるであろうことは、誰もが認めるところ。民主党は民主党で、千載一遇のチャンスと政権奪取の構想を掲げていますが、果たして、政局は誰の思惑通りに進むのでしょうか?

たとえ政治の専門家、金融のプロであっても、全てのことが思惑通りに進むことはありません。世の中は、それほど単純ではありません。専門家の世界でもそうなのですから、私たち凡人の生活が思惑通りに進まなくても不思議ではありません。特に最近では、激動激変する社会情勢を受けて、見通しの立たないことだらけです。

そういう時代だからこそ、近視眼的な物の見方で計画を立てたり、安易な状況判断に従って物事の判断をするだけでなく、一つ一つの出来事において神様に祈れることは、感謝なことなのです。自分の考えが万全で、こうなるはずだと決め付けすぎると足もとをすくわれます。物事を大局的に見るためには、やはり神様の視点から自分を見ることが大切です。

もちろん、何でもかんでも神様に丸投げして、自分では何もしないのでは困ります。信仰は、決して無責任な態度で構わないと言っているのではありません。一つ一つの出来事に真剣に向き合いながら、その都度、自分の判断する方向や、決断の及ぼす影響を考えつつ、神様からの最善の導きを信じて祈るのです。今の世の中では、能力のある人ほど悩みが深くなってきた感がします。仕事でも、家庭のこと、自分の将来設計でも、考えれば考えるほど悩みは深くなります。ですから、能力の高い人ほど、神様に信頼してしっかり祈ることに意味があるのです。

あなたの祈りを、神様は聞いて下さいます。素直に、神様の導きを信じて、祈りましょう。実際に祈ってみれば、神様からの導きというものが本当にあるのだということがあなたにもわかるはずです。


信仰は、あなたを幸せにします! 2008年9月21日

事故米、汚染米の騒動が収まりません。最初は、事故米を食用と偽り転売した、農林水産省の直接の監督下にある元請け数社の問題として事件化したのですが、それが今では、流通の末端にまで及び、介護施設、学校での給食、コンビニやスーパーでのおにぎりやせんべい、酒類にまで使用されていたことが分かり、大きな責任問題に発展しています。農水相も同事務次官も引責辞任。取り扱った業者の中には自殺者まで出る騒ぎです。

農薬やカビ毒のせいで、もはや食用には適さず、糊などを製造するための“工業用”とのレッテルを貼られたお米でした。見た目には分からない、他の米と混ぜてしまえば食べてもそれほど危険だとも思えない・・・。極端に安く仕入れることができるので、当然沢山の儲けが出ます。事件の本当の当事者のみならず、この事故米に関わる流通関係者は皆、うすうす感づいていたようです。しかし、噂には聞いていたものの、まあまあ、なあなあで中途半端にしている内に大事件になってしまいました。

インフルエンザの流行などもそうなのですが、ごく初期の段階で押え込んでしまえば、ひどいかぜで終わるのに、日本中、世界中に広まってしまってからでは、微小なウイルスを起因とする疾病でも、騒ぎや被害、問題の大きさが全く違ってしまいます。まさに“蟻の一穴”といった感じです。他人事ではなく、私たちの目の前の問題も、自分の手に負える範囲の小さな問題である内に、適切な処置をしておく必要があります。

クリスチャンとして、日々を大切に、一生懸命に生きて行くことには、実に大きな価値が含まれているのです。場当たり的な生き方を繰り返していると、必ず将来に対して問題の根を残してしまいます。やはり、“今さえ良ければそれで良い”という態度では問題が残ります。神様のみこころを意識して、たとえどんな地道なことでも一つ一つ手を打っておくと、必ず恵みの明日が拓かれるのです。今日、信仰を働かせて行動する一つの正しい行いは、あなたの未来への本当の投資なのです。信仰生活は、私たちを幸せにします。神様に喜ばれる生き方は、あなたの周りの人々を幸福へと導き、あなた自身に本当の幸せをもたらします。さあ、今日の一日、この一週間を信仰をもって歩みましょう。一つ一つのことを祈りと信仰を込めて、愛と笑顔をもって取り組んでまいりましょう。


秋の到来です! 2008年9月14日

ここ数日、朝夕の空気がすっかり秋らしくなってきました。夏用の薄い掛け布団のままでは、朝方はひんやり。日中の最高気温はまだ、31℃〜32℃と夏並みの暑さですが、見上げる空の青さは、秋の色。肌に感じる空気も、秋の風です。

学校では、秋の運動会が始まっています。高校の運動会は、すでに終わりかけていますし、今日あたりからは中学校、小学校の運動会も始まるようです。日中は、まだまだ夏の暑さですから、ちょっと大変でしょう。私の子供の頃の思い出の中での運動会には、朝、学校に通う道で吐く息が白くなっていた、肌寒い感じの運動会の記憶もあります。それが、受験時期の前倒しの影響もあって、運動会の日程はどんどん早くなっていますし、地球温暖化の影響で夏をいつまでも引きずっているので、“秋”の運動会というよりは昔であれば十分に“夏”と呼ぶべき状況での運動会です。子供たちは、みんな真っ黒に日焼けして帰って来ています。応援に行く家族も、これは心して出掛けなければなりません。

社会の状勢が変わり、地球環境も変わり、“秋”の面持ちも確かに変化してきました。しかし、いずれにしても時は着実に流れ、季節は移り変わっています。立ち止まってはいません。そんな季節の移り変わりも感じつつ、私たちも実り多い秋の日々を受け止めたいと願います。人生の導き手である神様に、信仰の目を向けましょう。

自民党の総裁選に、事故米の偽装問題、北朝鮮の金正日の健康不安説は本当なのか・・・と、世の中には、今どきの話題が溢れています。慌しさはいつものこと。そんな騒がしさの止むことのない毎日の歩みの中で、私たちは自分自身にとっての祝福のニュースを持っていることが大切です。今年の夏からこの秋の入口までの日々に、あなたの生活の上に注がれた神様からの恵みを忘れてはなりません。そして、9月、10月、11月と進んでいく秋の日々には、恵みの秋にふさわしい豊かな祝福が備えられており、楽しい出来事が待っていることを期待しましょう。

あなたの仕事の予定も、家族との計画も、神様が共にいて下されば、必ず祝福されたものとなります。教会の行事も、あなたが祈り求めている事柄に関しても、必ず神様からの恵みが現わされ、素晴らしい結果へと導かれます。神様と共に歩む歩みの中で、祝福の事実をしっかりといただいてまいりましょう。さあ、あなたにとっても、恵みの秋の始まりです!


腰の据わった歩みを! 2008年9月7日

本年のインド伝道が大勝利に導かれ、喜びと感謝を心に感じつつ、南インドのチェンナイからシンガポールへと戻り、ムーイ先生ともこの機会を用いてお会いしておこうと思い、クアラルンプールまで足を運ぼうとした時、そう先週の火曜日です。ふと飛び込んで来た国際ニュースで、福田首相が辞任を表明したことを知りました。

久しぶりの日本のニュースでしたし、いきなり???と頭の中は混乱状態。あれ?つい最近、内閣改造までしたはずなのに・・・と、思い出し始めて、私なりにこれは本当に唐突な辞任発表だったに違いないと理解したのでした。確かに、“ねじれ国会”など、政権運営は大変だったのでしょう。しかし、そもそもそういう事態は織り込み済みのはず。それも、前任の安倍前首相と同様、任期の途中に、周囲の人間にとっても意表を突くようないきなりの辞任です。こんなことが日本という世界の先進国の柱になるべき国のトップに立つべき地位において、一年に2回も起こったとなると、本当に情けない話です。

サミットなど、世界的な会議などで、どうも日本の指導者たちは影が薄い感じがします。それは何も日本人の配慮や決してでしゃばり過ぎない奥ゆかしさが裏目に出てというだけでなく、やはり責任感や気持ちの強さの違いが滲み出てのことなのだと、今回の件を見ても感じさせられます。

アメリカの大統領選挙などは、2年くらい掛けながら、想像を絶するような誹謗中傷にもさらされつつ、莫大な経費を費やしての真剣な長期戦です。選挙人たちによって選出されるといっても、ほとんど国民投票のような感じなので、この国民の負託を受けて一国の指導者となった人物には、本当の気持ちの強さが伴います。

政治の世界だけでなく、私たち個々人の生活においても、少々嫌な事があるからといっていつも逃げ出すことばかりを考えているのでは、結局何も良いことは始まりません。何も起こせません。これだけ変化の多い時代になってくると、良いことも悪いことも、ひっきりなしに様々な出来事が起こります。その都度、嫌だ、もうやめます、こんなはずではなかった、と言い始めたらキリがありません。

さあ、あなたもどっしりと腰を据えて下さい。どうすれば、腰をしっかりと据えることができるかといえば、やはり移ろいやすい自分自身を土台として据えるのではなく、いのちの与え主であり、常に救いを与えて下さる神様に心の土台を置くこと。そして神様の導きを信じること。あなたはふらふらすることがあっても、神様が共にいて下されば、絶対に大丈夫なのです。肝っ玉の据わった生き方を、信仰者であるあなたは、することができます。さあ、信仰を土台として、人生の歩みを腰の据わったものとしましょう。


2008年のインド伝道!恵まれています! 2008年8月31日

主キリストの御名によって、遠くインドの地よりご挨拶申し上げます。去る25日(月)の深夜(日本時間では、すでに火曜日)、南インドのチェンナイに到着し、そのまま陸路、トリベロールのタンカチャン牧師宅に到着しました。火曜日には、プトゥルーという近くの町にできた新会堂の献堂式、水曜日には教会が経営している洋裁学校の卒業式に、キリスト教書店の開所式などを行ない、こちらでの活動も充実したものとなっています。

水曜の夜には、野外集会の会場で祈りの時が持たれ、共に集った100名近い兄弟姉妹たちと、今回の大集会の大成功、大勝利を確信しました。今回の大会は、タンカチャン牧師の教会の新会堂建設予定地で行なわれます。インドでのバブル直前に、神様に導かれて取得した畑であった土地で、トリベロールの中心街まですぐの、大変便利な場所にあります。高校の運動場くらいの広さは十分にありそうです。隣接地も今回の集会中は借り上げることができ、駐車場や露店まで、十分な広さを確保することができます。今までの野外集会の時と比較すると、格段に良い照明や音響の設備が用意され、タンカチャン牧師の娘婿にあたるマーチン牧師が中心となって準備した聖歌隊や奏楽のチームも、今までの大集会のものと比べると最高の仕上がりです。

振り返ると、10年前、この同じトリベロールの街で、バス・ターミナル隣の広場で野外集会を開きました。今回、同じ街での集会となりましたが、その間、タンカチャン牧師の教会も着々と成長し、私たちのインド伝道もますます進展し、この10年間の恵みを実感しつつの大会となっています。本当に感謝なことです。

木曜日の夜、初日の集会が開催されました。4000〜5000人の会衆が集いました。その中に、一人の10代後半の少年がいたのですが、実は彼は、10年前の集会に来ていて、その時癒されたのだ、と語ってくれました。10年前、言葉をしゃべれなかった彼は、家族に連れられて私たちの集会に来たのでした。その時、癒され、言葉を発することができるようになり、ステージの上で証ししました、と。それから10年。彼は立派に成長しています。

夜空に、主への讃美と福音のメッセージが響いています。今夜の2日目、3日目とさらに多くの人々が集まってくるはず。昨夜も、片方の耳が突然聴こえるようになったり、目が癒されたり、と素晴らしい癒しの業が起こり始めています。天候も守られています。日本から祈って下さっている兄弟姉妹の祈りをひしひしと感じつつ、全力で主キリストの福音を伝えさせていただいています。皆様の上に、主の圧倒的な祝福を祈ります。素晴らしい勝利の報告を持って日本に戻ります。[8月29日(金)午前] 


神のストーリー! 2008年8月24日

北京オリンピックもいよいよ終盤です。日本女子ソフトボールは、“悲願の金メダル獲得”という朗報の一方で、“絶対に金メダルを獲る”はずだった野球の星野ジャパンは、あっけなく準決勝にて敗退。日本中のおじさんたちは沈没。スポーツ好きの私には、一喜一憂の毎日で、オリンピックの半月間はどうも心休まることがありません。

ハラハラドキドキの果てに、飛び上がるほど喜んだり、思いっきり落ち込んだり、それもスポーツの楽しみ方の一つだと思います。と、同時に、勝者にも敗者にも、語り始めればキリの無い、それぞれの物語があります。周りの野次馬たちの身勝手な応援の論理とは違った、それぞれの人生のストーリーが競技の勝負に絡んで展開しているのです。

水泳の平泳ぎで2大会連続の2冠を達成した北島康介選手が、誘導尋問のようなインタビュアーの質問に、言葉を選びつつ、「皆さん、またこれでストーリーを作ろうとしてるでしょう?」と慎重に答えて、身勝手なジャーナリストたちの機先を制していたのは見事でした。確かに、本人以上に、あるいは全く本人の知らない話を、あたかも感動の物語のように作り上げられたのではたまりません。過熱気味の、マスコミの報道上の物語にはそれなりの演出やわざとらしい感動も作り込まれているのでしょう。でも、事実として、それぞれの選手たちの周辺には、それぞれに個性的なストーリーが展開していることに間違いありません。ぜひ、作り物ではない、本物のストーリーを嗅ぎ分けたいと思います。

もちろん、他人事ではなく、私たち一人一人の人生においても、それぞれの物語が、二つと同じものが無い形で存在し、今も動き続けています。そして、特に、クリスチャンである私たちには、今まで、自分一人で歩んできた物語とは別の、神のストーリーが展開しています。あなたは、自分の信仰者としての生き方を、神のストーリーとして見つめてみたことはありますか?もちろん私たちは、オリンピックのメダリストたちのように脚光を浴びる存在ではないとしても、それでも確実に神のストーリーはあなたを主人公として今日も動いているのです。

あなたが導かれ、救われ、今日まで信仰者として歩んできた道のりのことを思い返して下さい。その中に、確かに現されてきた神の不思議な導きと、逆境の中でも常に共にいて下さった主キリストの臨在を、あなたも必ず見い出すことができるはずです。あなたという人生の上に現された、神のストーリーという大切な物語を、さらに感謝をもって、恵みの溢れる先の展開へと進めてまいりましょう。


信仰者には信仰者の熱さがあります! 2008年8月17日

テレビや新聞からは、北京オリンピックのニュースが伝えられ、日本選手の活躍に一喜一憂の日々です。日本の夏の風物詩とも言うべき、夏の甲子園も吹っ飛ぶほどの盛り上がりぶり。普段は人で一杯の繁華街も、お盆の休みも重なって、夜になるとオリンピックを観るためにみんな家に帰って空っぽの状態です。

“猛暑”の暑さだけでなく、そんな熱さもある2008年の夏ですが、私たちは私たちで信仰による熱く恵まれる日々を過ごすことができています。実に、感謝なことです。先週は、月、火、水と中高生会のキャンプが四国の山奥、高知県の仁淀川町で行なわれ、大自然の中で大いに祝福されましたし、木曜と金曜の2日間は、みんなで奈良県の橿原に集まり、15回目となる全国聖会をもつことができました。250名ほどの兄弟姉妹たちと、文字通り熱く主を讃美し、真実の愛に焦点を合わせて、祝福が濃厚に注がれた2日間となりました。

人任せの興奮や喜びではなく、自分自身の歩みの中で、本当に自分らしい喜びの理由をもつことができることは幸いです。マスコミやインターネットの情報を通して、私たちの周りには様々な流行が作り出されていきますし、世の中の大ニュースであっても実際には作為的に生み出されるものも決して少なくはありません。自分で選んで楽しんでいるつもりであっても、実は、作り物の世界に上手く取り込まれているだけに過ぎない場合も多いのです。

信仰の世界は、いつも神様との一対一の関係を基本としています。人任せではなく、ある意味で、いつもあなた自身が主役として存在している訳です。調子に乗って誰かの後に付いて行くだけでは駄目ですし、かと言って、神様のみこころに目を向けずわがままを通して、独り相撲を取るのでは、真の恵みに至る信仰生活にはなりません。あなた自身が、神様としっかりと向き合って、自分にピッタリの祝福をいただくことが大切です。

テレビの前の、“その他大勢”の中での楽しさや興奮だけで終わることなく、あなた自身のために注がれる主キリストの恵みをいただいて、あなたの魂が素直に、自然に、そして豊かに恵まれますように。クリスチャンではない人々には分からない、心に確実に湧き上がる喜びの法則があるのです。さあ、あなたも信仰者として、信仰者らしい喜びや楽しさの理由を見つけて下さい。あなたの心の目を神様に向ければ、神様からの祝福は必ずあなたに向かって注がれてきます。


繋がることの不思議 2008年8月10日

不思議だと思ったことはありませんか?何気なく毎日を生きているように思える私たちですが、神様がいのちを造ってくださって以来、私たちのいのちは今日に至るまで一度も途絶えることなく続いて来たという事実。何万年、何億年、何十億年・・・と、科学は想像出来ないほどの時間の流れを語りますが、その間、ずっと途切れることなく、今日のごく平凡に見える私たちのところにまで、いのちは受け継がれて来たのです。

逆に、私たちの親、祖父母・・・と遡って行くと、このいのちの連鎖は単に何代か前の先祖や、武士や公家の時代で終わるのではなく、実はずっと遡り続け、最後は、聖書がアダムとエバの物語で語るように、最初の人のいのちにまで必ず行き着くのです。具体的にどこの誰、と知り得る範囲は限られていても、今、あなたが生きているという事実が、あなた自身という存在は、神様による天地宇宙の創造以来、いのちが繋がって来たからこその存在であるということなのです。

最近の世の中では、全く反対に、その場限りのものが圧倒的に増えて来ました。インスタント・ラーメンが流行り始めた頃から、じっくり時間をかけて何かに取り組むのではなく、すぐにできるものへと世の中の関心は移って来ましたし、次に、ポケットカメラに代表される使い捨ての時代となりました。その後は、自分で所有する必要もないレンタルばやりとなり、21世紀に入る頃から現実に物が存在しなくても良いデジタル空間上のバーチャル(仮想現実)の世界に突入しています。そんな時代だからこそ、本当のいのちの連鎖は、今まで以上に大きな価値を持つものとなっています。

“アブラハム、イサク、ヤコブの神”と、聖書は私たちのいのちの連鎖と向き合って下さる神様を語っています。確かに、私たちにいのちを受け継がせてくれた感謝すべき親の存在があります。私たちに、信仰のいのちを伝えてくれた信仰の先輩たちがいます。私たちの人生を、単に機械とは違う、真に彩りのあるものとしてくれた愛に溢れた人々がいます。一人だけで生きているように思い込むような事がたとえあったとしても、本当は実に多くの人々との出会いによって生かされている私たちです。

私たち、一人一人に与えられているいのちの連鎖を心から感謝しましょう。短い人生の中で、共に神様の家族として祈りと愛を分かち合うことのできる人々が確かに存在していることを思い起こしましょう。あなたは、決して一人ぼっちではありません。神様はあなたの人生に、あなたを支え、愛してくれる価値ある人々を、ちゃんと配して下さっています。あなたに与えられた、繋がることの不思議を感謝しましょう。


世界一の長寿国!世界一の幸せ? 2008年8月3日

日本女性の皆さんが、またまた世界一の座を更新しました。最近、厚生労働省が発表したデータによると、2007年の日本人の平均寿命は男性が79.19歳、女性が85.99歳で、共に2年連続で前年を上回り、過去最高となった、とのこと。癌や心臓疾患での死亡率が大きく改善されていることが要因だとのこと。この数字で、女性は23年連続で世界一を維持。男性は2006年の2位から3位に下がったのだそうです。

何でもかんでも他人と比較するのもどうかとは思いますが、少なくとも医学的なデータからすれば、日本は世界最長寿国だということ。この地上でのいのちは限りあるものですから、そのお金には代えられないものを、私たち日本人は世界の誰よりも長く享受することが出来ているというのです。単なる思い込みではなく、科学的なデータとして、事実そうだ、というのです。

しかし、やはり考えてしまいます。世界一の長寿国が、そのまま世界一幸せな国と言えるものとなっているだろうか、と。別に、1番でなくても2番でも3番でも構わないのですが、長寿に見合う幸せの実態があるのだろうか、と問い掛けたくなります。実際には、テレビや新聞で連日報道される、昔は考えられなかった凶悪犯罪。格差社会の到来で、何かしらみんなで感じているお金の不足感。日本の社会全体を覆っているように感じる閉塞感。子供たちも、夏だというのに家の中で生気無くゴロゴロしていますし、職場ではいつもだれかがイライラ。世界一の長寿国だと言われても、おめでたいと感じるよりも、そんな高齢化社会になってしまって今後どうなってしまうのか、と不安感の方が募る始末。

長寿という、人間が求めうる最高の幸せへの条件を用意してみても、それでも本当に幸せは手に入らない。むしろ、これからの社会では、平凡な幸せさえなかなか難しくなりそうだと感じている人が多いのです。やはり、聖書の語る原則を忘れてはダメですね。私たち、人間は、神様によって創られました。ですから、本当に人としての生き方や、魂の底からの平安、いつもずっと心の中に流れ続ける幸福感は、神様と共に歩んでこそ実現するのです。私たちには、世界に比較して誇れるほどのものはないかもしれませんが、主キリストと共に歩む人生は、確かに幸せなものなのですよ。世界一の幸せ、と呼んでも良いくらいの祝福が与えられているのです。

さあ、夏本番。暑さの中でも、主の恵みを感謝しつつ、毎日を楽しく歩みましょう。


良いものを追い求めよう! 2008年7月27日

例年より早めに梅雨が明け、連日の猛暑となっています。気象庁の天気予報では、25℃を超えると「夏日」、30℃を超えると「真夏日」と呼んで、一般の人々にも暑さの感覚を伝える工夫をして来ました。それが、最近では35℃を超える日もよくあるということで、「猛暑日」という呼称まで生まれてしまいました。

私の子供の頃は、33℃などというと、夏の間に一度あるか二度あるかの暑さだったように記憶しています。それが、最近では35℃も当たり前。ひょっとすると40℃をあちらこちらで超えてしまうのではないかと思うほどの暑さです。確かに、地球の温暖化の問題も手を打たなければと、私たち庶民も感じてしまいます。

そんな夏の暑さの中ですが、神様からの恵みも素晴らしい勢いで現されています。単に暑い夏なのではなく、祝福の現される夏とされているのは感謝なことです。先週の松山でのレイモンド・ムーイ先生の癒しのセミナーでも多くの癒しのみわざが現されました。松山の兄弟姉妹たちからの恵まれた証しが続々と届けられています。また、東京での3日間に及ぶムーイ先生の大会も実に恵まれたものとなりました。参加されていたお一人お一人の上に病いの癒しや経済の祝福が現されました。

松山の大会には、福岡や大阪、広島からの兄弟姉妹たちが駆け付けて下さり、東京の大会には、大阪や九州からの方々に加えて、一番遠くは沖縄から参加して下さった方もおいででした。私たちが祈りつつ、信仰を込めて準備し、皆が力を合わせて開催している各集会ですが、その中に多くの恵みを見い出して下さる人々が確実に増加しているのです。

一昨日、東京から松山へと飛ぶ飛行機が満席で、キャンセル待ちをして乗り込みました。夏休みだからでしょうか、いかにも今どきの若い女の子たちが2、3人ずつのグループで乗っています。話している言葉を耳にすると、どうも松山や四国のイントネーションとは違います。松山に到着してみてその理由が判明しました。昨日の土曜日に、松山の郊外で、ある音楽プロダクションの歌手たちが勢揃いする大コンサートが開催されたのでした。文字通り、日本中からファンが集まって来ていた訳です。自分が良いと思うものには、人々はどんなに遠くとも集まって来るのです。

さあ、主キリストの恵みは力強く現されています。私たちも、ますます信仰を働かせて主が与えて下さる良き物を期待し、受けとめさせていただきましょう。この夏、主にある良いものを追い求めてまいりましょう。


やはり“面と向かって”でないと! 2008年7月13日

先週の月曜から水曜にかけての3日間、北海道での洞爺湖サミットが行なわれました。地球温暖化を中心とする、地球規模での環境問題や、最近の食料、原油高、また今後の世界金融のあり方に関する問題など、緊急性を伴った課題に対して集中的な討議がなされました。福田首相が議長として、果たしてどれほどのリーダーシップを発揮できるか、世間は注目していたのですが、世論の評価は、全くダメだと言う人もいれば、かなり頑張ったと好意的な意見もあって、総合的には“まあまあ”といったところに落ち着いたようです。

今どきの話題ですから、問題点はすでに周知の事実。誰もが知っていること、気付いていること、問題点を実感している課題ばかりでした。そして、新聞、テレビ、インターネットを通して、世界中の人々で共有している課題ばかりなのでした。こういう問題点に関しては、いつでも誰にでも電話をかけることもできれば、メールも関係者一同に即座に送りつけることもできる訳です。しかし、今回のようなサミットが継続的に行なわれている理由は、当たり前のことのように思われても、やはり一同に会して、面と向かって討議しなければ、決まるべき事柄も決まらないという事実があるからです。

2国間の首脳会議を開催するだけでも、準備は大変です。それが、アメリカやロシア、イギリス、フランスなど世界の主要8カ国の首脳が一箇所に集い、その上、中国やインドなど経済発展著しい国や、食糧問題に悩むアフリカ諸国の代表も揃うという、もの凄い顔ぶれになりました。準備も大変ですし、開催の運営にはもの凄い労力が必要だったはずです。日本中での警備体制も厳重で、出張中の私などは、各地の空港でいつもより数段厳しいボディチェックに遭うことになりました。

そういう様々なハードルがあっても、たとえ大変な経費、労力が必要であっても、普段、決して顔を合わすことのない首脳同士が顔と顔を合わせて話し合うことには、それ以上の価値があるということです。最近では、人間関係が希薄になって、面と向かって誰かと真剣に語りあうということがめっきり少なくなってきました。しかし、人生の大事なことは、メールに任せっきりでは解決も前進もしません。やはり、面と向かわなくては・・・・信仰の世界も、同じです。あなた自身がしっかりと神様と向き合わないでは、どうしても解決しない事柄があるのです。人任せではダメ、軽いメールではダメ、という事柄が確かに存在します。さあ、あなたの信仰を働かせて、神様にしっかりと向き合いましょう。神様との関係が希薄なまま、空虚な歩みをしてしまうことがありませんように。


夏は、夏らしい行動計画を! 2008年7月6日

ここ松山でも、先週半ばからいきなり日中の最高気温が33度、34度などという暑さになりました。今年の梅雨は、雨が多く、気温は高くならないままでしたので、湿気はあるもののどこかで凌ぎやすさを感じていました。それが、いきなりの真夏の日差しにビックリ。そして、いきなりの“梅雨明け”宣言。もしかすると例年よりも、暑く長い夏になるかもしれません。昨年などは、8月になってから梅雨明け、という状態だったと思うのですが、やはり今年の夏は、今年の夏で、新たな筋書きになりそうです。

世界伝道に出て、常夏の国々を旅することが多いのですが、そんな折には日本に四季がはっきりとあることが本当に素晴らしいことだとわかります。季節の移り変わりと共に、心の中にも情緒の流れが生じて、私たちの毎日の出来事にメリハリを付け、日々の何気ない事柄にも味わいを増してくれます。春、夏、秋、冬・・・それぞれの季節に、それぞれの心の持ち方があるようですし、日本人ならではの過ごし方、楽しみ方があります。

毎年、真夏の到来を感じる頃に、私は同じような事を感じてしまいます。せっかくの夏なのだから、夏らしい毎日を楽しく過ごさせていただこう、と。最近は、夏なのに、クーラーの効いた部屋から一歩も出ないで、パソコンやゲームばかりに興じている若い人が増えています。きっとその人たちにとっては、私の言う“夏なのに・・・”という感覚より、“暑くてたまらない夏なのだから・・・”部屋に閉じこもっているという感じなのでしょう。しかし、それでは、人生の躍動感やせっかくの休暇を用いての特別な時間を楽しむ喜びは決して手にする事ができません。

せっかくの夏なのだから、夏にふさわしい行動計画を立てませんか?私たちの教会でも、レイモンド・ムーイ先生をお迎えしての癒しのセミナーに始まり、“海の日”のイベント、教会学校のキャンプ、中高生会の夏キャンプ、そして奈良・橿原での全国聖会・・・と、いかにも夏らしい行事が目白押しです。8月の終わりには、インド伝道の大集会が控えています。さあ、あなたも大きな恵みをいただく夏の計画を立てて下さい。一般の人が体験する夏の躍動感をはるかに越えて、主はあなたを聖霊の躍動感で満たして下さるはずです。そして、祝福の思い出がいっぱいの、2008年の夏が実現するのです。さあ、心を、夏モードに切り替えましょう。夏にふさわしい信仰の行動計画を立てましょう。


むやみに信用してはいけない! 2008年6月29日

ミートホープ社や船場吉兆の事件であれほど世間が大騒ぎしたので、食品偽装はもう終わりかと思っていたら、さにあらず。今度は、飛騨牛の偽装に、中国産うなぎを三河一色産と偽って販売した事件がニュースを賑わせています。飛騨牛偽装の食肉卸会社社長の責任転嫁だらけの態度や、中国産うなぎを扱った業者の偽装工作のからくりなどを知ると、どちらも相当に悪質。“ちょっとした出来心で・・・”では済まされない、本気の詐欺、悪徳商法そのものの手口です。

何にもまして見かけがものを言う時代。見栄えだけは一人前のものが増えています。外見や体裁ばかりが幅を利かせていて、中身は空っぽなのです。さらにその流れの中で、いかにも本物らしく見せかけた偽物が人々の心を捕えています。今では、物のたくさんある豊かさや選択肢の多さが、かえって偽物をはびこらせる原因となっているようです。

新約聖書が書かれた初代教会の時代にも、世の中が平和で物が豊かになるにつれ、偽物がはびこるようになったことが記されています。Tヨハネ4章の冒頭にはこうあります。“愛する者たち。霊だからといって、みな信じてはいけません。それらの霊が神からのものかどうかを、ためしなさい。なぜなら、にせ預言者がたくさん世に出て来たからです。”

今、私たちの住む時代にも、豊かさと便利さの中で本物と偽物に絡む大きな混乱が生まれています。“本物だ”と言える良いものほど、見かけだけを真似され、表面的な内容だけコピーされた偽物が現れます。そして、時には本物を凌(しの)ぐような勢いで人々の間に広まったりするのです。そういう時代だからこそ、私たちも・・・自分に都合の良い神様の話だからといって、何でも信用してはならない。愛だからといってむやみに心を許してはならない。幸せの秘訣だからといって安易に受け入れてはいけない、と聖書は語っています。

クリスチャンである私たちに与えられている素晴らしい能力は、物事の本質を見極めることが出来るということ。それが、本当に神様からのものであるか、神様の御心にかなうものであるかどうかを問うことによって、私たちに真に益となるものかどうかを見極めることが出来るのです。何でも批判ばかりして、皮肉しか言えないような安っぽいマスコミのような生き方ではなく、主キリストの御心を私たちの人生の歩みの中で実現して行く、そんな本物の生き方を選び取りましょう。偽物への疑心暗鬼を越えて、聖霊によって正しいものを選ばせていただき、主に喜ばれるものを作り出す人生を歩みましょう。


あなたの祖先はナメクジウオですか? 2008年6月22日

最近、発売された科学雑誌によると、京都大、国立遺伝学研究所や英米などの国際研究チームが突き止めた結果、ヒトの祖先は“ナメクジウオ”なのだそうです。ナメクジウオとは、脊椎動物の前段階で背骨に似た筋肉組織を持つ「脊索(せきさく)動物」の一種で、大きさは3〜5センチのもの。頭部はなく尾びれに似た器官があり、魚のように泳ぐ、とのこと。これまでは、ホヤがヒトの祖先だと考えられていたとのこと。ホヤもナメクジウオと同じ仲間で、今から5億2千万年以上前に、ホヤ、ナメクジウオ、脊椎動物の順に進化したと考えられてきた、のだそうです。

以上のニュースは、近年、進展の著しい遺伝子研究の成果によるものです。研究チームは解析の結果、ナメクジウオの約21,600個の遺伝子を特定し、このうち、1090個の遺伝子をホヤと比較し、ナメクジウオの方が早く現れ、原始的であることを確認。それらの遺伝子の6割がヒトと共通しており、並び順も似ていたのだそうです。一方、ホヤは独自の進化を遂げた傍流と分かった、とのこと。

“お前の祖先は猿だ”と言われるだけでも、やや猿顔の人にとっては十分にショックなのに、最近の研究では、魚だか何だか分からないものが遺伝子的には私たちの祖先ということになっているらしいのです。確かに科学的には、世界的な雑誌に掲載されるようなビッグニュースなのでしょうが、正直なところ、私はちっとも嬉しくもなく、心が打ち震える感動を味わうこともありませんでした。はあ、そうなんですか?という感じ。祖先がナメクジウオだと分かって、心底ホッとしたということはありませんでした。

科学的な探求からは、これからも新しい発見や研究の報告が次々に報告され、様々な学説が提出され、証明され、書き換えられ、定説だとされていくのでしょうが、それが完全な真理ではないことを忘れてはなりません。人間を見る見方には、様々なものがあります。その一つは、聖書が、私たちは、神様によって造られた価値ある存在だと語っているものです。科学的な探求は、私たちが生きる限り、決して結論に達することはないのでしょう。しかし、神様の言葉である聖書は、私たち一人一人が生まれる前から、幸せへの土台を私たちに語っています。神様によっていのちを与えられた私たちだから、真剣に神様に向き合えば必ずいのちの道は私たちの前に開かれるのです。私は、自分がナメクジウオの子孫だとは大声では語りませんが、神様によっていのちを与えられた者だと心から叫びたいと思います。


理屈を越える信仰! 2008年6月15日

8月に開催される北京オリンピックに向けて、スポーツ界はだんだんと緊張感が高まってきました。 オリンピックまで、残り2ヶ月。準備の質が問われる時期です。水泳界では、前代未聞の水着問題での大騒ぎが起こりました。このオリンピックを直前に控えて、英国のスピード社から、他社の水着と比較してビックリするような速さの出る水着が発売されたからです。

日本のミズノ、アシックス、デサントの3社も、それぞれに技術の粋を込めた水着を提案。従来の常識からすれば、日本の代表選手は、これら協賛企業の水着を着用して試合に臨むはずでした。もちろん、それぞれが立派な日本製ですから、ちゃんとした技術的な裏づけがあります。記者会見などを通して明らかにされた各製品の特徴を並べてみると、どれも一長一短、甲乙付けがたいものです。議論だけではいつまでも決着は付きません。

しかし、実際に選手たちがそれぞれの水着を着用して実践に臨んでみると、結果は一目瞭然。スピード社の水着を着た選手たちは日本記録を連発。平泳ぎの北島選手にいたっては、驚異的な世界新記録まで叩き出したのでした。論理や説明の域を越えて、結果が全てを物語っていたのです。日本の三社も、選手たちの選択の希望を最大限応援する、と寛大な姿勢を示して問題は一応落ち着いたのでした。

信仰の世界にも、似たところがあります。神様に関する理解や、信仰の姿勢など、私たちが考えたり、説明したり、納得しようとする事柄が確かに存在しています。しかし、人間の理屈は、どこまで行っても所詮人間の理屈です。神様の真理とは、掛け離れていることがあるのです。神様は私たちに理性を与えて下さいましたが、私たち人間の知識や思考が絶対的なものであると思い込むと、思わぬ失敗をしでかすことになります。

理屈を越える信仰を意識しましょう。あなたの思うところ、願うところをはるかに越えて働かれる神様がいらっしゃるからこそ素晴らしいのであって、神様がいつも自分の理解の範囲内でしか働かれないとしたら、それはあなたの意識より小さな神様であって、そんな神様を敢えて信じる必要もありません。普段、様々な事柄をあれこれ考え、思い煩うことの多い私たちだからこそ、時には、心を思いっきり解放して、素直に神様の恵みの大きさを信頼してみることです。あなたの理屈はちょっと横において、シンプルに神様を信じてみましょう。予想以上の祝福がもたらされるはずです。


あなたの人生の流れをチェックしよう! 2008年6月8日

2016年のオリンピックの開催地として立候補していた東京が、シカゴ、マドリード、リオデジャネイロと共に第一次選考を通過したそうです。オリンピックの開催能力があるかどうかを問う採点では、総合評価に関してはとりあえず立候補している都市の中で最高の評価を得たとのこと。東京都の関係者はホッとしているようですし、いつもはマスコミに対しては不機嫌なことの多い石原都知事も何だか高揚感をもって会見に応じていました。

ただ、気がかりなのは、日本政府がまだ本腰を入れていないことと、何よりも東京都民をはじめとする世論の盛り上がりが今ひとつだということ。本当に東京でのオリンピックが開催されれば、4〜5兆円もの経済効果が見込めるとの試算は示されてはいるものの、競技施設の建設費や交通網の整備など、開催の準備に関する費用が4000億円もかかりそうだというのです。景気が良いのか悪いのか、格差の問題もいろいろと指摘される昨今の状況の中で、本当にそんな巨額プロジェクトが必要なのか、と疑問の声も上がっています。もちろん、日本人全体に苦手な積極的な誘致活動がこれから求められるということで、開催に失敗した時には、準備のお金だけが無駄になるというので、これも考えものです。

お隣りの中国の、この夏のオリンピックに向けての異常なまでの盛り上がりを見ていると、つくづくオリンピックというものは、社会の情勢や国情との関連で開かれるものだと思わされます。経済発展が凄まじく、一刻も早く世界の一流国入りを果たしたい中国にとっては、オリンピックの開催と成功は、国民挙げての悲願とも言うべきもの。リオデジャネイロも、国の発展と南米への関心を考えれば、是が非でも開催したいという意気込みが伝わってきます。同じオリンピックでも、日本ではだいぶ受け止められ方が違うのです。

同じ出来事でも、時代や状況に応じて、そのこと自体のもつ意味や価値まで変わってくるのです。あなたの心の状態は、健全でしょうか?本当は、感謝すべき素晴らしい事柄が起こっているのに、あなたの心がひねくれているので、その良さが味わえないような悲劇は起こっていませんか?神様からの恵みは確かに注がれているのに、あなたの心が騒がしく混乱している内に、祝福を味気ないものにしていないでしょうか?神様の愛も、導きも変わりません。さあ、あなたの人生のあり方を冷静に見つめて、注がれている祝福をしっかりといただきましょう。神様からの恵みはいつの時代も変わらないものです。何があなたの人生に起こっていようと、神様の恵みから目を離してはいけません。


その人から放たれるもの! 2008年5月25日

あなたはどのような雰囲気を身にまとっていますか?あなたは、どんな空気を周りの人々に対して放っていますか?私たちは、常々あれがいけない、これがダメだと周りの状況や、出来事を指して、行き詰まりや不幸の原因としてしまうものです。しかし、周囲の事柄はさておき、実は自分自身が何を発しているのか、どのような雰囲気を生み出しているのかということを、もう一度真剣に考えてみる必要があります。

昨年の4月、東京と松山で特別セミナーを開いて下さったビル・ウィルソン先生が、木曜日に来日され、昨日より沖縄での特別集会で語って下さっています。ニューヨークで毎週2万人を越える子供たちに福音を語り、世界の街角で子供たちに接しているスタッフによる働きを加えれば、毎週4万人、5万人の子供たちに主キリストの愛を伝えようと奮闘しているエネルギッシュな先生です。

今回の集会のお世話や通訳をしながら同行してみて、やはり一目瞭然の事柄があります。それは、どこに行き、誰と出会っても、常にビル・ウィルソン先生の世界が誕生するということ。木曜日に、来日されてすぐ、東京での懇親会を催したのですが、どこにでもありそうな食事会であっても、すぐにウィルソン先生がそこにおられるという独特な雰囲気の集まりとなりました。金曜日の午後、沖縄入りしてからも、どの集会もウィルソン先生が作り出す、子供たちへの愛と実践に裏打ちされた信仰とビジョンに溢れた空間が作り出されています。

一人の信仰者から発せられる信仰と事実に基づく証しの言葉が、どこにでもありそうな集会にいのちを与えて、人々の目がキラキラと輝いてきます。周囲の出来事ではなく、その人の心から湧き上がるいのちが、周囲の事態にも大きな影響を及ぼし、雰囲気を変え、人々を巻き込んで行くのです。人の心から発せられるエネルギーが人々に良くも悪しくも影響を与え、客観的な状況さえ変化させて行くのです。

あなた自身が発しているエネルギーに気を付けましょう。人を励ます前向きな雰囲気をあなたは発しているでしょうか?温かな感謝の心が、あなたの周囲の人々に伝わっているでしょうか?人々の心を重くさせたり、物事を重たくさせる否定的な力を知らず知らずの内に撒き散らしていることがありませんように。あなたの心が発するエネルギーが、周りの人々に伝わって行きます。あなたの言葉、笑顔を大切にして下さい。


やり遂げること、やり抜くことの素晴らしさ! 2008年5月18日

先週の木曜日(5月15日)に、アンデレ宣教神学院の第16回卒業式が行なわれ、3名の姉妹たちが卒業されました。一般課程で1年、そして専攻課程での3年、合計4、その両方を兼ねてであったりの姉妹たちですので、4年間しっかり学び通された事に、心から拍手喝采です。年間に及ぶ学びを完成しての卒業式でした。それぞれ社会人としての仕事をしながらであったり、家庭の主婦であったり、その両方を兼ねてであったりの姉妹たちですので、4年間しっかり学び通された事に、心から拍手喝采です。

最近の世の中では、コロコロと目新しいものばかりがもてはやされ、スピード化の社会の中で変化に次ぐ変化の連続で、一つの物事にじっくりと腰を据えて取り組むことがすっかり忘れ去られてしまったようです。粘りや忍耐が無くなり、やり遂げること、やり抜くことの価値が随分と軽視されているようです。特に、男性諸兄の踏ん張りがどうも効かなくなっているようです。

そんな時代の風潮をものともせず、この4年間、一生懸命に学ばれた姉妹たちでした。そして、じっくり、しっかり学ばれた一人一人は、それぞれに主の恵みによって触れられ、変えられた証しを確かに持っておられます。インスタントや借り物ではどうしようもない、やり抜いてこそ与えられる恵みがあるのです。

あなたは日々の歩みの中で、やり抜くこと、やり遂げるべきことを、コツコツと積み上げておられるでしょうか。いつの間にか、周囲の無責任な空気に巻き込まれてしまって、その場限りで刹那(せつな)的な生き方が忍び込んできてはいないでしょうか。確かに、それはそれで楽な生き方なのでしょうが、楽な生き方にはやはりそれなりの祝福しか付いてきません。踏ん張るべきところは踏ん張り、やり抜くことは真剣にやり抜く時、あなたの人生にしか現されない特別な恵みが事実となってきます。時間を掛けて、時には汗と溜め息で向き合わなければ、決して形となることのないものがあるのです。

辛いとか、苦しいとか、呟く必要はありません。それは、神様があなたに与えて下さった特別に恵み深い人生の一端なのであり、祈りつつ、感謝をもって前進すれば、必ず恵みの花が咲くのですから。流行している物事を追いかけることなど、実はどうでもよいことなのです。そんなことよりも、神様があなたに与えて下さった人生の日々を、確実に推し進めて行くことです。やり抜くこと、やり遂げることです。信仰を働かせて、じっくり取り組めば必ず見えてくる祝福の世界があります。共に、励みましょう。


笑顔と喜びの発信源! 2008年5月11日

ゴールデン・ウィークが終わり、ますます新緑が目に眩しい季節を迎えています。一年で最も爽やかな時期とも言える5月の日々を、喜びをもって歩んでまいりましょう。とは言うものの、世の中では物騒なニュースが引きも切らず報道されています。特に、不気味な流行となっているのは、硫化水素による自殺。洗剤と入浴剤の混合によってこの毒ガスが発生するとのこと。一体何故、どうして、こんな恐ろしいことが流行するのかよく分からないのですが、事実、各地で連鎖反応のように同種の悲しい事件が発生しています。

そんな時代の状況にあって、私たちは心からの笑顔を発信することができることは大きな幸いです。兄弟姉妹と共にチャレンジした本年のバザーも、大勝利でした。4月29日、バザーの当日は、好天に恵まれ、多くの人が私たちの教会を訪れて下さいました。奉仕者のお一人お一人がそれぞれの持ち場で大活躍して下さったことを心から感謝申し上げます。自分の食事をしたり、休憩する間もないほど、踏ん張り続けて下さった皆さん、本当にありがとうございました。

私自身も、当然、バザーの会場でドタバタと走り回っていたのですが、そんな忙しさの中でも、私たちの教会は幸せの場だな、と喜びと感謝が自然に湧き上がって来ました。目先の損得勘定や自分の利害を越えて、神様の働きのために共に真剣に奉仕できることはなんと幸せなことでしょう。私たちのバザーには、訪れて下さったお客様が口々に感嘆して下さるほどの楽しさと温かさが溢れています。そして、今回のバザーを通して、放送伝道、海外伝道の働きのために、合計で130万円ほどの献げ物を生み出すことができたことも素晴らしい成果です。

また、5月2日から4日までの福岡での九州聖会、そして5、6日の高知県での森のキャンプにおいて、兄弟姉妹と祈り合い、交わりの時を濃密に持てたことも大きな喜びでした。私自身も大いに開放され、祝福されたひと時でした。深みのある幸せや、きちんとした土台のある喜びが溢れていました。教会では、私たちは互いに兄弟姉妹と呼び合うのですが、それは単なる形式や伝統ではなく、本当に主にある大きな家族であることを再確認することができました。老若男女の垣根を越えて、語り合い、祈り合う、生きた交わりが私たちの教会にはあります。世の中に、人の命まで奪う物騒な話題が流行する中、私たちは主キリストの恵みによって、喜びと笑顔の発信源とされていることを心から感謝いたします。


主(あるじ)の不在は悲しいもの! 2008年5月4日

東京・上野動物園のパンダのリンリンが死亡し、1972年のカンカン、ランランの来日以来、はじめて同動物園にジャイアント・パンダが居なくなってしまいました。36年間に亘って、上野動物園の顔であったパンダがいなくなったということで、何だか寂しい気持ちの人も沢山いるようです。幸いなことに、今、日本では、和歌山の白浜と、神戸の動物園に合計でまだ8頭のパンダがいるようですが・・・。

上野動物園の話では、しばらくの間、パンダ舎はそのままにして公開するということ。私たち日本人の感覚ですから、当然、パンダの“冥福を祈る”ために多くの人が訪れそうです。いずれにしても、主(あるじ)のいなくなった建物は、寂しいものです。

と、ここまで亡くなったパンダに思いを寄せてきて、はたと私たち人間の心も、本当の主(あるじ)のないままで生きて行くことの辛さを思い知らされました。私たち人間は、“神のかたち”に造られたと、聖書は語っています。単なる偶然や、成り行きの産物ではなく、そこには神の意志と存在の基本的なあり方が初めから明確であったというのです。それなのに、私たちは、自分の身勝手やわがままを推し進める内に、大切な心の主(あるじ)を失ってしまいました。罪が、私たちの心を支配するようになってしまったからです。

ゴールデン・ウィークの最中、お休みの日々を満喫しているのですが、本当の心と魂の休息は、私たちのいのちの与え主である神に向き合う時にこそ与えられるのだということを忘れてはなりません。金儲けの算段や、人の気を引くことや、自分の好きなことをすることに心を奪われている時間だけでなく、この折角の連休の中で、静かに神と向き合う時間を持つようにしたいと思います。祈りや静かな瞑想の時間・・・ただボーッとするだけでも良いですから、自分の心の中にはいつも救い主キリストがおられるだろうか、と思いを巡らしたいと思います。

楽しいはずの連休の中でも、心が空っぽになった空しい現代人の悲劇的な事件が続きます。他方、私たちはと言えば、決して特別なことではないのですが、去る4月29日(火)にはバザーをみんなで開催し、大変恵まれた時間を過ごすことができました。身体は確かに疲れるのですが、心は何だかポカポカと温かく、幸せの実感が私たちを包み込みます。主キリストを信じて、主のために仕えることは、確かに心を潤すのです。そうです、私たちの心には、確実に主であるキリストが居て下さるのです。あなたの心のど真ん中に、主キリストが今日もいのちを満たして下さいますように。


私は、バザーが大好きです! 2008年4月27日

私たちの教会、松山福音センターには、日本中どこに出してもおかしくない、誇りとすることのできるものがいくつもあります。その一つが、教会のみんなで作り上げるバザー。今年もいよいよ春の大バザーを迎えます。子供の頃から大好きだったバザーを、48歳になった今回もワクワクしながら迎えられることは、本当に幸せです。

ここで、今回のバザーでの注目ポイントを勝手にご紹介します。まずは、“肉うどん”・・・係りの姉妹たちこだわりの、昆布からの本格だしの利いたおうどんをご堪能下さい。甘く煮込んだお肉と絶妙の組み合わせです。“カレーライス”は、担当される姉妹たちのお顔が新鮮なメンバーに。お味の方もきっと新しいおいしさを演出してくれるはず。“杏仁豆腐”は、係りのみんなが試作に試作を繰り返して行き着いたアジア風蒸しパン“マーラーカオ”とのコンビで、お口の中は即、幸せ気分。ご近所でも評判の“福音ずし”は、酢の合わせ方はもう秘伝の域。ご飯とのまぜは、牧師自らが腕を振るっておりますのでご期待下さい。

4階の“喫茶コーナー”は、一つ一つが手作りで、心からホッとしますし、毎回、生地の中身や練りにこだわり続ける青年会の“たこ焼き”も、ぜひしっかり味わって下さい。若いみんなの元気が込められた中高生会の“焼きそば”もいつも大好評。そうそう、メンズクラブの“おもち”は、正真正銘の杵つきですし、みんなで採ったヨモギもおいしく色を添えています。

“販売コーナー”には、一年かけて姉妹たちが集めてくれたお買い得商品が勢揃い。教会学校の“ゲームコーナー”では、テレビゲームでは決して味わえない、温かいぬくもりのある遊びがいっぱい。シメオン会のテーブルには、おじいちゃん、おばあちゃんたちならではの品物が山盛りです。そして、“くじ引きコーナー”に、“キムチ”“ヨーヨー釣り”“餃子”・・・と、あ、紹介しきれない!大学生会の“クレープ”も進化しているはずだし・・・。

私たちのバザーの中心には、何と言ってもいつも主キリストが共にいて下さいます。伝道の働きのための献げ物を生み出し、愛をもって共に仕え合い、温かい交わりが溢れています。さあ、あなたも今回のバザーの中で、普段の生活の中では味わえない楽しさや喜びを感じ取って下さい。祝福を祈ります。


バザーが目前です!恵まれましょう! 2008年4月21日

4月もすでに半ばを過ぎ、これからいよいよ下旬へ。ゴールデン・ウィークも近づいて来ます。今年の大型連休は、5月2日(金)から4日(日)の2泊3日は、九州福音センターや鹿児島福音センターの兄弟姉妹たちとの九州聖会(福岡県飯塚市にて)、5月5日(月)、6日(火)の2日間は、松山の兄弟姉妹たちを中心に森のキャンプ(高知県吾川郡)に出かけます。

すでに、東京では、4日間に亘ってレイモンド・ムーイ先生をお招きしての第5回目となる癒しのセミナーが開かれ、今回も癒しのみわざや様々な神様からの祝福が具体的な形で現わされました。参加された方々に、主キリストが今も生きて働いておられることが明確に示されたことは、本当に感謝なことでした。私たちの信仰は、単なる学びだけの宗教ではなく、私たちの人生の流れを変える、生きた力なのです。

今年のゴールデン・ウィークの中でも特に大切にしたいのが、松山での春の大バザー。私たち福音センターの今日に至るまでの歩みの中でも、常に大きな意味を持つ行事です。私たちの教会は、常に伝道する教会。主キリストの福音を、ありとあらゆる機会を用いて、人々に伝えていく姿勢を基本として持ち続けています。この働きのために、私たちは少しでも献げ物を生み出そうと、何十年にも亘ってこのバザーに真剣に取り組んできました。もちろん、バザーだけで放送伝道や海外伝道の必要が満たされる訳ではありませんが、私たちの伝道に取り組む信仰の姿勢を皆で一致して現わしてきたのです。

今回のバザーでも、兄弟姉妹たちと共に奉仕できることを心から感謝します。賛美と笑顔をもって、楽しい交わりの中で、バザーを盛り上げていくことができることを、本当に嬉しく感じています。私たちには、主キリストのためにという明確な目的があり、具体的な行動があり、信仰があり、そして、愛と喜びがあります。義務感や伝統だけで行なわれていた、一般の学校や地域のバザーはほとんど無くなってしまいました。形式だけで続けられていたものは、やがて色褪せ、消滅してしまいます。しかし、私たちのバザーには、今も明確ないのちが込められています。

さあ、これからの10日間、ご一緒に思いっきり奉仕しましょう。楽しさと勢いに溢れた2008年のバザーを形作ってまいりましょう。主キリストに向かって共に仕える時、世の中の他のものでは決して与えることのできない喜びと祝福があなたの心にも注がれます。奉仕することが、こんなにも楽しいことをあなたもぜひ味わって下さい。


聖火リレーが大混乱です! 2008年4月14日

8月に行なわれる北京オリンピックを控えて、世界各地を巡る聖火リレーが始まりました。しかし、各地で大混乱の様子。すでに行なわれたロンドン、パリ、サンフランシスコ、ブエノスアイレスなどの諸都市では、聖火が奪われそうになったり、水を掛けられたり、暴力的な抗議行動まで巻き起こっています。主催者側は、いきなり走るルートを変更して、誰も見物客がいないところでのリレーにしたり、距離を短縮したり、また聖火防衛隊なる素性のわからない強面(こわおもて)の警備を付けたりと、もはや平和の祭典としてのオリンピックの一部とは思えない状態です。

妨害活動の一番の原因は、中国のチベット問題。チベットの独立や自治を認めようとしない中国政府に対して、平和の祭典を主催する資格が無いというデモンストレーションです。中国政府の方は、オリンピックを契機として国の威信を世界に知らしめようと、アテネ五輪に続いて世界各地を巡る聖火リレーを意気揚々と企画したはずなのですが、今回はそれが裏目に出てしまいました。

オリンピックに関わる問題ですが、そこには単にスポーツとしての競技があるだけではなく、深い主義主張のぶつかり合いがあります。実は、テレビや新聞の報道の表面的な事件が問題なのではなく、問題の根底に流れているイデオロギーや価値観の対立にこそ大きな意味があるのです。中国は、これから本当に国際社会の一部として、あるべきルールに従って共存していけるのかどうかが問われています。

国や国際社会の問題だけでなく、実は、私たちの個々人の生活においても、表面的な問題はさておき、問題の本質にある価値観やその人の生き様というものが大きな意味を持つようになりました。自分ひとりだけが幸せなら良いという人生なのか、それとも周りのみんなと成長していくのか。怒りでも鬱憤(うっぷん)でも自分の生の感情を人にぶつければ良いのか、それとも一つ一つの事柄に感謝して生きる道を選ぶのか。

今、聖火リレーの件でオリンピックが大混乱している一方で、実は人々の心の中も、どのような生き方を選ぶか、大きな混乱と迷いが生じている、そんな時代です。不安定で迷いやすい今の時代に、イエス・キリストを信じる信仰を与えられていることは、本当に幸せなことです。私たちは、神様から自分に与えられたいのちを感謝して受け止め、精一杯いのちの輝きを発して歩んで行きたいものです。信仰が、揺るぎない価値観として心の中にあることは、もの凄い恵みなのです。


値上がりの春! 2008年4月7日

この週末、西日本の桜は、例年に比べて若干遅めの満開の時を迎えています。入学入社シーズンの真っ只中を迎えて、街には新鮮な空気が漂っています。新入社員の皆さんでしょうか、真新しいスーツ姿の青年たちの姿も、よく目にします。

そんな新鮮な感覚をいろいろと見い出すことの出来る春の日々ですが、今年はあちらこちらで“値上がり”の話題を耳にします。世界的な、小麦粉を始めとする穀物や原油の値上がりなどの影響で、電気やガスを始めとして、様々な食品や生活用品まで幅広い層での値上げの話題が相次いでいます。

3月末での暫定税率の廃止でガソリンは値下げしたじゃないか、と言う方もおいででしょう。しかし、実際のところはそのことで不足する2兆6千億円の埋め合わせをしようとすれば、単純な話、どこかで増税するしかないので、これも実は困った話です。1リットルあたり25円の値引きを喜ぶか、赤ちゃんからお年寄りまで含めて一人あたり20,000円の増税を受け入れるかという話です。個人的な感覚では、自動車に乗って仕事をし、遊びに出かける人が、ガソリンを使う分に応じて税金を支払って、道路を整備してもらうというのが、元々一番すっきりする話だとは思うのですが。

この“値上がりの春”は、しばらく続きそうです。ここ何年もの“価格破壊”に代表される低価格競争の風潮の中で、何とか粘りに粘った各企業が、今こそチャンスだ、と値上げに踏み切りつつあります。やっと値上げできる、とホッとしている経営者も多いはずです。みんなそれぞれに頑張っていたように見えて、実は企業の体力もボロボロになるまで追い込まれていたという訳です。

無理なことを続けていても、結局、ツケが回ってきます。軌道修正の必要性を感じたら、早目に取り掛かることです。やせ我慢ばかり繰り返していると、人生そのものが汲々(きゅうきゅう)としてきます。神様に向き合う信仰生活は、いつも自分自身のあるべき姿に気付かせてくれます。新鮮な感覚に溢れる春の日々を迎えて、私たち自身も新しい感覚で成長を心掛けましょう。神様が期待しておられるあなた本来の姿へと、一歩でも二歩でも近づこうではありませんか。


新しい一年を満たす良質な時間! 2008年3月31日

桜の開花前線は、いつも南日本、西日本の方が先とは限りません。意外に東京での桜の開花は早いので、今年などは、南国の松山ではまだ一分二分といったところなのに、すでに満開だというニュースが流れていました。いずれにせよ、ここ数日の陽気で一気に、各地に桜色の空気が溢れるようになるはずです。カレンダーも3月から4月へと進んで行きますし、文字通り、春からの新しい一年の始まりとなります。

私たちの日々の生活の中に、信仰が息づいているのは、実に幸いなことです。アンケートを頼まれて、ただ何となく書き込む“宗教”の欄のキリスト教ではなく、仏教ですか、神道ですか、それともキリスト教ですかと問われて3択の中の一つとして仕方無しに消去法的に選ぶキリスト教でもなく、クリスチャンとしてしっかりと生きる事実が伴う信仰であることは、大きな宝物なのです。

一回一回の礼拝の中で、毎日の聖書の通読の中で、また家族との祈りの中で、心の中に聖霊が流れ、主キリストの愛に触れるという体験を、私たちはそれぞれに積み重ねている訳です。それぞれの経験は、決して特別なものではないにしても、小さな事実を積み重ね、価値ある習慣を形作ることができ、それが平安と愛のある心構えや恵みの流れのある生活を実現することになるのです。

最近の耳目を引く事柄の中で、誰でもよいから殺したかった、というような通り魔的な恐ろしい犯罪が連発しています。今まで、ごく普通の生活をしていたはずの人々が、突然、何の関わりもない人々を殺傷するという事件が起こっています。駅で包丁を振り回し、見知らぬ人を電車が近づいて来る駅のホームから突き落とすのです。昔から極悪犯罪人であった犯人たちではありません。私たちと変わらない普段どおりの生活をしてきたはずが、毎日の生活の中で、心が少しずつ歪んでしまい、とんでもない結果となってしまったのです。

大きな出来事だけでなく、毎日、どういう質の時間にさらされているかということが、私たちの心には重要なことなのです。良質な時間に、心を浸すことが大切。新しい一年の歩みの中でも、自分の心と魂が主キリストの臨在される真に良質な時間に触れていられるように注意しましょう。“キリストの愛が私たちを取り囲んでいる”・・・そんな霊的な環境を大切にしましょう。


桜の季節への心構えを! 2008年3月24日

3月も、残り一週間ほどとなりました。まもなく桜の季節が始まります。日本人である私たちにとっては、この桜の花の咲く頃は、特別な意味を持つ時期です。入学や就職、新しい旅立ちにまつわる季節感が街中に溢れるからです。

あなたの心もいつまでも冬を引きずっていないで、新しい季節の風を感じるものとなりますように。これから日一日と、急速に暖かくなるはずです。さあ、新しい皮袋を主からいただいて、新鮮な祝福をいただく準備をしましょう。あなたの周囲だけが新しくなっても意味がありません。あなた自身が、価値ある新鮮さを満喫することができますように。

今日は、イースターの聖日。私たちクリスチャンにとっては、クリスマスと並んで、いえ、もしかするとそれ以上に盛大にお祝いするにふさわしい日曜日です。クリスマスが、救い主キリストが私たちのためにこの世に来られ生まれて下さったことをお祝いするのに対して、イースターは、十字架で私たちの罪を背負って死んで下さったキリストが、死の力を打ち破って甦られたことをお祝いする時です。この主キリストの復活があったからこそ、私たちもこの世でのはかない人生を生きるだけでなく、神様のもとでの永遠の命の希望を持って生きて行くことができるのです。たとえ死んでも大丈夫、と宣言できる根拠があるのです。

あなたの人生が、倒れたままや行き詰ったまま、あるいは死んだままで終わることがありませんように。キリストのご生涯は、十字架の死で終わるのではなく、復活によって締めくくられるのです。同じように、私たちも、絶望や死を終着点とする存在ではなく、希望と命に向かうべき存在なのです。

冬から春へと、季節は確実に動いています。まもなく春爛漫という日々となります。あなたの心も、冬の時代から、命の溢れる春へと着々と動いて行くべきです。そして、主キリストによって、死が最終到達点であった暗い生き方から、どんなことがあっても命が支配する本当の明るさを持った世界へと、私たちはみんな移していただくのです。

イースター、おめでとうございます。あなたの心にも、死を打ち破る真の復活の力が、神様から与えられますように。新しい新鮮な希望の日々が動き始めますように。甦りの主が、どんな時もあなたと共にいて下さいますように。祝福を祈ります。


東南アジア・コンサート伝道ツアーは大成功でした! 2008年3月17日

前回の週報でもご報告したとおり、去る3月3日(月)から13日(木)にかけての10日間、東南アジアの3都市を巡るコンサート伝道の旅に出かけてまいりました。この音楽を用いての新しい伝道のために、多くの兄弟姉妹たちにお祈りいただきましたことを心から感謝申し上げます。

クアラルンプールから始まったツアーは、フィリピンのマニラ、そしてコタ・キナバル(マレーシアのボルネオ島)と移動しつつ、各地でのコンサートを開催させていただきました。教会でのコンサートはもちろんのこと、一般の会場を用いてのものや、同行してくれた日比野則彦兄率いるミュージシャンたちのジャズ・クラブでのパフォーマンスや、講習会、それにテレビやラジオへの出演・・・と、文字通り与えられた日程をフルに活用しての大忙しの10日間となりました。

今回のツアーの目的の一つに、レイモンド・ムーイ先生が理事長として設立したライフ・カレッジの宣伝と奨学金制度確立のための基金募集というものがあったのですが、支援の必要な学生のための奨学金も沢山集まりました。また、こういう音楽などを通してでなければ普段情報を伝えることのできない一般社会の人々と、特にイスラム教徒であるマレー人たちにもこの大学のことを宣伝することができたのは大きな収穫でした。

マレーシアのイスラム教徒たちに対しては、直接、福音を語ることは完全に禁じられていますので、私も言葉を選びつつ、しかし、歌う歌の歌詞はしっかり讃美歌で・・・と、今までに無い緊張感のあるコンサートをさせていただきました。マニラやコタ・キナバルでのメッセージにおいても主が共にいて働いて下さり、聖霊の臨在のある素晴らしい集会となりました。全く初めての試みにも関わらず、それぞれの会場で300〜500名の方々が集まって下さいました。

日本中のミュージシャンたちがしたいと願ってもなかなか実現できない、世界規模でのツアーを、何といともあっさりと実現させて下さった神様に心から感謝しています。今までの20年に及ぶアジア各地での伝道も確かに大きな効果を生んでおり、その結果として、今回のような新しい伝道も着実に成功させていただいているのだと実感しています。私たちの伝道の働きには、確かに新しい可能性が満ち満ちています。あなたの上にも、この主からの躍動感の溢れた恵みが注がれますように。


日本人のクリスチャンであること! 2008年3月10日

兄弟姉妹のお祈りを、心より感謝いたします。先週の月曜から、新しい試みで、東南アジアの各地をコンサートを開きながら巡回しています。木曜日までが、マレーシアのクアラルンプール、金曜日にフィリピンのマニラに場所を移し、今日はマニラの教会での日曜礼拝の奉仕の場が与えられています。明日は、マレーシアのコタ・キナバル(ボルネオ島)へと移動し、2日間に亘ってのコンサート集会です。従来の伝道集会とはまた一味違った雰囲気での各集会となっています。クアラルンプールでの集会では、普段、キリスト教の集会には決して来ることのないイスラム教の人々まで集っていました。やはり、音楽という接点ならではの成果と言えるでしょう。

以前から、文化的なものを用いて人々と教会との接点を作り出していこうという試みは、何度も提案されてきたものなのですが、今回は、私たちの日本から持ち出した音楽ということが大変大きな興味を持って迎えられており、何だか新しい感覚が与えられています。どうも私たち日本のクリスチャンは、福音宣教の後進国というイメージが心に染み付いていて、日本には良いものがない、何でもかんでも外国から学ばなければいけないという感覚に縛られています。

しかし今回、同行してくれたミュージシャンたちの生み出すサウンドを用いての集会は、大成功。集まってくれた人々は口々に、やはり日本の最先端のものは違うね!と、最大限の評価をしてくれます。そうです、日本から来るものは、良いものが沢山あるのです。世界の人々を魅了する質の高さが、私たち日本人の、当たり前の生活の中には溢れているのです。教会の急成長や、クリスチャン人口の爆発的な飛躍はまだ先でも、私たちにすでに与えられているものの中にも、世界のどこに出してもおかしくないものが山ほどあるのです。

私たち日本のクリスチャンに与えられた良きものを活かして、ますます主キリストを証しするものとなりたいと改めて思わされました。アジアの街角には、日本製の自動車が溢れ、子供たちは日本のアニメや漫画、テレビゲームに熱中し、カップヌードルも大人気。世界を変える、新しい時代に通用する主キリストの福音が、日本から力強くアジアに、世界に向けて発信されても、何もおかしくはありません。今回の伝道旅行を通しても、ますます伝道に励むようにと、主によって心強められています。


なかなか難しい話ですね! 2008年3月3日

自衛隊の最新鋭のイージス艦が、漁船との衝突事故を起こして、2名の方が行方不明のままです。ここ数日は、自衛隊の幹部が、事故の当事者たちを、海上保安庁の捜査に先立って事情聴取していたとか、大臣もそれに関わっていたとか、それを隠していたとか、それが何かを隠蔽(いんぺい)するためであったのではないか、と大騒ぎが続いています。

なかなか難しい問題だと思います。とにかく、最近の事件では、何かが起こってからの初動の遅さや情報開示の遅さが問題とされます。ですから、自衛隊の幹部たちもとにかく事故を迅速に処理しようと考えたはずですし、トップの人々を中心に善後策をあれこれ模索したはずです。そうすると、今度は、防衛省内部で話し合ったのは海上保安庁を無視した問題行動だ、何かを隠そうとした魂胆があったのではないか、と糾弾(きゅうだん)される始末。

二律(にりつ)背反(はいはん)のなかなか難しい事態です。事故そのものは、起こるべきものではないし、起こらないように原因を徹底的に究明して改善すべきことは当然。しかし、現実的に事故が起こった時、どのように行動すべきかということに関しては、どうも何をしても怒られるばかりで、正解らしいものは無いように感じさせられる状況です。まさに、右を向けば、どうして右なんだ、左を向け、と言われ、左を向けば向いたで、なぜ右じゃないんだと叱られる始末。

私たちの生活や仕事の中でも、似たようなどうにもこうにも事が運ばない状況に出喰わしたり、相(あい)矛盾(むじゅん)するような論理の板ばさみになって、にっちもさっちも行かなくなるジレンマに陥ってしまうことがあります。実は、そんな苦しい状況の中でも、答えはやはり一つだと気付くことが大切。私たちは、正直に、どんな場面でも、神様に喜ばれることをなして行くのだといつも心を整えておくことです。

私たちの世界では場合によって、二律背反どころか、四面楚歌、八方ふさがり・・・と、いずれにしてもどこにも逃げ場がないような事態が生じることがあるのです。しかし、信仰者には、いつも神様を見上げるもう一つの方向が開かれていることを忘れてはなりません。すぐには人々に理解してもらえないこともあるはずです。しかし、私たちの神様は、すべてをご存知。神様の導きは決してなくなりません。小手先のごまかしや応急処置ばかりでは、結局疲れ果ててしまいます。祈りの中で、神様に喜んでいただけることを選び取りましょう。そして、信じて堂々と行動することです。


50年・・・半世紀に及ぶ恵み! 2008年2月25日

本日、松山の礼拝において、信仰歴の表彰式を持つことができることは、実に感謝なことです。例年、2月の最終日曜日には、信仰生活を20年、30年、40年と積み重ねて来られた兄弟姉妹たちのお祝いをする機会を持つようになりました。信仰生活の年限が長くなるからといって、それで特別偉くなる訳ではありませんし、年月の長短が神様の臨在の中での優劣に関係するものでもありません。それは重々承知の上で、しかしこんなにも物事がコロコロと変わりやすい昨今の世の中で、一つの信仰、一つの生き方をしっかりと継続出来ることは、共に祝福し合う価値のあるものです。

そして、今年の信仰歴の表彰には、特別大きな意味があります。それは、今回、初めて50周年のお祝いをすることができるからです。すでに、私たちの教会が、故万代恒雄牧師の伝道の開始により50周年の記念の時を共に祝ったのですが、それと共に、この教会での信仰生活をしっかりと50年間歩み続けて来られた姉妹たちがおられることは最高の喜びです。教会の制度や歴史だけでなく、この教会で分かち合われる信仰を実際に働かせて歩んで人生を築き上げた生き証人としての姉妹たちがいて下さるのです。

私たちの信じるキリスト信仰は、証しの信仰です。儀式や教えだけの宗教ではなく、個人個人の勝手な体験だけの宗教とも違います。始めに天地宇宙を造られた神様の愛が現わされ、主キリストの十字架と復活の事実があり、聖霊の働きによって、この救いの御業を実体験した人々が生きた証しを語り、それをさらに後に続く人々に伝えて続けて来た、生きた証しの連鎖なのです。

主キリストの時代から、すでに2000年近く・・・、世界の歴史の中でクリスチャンたちは理屈や能書きだけでない、事実を伴った歩みを積み重ねて来ました。そして、私たちの教会もその価値ある歴史の中の50年、半世紀という大きな時間を担うことができました。本当に、感謝なことです。ここまで、私たちの歩みを支えて下さった主ご自身の恵みを感謝しつつ、今回のお祝いの時を迎えられたお一人お一人の上に、さらに豊かな祝福をお祈りいたします。


責任の大きさにビックリ仰天! 2008年2月18日

先日、ダスキンが展開するミスタードーナツの無許可添加物を含んだ肉まんの販売に関連して、当時の経営陣13人に対する総額53億円にも上る損害賠償を命じる判決が確定しました。平成12年に、日本国内では無許可の添加物の入った中国製肉まんを、それと知りながら約300万個販売したというもの。

実は、私、このミスタードーナツの肉まんのついた飲茶セットは大好きで、よく食べていました。それで、この事件は印象に残っています。ドーナツ屋さんでの、肉まんや坦坦麺という妙な組合わせが案外気に入っていて、仕事の合間によく口にしていました。最近話題の中国製の餃子と違って、具体的な健康被害が出た訳ではなかったはずですが、その事件の結末はビックリするような金額での、当時の役員が自社に対する損害賠償という形で決着しました。

当の役員たちも、自分の目先の決断が、何億、何十億円の賠償を請求されるものだと知っていれば、対応の仕方も違っていたかもしれません。いくら有名企業の役員だからと言っても、アメリカの企業の経営者のように年間何億円も給料をもらっているはずもないのです。計算上では、どうあがいても支払える当ても無い賠償額を請求されてしまった訳です。

最近は、こういった巨額の賠償命令が出されるような経済事件が発生するようになりました。何かに付け大金が動く時代だからこそ、犯罪性のあるものにはきちんと歯止めをかけておきたいという当局の思惑もあるようです。私たちも、自分の関わることについて、信頼できる大人としての責任をいつも自覚したいもの。人を責めたり、自分の権利を主張することばかりが上手で、あまりにもわがままな人間になってしまわないことです。

クリスチャンである私たちの幸いは、いつも神様の御前に悔い改めの心で進み出ることができること。誰も完璧ではありませんし、心配が多いのも事実です。失敗も度々犯してしまいます。しかし、そんなときに、素直に悔い改めて祈れることは、大きな祝福です。何よりも、悔い改める私たち一人一人は決して一人ぼっちではなく、救い主キリストが、私たちと共に祈りの場にいて下さるのです。与えられたいのちを、しっかりと生きる責任を忘れないでいましょう。正直に神様に向く私たちを、神様ご自身が支えて下さいます。


アジア各地からA Happy New Year! 2008年2月11日

先週後半、アジア各地の友人たちから、“A Happy New Year!(新年おめでとう!)”というメッセージが入ったメールが届きました。複数のメールですから単なる間違いではなく、とぼけている訳でもなく、もちろんエイプリル・フールのような悪ふざけでもありません。コンピューターのメールですから、届くのにひと月以上かかってしまった年賀状というのではありません。

実は、去る2月7日(木)は、旧暦のお正月にあたる春節。中国本土はもとより、アジア各地に住む中国系の人々、いわゆる華僑の人達は今でも旧暦での生活習慣を持っています。その習慣から、日本人の私にも、と新年の挨拶を送ってくれたのでした。しかし、2月もすでに半ばを迎えようかというタイミングで、“新年おめでとう!”は、私にとってはどうもピントはずれ。日本では、みんながごく普通に仕事をし、学校に通う日々ですから、当地がお正月気分で溢れていることは、何だか想像するのも難しい感覚です。

私たちが普段使う西暦カレンダーの1月だけがお正月なのではなく、そもそもカレンダーが異なれば、異なった時期でのお正月となる訳です。基準となるカレンダーがもともと違うのですから、お正月もずれてしまいます。世界の文化や国民性の多様性を感じさせられる事例です。

そういえば、ブラジルへ行った時など、南北が逆さまになった世界地図を見ました。南半球がいつも下にあるのは、どうも現地の人には面白くないようです。また、北半球が上の世界地図でも、欧米に行くと決まって大西洋が中心にある地図の配置となっています。私たちにお馴染みの太平洋が中心の地図ではありません。そうなると、日本は、世界の東の果て、文字通り、極東に位置しています。それも、地図の図法によっては、大きく歪んだ姿で・・・。

私たちが当然だと思い込んでいるものも、見方や基準が変われば全く異なった見え方になります。多種多様な見方、考え方が存在するのだと心を柔軟にしておく必要があります。自分の考え方しか受け入れられない、窮屈な心から解放されたいものです。また同時に、私たち人間の持つ視点が正しいのだと決め付けるのではなく、神様からの物事の見え方があることを思い起こしておきましょう。私たちの身勝手を押し通すのではなく、神様の基準に自分を合わせることで、初めて見えてくる人生の本当の姿というものもあるのです。


ごまかしでは、幸せは遠のきます! 2008年2月4日

「中東の笛」と呼ばれる偏った判定が原因となって、国際ハンドボール連盟の指示のもと、北京オリンピックへのハンドボール・アジア予選がやり直しとなりました。今まで、マイナーなイメージの強かったハンドボールですが、連日の報道によっていきなり脚光を浴びることとなったのはご承知の通り。当日の試合会場も大盛況、大興奮となりました。

それでも、残念なことに、日本チームは、女子も男子も、韓国チームに撃破されてしまいました。世界最終予選という最後のチャンスは残っているようですが、オリンピック出場への道は決して平坦ではありません。漫画の筋書きのようには、なかなか事は運びません。

しかし、敗れはしたものの日本選手の多くが、公正な審判の元、正々堂々と全力で試合できたことに充実感を覚えたようです。日本女子チームなどは、取り消された先の大会では韓国チームには勝っていたのです。しかし、それが中東のチームに勝ちそうな韓国チームを事前に敗退させる思惑からの「中東の笛」による勝利であることを察して、勝利にもかかわらず試合後には恥ずかしささえ覚えていたようです。今回、実力勝負で真正面からぶつかり合えたからこそ、敗北にもかかわらず、流した涙にはすがすがしさが伴っていたのです。

やはり姑息(こそく)な手段を使って勝利をつかもうとしても、それは空しいものなのです。卑怯な方法で勝利を手繰り(たぐり)寄せても、本当の満足感は得られません。フェアプレー精神が根底にあるスポーツでは当然のことで、ましてや、私たちの人生に関わることであればなおさらのことです。手段を選ばず、上手くやってしまえば良いといった風潮が今の世の中には溢れていますが、そういう目先の利益だけで動いていると、人生全体を空しいものにしかねません。

毎週の礼拝の中で、神様に向き合える私たちは、実に幸いです。中途半端で弱さを抱え込んだ私たちですから、ちょっとしたことで歩む道を踏み外したり、間違いを起こしたりしてしまうものなのです。ですから、神様の臨在の中で、心を整えられ、取るべき行動の指針を与えられて、正しい方向に力を発揮することができるのは幸せなことです。今日の、この礼拝の中でも、神様は私たち一人一人に語りかけて下さいます。神様からの知恵やアドバイスをしっかりと受け止めて、今週も恵みに溢れた日々を体験してまいりましょう。


すべてにまさる名! 2008年1月28日

東京の街を歩いていると、確かに世界で最高のものが集まっている場所であることを実感します。世界最高級のブランド・ショップが軒を連ねる通りもあれば、最近日本版ミシュランの発行で話題を呼んだ3つ星レストランがごく普通にそこにあります。田舎町ではなかなか目にしない、昔スーパーカーと呼ばれた高級スポーツカーが平然と走っていますし、六本木、渋谷、秋葉原、原宿・・・と最先端の流行の発信地が意外とすぐ近くにあります。

出会う人々にも一流の人々が・・・。テレビや新聞でしか知らなかった国会議員の先生方ともお会いしますし、中央省庁の官僚として大活躍中の方々や、成長著しい企業の社長さんたちなど、やはり東京ならではの人材が溢れています。目の前のコンサート・ホールでは、テレビでしか見たことのない世界的な音楽家のリサイタルがその時開かれていたり、ふと立ち寄った書店で有名作家のサイン会が偶然開かれていたりすることがあります。田舎育ちの私にとっては、いかにも東京だ、と感じさせられるような場面が多々あるのです。

しかし、そんな世界最先端の街を歩きながら、ふと思わされました。・・・でも、私たち一人一人には、すべてのものにまさるものが確かに与えられている・・・と。聖書は、土の器のように素朴で価値のないように見える私たちでありながら、魂の内側にはかけがえのない宝が与えられているのだ、と語っています。そして、決して立派とは言えない、土の器のようなものだから、その宝の輝きが外へ外へと輝き出るのだ、と。

忘れないで下さい。私たちには、すべてにまさる名が与えられています。思い出して下さい。あなたには、すべてのものにまさる救い主イエス・キリストがいつも共にいて下さるということを。どのような状況に置かれていようと、あなたが主キリストの御名によって祈るならば、神の恵みはあなたの上に豊かに注がれるのです。あなたがどんなに自分のことを小さな存在だと考えていようと、否定し難い事実として、世界の何ものにもまさる主キリストの御名は確かに与えられているのです。

あなたも私も、人生の中に奇跡を起こし得る世界最高の力、権威、すなわち、すべてにまさる名が与えられています。いつもないものねだりばかりしていたり、他人のことを羨ましく思うばかりの寂しい生き方ではなく、このクリスチャンに与えられた特権を用いる生き方を実践していきましょう。あなたも、家族のために、仕事のために、健康のために、将来のために、すべてにまさる名を用いて祈ってみて下さい。


天国へ凱旋する信仰! 2008年1月21日

去る1月16日(水)の深夜、かねてより脳腫瘍で闘病中であられた中野英子姉が天に召されました。昨年の若葉の季節まで元気に礼拝にも出席しておられましたので、寂しさもひとしおです。と同時に、別れの辛さの涙、溜め息だけで終わるのではなく、主キリストが約束して下さった永遠のいのちの希望をしっかりと思い起こしたいと思います。

40年の信仰表彰を越えて信仰の歩みを続けられた、愛する姉妹でした。今回の姉妹の召天にあたり、特に感謝したいことの一つは、ご本人がしっかり遺言を残してくれたことです。クリスチャンとして、自分のこの地上での歩みには責任を持ちたいと誰もが思っているのですが、いざと言う時になると、自分ではきちんと遺言などを残すことができなくなっていることが実際には多いのです。

用いて欲しい聖句や聖歌など、葬儀での希望がきちんと記されており、説教者である私には参列者に対して分かりやすい伝道メッセージを語って欲しいとあり、昨日の告別式ではそのとおり精一杯語らせていただきました。信仰歴の欄には、昭和36年(1961年)、私たちの教会の開拓初期に中島での伝道で初めて集会に導かれたことや、教会の10周年記念の市民会館での伝道集会の記録などが記されています。教会の歴史と共に、着実に歩んで下さったのでした。

早期退職後には、頑張ってアンデレ宣教神学院で学ばれ、卒業後は司書として図書館のお世話もコツコツと進めて下さいました。もちろん、この週報の制作に関わる奉仕も粘り強く40年近く継続して下さいました。思い返せば私が中学生の頃、教会学校で毎週接していただいたのも中野姉妹でした。

私たちは、つい自分の必要が満たされることや、恵みをいただくことばかりを信仰の世界で求めがち。しかし、信仰生活の本当の深みは主に仕え、主の働きのために自分を献身させてこそ味わえるもの。今回、一人の姉妹を主の許にお送りして、改めて、天国に凱旋する信仰ということを考えさせられました。私たちの教会には、そんな強い信仰が生きています。私たち一人一人が、決して派手でなくても構わないけれど、確実に天国に繋がる信仰を継承するものでありたいと思います。


そろそろ真剣に動かして行きましょう! 2008年1月14日

動き始めた2008年も、間もなく2週間。ふと気が付けば1月も半ばです。そろそろあなたの2008年が軌道に乗って動き始めて良い頃です。お正月に様々な夢や計画を心に抱くことは、自分の頭や心の中のことですから、比較的簡単。本当に重要なのは、これからの実生活の中で、あなた自身が、願った夢や目標をかなえるために本当に行動し始めることができるかどうか、ということです。

ですから、この1週間は、とても大切な時なのです。大学受験のためのセンター試験が目前に迫った受験生だけでなく、この1週間の過ごし方が大きな意味を持つようになります。仕事や教会での奉仕、家族との計画や個人的な目標・・・と、様々な分野での計画を持つ私たちですが、この1週間の時間の中で、ただ夢を夢のままで放置するのではなく、どれほど小さな事であっても、着実に形にしていくことが大切です。

ゴルフの石川遼選手が、プロ・ゴルファーとしての登録をしたそうです。高校生だ、アマチュアだ、という扱いから抜け出して、これからはプロとして戦っていくことになります。そこで、同じ大会でもアマチュアのままでは、賞金を手にすることができなかったのですから、これからは大金を稼げて良いのでは、と考えるのはいかにも素人。いざプロになれば、今までは高校生だから、アマだから、とどこかで優しく笑顔で接してくれた先輩のゴルファーたちもこれからはプロ同士の戦いとして本気で立ち向かってくるはず。今までのちやほやされたアマの時代とは、全く状況が変わってくるはずです。本気で勝ちに行かなければなりません。

しかし、誰にとっても自分の成長のためには、打ち破るべき殻があり、乗り越えるべき壁があります。一人のゴルファーがアマからプロへと、戦いの場を押し進めていくように、私たちも慣れ親しんだ状況の中で安穏と暮らすことで終わるのではなく、自分の中に与えられている賜物をさらに発揮してそれぞれに前進していきたいものです。そのためには、2008年の歩みも、そろそろ新しいモードで生活のリズムを作り上げていくことが大切。

お正月の休みの間には、祈るあなたの心の中に、神様からの素晴らしい語りかけがいくつも届いていたはず。お正月休み限定の夢で終わらせるのではなく、これからの実生活の中で一つ一つ実現してまいりましょう。さあ、そろそろ2008年の歩みを、本気モードへと切り替えてまいりましょう。


2008年、恵みの流れの中を歩もう! 2008年1月7日

新年、明けましておめでとうございます!
あなたの新しく動き始めた一年に、単に人の知恵によるものではなく、神様からの豊かな祝福が注がれますように、と祈ります。また、すでに新年聖餐式礼拝や祈祷会などでご挨拶できている兄弟姉妹には、改めてこの一年を大切に祝福の一年として共に歩んでまいりたいと願っています。素晴らしい一年を、信仰を込めて期待してまいりましょう。

変化の激しく、今まで思いつきもしなかった事柄が起こる激動の日々です。最近では、世界的な規模で“空気”まで大きなビジネスの道具となってきました。ご存知のように、温暖化など、地球規模での環境問題が大きく注目されるようになってきましたが、温暖化対策の中で二酸化炭素の排出量を規制しようという大きな流れがあります。京都議定書に定められた削減目標を達成するためには、工業の先進国はどこも経済発展と環境保護という相反する要素の多い課題と取り組む必要が生じています。

そこで最近、二酸化炭素の排出量の少ない国々の“権利”を売買しようという流れが生まれてきたのです。二酸化炭素の規制を十分に行いにくい国や大企業などが、この権利を買うことで何とか辻褄(つじつま)合わせをしようとしている訳です。掴み所のない“空気”を相手にするのですから、素人目にもその計算がどれほど確かなものなのか甚(はなは)だ疑問なのですが、いずれにせよ莫大なお金が動くビジネスに発展してきているようです。
そんな時代ですから、あなたの生活や仕事の面でも、今までの常識や経験では考えられないような変化や新しい事態が生じてくるはずです。変化に出くわして、呆(あき)れたり、慌てふためくだけでなく、その荒波の中でも元気に生きていける本物の力強さを持ちたいものです。そのためには、やはり心の内側から、魂の奥底から私たちを元気にしてくれる本物の力の源が必要。そう考えれば考えるほど、信仰を与えられている恵みの大きさを感じずにはおられません。今のような時代だからこそ、信仰者の底力が輝くのです。

あなたの歩みを底支えして下さる神様がおられることを決して忘れぬように。いつも主キリストご自身の御手が、あなたのために働いて下さることを期待しましょう。あなたの周りには、あなたの信仰によって祝福にあずかる人々が続々と生み出されることを信じましょう。2008年、ご一緒に、神様が共におられる恵みの一年を歩みましょう。


素晴らしい一年でしたね! 2007年12月31日

2007年、最後の聖日、最後の礼拝を迎えました。この一年の私たちの歩みの上に現された神様の恵みを忘れず、心の中にしっかりと感謝を意識したいと思います。確かに、私たち人間は感情の動物です。だからこそ、折々のけじめとなる時には、特に意識して、神様に喜ばれる思いで心を満たしましょう。それが、実は私たち一人一人にとっても、幸せをもたらす鍵となるのです。さあ、感謝しましょう。

一年365日、歩み始める時はいつも十分に長いように思うのですが、終わりにはいつも“あっと言う間”という感覚になるものです。私たちの“時”に関する感覚はどうも想像以上に不確かです。そんな、実は頼りない私たちだからこそ、一年の歩みの中に、52回の聖日礼拝を守って歩むことが、祝福と幸せへのリズムを生み出させるのです。
この一年の締めくくりとなる礼拝の中で、特に感謝したいことがあります。まず、私たちに何気なく与えられている日々や健康を、神様に感謝しましょう。今、日本人の平均寿命は世界的にも突出して延びているのですが、それと比例して幸せの度合いが深まっているかと言えばそうではありません。何気なく過ごすことの出来る日々には実は大きな恵みが注がれており、当たり前のように元気でいられることには、お金がどれほどあっても買うことはできない祝福があることを思い起こしておきましょう。

また、多くの人々に支えられてこの一年も歩むことが出来たことを、素直に神様に感謝しましょう。何事に関しても“私だけが・・・”とつ、い独りよがりの考えに取り付かれるのが不幸の始まり。自分勝手に孤立や孤独といった感覚を作り出してはなりません。あなたの周りには、あなたの味方が実に沢山いるではありませんか。あなたを応援し、祈ってくれた人々の存在を神様に感謝しましょう。

そして、神の家族である教会が、あなたの人生の中に確かに存在していることを感謝しましょう。21世紀の日本で、これから幸せになるためには、教会のある人生を歩んでいるかどうかが大きな意味を持つようになるはずです。神の家族である兄弟姉妹たちとの交わりの中で、あなたの魂は普段忘れている霊的な深呼吸をすることができているのです。教会のある人生って本当に素晴らしいですね。

あなたをいつも愛し、見守り、支え、全ての出来事の中で確実に働かれる神様に導かれた一年でした。さあ、感謝、感謝。感謝の心で締めくくりましょう。


キリストの恵みの連鎖反応! 2007年12月24日

クリスマス、おめでとうございます!
この2007年のクリスマスに、あなたにも主キリストからの祝福が、本物のクリスマス・プレゼントとして届けられますように。文字通りのメリエスト・クリスマス。最上の恵みが注がれる時となりますように、と祈ります。

経営者としてバリバリ仕事をしている私の友人の一人が先日入院して、手術を受けることになりました。休むことを知らない仕事人間としては、入院の数日間は特別な経験だったようです。その彼が曰(いわ)く、「入院中にずっとテレビを観ていて、朝から晩まで暗いニュースの連続で精神的に疲れた。」元気になるために手術して入院、回復のための日々で、ニュース漬けになる内にすっかり疲れてしまったというのです。

銃にまつわる事件が次々と起こっています。奇妙なことですが、一つ悪い事件が起こると、それに呼応するように似たような事件が起こるのです。東京では猟銃で5歳の男の子が2歳の弟を撃ち殺してしまったり、長崎・佐世保では二人が犠牲になった散弾銃の乱射事件、また東京駅の警察官が拳銃自殺・・・。残念なことですが、悪の出来事は連鎖反応のようにあっと言う間に広まってしまうのです。

2007年は食品の偽装に始まり、政治家の政治資金付け替え問題など、様々な偽装事件が相次ぎました。まさに野火のように日本中を巻き込んで、広まった感じです。「偽」があれば「真」があってこそバランスも取れるはずなのです。しかし、「偽」はどこにでもあるのに、「真」は存在の事実すらわからないほど希少なものとなってしまいました。

2000年間に亘って、クリスマスが祝われ続けてきたのは、実は、主イエス・キリストの誕生を大きなきっかけとして神の救いが、恵みの連鎖反応を起こし続けたからです。悪や罪がはびこる以上に、神の救いと恵みが連鎖反応を巻き起こしたからこそ、2000年間、全世界を舞台に本物のクリスマスの祝福の渦を巻き起こし続けたのでした。

暗闇の世界だからこそ、今年のクリスマスも主キリストによる恵みの連鎖反応を期待しましょう。あなたの心に主キリストを迎え入れるその瞬間から聖霊の働きは始まり、あなたのみならず、多くの人を巻き込んで祝福の流れが生まれるのです。あなたの心のど真ん中に、主キリストの愛といのちが豊かに注がれますように。


真偽が問われる時代! 2007年12月17日

「今年の漢字」として選ばれたのは、やはり「偽」の一文字。私自身も、選ばれるとすればこの文字だろうと、あちらこちらの集会でも語っていたとおりの、この一年を象徴する大本命の漢字でした。ひき肉や地鶏の偽装に、白い恋人に赤福の日付の偽装、高級料亭船場吉兆・・・と、連日のように食品に関する偽装問題が報道されています。それに加えて、政治と金にまつわる話題も山積していますし、防衛庁収賄疑惑もまだ深い闇です。

「人」の「為す」ことには、確かに偽りが多いのでしょう。皆が完璧なのに、中に例外的に罪深いことをした人がいたという話ではありません。ちょっとした嘘やごまかしも似たようなものだと考えれば、私たちも五十歩百歩です。どうしても私たちは嘘や偽りと縁を切ることが出来ません。聖書は、私たち人間にとって罪は宿命的なものであると語っています。

では、問題は、「偽」の対極にある「真」は可能なのか、ということ。私たち人間に目を留めていると、自信を持って「真」を語ることは出来ないように感じてしまいます。この感覚は、決して弱気なのではなく、誰にとっても正直な感想であるはずです。私たちの強さや確かさからは、理想として取り扱うことはあっても、究極的に信頼に値する100パーセントの「真」を語ることは出来ないのです。

そんな私たちが注目すべき言葉が聖書にあります・・・“すべての人を照らすそのまことの光が世に来ようとしていた”(ヨハネ1:9)。確かに、この世界に住む、全人類のための「まこと(真)」の光が存在すると語られています。クリスマスに私たちが誕生を祝う、救い主イエス・キリストのことです。偽りの満ちたこの世界に、色褪せることのない「真」が現われるというのです。

イエス・キリストのこの世界への到来がなぜそんなにも素晴らしいのか、なぜ2000年経った今も祝い続けるのかと言えば、この救い主によって暗闇の支配する世界に、真の光が輝き始めたからなのです。不確かさやいい加減さが蔓延する世の中が、主キリストの光に照らされる時、本当に真偽の区別が明らかにされるのです。世の中は、ますます真偽、真贋が問われる時代になります。「偽」の多様性が増す中だからこそ、主キリストがもたらして下さる本格的な「真」をしっかりと受け止めましょう。


心の中の飼い葉桶を整えよう! 2007年12月10日

12月も、早くも中旬となろうとしています。いつのまにかあなたの生活も年末特有の慌しさの中に置かれているのではありませんか?不思議なことですが、この頃になると何故だか街中の道路が渋滞がちです。普段なら10分で行けるはずのところが、20分も30分もかかったりするのです。年末の集金でみんな走り回っているのでしょうか、それとも、挨拶回りで大忙しなのでしょうか。忙しさは道路の状態だけでなく、一人一人の手帳も忘年会などのスケジュールで一杯です。その上、家族のためのクリスマス・プレゼント選びも忘れてはならず、忙しさに拍車がかかります。もちろん、クリスマスの各集会に関わっておられる兄弟姉妹は、練習や準備がいよいよ正念場。睡眠不足に陥りながらも頑張っておられる人もいるはずです。

そんな忙しい私たちが、絶対に忘れてはならないことがあります。それは、どんなに忙しくても心の中に主キリストの居場所をいつも確保しておくこと、です。日本人である私たちにとっては、この“忙しさ”ということが本当の幸せを実現するためにはいつも大敵となるものなのです。“心”を“亡(な)くす”と書くように、忙しさは単に仕事の量や、働きの慌しさに関わるものではなく、幸せを実感する心の状態に深く関わるものだからです。

年末を迎えて、たとえどれほど忙しくなったとしても、心の中に主キリストをお迎えするゆとりだけはきちんと確保して下さい。それを失くしてしまうと、文字通り、忙しさの中に埋没して、どれほど仕事をこなしお金を儲けたところで、幸せとは程遠い人生を歩むことになってしまいます。

主キリストがこの世界にお生まれ下さった時、ベツレヘムの町で“宿屋には彼らのいる場所がなかった(ルカ2:7)”と聖書は語ります。家や宿屋の立ち並ぶ町であったにも関わらず、肝心(かんじん)要(かなめ)の主イエスをお迎えする場所がなかったのです。それほど当時の町の生活にも慌しさが溢れ、忙しさが、蔓延していたのでした。そこで、主は仕方なく飼い葉桶の中に置かれたのでした。

21世紀の日本、クリスマスの高揚感が街中を包み込んでいます。しかし、残念ながら主キリストをお迎えするゆとりがこの社会にはなく、人々の心も忙しさや煩わしさで一杯になってしまっています。あなたの心の中に、主キリストをお迎えする場所を用意することをお忘れなく。たとえ粗末で汚い飼い葉桶のようなあなたの心であっても、主は、主のために整えられた場所に宿って下さいます。さあ、この礼拝でも、主をお迎えしましょう。


誰の心にも分かりやすいキリストを! 2007年12月3日

レイモンド・ムーイ先生をお迎えしての、今年3回目の癒しのセミナーが去る11月29日、30日に東京で開催されました。急に冷え込んだ東京での2日間だったのですが、皆様の祈りに支えられ、大成功の大会となりました。聖霊の臨在の中での、祝福が濃厚に示された集まりであったことを心から感謝しています。

何と言っても、集まって下さった方々の目がきらきらと輝いていることが、この集会の恵まれた模様を物語っていました。単なるキリスト教の集会に来たのではなく、キリストのおられる所に共に集うことが出来た喜びが、参加者の顔に現われていました。聖書の語るとおりのイエス・キリストを信仰によって意識するだけで、そこには御言葉の約束のとおりの御業が現わされるのです。21世紀の今でも、そうなのです。

聖書の中のイエス・キリストは、『・・・全土を巡って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、民の中のあらゆる病気、あらゆるわずらいを直された』(マタイ4:23)とあります。あなたの頭の中でしっかりとイメージしてみて下さい。そこには、難しい教えを語るのでもなく、人を裁くのでもない、誰の心にも分かりやすいメッセージと力強い御業をもってストレートに人々に関わって下さるありのままの救い主の姿が示されています。

キリストの行かれる所ではどこででも、本物の救いがあり、本当の癒しが起こりました。誰もが、生きて働かれる神の御業を体験したのです。主キリストの示された神の恵みは、誰にとっても分かりやすいものだったのです。難しい理屈や困難な修行の積み重ねの宗教とは全く違うものだったのです。

ここ松山からもさほど遠くない香川県の坂出で、行方不明となっていた祖母と孫の二人が殺されて発見されました。犯人がなかなか判明せず、謎の多い事件だったのですが、捕まってみれば親族の一人が犯人で、身内での長年に亘る金銭トラブルが原因だったとのことです。身内が殺し合うことも、小さな子供たちまで惨殺することも、またお金がらみのトラブルだったということも、いかにも今どきの悲しい事件です。

そんな現代特有の暗闇が広がる時だからこそ、聖書が語るとおりのキリストを一人でも多くの人々に伝えたいのです。さあ、12月です。クリスマスの集会が各地で始まります。誰にでも分かる救い主、救いと癒しの御業を人々に伝えてまいりましょう。


変わらないものの価値! 2007年11月26日

最近、空港や駅の売店で人気の弁当に、“どこででも”と言って良いほど、鯖寿司が売られています。それも焼き鯖のものが圧倒的な人気です。ものすごい手間がかかっている訳でもなく、また特別なグルメの食材というのでもありません。焼き鯖が、生姜やシソのあしらわれた寿司飯の上にドンと乗っているという分かりやすいものです。もちろん、それが綺麗にパックされている訳ですが・・・。

最初は、何だか当たり前のものだな、と眺めつつ、一つが800円から1000円もするものですから、自分では手を出さなかったのです。それが、最近はちょこちょこ買って食べるようになりました。食べてみると、確かに予想通りの焼き鯖の味なのですが、妙においしく感じるのです。

私たちの子供の頃からのイメージからすれば、鰯や鯖と言えば、別に大した食材ではありませんでした。むしろ、庶民的な感覚が溢れているものでした。それが、今では、何だか脚光を浴びています。“関鯖、関鯵”に代表されるようなブランド魚としてもてはやされたり、当たり前の焼き鯖がちょっと気の利いた旨いものに数え上げられています。寿司飯の上に乗っけただけで、1000円もするようになってしまいました。

最近流行の、凝りに凝った有名フランス料理店の超豪華グルメ料理や新食感の新しいデザートも良いのですが、日本古来の素朴な味も、捨てがたい魅力があります。いつもいつも目新しいものを探さなくても、昔ながらのものの中にも良い物は山とあります。ただ、空港で買った焼き鯖寿司をひっくり返してみると、肝心の鯖がノルウェー産と書かれているのは、いかにも今どきで、でもちょっと淋しくなりますが。

世の中では、幸せになるために、いつも新手の占い師や、霊感グッズが大流行です。スピリチュアル・カウンセラーなる怪しい人々がテレビには毎日のように登場しています。まるで流行歌のように流行り廃れを繰り返しています。しかし、考えてみれば、私たち人間の幸せの法則に流行り廃れがあること自体が奇妙なこと。人間の本質はほとんど変わっていないのですから、幸せの法則も本当は何ら変わっていないはずなのです。2000年経っても、主イエス・キリストが救い主として私たちの世界に来て下さった恵みの大きさは変わりません。キョロキョロ目移りするばかりでなく、今も変わらぬ主キリストの恵みをこのクリスマスにも体験しましょう。


与えられた時間を有効に! 2007年11月19日

去る11月15日(木)、横田めぐみさんが北朝鮮に拉致されてから、丸30年が経ったと報道されていました。普段は、七五三の話題が取り上げられる日ですが、子供たちの成長を願う日に、全く訳も分からないまま失踪状態になった子供がいたということです。帰るはずの時間になっても戻らない娘のことを心配し始めた時の、母親である横田早紀江さんの心中を思うとまさに、胸が潰れる思いです。

それがただ一日や二日のことではなく、30年も続いているということ。胸を塞いだ悲しみがずっとうずき続けているということです。考えてみれば、めぐみさんとは、同じような世代です。30年前というと、私は18歳、高校3年の時でした。翌年に控えた大学受験のことが、やはり最大の話題でしたし、それでもクリスマスの行事に目一杯関わりたくてうずうずしていたことをはっきりと思い出します。

それから30年間、実に様々な事柄が起こりました。私の大学時代も、アメリカでの日々も、そして“大人”としての時間の全てがこの期間にあります。もちろん牧師として皆様と過ごした時間の全てがこの期間に含まれます。もし、この30年間がなければ、と考えると私の人生の全てが無に帰すると言っても過言ではなく、そう考えると本当に恐ろしいことだと実感させられます。

幸いなことに、私の人生は主キリストによって導かれ、支えられ、ここまでやって来ることができました。普段は、当たり前と思っている時間の流れが、実は大きな恵みであったことを思わされます。そして、この何気なく感じる時間を大切に用いることこそが、与えられた人生を最大限に生き抜く秘訣なのです。

2007年の日々も、残すところあとひと月半足らず。この一年をどのように歩んで来たかが問われるところです。特別な努力もせずに与えられたこの一年の日々だったのですが、だからこそ感謝を込めて、喜びをもって歩むことが大事です。もちろん、すでに反省すべき事柄の多い方もおられるでしょうが、だからこそ、これからの残りの日々を大切に過ごすことです。仕事のこと、家族のこと、奉仕のこと、愛する人々への祈りのこと、伝道や証しのこと・・・私たちの生活の中の、真に大切な事柄をしっかりと成し遂げてまいりましょう。神様が与えて下さっている時間を心から感謝して過ごしましょう。


偽装クリスマスにNO! 2007年11月12日

去る11月8日(木)は、暦の上では“立冬”。冬の始まりということですが、何だか暖かな気持ちの良い秋の日が続いています。金曜日の午後、東京から松山へと戻って来たのですが、空港へ着くや否や他の乗客の方々から、暖かいですねという声が一斉に聞こえて来ました。到着直前の機内放送では、松山の気温は19度ということだったのですが、体感温度では確かにもっとありそうな感じでした。

しかし、いずれにしても11月も早、半ばを迎えます。教会でも、クリスマスに向けての準備が本格化して来ます。私たちの教会では、今年は、12月15日(土)の松山市民チャリティークリスマスを皮切りに、全国の兄弟姉妹たちと各地での計12回のクリスマス集会を計画しています。各地の集会の概要が、今、定まりつつあります。クリスマス・ブックの第6巻も出来上がりました。これから各集会のチラシや様々なご案内が出来上がって来ます。

そう、いよいよクリスマス・シーズンです。言うまでもなく、クリスマスは、主イエス・キリストの誕生を祝う時です。ボンヤリしていると世の中的な雰囲気に流されて、ショッピングやパーティーばかりに目が行きがちですが、本当はキリスト教会の最大級の行事であり、いわば最大のお祭りです。私たちの信じる神様が、私たちから遠く離れたお方なのではなく、私たちの住むこの世界に飛び込んで来て下さった本物の救い主であることを感謝する大切な時なのです。

単なる馬鹿騒ぎの、中身のない雰囲気だけのクリスマスではなく、本物の救い主のおられる真実のクリスマスを今年もご一緒に具体化したいと思います。最近は、食品の偽装問題が連日引きも切らずに報道されています。クリスマスは、もう日本では何十年も偽装されたまま、キリストのおられないままでまかり通り、それが常識化してしまいました。当然のことですが、そんな中身のないクリスマスをどれだけ盛大に祝ったところで、何の奇跡も起こる訳はありません。

日本では、今年で9年連続、自殺者が3万人を超えることが確定しました。悲しい連続記録の更新です。一人一人の心の中に、救い主である主キリストが必要であることは間違いのない事実なのです。私たちは、この2007年のクリスマスにも、声を大にして、また大胆に行動しながら、本当の幸せを与えて下さる主キリストを人々に語り伝えたいと思います。さあ、クリスマスです。私たちの出番です!あなたの出番です。


成り行き任せではダメです! 2007年11月5日

先日、政府が発表した「少子化社会白書」の報告は、何だか考えさせられるものでした。その中心となった話題は、日本の日本の総人口の推移の予測。2005年に1億2777万人だった人口が、このままの状況で推移すれば、50年後の2055年には8993万人になるだろうというもの。

子供の頃から、社会科の勉強では、年が改まり、統計が更新されるたびに、日本の人口は増えて行くのが当たり前でした。経済的にも、高度経済成長の時代でしたし、バブル期に向けて社会全体に勢いが溢れていました。何事も時間の経過と共に着実に成長して行くという、社会の基本的な流れがあったのです。

それが、これからの50年で3000〜4000万人も人口が減少するというのです。今でも、年金はもうパンク寸前ですし、医療保険や高齢者保護など、現状からの予測でも甘すぎるということでしょう。今まで、何となく成り行き任せでも大丈夫だったことが、これからは本気で取り組まなければ全く機能しないことになってしまいます。

私たちのそれぞれの生活の中にも、何となく安定しているという幸いな時期があるものです。それはそれでありがたいものなのですが、今の変化の激しい世の中、自分自身は安定しているつもりでも周りの変化の影響もあって、突然の波風にさらされることもあります。のほほんと成り行き任せだけで生きていてはだめだという状況が起こり得ます。

本当の幸いは、私たちがたとえそのような事態に出くわすことがあっても、主キリストの助けと導きがあるということ。ぬるま湯に浸かり続ける幸せではなく、たとえ激しい変化や大きな困難が降りかかることがあっても、主キリストの救いは全てのものに勝って豊かな祝福を保証するものであるということです。

今、困難や問題の中にある兄弟姉妹、さあ主の御言葉を信じて、しっかりと立ち上がりましょう。悪魔にやられっぱなしではなく、聖霊の力によって戦い、勝利しましょう。ここまで努力して来て、それでも築き上げて来た石垣が崩れているのに気付いたら、もう一度石を拾い上げて積み重ねましょう。主は、どんな時にもあなたの味方です。主は、あなたを支え、導き、必ず勝利へと導いて下さいます。成り行き任せではダメなのですから、主によって聖霊による新風を吹き込んでいただきましょう。


信仰は中身で勝負! 2007年10月29日

皆さんにとっての10月は、どのようなひと月だったでしょうか?私にとっては、かなり忙しい動きの日々となりました。9月後半のムーイ先生との特別集会の勢いのままに、様々な予定が山盛りだったのです。アンデレ宣教神学院のスケジュールが変則のものとなり、中旬にはアメリカ・ニューヨークへ出掛け、各地の特別集会や結婚式もあり、そして、先週は一週間ずっとマレーシア・クアラルンプールでの仕事でした。

しかし、忙しさの中でも本当に感謝だったことは、日本中また世界中で、同じ主イエス・キリストの救いに与(あず)かる兄弟姉妹たちとのビジョンや働きを共有できたことです。実に不思議な感覚なのですが、世界中どこに出掛けても、クリスチャンとして伝道に燃えよう、証しの立つ生き方をしよう、と話し始めると民族や国籍、文化の違いは吹っ飛んでしまいます。主キリストの救いは、確かに本当に同じ救いを一人一人の内側に実現しているのだということが心底実感出来るのです。変化の激しい世の中にあって、本当に変わらない価値あるものを与えられているのは、何と幸いなことでしょう。

そんな感謝を胸いっぱいに感じながらマレーシアから帰国してみると、英会話学校のNOVAが会社更生法を申請とのこと。簡単に言えば、誰かがこの後、助けてくれなければ潰れるということです。500億円規模の負債に加えて、授業料の前払い分もまだ400億円分もあるとのこと、先行きは不透明です。「駅前留学」「NOVAうさぎ」「NOVA友」など、つい最近まで印象的なCMの連発で業界最大手として頑張っていたはずなのですが、中身は随分いい加減だったようです。表面は格好良くても、中身はズタズタでは困ったものです。うわべだけの勢いというものが世の中には案外多いように思います。本物の信仰の世界とは大違い、と言うわけです。

今日は、癒しの礼拝。今日の世界においても、聖書の時代と同様に働いて下さる主イエス・キリストを体験いたしましょう。主は、今も祈るものたちに救いを与え、癒しの力を聖霊の臨在の中で豊かに注いで下さいます。昨日も今日も変わることのない主の恵みをあなた自身が受けることが大切です。難しい勉強や、自分の考えや屁理屈だけで終わる頭の信仰から抜け出して、神の力の現われる本物の信仰へと脱皮してまいりましょう。何と言っても、信仰という私たちの心と霊に密接に関わるものにおいてこそ、見かけや格好ではなく、中身で勝負いたしましょう。


日本もアメリカのようになってきました! 2007年10月22日

日本も、だんだんアメリカのようになってきました。音楽やファッションの話ではなく、犯罪の話です。先日、ニューヨークのビル・ウィルソン牧師の所を訪れ、現地での働きを目の当たりにして戻って来たばかりなのですが、ほんの数日前、付近で小さな男の子が何者かによって射殺されたという話題が取り上げられていました。教会学校にも通ったことのある子供だったようです。涙を流しながら、その子のことを語るウィルソン先生の姿が印象的でした。

そんな話題は、もはやアメリカだけに限った話ではありません。日本でも、帰宅直後の小学生の女の子が何者かに玄関前で刺殺されたり、一歳半の我が子をコンクリート詰めにする親がいたり、と以前では考えられない事件が頻発しています。大変な問題だ、とテレビや新聞で取り上げられれば、取り上げられるほど、かえってそういう犯罪が当たり前のようになって蔓延してしまうようです。つくづく人間というのは思っているほど賢くないものだと考えさせられます。

悪への傾斜が激しい世の中だからこそ、私たちは本気になって自分の生活の中に良いものを作り出すべきです。詐欺や犯罪の話題ばかりが溢れていて、私たちの心が徐々に罪深い事柄に対して鈍感になることには注意が必要です。だからこそ、自分から意識して、自分の心を豊かにさせ、周りの人々を幸せにし、神様に喜ばれる良いものを形にしたいものです。良い物は良い、と素直に宣言できる一人一人となってまいりましょう。

プロ・ボクシングの世界でも、世界タイトルマッチでの亀田大毅選手の反則行為や暴言について大騒動です。破天荒で個性的なアンチ・ヒーロー(悪役っぽいのだけれど人気のある)として人気の家族なのですが、ちょっと図に乗りすぎてしまったというところでしょうか?人をののしろうと、どんな無茶苦茶なことをしようと強ければ許される、というのはやはり幻想だったわけです。度を過ぎた暴言や反則行為の連発は、ファンの心まで冷え込ませてしまいました。きちんとしたルールやスタイルが確立されたはずのプロ・ボクシングまで、陳腐な格闘技のように色褪せたイメージを作り出してしまいました。

悪ではなく善、ひねくれたり、物事の裏側からのアプローチではなく、正直に正面からの方法論を意識しましょう。やはり、どんな時にも神様に喜ばれる生き方を選び取ってまいりましょう。


徹底的な現場主義で! 2007年10月15日

アメリカよりご挨拶申し上げます。今回は、ニューヨーク・ブルックリンを訪ね、メトロ・ミニストリーズのビル・ウィルソン先生とお会いしています。今年の4月、3回目の来日を果たして下さり、セミナーでの素晴らしいメッセージを東京と松山で語って下さった先生ですが、先生の活動の本拠地でその働きをつぶさに見させていただくことはまた格別なものです。ここ数年、ウィルソン先生が直接関わっている子供たちを支援して下さる方々も増えて来ましたので、働きの場を実際に見てみたいという希望にお答えする形で、今回の旅の計画が実現しました。

マンハッタンの摩天楼、ウォール街、ブロードウェイや5番街に代表されるような、世界の経済や文化の中心としてのニューヨークが確かに存在しているのですが、その一方でハーレムやブロンクス、ブルックリンなどの一部には貧困とともに暴力や麻薬、売春などに染まった地域があります。日本でも最近話題になり始めた格差社会の現実が、ここではもう厳然たる事実として存在しているのです。

そんな中での、ウィルソン先生の働きです。もちろん、十分なお金がある訳ではなく、豊富な人手に支えられている訳でもありません。政府や地域の行政が何かを始めてくれたから動き始めたというのではありません。ただ一人の信仰者の行動によって動き始めた働きです。誰も何もしない時に、これは神様が自分を導いていらっしゃると信じて行動し始めた訳です。みんなで相談して、あるいは何かの委員会で決定したから、という訳でもないのです。

ウィルソン先生の行動のパターンは、いつも徹底的な現場主義。何はともあれ、目の前の一人の子供に精一杯の愛情を注いで、たとえそれがどんなに小さな祝福に見えてたとしても、想像の世界にとどまらせておくことをせず、現実のものとさせるのです。どうも頭でっかちな日本人には頭の痛い話なのです。

あなたの生活の中にも、この徹底的な現実主義をある意味できちんと定着させましょう。へ理屈や逃げ口上はもう十分だ、と自分で心を定めましょう。そうです、信仰さえあなたの心にあるのなら、あなたはもっと具体的に、現実的に行動することができるのです。当然、神様の御手の業が、あなたの生活に伴って来ます。想像するだけの信仰から、実際に行動し、自らが体験して行く中身のある信仰生活へと変えられてまいりましょう。


不機嫌に要注意! 2007年10月8日

9月末のこと、人気女優の沢尻エリカさんが、自身の主演した新作映画の舞台挨拶で不機嫌な態度を取ったことで、大騒ぎになってしまいました。周りの人々にも、原因は良くわからなかったそうなのですが、大興奮で期待している大勢のファンを目の前にして、悪態をついてしまったのです。短いお決まりの挨拶さえ嫌々の態度で、特に思い入れの強い、印象に残ったシーンは、と聞かれて「特にない・・・」、ほのぼのエピソードを問われると「別に・・・」。終始腕を組んでうつむいたまま、周りの人々に冷や汗をかかせて終わってしまったのです。

女優としての才能に恵まれた人なのですから、私たち凡人よりずっと喜怒哀楽が激しくても当然かもしれません。感受性の豊かさが、芸の広さの一因であるかもしれません。また、普段から、強気で奔放な性格だと芸能界でも以前から噂の女性ですから、その日がそれほど特別な状態だったというのではないかもしれません。自由奔放な生き方も、確かにスターの魅力の一つと言えなくもありません。しかし、いくら理由を付けても、それが社会人としての節度のなさや非常識な言動と映ってしまうと全くの逆効果。本人も、謝罪のブログに涙の謝罪会見・・・と、いきなりの大問題に発展してしまいました。

最近では、何事も自分の心に正直な方が良い、と従来、感情を内に込めがちだった日本人の傾向の逆を行くように、感情の自然な発露を良しとする風潮が強くなっています。もちろん、抑圧されているのはよくありません。しかし、だからと言って、何でもかんでも感じたままを表現して良いわけではないのです。最近は自分の感情をコントロールできず、すぐに爆発したり、キレたり、不機嫌のオーラをところ構わず放って、周りの人々の迷惑を顧みない人が増えています。

私たち人間は、野生のままの動物ではありません。理性があり、意志の力もあるはずです。人間関係への配慮もそれぞれに身に着けているべきですし、大人としての立居振る舞いも必要です。そして、何よりも、信仰者として喜びや感謝をもって生きることを、人生の基本として主キリストから与えられているはずです。私たちは、自ら進んで、喜びを持って生きることを選び取りましょう。不機嫌や怒り、愚痴や不満、後悔は、決して私たちの感情の主役となってはいけないものです。平安、喜び、感謝・・・常に良きものを選び取り、心の中に満たしてまいりましょう。


聖書が語るとおりのキリストを! 2007年10月1日

先週、9月26日(水)、27日(木)の二日間、東京でレイモンド・ムーイ先生をお迎えしての癒しのセミナーを開催することができました。ムーイ先生には6月にも来日していただき、同じように癒しのセミナーを開いてもらったばかりなのですが、早速の22回目となりました。全国の兄弟姉妹にもお祈りいただき、大成功となりましたことを感謝いたします。

教会の50周年を、感謝をもって祝う中で、この日本が主キリストの愛によって変えられるために私たちの存在があることを再確認させられ、これからますます主の救いの恵みが力強く現わされることと同時に、癒しのわざがもっと顕著に現わされなければと強く願わされたのです。私たちの教会の働きの両輪として、救いと癒しのわざがもっと明瞭に現われなければならないと示されました。

そこで、ムーイ先生にもご協力いただいて、東京では一連の癒しのセミナーを開催し、日本全体に対して、主キリストによる救いと癒しのメッセージを発信していこう、ということになりました。決して、大袈裟(おおげさ)なことではないのです。聖書には、主キリストが人々を次々に癒された記事が満載なのですから、もし同じ主を信じていると告白できるなら、救い主なる主は同時に癒し主でもあると受け入れることができるはずなのです。

ムーイ先生のメッセージの中でも、“聖書が語るとおりに”というフレーズが何度も出てきます。癒しは決して特別なものなのではなく、聖書が約束しているとおりのものなのです。素直に信じて、祈ってみれば、私たちの想定の範囲を越えることが、聖霊の臨在の中で癒しのわざとなって現われてくるのです。

今回の集会の現場でも、踵の軟骨が消えたり、不揃いだった足の長さが揃ったり、白内障のはずの人が何故かはっきり見えるようになったり、五十肩がいきなり治ったり・・・と、癒された本人のみならず居合わせた皆が心から嬉しくなる、素晴らしい奇跡的な出来事が起こりました。“聖書が語るとおりのキリストによって”ということなのです。

別に、奇跡的なことばかりを追い求めようというのではありません。ただ、どれほど私たちに経験があり、信仰の知識が深まったとしても、“聖書が語るとおりに”という基本は忘れてはならないことなのです。主の御前では、いつも素直に、素直に。聖書が語るとおりの、素晴らしい救い主イエス・キリストを体験してまいりましょう。


何だか変ですね! 2007年9月24日

山口県光市の母子殺害事件の裁判が、まだ続いています。先週も、その差し戻し控訴審の公判が開かれ、今回は殺害された本村弥生さんの夫、洋さんと弥生さんの母親の意見陳述などが行なわれました。その報道を聞きつつ、何だかむごい裁判だな、と感じてしまいました。

一人の男が、何の面識もなかった無抵抗の若い母親と1歳にも満たない幼子をあっさりと殺害した。隠しようのない犯行の事実がそこにあるのに、何だかんだと理屈が付けられ、きちんとした裁きがなされないのです。犯人が当時、18歳だったということが問題を複雑にしています。気が付いてみると、事件以来、もう8年も過ぎてしまいました。

その挙げ句、今度はまた、被害者の家族に、法律の専門家でもないのに、公判で裁判の行方さえ左右しかねない証言をせよ、というのです。本村さんのように自分で自分の気持ちをしっかりとした言葉で語ることのできる人だから良かったものの、口下手な人間なら凶悪犯罪の被害者でも泣き寝入りしなくてはならないのか、とさえ思わされるような展開です。加害者の権利を過大に主張する弁護士たちには、やはり疑問を感じてしまいます。

法律を、民主的な手続きで、全ての人の権利に配慮して・・・と、法律の世界の技術や手続き論をこねくり回している内に、いつの間にか誰の目にも明白な凶悪犯罪さえしっかりと裁くことができなくなってしまったのです。人間は、確かに賢そうに見えてはいるのですが、賢さが積もり積もると何だかかえって愚かになってしまうのは皮肉なことです。私たちは、自分に賢さがあると感じる時にこそ、その自信が本当に大丈夫かと疑ってみなければなりません。人間の強さや確かさは、常に弱さと同居しているのですから。近々、裁判員制度が導入され、私たち一般人も人の罪の裁きに関わることになるそうですから、この謙虚さを忘れてはなりません。

いずれにせよ、どれほど私たち人間が賢くなっても、私たち一人一人が神様の前に立つ素直な時間を失くしてはなりません。神様の裁きを素直に感じる心を失ってはなりません。理屈ではなく、神様の前に素直になれる姿こそが、幸せの基本なのです。毎週の礼拝での神様の臨在の中で、聖霊の働きによって心が整えられる場にいることのできる事実は、私たちが理解している以上に大きな作用を心に与えています。へりくだりの心を忘れずに。


嵐の中を進む船! 2007年9月17日

キリスト教会の2000年に及ぶ歴史の中では、様々なものが教会や信仰のシンボルとして用いられました。現在のように、誰もが読み書きのできた時代ではありません。そこで、文字や文章を用いなくてもクリスチャンであることや、信仰の核心を簡略に伝えようと工夫した訳です。

たとえば、古代ローマ時代の都市の遺跡などからは、建物や道路に“魚”の絵が描かれていることがあります。実はこれ、クリスチャンのしるしなのです。「イエス・キリスト、神の子、救い主」という言葉をギリシア語で表し、それらの頭文字を並べると、イクトゥス(ichthus)という言葉になり、これはギリシア語では“魚”を意味する単語だからです。迫害などのあった時代ですから、この魚の絵を描くことにより、自分が主キリストを救い主として信じ受け入れたクリスチャンであることを表現したのです。

その他、“錨”のしるしなどもよく用いられました。信仰は、人生の旅で不用意に流されないための安全な錨だ、ということから使われるようになったようです。イカリソースよりも1900年も前から、信仰者たちがこのマークを使っていたのです。また、教会は“嵐の中を進む船”の絵でしばしば描かれました。主キリストが水先案内人として導いて下さるから、教会はキリストのからだとしていつも平安の内に守られるというのです。

先週は、安倍首相の突然の辞任発表に日本中が、いえ世界中が騒然となりました。確かに、国内外ともに難しい事態の連続で大変だったろうとは思うのですが、しかし、このタイミングでの辞任はなかろう、という大騒ぎです。激動の時代の舵取り役として誰もが期待していた戦後生まれの若さが売り物の総理大臣だったのですが、突然、舵を投げ出し、本人は難破、入院加療ということになりました。

“嵐の中を進む船”には、やはり主キリストがいて下さらなければ、ということです。一国の総理大臣であっても、やはり人の力は弱いもの。どれほど頑張っていても、倒れてしまう時もあります。だから、やはり神様なのです、信仰なのです。神様の土台を持って、魂の根底から支えられてこそ、弱そうに見える私たちが力強く歩むことができるのです。あなたの人生行路も、主キリストがおられてこそ、本当に安心なのです。


嵐にも打ち勝つ信仰! 2007年9月10日

インド伝道での4日間におよぶ大集会の間、主は文字通り雨まで止めて下さり、奇跡的な恵みで私たちの試みを支えて下さいました。そして今度は、台風9号が関東、東日本を直撃するという中でも、主は最善をなして下さり、東京の兄弟姉妹たちと大変恵まれた集会を持つことができたのです。

まず、私の東京往復の飛行機のことも少々心配していました。しかし、台風到来を挟んだ、前後のちょうど良い時間に、問題なく移動することができました。ただ、それ以上に、心の中では、木曜夜の銀座での集会のことが心配でたまりませんでした。なぜなら、広い首都圏のこと、来会される方の多くは鉄道など公共交通機関を利用されていて、それらが止まってしまっては家に帰ることができなくなるからです。どうしても帰宅時間を急ぐようになるのです。今までの経験でも、台風や大雪の時には、都心は午後になると家路を急ぐ人でごった返しますし、夜の集会に出ていてはとんだ足止めを食い厄介なことになりかねない、そんな今回の台風上陸のタイミングだったのです。

しかし、会場となっているホテルに到着してみると、私より先に来られている方も数人おられ、30名近くの方々と共に、主を讃美し、祈り、御言葉をしっかりと味わうことができたのです。もしかすると、ほんの数人かもしれないと悲観していた私の予想を遥かに上回って、多くの兄弟姉妹を送って下さり、大変祝福された時間を過ごすことができました。

台風が迫っているのだから早く帰った方が良いのでは、という私の心配をよそに、集会後のお茶までたくさんの兄弟姉妹が残って下さり、街は風が強くなりつつありましたが、みんな心に感謝と讃美を意識しつつ帰宅の途に着いたのでした。

インドでは、雨そのものを止めて下さり、野外大集会を大成功に導いて下さった主は、今度は日本の台風の中でも、私たちの心を大いに祝福して下さり、信仰を励まして下さいました。確かに、私たちは、嵐や、大波に打ち勝つ信仰を与えられているはず。それが、いつの間にか精神的な、抽象的な困難を指し示す言葉になってしまい、現実的な強さを忘れてしまってはいけません。私たちに与えられているのは、人生の嵐でも、大波でも必ず勝利できる信仰なのです。本当にそうなのです。


「井の中の蛙(かわず)」で終わらない! 2007年9月3日

インド伝道に取り組み始めて、もう20年を越える年月が過ぎています。今でも「インドに出かける」と言うと、多くの皆様からいろいろと心配していただきます。言葉はもちろんのこと、気候から衛生状態、食事の違いなど、日本とは掛け離れた要素が多い国だからです。そのインドも、実はこの20年で大きく変わってきました。いえ、凄まじく変わったと言うべきでしょうか?

特に、この2、3年、その変化の度合いが加速しているように思われます。いたる所で大規模な道路工事が行なわれていますし、今までは原野だった所に忽然と大工場が出来上がっています。今、チェンナイ(マドラス)のホテルでは、アメリカやヨーロッパから押し寄せるビジネスマン向けのホテルが不足しており、大した作りでもない部屋が一晩で40,000〜50,000円もする異常事態。地価は、“ウルトラ”バブル状態での高騰が続いており、2、3年待つどころか、1週間で転売しても大儲けするなどということが起こっています。

タンカチャン牧師の教会のあるトリベロールも、まだまだ田舎町なのですが、舗装した道路が驚くほど増えましたし、田舎の人ではとても買えないような、日本とさほど変わらない価格の付いた小奇麗な商品を扱うスーパーマーケットができました。新教会用に購入しておいた土地が、この1、2年で5倍ほどの値が付くようになってしまいました。

世の中の動きには、常に変化と安定の2つの大きな要素があります。それらが繰り返されたり、組み合わされたりしながら、歴史は動いて行きます。決して、どちらが良いというのではありませんが、一番恐ろしいのは、その変化や安定の様子がどちらかに固定化してしまって、実体が見えなくなってしまうことです。物事の視野が狭くなり、一つの考え方しか持てなくなってしまうことです。

日本の私たちは、バブルの崩壊以後、携帯電話やコンピューターの世界だけが激しく変化するばかりで、社会そのものには活力を感じられない閉塞感のある時代を生きてきました。そんな中で、心も小さく狭く閉じこもり気味になってしまうことに要注意です。小さな世界しか知らない「井の中の蛙」で終わらないことです。世界には、いろいろな動きがいくつもあります。神様の世界でも、大きな祝福の流れは動いています。あなたの心の壁に、樋機孔を空けておいて下さい。霊的な新しい視野が必要です。


インド伝道、奇蹟をもって始まりました! 2007年8月27日

インドより、愛する兄弟姉妹に祝福をお祈りいたします。今回の海外伝道のために祈って下さり、また献げものをもって支えて下さいますことを、心から感謝いたします。

8月のまだまだ残暑の厳しい日本を飛び出してのインド伝道でしたので、皆様からは暑さのことを心配していただいたのですが、インドで一番暑いのは4〜6月。今回のインドは、日本の猛暑に比べれば、うんと凌ぎやすい気温です。日中でも30度らいでしょうか。ですから、体調は守られています。

ただし、問題は雨。南インドでは、一応、雨季に当たる時期なのですが、本当に雨の多い11月ではないので、それほど心配はしなくてよかったはず。それが、これも世界的な異常気象の一部なのでしょうか、到着日以来、午後から夕方には激しいスコール。凄まじい土砂降りです。予定されていた孤児院訪問も翌日に延期したほどの雨で、街中が水浸しになり、至る所に大きな水溜りが出来てしまいます。こんな雨に見舞われては、野外集会はとても開けません。

そんな中で、本日からアラコーナムでの野外集会が始まりました。私たちが滞在しているタンカチャン牧師の教会のあるトリベロールからは、車で1時間15分ほどの町。毎日、通うことになります。そのトリベロールは、今日も午後は土砂降り。本当に祈らされました。大雨では集会は開催できず、たとえ集会前の雨でも、地面がびしょぬれでは人出は激減します。

しかし、主は、奇跡をもって今回の集会をスタートさせて下さいました。アラコーナムだけは、雨雲に取り囲まれはしたものの雨は降らなかったのです。一滴も。いよいよ4夜に亘る野外集会の開始となりました。平日の夜ということもあって、初日は数千人の会衆でした。2日目、3日目と、どんどん増えていくはずです。日曜、夜の最後の会までには素晴らしい集会になっていくはずです。すでに奇跡をもって始まりましたから。

初日だけで、すでに200名ほどの人々が救いの招きに応じました。癒しの奇跡も起こされています。必ず素晴らしい報告をもって、日本に帰ります。感謝!

〔8月23日(木)タミール・ナドゥ州アラコーナムでの野外集会、初日の後に〕


記録的猛暑の中で! 2007年8月20日

8月の中旬を過ぎても、暑さが収まりません。従来の日本での観測史上最高気温であった40.8度(1933年7月25日山形市)の記録が、74年ぶりに塗り替えられました。岐阜県多治見市や埼玉県熊谷市で去る8月16日に、40.9度という気温が記録されたのです。この日、40度を越える気温を観測した箇所が他にも数箇所報告されていました。翌金曜日も、同様の暑さが続きました。

スポーツの世界記録やオリンピック記録は、破ることを目標にされていますから、記録が更新されても別に驚きません。しかし、気象の記録は、破ることを狙っている訳でもないのですから、そうそう簡単に史上最高が出されたのでは、不安になってきます。地球温暖化の深刻さが胸に響きます。北極圏の氷は、科学者たちの予想をはるかに越えて、どんどん溶け出しているそうです。2040年代どころか、2020年代には北極圏の氷は、夏には全くなくなってしまうと、大胆に予測している学者もいます。

そんな文字通りの暑さの中でしたが、それにも勝るとも劣らぬ“熱さ”で、私たちの全国聖会が開催されたのは、本当に感謝なことです。去る8月13日から15日までの2泊3日、全国から駆けつけて下さった兄弟姉妹たちと、心を解放されて讃美し、熱心に祈り、力強いメッセージで励まされました。奥道後の会場で、420名の兄弟姉妹との50周年の祝いをすることが出来て、喜びに溢れました。

聖会後も、メールやお電話で、聖会で恵まれました、本当に楽しかった、と数々の連絡をいただき、主催した側の人間としても心の奥底から感謝させられたのです。50年という月日が経っても、私たちの教会の中には、喜びが溢れ、伝道の意欲が満ちています。決して形式だけの信仰にとどまらない、本物の霊的恵みが息づいており、主キリストにあって生きる人生の“熱さ”がみなぎっています。

この夏の暑さに負けない“熱さ”を、今週からのインド伝道に持ち込みたいと願っています。日本人だけではない、インドの人々も、全世界の人々をお救い下さる救い主イエス・キリストの恵みを大胆に語ってきたいと思います。そう、私たちの主は、今も、生きて働いて下さる神様ですから、大胆に“熱さ”をもって働きを進めてまいりましょう。


どうした朝青龍?どうした安倍晋三? 2007年8月13日

横綱・朝青龍が窮地に追い込まれています。先月、名古屋場所では新横綱・白鵬の活躍ぶりや、悲願の大関取りに挑む琴光喜の話題で大いに盛り上がっていたのですが、“終わってみれば朝青龍”という感じ。実力抜群の横綱であることを証明した直後に、今度は前代未聞の処罰まで受ける始末。

腰の疲労骨折ということで全治6週間という診断書まで出して、夏巡業を休んでまでモンゴルへ帰国。ところが、元気にサッカーをする姿が大々的に報道されたもので、周囲は大騒ぎ。年6回の本場所と並んで相撲協会の中心事業である地方巡業をすっぽかされ、看板役者なしでの営業を強いられた親方衆からは厳しい批判が浴びせられています。本人は、抑うつ状態で、「どうしてこうなってしまったんだろう・・・?」と呆然と呟いているとか。

また、昨年、国民的人気を背景に、一気に総理大臣にまで上り詰めた安倍晋三首相も、ここしばらくは「忍」の一字。今回の参議院選挙での勝利のために、という本音で安倍首相を押した国会議員も多かったはず。それが、相次ぐ不祥事で歴史的大敗。すると、民主党のみならず身内の自民党からも「やめろ、やめろ」の大合唱。

年金問題も、故松岡、赤城農水相の事務所経費の疑惑や不思議な“絆創膏”も、久間前防衛相の“しょうがない”発言も、安倍首相本人にしては何も自分が直接種を蒔いたものではない、と忸怩(じくじ)たる思いのはず。行財政改革を推し進めようという本人の意気込みは、就任以来ずっと空回りを続けているようです。

とは言うものの、大臣たちの任命責任を追及されるのは仕方のないものですし、現行の制度では、少々運が悪かったかなと感じても、やはり責任者は責任者。他の誰かを責めて、らちがあく訳ではありません。気の重くなる自民党の党内事情に攻勢を強める民主党・・・文字通り内憂(ないゆう)外患(がいかん)という状況で、どうしてこうなってしまったのか、と何度も問い直しているはずです。どんなスーパースターにも、著名人にも、賢い人にも、人生の計算違いは起こるものなのです。

私たちは、自分の人生をいつも自分の思いばかりで好きに生きられると、自分の限度を越えて思い込まないことが大切です。人間は、やはり弱いものであり、いのちの与え主である神様との関係を確立してこそ、本当の歩みを実現することができるのです。どうした○○○○?とあなたの名前を入れて嘆くことがないように、あなたの心を神様に結び付けるべきです。人のいのちは、神様の土台の上で輝くものなのです。


2007年の夏も、祝福の時! 2007年8月6日

台風5号が九州から中国地方を通り抜け、西日本はまた大雨、大風にさらされました。7月中旬の台風4号に続いて、立て続けに本格的な台風を経験して、2007年も本格的な夏の到来です。テレビの前で、台風のニュースをボーッと見ているだけでなく、あなた自身の生活の中にも、夏にふさわしい躍動感が与えられますように。

先週の参議院選挙では、与党の惨敗、民主党の大躍進という劇的な結果となりました。ちょうどマレーシア・シンガポールを伝道旅行中であり、限られた情報をかき集めながら何とか情勢を正しく把握しようとしていたのですが、最終的には日本に帰って来てから結果を確認してビックリ。四国で生まれ育った私にとっては、四国四県そろって自民党の惨敗となろうとは全く予想していませんでした。それこそ、今、はやりの“予想外”です。

情報化の時代ですし、マスコミの報道一つで民意も大きな影響を受けます。スピード化の社会ですので、以前は10年、20年とかかった変化が、1、2年で起こるようになりました。人の心も外に向かって表現されやすくなったのに伴って、ちょっとしたことで変わりやすくなったのも事実でしょう。私にとっては、単なる選挙ではなく、時代そのものを感じさせ、考えさせられるものとなりました。ああ、こういう時代なのだ、と改めて思わされたのです。

眩しい日差しに、蝉(せみ)の声、高校野球の中継の音、スイカの匂い・・・確かにいつもの夏のようでありながら、全く新しい夏でもあるのです。2007年の夏は、やはり2007年にしかない話題があります。私たちの教会にとっては、50周年を祝う特別な時となりました。8月13日〜15日の全国聖会でも、共に讃美し、祈りましょう。半世紀という紛れもない歴史の流れの中に、私たちの存在と成果を、神様はしっかりと刻みつけて下さいました。そして、これからの50年、100年と、さらに神様の恵みをいただく教会として前進していきたいと願っています。

変化の激しい時代で、社会の根幹さえ大きく変わることが起こる毎日です。そんな時代だからこそ、私たちを深く愛して下さる神様の祝福をしっかりといただいて、信仰者だからこその力と確信、平安に溢れた歩みを体験してまいりましょう。さあ、教会の成長と共に、あなたの信仰生活もさらに深まりますように。


祈りは必ず答えられます! 2007年7月30日

クリスチャンである私たちが、信仰を持って祈る祈りは、必ず実を結びます。こんな明白な真理を実際に用いることをしないで、頭の理屈や心の感情の世界だけに私たちの信仰を閉じ込めておくことは本当に残念なことです。あなたの信仰が、いつの間にか形だけで、機能不全に陥っていないか、十分に気をつけてください。

ただ今、マレーシア、シンガポールの牧師先生方と出会い、日本やアジアでのこれからの伝道計画についてビジョンを分かち合い、祈り合い、今年の秋以降の計画を立てつつあります。マレーシアのレイモンド・ムーイ先生や、シンガポールのカン・ヒー先生、ジョセフ・プリンス先生、また、そこから拡大する新しい人々との出会いなど、集会だけでなく大きな恵みを体験しています。

これらの牧師先生方との出会いは、ムーイ先生との出会いに端を発してからのものですから、15年ほどのお付き合いということになります。そして、この15年ほどの期間に、神様は確かにそれぞれの祈りに答えて下さっています。出会った時は、500名ほどであったカン・ヒー先生の教会は、今では2万名もの人が集うアジアを代表する教会となりましたし、プリンス先生の教会はビジョンの通りショッピング・センターのど真ん中に礼拝堂を構え、集会ごとに入場を待つ人々の行列ができています。ムーイ先生の働きの発展は、もうご存知のとおり。神学校に大学、教会の設立と八面(はちめん)六臂(ろっぴ)の大活躍です。

それぞれの信仰の働き、チャレンジの上に、神様が確かに働いて下さっています。祈りは、答えられています。そして、その答えとは、“奇跡”と呼ぶにふさわしい素晴らしい恵みに満ちた、明確な答えなのです。私たちは、祈りの答えを、時には大変不明瞭な、漠然とした、どこか心理的なもので終わらせてしまいます。確かに、神様は私たちの心に静かに働いても下さいます。しかし、いつもそれだけではないはずです。あなたの祈りは、神様からの本当の答えを受けとめないまま、どこかでお茶を濁して終わっていないでしょうか?私の心も、改めて神様の備えておられる答えに向かって、燃え立っています。

私たちは、教会の歴史の50周年を祝っています。祈りに答えて下さる神様の導きに対する感謝です。更なる期待を持つべき時です。あなたの祈りも、必ず答えられます。あなたは、全国聖会の申し込みをもう済ませられましたか?


ライフラインを維持しよう! 2007年7月23日

先週の月曜日(7月16日)、福岡での面談を終えて山口の集会へと向かう最中、新潟での大地震発生のニュースを耳にしました。今回の新潟県中越沖地震では、震度6強を記録した揺れで、原子力発電所の安全管理にまで話題の及ぶ大災害となっています。2004年10月の中越地震から、わずか3年足らずの期間に起きた大惨事ですので、被災者をはじめとして戸惑いの色が隠せません。

先週の月曜日(7月16日)、福岡での面談を終えて山口の集会へと向かう最中、新潟での大地震発生のニュースを耳にしました。今回の新潟県中越沖地震では、震度6強を記録した揺れで、原子力発電所の安全管理にまで話題の及ぶ大災害となっています。2004年10月の中越地震から、わずか3年足らずの期間に起きた大惨事ですので、被災者をはじめとして戸惑いの色が隠せません。

こういう災害が起きて、真っ先に問題となるのが、水道や電気、ガスにはじまって、道路や鉄道など人や物資の運輸の回復も含めた、いわゆる“ライフライン”の確保ということ。ライフライン(life line)とは、文字通り“命綱”“生命線”を意味します。現代の私たちの生活には、普段は当たり前のように感じていても、欠くことのできない社会基盤が存在しているということです。

今回は、夏の暖かい時期でもあり、被災地が梅雨の大雨に遭うことからも上手く外れたため、まだ最悪の事態は避けられたと言えるかもしれません。もし、これが厳しい寒さの中、豪雪に見舞われた時期なら、どれほど悲惨であったか、と想像してしまいます。同じ地震であっても被害の状況が相当違うはずです。

災害時には、他のものよりも優先して確保すべきライフラインが明確に見えてきます。同時に、私たちの生活においても、実はより重要度の高い霊的、精神的なライフラインと呼べるものが存在しているのです。多くの出来事が絡み合って、たとえ惰性であってもとにかく動いているように見える平常の生活では、それほどの重みを感じないかもしれません。しかし、人生のピンチと思えるような事態にあっては、本当に大切なものが見えてくるのです。

あなたの人生のライフラインは何か、ともう一度真剣に問い直して下さい。たくさんのものが大混乱のまま、とりあえず動いていることに満足しないで、あなたの人生の核心部分を支えているものは何か、と問い掛けて下さい。日頃、あなたの時間を取っているものであっても、人生の正念場では不必要であったり、無益であるものも多いはずです。誰であっても、人生の軸というものを真面目に見つめていくと、必ず神様に行き着くはずです。神様との正しい関係の中に、私たちのライフラインがあります。災害にも、人生のピンチにも、備えあれば憂いなし。魂のライフラインを、しっかり維持しましょう。


不幸の原因を断ち切ろう! 2007年7月15日

この原稿を書いている間にも、台風4号が日本に接近中です。各地の兄弟姉妹の上に、主キリストの守りがあり、平安の内に聖日の時間を過ごすことができますように、と祈ります。

最近の、天候不順や台風の頻発、竜巻の発生などは、一様に地球温暖化が遠因として指摘されています。台風そのものは、四国に育った私にとってはもちろん馴染みのあるものなのですが、大型の台風が頻発する最近の状況はやはり不安なもの。原因としての地球温暖化から解決されなくては、と思わされます。

私たちの周りには、好ましくない状況や不幸や試練などが起こりますが、単なる外に現われた現象だけに振り回されるだけでなく、原因そのものからの解決を目指したいものです。病気や人間関係、商売の成否も、表に現われた事柄だけでなく、原因そのものからの解決を求めましょう。

私たちの人生の多くの問題が、実は私たちの罪やわがままを原因として起きています。家族が悪い、社会が悪い、周りの人々が悪い、と責任転嫁ばかりが上手な私たちなのですが、問題の根本的な原因は結構身近なところ、自分自身の内側にあるのです。私たち自身の心の中に、諸問題の根となるひねくれたものが存在しているのです。その根を放置したままで、あれが悪い、これが悪い、と他のものに原因を探しても、本当の解決に至らないのは当然のことです。

自分の心のねじれを正すには、神様への信仰を持つことが一番。自分を基準としていたのでは、いつまでもズレを修正することはできません。神様の視点から自分を素直に見つめ直して、心の軌道修正に励みたいと思います。

参議院選挙も始まり、他の人の欠点や失敗を指摘するのは簡単なのですが、自分自身の足りなさを認めることは、実は至難のわざ。でも、確かに、私たちはみんなそれぞれに、自分を変えるべきところがあることを忘れてはなりません。主キリストを信じる信仰は、私たち一人一人に他のものではなすことのできない自己修正の機会を与えてくれるものです。主の御前での、素直な思いを大切にしましょう。


御言葉と御業のある信仰生活!! 2007年7月9日

昨日は、7月7日・・・七夕でした。もちろん、聖書の世界とは関係のない風習ですが、如何(いか)にも日本の夏を彩る風物詩の一つです。一年に一度しか会えない織姫と彦星の物語などは、今の恋人同士では考えも及ばないものかもしれません。今どきの感覚で言えば、そんな状態ではとても付き合ってもらえないでしょう。一回、メールを送りそびれただけで振られることもあるそうです。いえ、最初から全く相手にしてもらえないかもしれません。

昔からあまり目の良くなかった私は、夜空を見上げて、見えているようで見えていない“天の川”を、さも見えている振りをするのに一生懸命だったことを思い出します。ロマンチックな七夕の物語に、何となくそぐわない思い出ですが、ファンタジックな話の腰を折ってはいけないと、それなりに気を使ったのでした。世の中の忙しさや、慌しさばかりに気を取られる毎日ですので、昔ながらのファンタジーの世界が懐かしくも感じますし、今どきの社会には必要なものだとも思わされます。

逆に、真実であるにも関わらず、ファンタジーのように捕えて、ごまかしてはならない事柄もあります。特に、主イエス・キリストの福音に関わる事柄は、十分に、丁寧に扱わなければなりません。聖書の物語は、神様が私たちに与えて下さる救いの約束であるのに、それを事実として取り扱うことをせず、神話や比喩、道徳の話のように理解してはならないのです。

日本人の私たちの受けとめるキリスト信仰は、どうも頭でっかち。主キリストの恵みさえ理屈や自分の感覚で捕えようとするばかりで、聖書の語る言葉をそのまま受け入れようとしないのです。その結果、理屈はやたらと語るのですが、実践の乏しい、悲しいキリスト信仰に成り果ててしまっているのです。しかし、聖書の伝える主イエス・キリストのお姿、語られる言葉には常に事実が伴っています。

この単純な真理に目を向けて欲しいのです。主キリストは、単に御言葉を語られただけでなく、常に御業を成して下さいました。主の御言葉と御業は、いつも共に働いているのです。このことは、私たちの信仰生活においても、主の御言葉への信頼は、御業の現われへの期待に結び付くべきであることを示しています。さあ、癒しの礼拝の中で、御言葉に伴う御業をいただきましょう


カインの罪を繰り返さない! 2007年7月1日

山口・光市の母子殺害事件の差し戻し裁判が始まりました。犯行当時、20歳未満の“少年”だったとは言うものの、年若い母親と赤ん坊を殺害した犯人に対する量刑が少年法の範囲では不十分ではないかという感覚があるからです。残虐な犯罪が、ますます低年齢化する昨今の社会の状況を踏まえて、最高裁も高裁に対して差し戻し審を支持したのでした。

しかし、今回の公判の内容は、日本中の一般人までもがビックリのものとなりました。犯人(被告)側には、20人もの大弁護団が付き徹底抗戦の構え。被告の証言内容も、謝罪がないどころか、殺意そのものを否定し、母親との思い出を引き出して、自分をまるで被害者か何かのように語る始末。その上、証言にはドラえもんの話まで登場して、精神疾患を装うかのようでした。弁護団の方はと言うと、これで真実が一つずつ明らかにされて行く、とまで言う始末。

ニュース番組を見ただけなのですが、それでも私はすっかり気分が悪くなってしまいました。か弱い女性と、いたいけない赤ちゃんの二人を惨たらしく殺しておいて、なおあれこれ言い訳をする犯人がいる。また、そんな態度を屁理屈を駆使して正当化し通そうとする、一見、賢そうな弁護士たちがいる。人間のすることですから、完璧なものであるはずはないのは当たり前。しかし、日本の裁判が、黒さえ白だと言いくるめる詭弁がまかりとおる場になって欲しくないと心から願います。

人を殺(あや)めて、なお自分は正しいと強弁する・・・創世記のカインの物語を思い出しました。もちろん、今回の犯人や、カインだけの問題ではありません。私たち誰もが心の中に持っている罪の問題です。世の理屈は、常に罪に妥協します。誰にも罪があり、みんなそれぞれ五十歩百歩なのだから、罪に対してももっと寛大になって良いのではないか、と。しかし、聖書の教えは明白です。私たちは罪人なのだからこそ、神の正しさや聖さの基準は誤魔化してはならない、むしろ、その罪を聖めて新しいいのちを与えて下さる、神の救いに信頼しよう、新しい生き方を体験しようというものです。

カインの罪から抜け出して、主キリストが与えて下さる新しいいのちをいただきましょう。つくづく私たち人間には、主キリストの十字架の救いが必要だと思わされています。


梅雨にはやはり雨が必要です! 2007年6月27日

地球温暖化や各地での異常気象が問題となって、日常の問題で十分に忙しいはずの私たちが、気象状況のことまで気にしなくてはならなくなりました。今年は、春先からここまで少々水不足気味。梅雨入りも例年になく遅れて、場所によれば30年、40年振りの遅い梅雨入りになったようです。四国では、各地のダムの貯水率が毎日何パーセントと発表され、みんながその数字を気にしています。

松山では、13年前の大渇水のことが思い起こされます。いつか雨も降るだろうとみんなで思っているうちに、とうとう近くのダムは空っぽになってしまいました。普段は、水が満々と湛えられている風景なのに、湖底の砂まで見えてしまうと何だか空恐ろしく感じたことを覚えています。

雨に関しては、好きか嫌いかと問われれば、意見は分かれるところです。私など、いつも集会で人が一人でも多く集まって欲しいと気を揉むことの多い人間にとっては、やはり雨はなるべく避けたいもの。集会の時には、雨が降りませんように、といつも祈っています。しかし、そんな雨も、飲料水や生活用水、農業用水などのことを考えると、個人の好き嫌いを越えて、やはり降ってもらわなければなりません。梅雨には雨が必要です。

普段は嫌っている雨も、水不足のことを考えると降ってもらわなければと、はなはだ身勝手に考える私たちです。もしかすると、私たちの人生全般に関わる事柄についても、実は私たちの好き勝手を満たすだけでは、人生の肝心な部分がダメになってしまうのかもしれません。やはり私たちの身勝手な考えを越えて、神様のご計画が成される人生となりますように、と祈るべきなのです。

先日、東京で開かれたレイモンド・ムーイ先生の癒しのセミナーにおいて、驚くような奇跡が続出しました。聞こえなかった右の耳が聴こえるようになった方、視力が突然回復した小学生。小脳の病気できちんと走れなかった方が、みんなの前を走り、階段を手すりなしで上り下りされました。体の痛みから解放された人は、数知れず・・・。その癒しの御業に、人間的な小細工は一切ありません。神様が全てを成して下さいました。人間的な理解や常識の枠を遥かに越えて働いて下さるお方に信頼しましょう。良いことも悪いことも全てを包み込んで、神様が与えて下さったご計画は今日も動いています。


恵みの流れの中で、一歩ずつ前進! 2007年6月3日

2007年も、気が付けばもう6月です。ジューン・ブライドのひと月であり、梅雨の始まりとなるひと月でもあります。地球温暖化の問題が声高に叫ばれる昨今ですので、もうすでに夏のような気候になって来ました。蒸し暑さの増す日々ですが、心の中には主の平安を確認しつつ与えられた日々を歩んでまいりましょう。

先日は、マレーシアを訪れレイモンド・ムーイ先生を始めとする先生方、兄弟姉妹たちとの時間を与えられました。今月は、東京でのムーイ先生を主講師として癒しのセミナーを開催させていただきますし、その準備の打ち合わせもしっかりすると同時に、今後のアジア伝道の打ち合わせをみっちりとなすことができました。主は、アジアのリバイバルのために用いて下さいますし、確かに主の御霊の豊かな流れが、私たちの周りに流れています。

ムーイ先生のクアラルンプールの教会も、大きな飛躍を伴いつつ、前進しています。従来から使用を許されていた場所を、4月には正式に購入され、今、新たな改築工事中です。著しい経済発展の最中にあるマレーシアで、6億円もの値段のついている場所なのですが、そこを奇跡的に2億5千万円で手に入れることができました。周辺は、急速にショッピングや住宅地として発展しつつある場所です。証しを聞いているだけで、こちらもすっかり恵まれ、心から主の御名を讃美しました。

また、マレーシアは、世界でも有数のイスラム教国ですので、伝道の難しさやそれに伴う試練などは、日本にいる私たちには理解し難いほどのものがあります。現地の華僑(中国系)やインド系の人々に対する伝道は可能ですが、マレーシアに住むマレー人は、絶対にイスラム教。改宗は認められていません。ですから、もしマレー人の中で、クリスチャンになりたいと思うような人が出て来ると、大変な大騒ぎ。マレー人に伝道するとそれが重大な犯罪になりますし、改宗しようとする本人には、家族や社会からの圧力に迫害、宗教教育にリハビリ、果ては拷問まで、ありとあらゆる困難が待ち構えています。それでも、主キリストの福音の恵みに触れた人々がどんどんと加えられています。

主キリストのおられるところには、恵みが溢れています。様々な問題や試練が、確かに私たちの人生には伴いますが、主の恵みはそれらを包み込んで大きな流れを生み出して行きます。小さな人間の力ではなく、神の力と恵みに支えられて前進しましょう。


聖霊の恵みを、あなたも! 2007年5月27日

孤独感、閉塞感、喪失感・・・現代の私たちの心を表現する淋しい言葉が、いろいろと使われています。そういう病んだ心の状態に対して、聖書はずっと“神様は私たちと共にいて下さる”と語っています。難しい理屈の宗教ではなく、神様と共に生きていく生活に密着した信仰をあなたにも体験してもらいたいのです。

聖書の神様は、三位一体(さんみいったい)の神。唯一の神である、ご自身のあり方を、父・子・聖霊なる神として私たちに現して下さる神様です。天地宇宙を創造し、すべてのいのちの源となられた偉大なる“父なる神”がおられます。しかし、ちっぽけな存在である私たちにとっては、偉大な父なる神との隔たりはあまりにも大きなもの。私たちに、そんな偉大な神様を理解しようと思っても出来るはずはないのです。

そんな小さな私たちに対して、神様はご自身を時間と空間の世界に飛び込ませ、私たち人間と同じ姿を取ってご自身を現して下さいました。イエス・キリストとなって下さった“子なる神”です。このことで、私たちは神様との結びつきや注がれた愛を知ることが出来たのです。神様は、私たち人間との明確な接点を作り出されたのです。

この子なる神の恵みが、今から遠く2000年前の出来事で、日本からはあまりにも離れ過ぎたパレスチナでの事柄に終わるのではなく、私たちが生きる今、ここにおいて全く同じ恵みにあずかるために、神は“聖霊なる神”としてご自身の働きをなしておられるのです。この聖霊なる神の働きがあるからこそ、今日を生きる私たちであっても素直に信じるなら、聖書が語るとおりの神様の恵みを何一つ欠けることなくいただくことが出来るのです。

本日は、ペンテコステの聖日。クリスマスやイースターと並んで、教会の暦の中では重要な日曜日です。聖霊が、偉大な力を伴って弟子たちの上に臨まれたことを私たちは思い起こします。その恵みの体験が、私たちにも全く同様に与えられていることを事実として受け止めることが出来ます。

いつまでも自分の力だけを頼りにして生きているのは、本当の信仰者としての生き方ではありません。あなたのために与えられる聖霊なる神の恵みがあります。世の中の、実にいかがわしいスピリチュアルではなく、真に霊的な力と導きをいただくことが出来るのです。共におられる神様を実体験してまいりましょう。


20年はあっと言う間でした! 2007年5月20日

先週は、アンデレ宣教神学院の新しい年度のスタートの一週間。木曜日には、卒業式、入学式が行われ、その夜には恒例の卒業祝賀パーティーが開催されました。ただし、今回は、単に卒業生の祝いのためだけのものではなく、アンデレ宣教神学院の創立20周年を祝う時ともなったのです。

私たちの教会、松山福音センターの現在の会堂が献堂されたのが1986年6月のこと。私がアメリカの留学から戻って来たのが、その直前の5月末でした。牧師としての働きを始めさせていただく中で、万代恒雄牧師のビジョンにあった神学校設立の準備を開始したのでした。今までにない新しい発想の学校で、若い献身者だけでなく、社会で大活躍するビジネスマンも学べるユニークな神学校を、というコンセプトを形にする作業でした。

そして、アンデレ宣教神学院の開講は、翌1987年5月のこと。ひと月に、計一週間ほどの集中スクーリング形式の授業を核とする、前例を見ない形の神学校の誕生となったのです。第1回の入学式は、錚々(そうそう)たる顔ぶれのクリスチャン・ビジネスマンたちの勢揃いするものとなったのです。それまで存在していなかったものが、形となったのですから、大きな喜びでした。

今、考えると不思議な導きでした。神学校の運営などをしようとは全く思っていなかった私が、設立の任務を与えられ、この20年間を振り返ると、一番多く授業を担当させていただきました。少人数のクラスですが、気が付くと3000回ほどの講義をこなして来たことになります。そして、60名近い卒業生を生み出すことが出来ました。

価値あることだと知りつつも、ゼロから形にすることは簡単なことではありません。そして、それをコツコツと続けることにはまた別の力が必要となって来ます。しかし、気が付いてみると、あっと言う間の20年間でした。私が27歳の時に誕生した神学校が、今日に至るまで主のご計画の中で守られ、導かれて来たことに、心からの感謝を感じています。そして、何よりも、ここまでの20年間を土台として、これからさらに飛躍的にこの神学校が日本における、主キリストの祝福の現れのために用いられることを信じて疑いません。コロコロと移り変わりばかりが激しい今日の社会において、神様の働きが着実に継続されていることは、実に大きな喜びです。皆様のお祈りを、感謝いたします。


積み重ねた恵みの中で・・・! 2007年5月13日

新緑の美しい季節です。緑が目に眩しく、自然界にはいのちが溢れています。ここ数日は、松山では初夏というよりも夏に近い感覚の日差しで、空も晴れ渡っており、私も自動車を運転する時、思わず窓を開け放ったまま風を感じていました。

最近は、エアコンの利いた室内に閉じこもって、年中同じような野菜を食べているので、季節感を強く感じることが少なくなってしまいました。果物にしても、いつでも食べたいものが手に入るのは便利なのですが、味まで淡白になっているようで、季節を感じるメリハリが薄れてきているようです。

私たちの生活も、昔の人々の日常に比べると飛躍的に豊かで便利になってきました。しかし、世の中が豊かになり、それが当たり前だと思う人が増えてくると、その豊かさに対する感謝や喜びよりも、味気なさの方が増してきて、かえって倦怠感や欲求不満、なぜだかわからないけれどもモヤモヤしている感覚が人々の心に広がっているようです。

私たちの教会は、初代牧師・万代恒雄のゼロからの出発以来、50周年の記念の時を祝っています。世の中の進歩はもちろんのこと、教会も確実に発展し、今では日本中はもとより世界に向かっても力強い働きを展開することができるようになりました。ミカン箱の上で、道行く人に語る以外に方法のなかった初代牧師の時代とは、確かに隔世の感があります。この立派な週報も、今日の礼拝に溢れている恵まれた雰囲気も、初めには存在しなかったものです。私たちの、当たり前と思えるものの中に、大きな豊かさがあります。

しかし、その豊かさを享受する一方で、教会の始まり以来、私たちの歩みの中に常に存在していた、信仰の熱心さを見失ってはいけないのは当然のこと。牧師が講壇から語る言葉には、いつも聖霊による情熱や御言葉の切れ味が備わっていなければなりませんし、信徒一人一人の心にも、今も働かれる神の力強い恵みへの飢え渇きと、聖さへの求めが溢れているべきです。

さあ、あなたも、マンネリ化した信仰の姿勢で、恵みを垂れ流しのようにしてしまうのではなく、今日のこの礼拝で祝福されよう、と恵みを期待して神の臨在に立ちましょう。今も生きて働きたもう神は、今日、この瞬間にも、私たちの祈りに答えて祝福を与えて下さいます。


バザーでの奇跡に感謝! 2007年5月6日

去る4月30日は、振替休日で、私たちの教会恒例のバザーが盛大に開催されました。創立50周年を祝っている私たちの教会の歴史に深く根差した行事です。この記念すべき年のバザーも、兄弟姉妹のご奉仕により、大成功を収めることができましたことを、心から感謝いたします。

今回のバザーに際しても、素晴らしい主の奇跡が現されました。まず、何と言っても、天候が守られたということ。単に守られたという以上に、最高の天候が与えられたということです。

ゴールデンウィーク前の長期予報では、30日前後は天候が崩れるというもの。一週間ほど前からの週間予報によれば、雨時々曇りや雨のち曇りという感じの予報で、大いに祈らされたのです。お客様の出足や、全体の雰囲気、私たちの気持ちの盛り上がりを考えると、雨だと大打撃は必至。もちろん、雨ならば雨なりに楽しく開催する方法はあるものの、やはり天気は良いに越したことはありません。

みんなで祈った訳ですが、主は私たちの祈りに答えて下さいました。土曜日あたりからどんどん天気が良くなり、日曜日も快晴。そして、当日は、午後から曇りという最後の予報も覆して、バザー終了時点まで晴れ。夜になって、雨、ということで、バザーにとって全く理想的な天候となったのでした。確かに、主はどんな祈りもないがしろにはされません。

しかし、何といっても最大の奇跡は、今どきの時代に、こんな愛と交わりのある本物のバザーが事実として存在していること。ありきたりの責任分担や、プロの業者やイベント屋に演出してもらう格好ばかりのバザーが流行している時代に、主キリストへの奉仕を土台として、純粋に奉仕によって成り立っているバザーはもう簡単には見つけられません。

兄弟姉妹と一生懸命に奉仕させていただいた私自身も、大いに祝福されました。世の中の原理とは正反対。もらったり、奪ったりするのではなく、与えれば与えるほど祝福されるのです。主キリストへの愛と奉仕、兄弟姉妹との交わりを楽しみながら、今回のバザーを実現できたことを感謝いたします。私たちの周りには、主の奇跡が今もいきいきと存在しています。感謝なことです。


ビル・ウィルソン大会は大成功でした! 2007年4月15日

皆様にお祈りいただき、ご協力いただきましたビル・ウィルソン先生をお招きしてのセミナーは、4月7日(土)、8日(日)の松山大会も、10日(火)、11日(水)の東京大会もそれぞれ大きな祝福の中での開催となりました。今まで、ウィルソン先生を2回日本にお招きしたことがあったのですが、今回は特に、私たちの教会の50周年を記念する特別集会としても位置付けて、大きな思いで取り組んでまいりました。

松山も東京も、それぞれ400名規模の会場を用意してのセミナーでしたので、まずは会場にいっぱいになるくらいの人々に来ていただきたいと願っての準備スタートでした。新年度が動き始めたばかりのタイミングであり、松山は地方選挙と重なってしまいましたし、東京は平日です。夏休みのように学生が動きやすかったり、人々みんなが休みを取りやすい雰囲気というのではありませんでした。前売り券の出方など、少々心配する部分もあり、最後まで神様に必死で祈らせていただきました。

いよいよ当日、私自身も大きな緊張感をもって会場へと出掛けました。何と感謝なことに、松山の会場はいっぱい、東京の会場は立ち見の心配も出るほどの盛況となりました。本当に神様が、多くの皆様の協力を引き出し、人々を会場へと導いてくださいました。松山では、4回のセミナーで延べ1,300名ほどの出席者、東京ではムーイ先生と私の分を加えて6回のセミナー延べ2,100名の方々にお出掛けいただきました。

もちろん、今回のセミナーの成功は、人数の問題だけではありません。出席した私たちの多くが、涙を流しつつ、価値ある変化を形にするために自分自身を変えてください、と神様に心から祈りました。普段、不平不満の多い私たちが悔改めることができました。そして、自分の幸せしか考えない現代人である私たちが、この暗さの増す世の中において、スラム街に住む悲惨な環境にある子供たちのために心を込めた献げものをすることができました。大成功でした。たとえ一人の人でも変われば、私たちの社会さえ変えることができる、とウィルソン先生はいつも語っておられます。今回のセミナーの成果を、これからも活かし続けて行くことで、大成功をさらに持続して行く事ができるのです。


復活の信仰の凄さ! 2007年4月7日

今日は、イースター。クリスマスと並ぶキリスト教会の大きな祝祭の日です。クリスマスが救い主イエス・キリストのこの世での誕生を祝う時であるのに対して、イースターは、十字架で私たちの罪を背負って身代わりとして死んだキリストが、死の力を打ち破って甦られたことを祝う時です。

今では、世界中が週の始めの日曜日を休日としている習慣も、そもそもキリストが死から甦られたから。主キリストの復活が週の始めの日であったことから、毎週この日をクリスチャンたちが礼拝の日と定めて仕事や日常の雑事から離れようとしたことから始まったもの。ですから、“風が吹けば桶屋が儲かる”式の論法で行けば、キリストが復活されたからこそ私たちは日曜日を休みとして過ごせていることになります。知らず知らずの内に、世界中の人々がキリストの復活の恩恵を受けているのです。そうでなければ、今も日本の私たちは“月月火水木金金”で日曜も、土曜もなく働き通しなのかもしれません。

しかし、キリストの復活の凄さ、その本領は、人を内側から作り変える道筋を生み出したことにあります。安倍首相が政策の中で“再チャレンジ”ということを謳っていますが、行政や社会のシステムでどれほど人生のやり直しを応援しようとしても、結局は本人の自覚次第という部分から逃れることは出来ません。人は内面から変わらないと、本当の変化や成長は実現しないのです。

キリストが十字架で死なれたのは、私たちのどうしようもない罪深い性質を身代わりとして背負われたから。そして、キリストが死から甦られたのは、私たちが生きながらにして古い自分に死に、新しく人生を生き始めることが出来るように、と私たちに神の命を与えるためだったのです。主キリストが死んで甦ってから、世界中で本物の人生に生まれ変わる人の歴史が受け継がれて来ました。ビル・ウィルソン先生もそんな一人です。13歳の一人の少年が、神の愛に出会ってから、彼自身の人生が変わっただけでなく、周りの子供たちの人生も大きな変化を受け続けています。聖書の語る本当のキリスト信仰の真髄は、復活の信仰。あなたの心にも、どんなところからでもあなたを生まれ変わらせる復活の信仰が働きますように。


ガラリと変わる! 2007年4月1日

3月の半ばになってからの“寒の戻り”で遅れていた桜の開花も、先週の暖かさで状況は一変。東京ではもう満開、ここ松山も、名所が一斉に桜色に染まり始めています。冬から春への移り変わりは、そんなガラリと変わる感覚があります。朝夕の冷え込みで、なかなかコートを手放せなかったのに、ある日突然、コートを持っていること自体がうっとうしく感じるような陽気に出くわします。春が来た!のです。

今日から4月、新しいひと月、学校や会社では新しい一年度の始まりです。生活のあちらこちらの場面で、ガラリと変わる様を体験する時期です。会社での顔ぶれが、仕事の流れが、家族の生活の時間が、学校生活の感覚が・・・皆さんの周りでもガラリと変わる体験がいろいろと起こっているはずです。

教会の暦の上では、この一週間はキリストの十字架の死と、死からの甦りを思い起こし、感謝する時です。2000年近くも時が流れて、なぜ今になってもキリストの死と復活を祝うのかと言えば、それは今でも、このキリストを心に信じ受け入れれば誰であっても魂の深みから創り変えられ、新しい人として生きて行くことができるからです。主キリストにあって、人がガラリと変えられ、生まれ変わることができるのです。

今度の土、日は松山で、そして、来週の4月10日、11日は東京で、ビル・ウィルソン先生をアメリカよりお招きしての特別集会です。ウィルソン先生自身も、親から捨てられながらも、主キリストに出会って人生がガラリと変わり、今では毎週2万人、3万人もの子供たちの命を守る牧師として用いられています。また、このウィルソン先生のメッセージを聞いた人々の中には、今までの古い生き方から完全に解放されてガラリと変えられた人生を歩み始めた人々がたくさんいます。

あなたも、変えられたいと思いませんか?それもガラリと恵みの人生へと変えられ、脱皮し、成長したいと思いませんか?周りの人々や、社会や自然界だけでなく、あなた自身もガラリと変えられるという神様からの祝福を体験して下さい。十字架とイースターの時は、神様の愛によって私たち一人一人が変えられる時なのです。


与えられた可能性を信じよう! 2007年3月26日

冬の間には感じられなかった暖かな日差しを浴びて、ハッとすることはありませんか? 春の到来は、自然界だけでなく、私たちの心の中の、何か眠ったままであるようなものまで目覚めさせてくれます。街を歩く足取りも自然と軽くなったり、心がフワッと浮き立つように感じたり、確かに私たちの身近なところにも春はやって来ています。

スポーツの世界も、春の甲子園大会が始まったり、水泳やフィギュア・スケートの世界選手権が行われたりで、何かと話題が溢れています。世界大会というと、昔は「参加することに意義がある」とオリンピックの理念のようなものを繰り返すしかない成績の多かった私たち日本人ですが、最近では世界のトップクラスの選手たちもたくさんいます。フィギュア・スケートなどは、いつの間に日本はこんな強豪国になったのかと思うほど、世界水準の選手たちが揃っています。

アジア人だから、黄色人種だから、白人と比べると体格が小さいから、手足が短く体型が悪いから、黒人のような筋力がないから、食べているものが野菜や魚が多くて、練習の設備も整えられていなくて・・・と、スポーツ界でも何かにつけ不成績の言い訳がましい弁解をすることが多かったように思います。しかし、生まれつきの個性は個性、社会の特徴は特徴であって、日本人でも工夫さえすれば、十分に活躍することができるのです。世界の頂上クラスの大会でも、対等に戦うことができるのです。

スポーツ選手ではない私たち一人一人にも、実に大きな可能性が神様から与えられていることを忘れないで下さい。確かに、恵まれない状況も多々あるはずですが、それが事実以上に大きくなって、言い訳やできない理由を挙げることばかりが上手になっているのでは困ります。あなたの仕事でも勉強でも、あるいは家族の計画や個人の将来設計に関しても、あなたには自分が理解している以上の大きな可能性が与えられているのです。

あなたの心は、いつの間にか冬の季節のままマンネリ化してはいませんか。考え方が凝り固まってはいませんか。自然界は、確実に春の訪れの季節。私たちの心の中にも、実生活においても、新しいいのちの芽生えや今までの枠を越える成長を与えられましょう。主キリストからの力や恵みは、あなたの心構えが変えられる時、確かにあなた自身のものとすることができるのです。


人生は変わります!変えていただけます! 2007年2月26日

先日、関西で行われたブルックリン・タバナクル・シンガーズのコンサートに出かけて来ました。特別大きな責任があった訳ではありませんでしたが、実行委員会のメンバーでもあったので応援に、という思いもあり、東京での集会の帰路、立ち寄りました。

キリスト教会の持つ財産とも呼べる良いものが確かに日本にも上陸するのですが、チャペル式のウェディングと同様、ゴスペル音楽も多くの場合、単なる音楽の一ジャンルとして取り扱われることが多いようです。各地で、牧師でも、クリスチャンでもない人が司式をする結婚式が常態化していたり、クリスチャンでもないミュージシャンが生活のためにゴスペルを指導したり、自分の持ち歌のように扱うことが当たり前のようになっています。

しかし、今回のブルックリン・タバナクル・シンガーズ一行は、本物の教会から牧師同伴で、伝道のために来日した正真正銘のゴスペル・グループ。一人一人が、しっかりと教会生活をしつつ、自分の信仰の証しをはっきりともった人々でした。私たちと同じように、主キリストに出会って救われ、喜びや感謝に溢れたクリスチャン生活を送っている人々です。

アルコール依存症、麻薬漬けの毎日、家庭が崩壊した悲しみ、ホームレス生活・・・ニューヨークの荒れ果てた生活の中から、一人一人が神様の愛によって救い出された証しを持っています。救われて、教会の聖歌隊で歌い始め、ぐんぐん音楽の技量を向上させ、いつしか世界を旅して、主キリストの愛を讃美するまでになった喜びが溢れていました。

そんな素晴らしい讃美の歌声に包まれながら、主キリストの福音のもつ単純にして明白、同時にとても強力な恵みを思い起こさせられました。すなわち、私たちは誰もが、主イエス・キリストの愛に触れると、どんな人生であっても必ず変えていただけるのだということ。自分の努力や、周りの人の善意、社会の支援があっても決して変えることの出来なかった人生も、主キリストの十字架の愛に触れる時、魂の奥底から変えられるのです。

今日は、本年最初の洗礼式の日。また、信仰生活の20周年、30周年、40周年の喜びを分かち合う一日でもあります。アメリカの人であろうと、日本人の私たちであろうと、共に救いへと導いて下さる主キリストの愛の偉大さを改めてみんなで感謝しましょう。


本当に信用できるの? 2007年2月19日

中国の北京で行われていた北朝鮮の核問題を討議する6カ国協議は、北朝鮮が核関連施設の“無力化”を約束したことで、重油100万トン援助などのエネルギー、食糧支援などで合意したとのこと。しかし、北朝鮮以外の5カ国にとって良い合意であったのかどうか、単なるゴネ得を許したのではないかと意見も分かれました。そうすると、早速、北朝鮮では、核施設の“臨時”停止に関する合意だと、これまた身勝手な解釈の報道が・・・。合意したはずなのに、その直後から“無力化”ならぬ“無力感”いっぱいの展開です。

瀬戸際外交だとか、ごり押しだとか、北朝鮮の外交に関しては、拉致問題のみならず様々な分野で信用に値しない態度が問題視されています。なかなかまともな話し合いができないのです。聞く耳をもたず、自分の勝手な主張をするだけなのですから困ります。

国家同士の関係でも、個人個人の関係においても信用できるかどうかは、実に大きな問題。耳の不自由な人々を相手に偽の投資話を持ち出して、27億円も騙し取った女性が逮捕されていましたが、この事件などは人々の素直な心に付け入った犯罪だと考えられ、本当に悪質なものといえるでしょう。

そんな、信用という言葉を安心して使えなくなった時代に、私は神様を信じる信仰に導かれたことを、心から感謝しています。人も国家も信用できない時代に、心から信じ、信頼できるお方をもつことができるのは本当に幸せなことです。信じることができないでいると、信じるに値する相手がいないという事実以上に、疑ったり、裏を探ったりすることで肝心の私たちの心の方がやせ細ってしまいます。信用するものをもたない心は、次第に貧相な状態に陥ってしまうのです。

クリスチャンの特権は、心から神様に感謝し、信じ委ねる心をもつことができることです。私たちが罪人で、何の価値もないものであるときから主キリストは私たちを愛し、神様を信じて変えられる私たちの将来の姿を信じて、いのちを捨てて下さいました。こんな素晴らしい救い主を与えられている恵みに感謝する以外にありません。神様を信じて生きることの素晴らしさを思い起こしましょう。本気で信じることのできる神様を心にもっていることは、実に大きな恵みなのです。


変化の時代には変わらぬものを! 2007年2月12日

世界の月平均気温が、1月としては1891年以降の統計史上、最高を記録したそうです。昨年の12月も、同様に観測史上最高の月平均気温だったそうで、この100年間にない気温変動が私たちの毎日の生活の中で、当り前のように起こっている訳です。日本中が大雪に見舞われた昨年の冬に比べると、明らかに暖冬であることは誰もが感じていることなのですが、世界的に見ても文字通り記録的な暖冬であるわけです。

記録というものは、気象データでもスポーツの記録でもいつかは破られる運命にあるわけですが、それにしても、最近の自然界のニュースでは、何十年ぶりの暖冬だとか、寒波だ、大雨だ、何十年ぶりの被害だ、という表現をやたらと耳にします。“何十年ぶり”というのは単に大袈裟な表現ではなく、実際に私たちが人生の大半を費やしても一度体験することがあるかどうかという大事件であるはずなのですが、それが頻発しているのです。まるで去年の記録を更新したくらいの簡単な感じで、歴史的な記録が破られています。

それだけ、地球規模での気象変動が激しく、確実に環境の変化や破壊が進行しているということなのでしょう。北極や南極の氷はどんどん溶けているようです。地球の温暖化は深刻です。海外伝道に出掛けるインドやマレーシアでも、今までの天候の常識は通用しなくなっています。

私たちの成長に変化はつきものですし、変化しなければ本当の進歩はありません。しかし、真の進歩を支えるためにはより大きなものがどっしりと変わらず存在していることが大切です。いくら変化の激しい世の中だといっても、地球規模の気象までコロコロと変わったのでは、不安で仕方ありません。変化を支える土台が必要なのです。

あなたの心は、神様という土台をしっかりと持っていますか?家庭や仕事、勉強や趣味・・・何事にも進歩が必要なのですが、そのためにはどっしりとした土台が必要です。あなたの人生の祝福のためには、いのちの与え主である神様という土台が必要です。世の中の変化が様々な方面で激しくなるにつけ、信仰をもつ価値はうんと増しています。あなたの心に、いつも変わらぬ神様からの愛と恵みが注がれていますように。振れ幅の大きな時代だからこそ、変わらないものが大切です。


ビル・ウィルソン先生がやって来ます! 2007年2月5日

2007年も、早くも2月となりました。まだまだお正月気分であったり、何だかボーッとしている内にひと月が終わってしまったという兄弟姉妹、今こそ祈りの中で気持ちをシャキッとさせて新しい歩みを確かなものとしてまいりましょう。

私たちの教会は、ただ今、創立以来50周年の歩みをしておりますが、着々と新しい出来事が起こりつつあります。春は、もちろん恒例のバザーが行われますし、今年は従来の4月29日が日曜日ということもあり、振替休日となる翌4月30日の開催となります。今年は連休だからこその、楽しく、十分に恵まれたバザーの時を実現したいと思います。

また、本年のイースターは、正真正銘の特別な恵みの時となります。アメリカ、ニューヨークからビル・ウィルソン先生をお招きして、松山と東京でのそれぞれ2日間ずつの大会を開催いたします。松山では、イースターの週末、4月7日(土)、8日(日)の二日間、東京では週明けの4月10日(火)、11日(水)の二日間という予定です。過去2回、日本にお招きして東京、横浜、京都などで特別セミナーを開催して来たのですが、何と言ってもこの度、私たちの本拠地である松山での大会開催というのは、特筆に価すべきことです。

13歳の時、実の母親に路上で置き去りにされ、文字通り、人生のどん底から始まった彼の人生が、主キリストの救いに与かり、どのように変えられ、今ではニューヨークのスラム街に住む2万人、3万人の子供たちの命を守る牧師へと変えられたかという実話を、本人の語るメッセージから直接受けとめたいと思います。神様が、私たちの人生に触れて下さる時の恵みの大きさを、今年のイースターは多くの人々と分かち合うことが出来ます。

訳の分からない重苦しさや、モヤモヤ感が、多くの人の心に溢れている時代です。あなたの心は大丈夫ですか?今年のイースター(復活節)は、単なるお祝いの時ではなく、あなたも含めて多くの人々の心が神様によって、本物の新しい命に満たされる時となります。どうか、ご期待下さい。そうです、私たちの教会の2007年は、多くの恵みを予感させながら着々と動いています。信仰によって、祝福を受けとめましょう!


良いことの徹底、善の前進! 2007年1月15日

愛媛県松山市の本部教会のすぐ近くに、とても流行っているうどん屋があります。四国は、最近の讃岐うどんブームでも明らかなように、蕎麦というより、やはりうどん。この流行っているうどん屋は、確か15年前頃に脱サラした店主が家族と始めたもの。素人が、見様見真似で始めたと同然のものだったのです。

その時、わずか1ヶ月ほどの差で、一軒はさんだ隣に、これまたうどん屋が開店。どちらが先だったかは、もう忘れました。ただ、今残っているのは、先の一軒だけ。ふたつの内、ひとつだけが生き残った訳です。一軒がつぶれ、もう一軒が残った理由は、味そのものの差ではありません。今も残っている方の店は、大盛り(1.5玉)でもダブル(2玉)でも普通のものと同じ価格で提供したのでした。大盛りにしたら100円増し、200円増しだというありきたりのやり方ではなく、2倍の麺と出汁でも気前良く同価格にしたのです。やはり人の喜ぶことを常識以上にしてみると、誰でも嬉しいものなのです。

この年末年始、日本中にバラバラ殺人事件のニュースが溢れました。カインとアベル以来、人間の犯罪史上殺人事件は確かに存在しているのですが、最近ではどうもその残虐さや陰湿さが急速に増しているようです。実の兄と妹、夫婦の間で、簡単に殺人が起こり、殺した相手をのこぎりで切って、自分で運んで捨てたというのです。極悪犯罪人の仕業ではなく、私たちとごく普通に生活している一見平凡に見える人々が、家族を殺し、切り刻むのです。

普通の感覚では、想像すること自体が難しいのですが、そんな事件が実際に、私たちのような普通の人間の間でも起こっています。人間の歴史が進展する中で、科学技術や知識が発展しているだけでなく、どうも悪もより巧妙に、より残虐になっているようです。そういう時代だからこそ、神の御心にかなう事柄もさらに勢いを増して、ぐんぐん成長しなければなりません。

悪や罪の力の深まりを嘆き悲しむだけでなく、むしろ良い事柄をさらに一歩押し進め、善の力をパワーアップしたいと思います。1km行け、と強いる人には2km進んでも良いのではありませんか? 誰かを思い切って祝福してあげて、恵みを押入れ揺すり入れてあげて良いのではありませんか? さあ、あなたの周りの恵みの流れをさらに豊かなものとしてまいりましょう。


“信仰によって”生きる一年! 2007年1月9日

2007年の日々が動き始めました。あなたの毎日に、主キリストの恵みが十分に注がれますように、と祈ります。物事にけじめをきちんと付けることが出来るのは、日本人である私たちの良いところ。新たな一年を迎えて、カレンダーや手帳が新調されただけではなく、心構えや生活の習慣にもメリハリを加えて、主が備えて下さる恵みをいっぱいにいただくことの出来る日々を体験いたしましょう。

本年の御言葉として選ばせていただいたのは、みなさんに御馴染みの箇所でありながら、同時に、ぜひとも本当にそれを事実として生きて行きたいと願わされる御言葉です。

『信仰は望んでいる事柄を保証し、目に見えないものを確信させるものです。
・・信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。』(へブル11:1,6)

親子の関係から愛が消え、学校でも教育が成り立たず、ビジネスにも信用がなくなり詐欺がはびこる時代となりました。そんな話題が世の中には溢れています。だからと言って、私たちクリスチャンの生活から“信仰”が消えてなくなって良いわけではありません。私たちが、クリスチャンであるということは、聖書の勉強をしたからでも、自分で宗教の修行をしたからでも、また単に優しい良い人になったからでもないことをはっきりと思い出しましょう。そう、私たちは、“信じて”クリスチャンになったはずです。

世の中の流行にのったり、自分の決断であったり、人のアドバイスに従って行動を起こすことの多い私たちですが、果たして“信仰によって”何かをなしているでしょうか。信じている、信じている、と都合よく口にしていても、信仰を働かせて何かをするということが一つもないのでは困りものです。
私たちは信仰者なのですから、信仰によって生きようではありませんか。さあ、あなたの一年の計画の中に、“信仰によって”行動してみるものをしっかりと意識してください。ビジネスマンとしての経験や、主婦の直感や、社会の鉄則だけで行動するのではなく、幾つかの事柄は、はっきり“信仰によって”行動し、成し遂げてください。“信仰によって”生きる生き方は、私たちの人生に神様からの本物の豊かさを確実に与えるのです。


“信仰によって”生きる一年! 2007年1月9日

2007年の日々が動き始めました。あなたの毎日に、主キリストの恵みが十分に注がれますように、と祈ります。物事にけじめをきちんと付けることが出来るのは、日本人である私たちの良いところ。新たな一年を迎えて、カレンダーや手帳が新調されただけではなく、心構えや生活の習慣にもメリハリを加えて、主が備えて下さる恵みをいっぱいにいただくことの出来る日々を体験いたしましょう。

本年の御言葉として選ばせていただいたのは、みなさんに御馴染みの箇所でありながら、同時に、ぜひとも本当にそれを事実として生きて行きたいと願わされる御言葉です。

『信仰は望んでいる事柄を保証し、目に見えないものを確信させるものです。
・・信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。』(へブル11:1,6)

親子の関係から愛が消え、学校でも教育が成り立たず、ビジネスにも信用がなくなり詐欺がはびこる時代となりました。そんな話題が世の中には溢れています。だからと言って、私たちクリスチャンの生活から“信仰”が消えてなくなって良いわけではありません。私たちが、クリスチャンであるということは、聖書の勉強をしたからでも、自分で宗教の修行をしたからでも、また単に優しい良い人になったからでもないことをはっきりと思い出しましょう。そう、私たちは、“信じて”クリスチャンになったはずです。

世の中の流行にのったり、自分の決断であったり、人のアドバイスに従って行動を起こすことの多い私たちですが、果たして“信仰によって”何かをなしているでしょうか。信じている、信じている、と都合よく口にしていても、信仰を働かせて何かをするということが一つもないのでは困りものです。
私たちは信仰者なのですから、信仰によって生きようではありませんか。さあ、あなたの一年の計画の中に、“信仰によって”行動してみるものをしっかりと意識してください。ビジネスマンとしての経験や、主婦の直感や、社会の鉄則だけで行動するのではなく、幾つかの事柄は、はっきり“信仰によって”行動し、成し遂げてください。“信仰によって”生きる生き方は、私たちの人生に神様からの本物の豊かさを確実に与えるのです。


人間の身勝手ではなく! 2006年12月31日

アフリカのコンゴ(旧ザイール)の広大な国立公園内に生息するカバが絶滅の危機だ、とのこと。以前は同公園内に約3万頭が暮らしていたのに、今ではわずか600頭あまりに激減してしまっているそうです。開発や都市化による自然破壊が原因の、よく耳にする絶滅危機の話かと思ったのですが、そうではありません。

理由は、1990年代以降の政情不安の周辺諸国からの難民流入や、国内での内戦の継続に伴う食料難が深刻で、銃やなたで乱獲され食べられてしまったのだということ。アフリカの野生動物は、様々な保護策が取られているはずですが、毛皮や象牙のような高級品として狙われる場合と違って、今回のケースは人間の空腹を満たすために手当たり次第捕られたというのです。

ある程度、国際的にも食料資源としての意識が定着し、保護の観点が浸透しつつあるクジラやマグロと違って、今回の出来事は人間の社会の不安定さがそのまま野生の動物たちの運命さえ左右しかねないという話です。「カバ食べられ絶滅危機」という新聞の見出しは、人間のその場の都合で、どのような結果さえ起こり得るのだと、私たちに大きな警告を発しているように思われます。
他人事ではありません。私たちも、自分が生きるためだ、私の幸せのためだ、と情けない近視眼的な生き方を繰り返してはいないでしょうか?一年の締めくくりと、新たな一年の始まりに当たって、私たちは素直に自分の生き方を考えてみることが大切です。どう転んでも独りよがりの生き方が、自分自身の人生を幸せにすることはないのですから。やはり人生は、自己中心ではよく動かないのです。

代わりに、私たちがしっかりと意識したいのが、「神様のために」生きるという生き方。長年のクリスチャンにとっては、神様のためにというフレーズは、聞き慣れたものであるかもしれません。しかし、この言葉の意味することは、実に深い影響を私たちの人生に与え、その成り行きや結果を大いに左右するのです。「神様のために」生きようと自分自身を整えるとき、私たちには最も純粋で素直な人生が展開するのです。過ぎし一年を振り返り、また来る一年に夢を描くために、自分の身勝手さの追求に終わる生き方ではなく、神様のみこころを受けとめて生きる日々を、しっかりと思い巡らしましょう。


心から、メリエスト・クリスマス! 2006年12月24日

私たちが全国で展開してきた“メリエスト・クリスマス2006”も、本日の松山でのクリスマス特別礼拝と、今夕の“ホーリーナイト”、そして、明日の神戸・元町での集会を残すのみとなりました。本年のクリスマスもいよいよ終盤です。各地でお集まり下さっている兄弟姉妹の上に、救い主イエス・キリストの豊かな祝福が注がれますように、と心からお祈りいたします。

この日本でのクリスマスの習慣も、すっかり年中行事化して、国民的な規模で催されるものとなってきました。クリスマス・ツリーに始まり、クリスマス・プレゼントにクリスマス・ディナー・・・、と“クリスマス”を冠した様々な行事やモノが日本中に溢れています。それこそ猫も杓子も、デパートから庶民の家庭まで、クリスマスの大騒動です。先日などは、クリスマスの飲み会で盛り上がろうという人から、「先生の教会ではパァ〜っと騒ぐようなクリスマス・パーティーをしないんですか」とピンボケの同情までされる始末。

しかし、私たちがこだわりたいのは、単なる盛り上がりや賑わいでのクリスマスではなく、その主役であるお方、すなわち主イエス・キリストご自身のこと。主ご自身が存在しないクリスマスは、単にそれにあやかっただけの便乗商法であって本物ではありません。いえ、もっと正確に言えば偽物なのです。

中途半端な“メリー・クリスマス”が氾濫しています。適当な楽しさや面白さ(Merry)で終わるものではなく、本物でしか生み出すことのできない最高、最上の喜び(Merriest)を味わいたいのです。ですから、私は“メリエスト・クリスマス”と表現しています。主キリストと出会えば、私たちの心が変わります。心が変われば人間関係が変わり、人生の色合いそのものが変わります。生きがいの意味や、喜びの質までが変わり、心の底から喜べる感謝な毎日が展開するようになります。

本日のクリスマス礼拝で、あなたの心が、救い主イエス・キリストに向かって、しっかりと整えられますように。神様と向き合う時、私たちの心や思いは常に軌道修正させられ、成長することができるのです。あなたの心にも、主キリストしか与えることのできない本物の喜びが実現しますように。心から、クリスマスおめでとうございます。


「命」ということ! 2006年12月18日

一年の終わりに日本漢字能力検定協会が公募する「今年の漢字」で、「命」が2006年を象徴する一文字として選ばれました。ここ10年ほどの推移を見てみると、「壊」「倒」や「戦」など何だか不安定で暗雲立ち込める世相を反映しての文字が多かったのですが、昨年の「愛」に引き続き、漢字そのものは肯定的なイメージを持つ文字が選ばれました。

漢字“そのものは”、と断りを付けたのは、実際の社会の様相が漢字とマッチするイメージだったからではなく、むしろ正反対の状況が展開していたからです。いじめによる子供たちの相次ぐ自殺、飲酒運転による事故死、北朝鮮の核不安、イラク戦争後の混乱の泥沼化・・・命に関する危機的状況が溢れているからこそ「死」や「恐」の代わりに「命」が選ばれたという訳です。いつだったか、人が殺し合う映画が作られて、嫌な映画だと思っていたら「テーマは愛」と監督が平気で語っていたことを思い出しました。

「命」や「愛」をストレートに語ることができずに悪をさんざん話題にしつつ、それとは正反対の何かがあるのでは、と頼りない希望を表明しているかのようです。「命」や「愛」といった私たち人間の存在にとって本質的なものすら真正面から取り上げることができず、悪に満ちた物事の裏側から透かして見る以外に方法がないようなのです。「命」や「愛」が逆説的にしか語れない時代なのです。

それとは逆に、聖書は「命」や「愛」を真正面から語ります。目をそらすことを許さないほどの真剣さで、私たちの心に本物の「命」と「愛」に向き合うようにと勧めているのです。その中心は、何と言っても主イエス・キリストが私たちの救い主としてこの世に来てくださったこと。すなわち、クリスマスの物語です。

私たち人間が向き合わなければならない死の恐怖や人生の不安は、何も今に始まったものではありません。どの時代の、どのような社会においても、人間である以上直面すべき悪や罪の力が存在しています。そんな悪の力、罪の呪いから私たちを解き放つために主キリストは神の御子でありながら人としてこの世に来てくださり、身代わりとして十字架にまで付いて救いの道を開いてくださいました。「命」と「愛」の不明瞭な時代だからこそ、誰の心にも本物のクリスマスが必要なのです。


必死で求めてみることです! 2006年12月11日

カンボジア伝道のためにお祈りいただき、心より感謝いたします。先週の月曜日に出発し、昨日、大きな感謝をもって無事帰国することができました。日数にすれば現地では実質4日間の短い伝道旅行だったのですが、中身は主キリストの恵みに満たされた濃厚なものでした。

大会が開催されたカンポン・チャムという街は、首都のプノンペンからは自動車で2時間半ほどのところです。産業のほとんどが農業といういかにもカンボジアといった場所です。発展途上の国々に共通していることなのですが、近代的な都市と呼べるのはその国の首都だけで、あとは全部田舎という感じが多いのです。そんな田舎の中心地での集会となりました。日中の牧師・リーダーセミナーには3日間、連日500名近くの人々が熱心に集まりました。もちろん初対面の人々との集会なのですが、2日目、3日目と共に祈りと聖書の学びを重ねるにしたがって、本当に打ち解けた聖霊の臨在のある時となっていったのです。

夜の野外集会では、2日とも季節はずれの雨に見舞われる事態となりました。1日目は、いざこれから集会の本番というときに土砂降りの雨。そんな雨の中では音響照明機材は使うことができず、中止もやむなしという状況だったのですが、ムーイ先生と共にとにかく癒しの祈りだけでも、とステージに登り、マイクなしで大声で祈り始めました。すると次第に雨も上がり、大雨の中で待ち続けた2000人ほどの人々の祈りが答えられ、実に素晴らしい様々な癒しのみわざがあらわされたのです。

2日目は、始めから5000名ほどの人々の集う、大変盛り上がった集会。何百人もの人々が信仰の決心をし、顕著な癒しが続出しました。雨の気配を集会中ずっと感じていたのですが、感謝すべきことに集会が終わるやいなやの降り出しとなり、ドンピシャのタイミングで守られました。

確かに雨に対する感じ方は国民性もあって、お国柄でそれぞれなのですが、それにしても“バケツをひっくり返した”という表現がピッタリの大雨の中、ひたすら集会の再開を待ち続ける人々を見て、神様の恵みを必死になって求める信仰の大切さを改めて感じさせられました。時には、なりふり構わず信じてみることです。そんな強さ、真剣さ、必死さを忘れ去ってはいけません。主の祝福をしっかりと求めましょう。


やはり本物でなくては! 2006年12月4日

先日、東京で行われた、少々早めのあるクリスマスの集会に招かれて出掛けて来ました。国会議員の中からも、キリスト教やクリスマスを祝うということに賛同される方が10名を越えて出席されており、500名を越える出席者の数だけでなく、なかなか錚々たる顔ぶれの会でした。

先の自民党総裁選にも出馬した谷垣禎一(さだかず)衆議院議員も、ゲストの一人でした。ここ数年、聖書を読んで祈る時間を友人の議員たちともっている、とのことでした。ただご本人は自分のことを、「私は、神道と仏教と儒教を足して3で割ったような典型的な日本人」と正直に表現されていました。確かに日本人的な感覚です。

私たち日本人は、周囲の良いものから特に重要な部分だけエキスのように抽出して、それを日本人的に消化して用いていくのが得意な民族です。西洋生まれであったはずの自動車やコンピュータも、今では日本製は世界のトップ・クラス。フランス料理でさえ、日本人シェフの評判は世界に鳴り響いており、東京でのフランス料理は世界で一番おいしいという人もいるほどです。日本人らしさを土台にして様々なものを受け入れると、受け入れる前よりも素晴らしいものが誕生するという訳です。

本来はキリスト教の純然たる行事であったはずのクリスマスも、すっかり年末の風景の一部となりました。クリスマスにはケーキを食べるという習慣も何故か当たり前のように思われるようになって来ましたし、最近ではクリスマス・イヴには家族や恋人と共に過ごさなければならないという掟のようなものまで広く浸透しています。クリスマスは、今やすっかり日本化されてしまいました。

しかし、日本人の味付けがされたクリスマスは、従来のものを軽く凌ぐほどのものになったか、というとそれがどうもそうではありません。特に、サンタクロースやプレゼントが主役の地位を占めているだけのクリスマスには、本来の力強さがないのです。やはり、イエス・キリストを抜き取ったクリスマスでは、一体何のために祝っているのかさえわからなくなってしまいます。和洋折衷だけで味わえるクリスマスは、やはり中途半端。イエス・キリストの物語は、やはり純粋な救い主の事実として受けとめるべきです。さあ、クリスマスを祝う時です。私たちは、本物のクリスマスを、感謝をもって心から祝い、愛する人々にも祈りを込めてしっかりと伝えてまいりましょう。


レジで小銭をスムーズに支払う方法! 2006年11月27日

先日、東京でモノレールに乗ろうとして、自動券売機の前で小銭を出すのに手間取ってトロトロしていると、後ろに並んでいたおじさんにイライラ感いっぱいの舌打ちをされてしまいました。ご、ごめんなさい。似たような経験は誰にでもあるはずですが・・・。

そこで、次のように考えた人がいます。混雑しているスーパーやコンビニのレジで会計する際、後ろに並ぶ人に配慮して処理時間を短くするためには・・・と。支払額がピッタリ分かっていることは少なく、また消費税の計算がいつも瞬時に出来る訳でもないのです。そこで、会計を素早く終わらせる最善の方法は、『なるべく小銭の出し入れを少なくする最大公約数的な額をみつけ、レジに並んで待っている間にその額を用意して手に握っておくこと』だ、とのこと。で、その額とは一体いくらなのかというと、『ズバリ「77円」である。それも「50円玉1枚と10円玉2枚」+「5円玉1枚と1円玉2枚」の組み合わせに限る。この組み合わせが、どんな額が出てきてもサイフとの小銭の出し入れの手数を最小化できる、最良の組み合わせだからである。』と、続きます。

その理由は、『例えば、支払額の端数が99円だった場合、手元に「77円」があれば、サイフから10円玉2枚と1円玉2枚を追加することになる。4枚の小銭を追加するので、手数は「4」である。もし端数が23円だった場合は、手持ちの中から50円玉1枚と5円玉1枚をサイフに戻し、1円玉1枚を追加するので手数は「3」となる。・・・こうしてあらゆる組み合わせをシミュレーションしていくと、00〜99円の中でいちばん小銭の出し入れが少なくて済む組み合わせが「77円」なのである。』とのこと。

果たしてどれほど実用的なのかは、私は実際に試していないので分かりません。単なる屁理屈かもしれません。しかし、いずれにせよ私たちは、わずか数秒の手間を縮めるために、ああだこうだと理屈をこね、少しでも効率を高め、進歩しようとするのです。ただ、それほどの知恵や裏技にこだわる現代人であるならば、そろそろ気付いて欲しいことがあります。それは、本当に幸せな人生を歩みたいなら神様を信じて生きることだ、と。賢そうに見えて、実は愚か。豊かそうに見えて、本当は心の貧しい者。そんな時代です。神様に結び付く賢さを持って生きることを、決して軽んじてはなりません。「77円」を握り締める前に、さあ今、一言の真剣な祈りを神様に捧げましょう。


個人の価値ということ! 2006年11月20日

プロ野球西武ライオンズの、松坂投手の大リーグ移籍が大きな話題を呼んでいます。従来、日本のプロ野球から大リーグへと移ることは、正式なルートがあるわけではなかったのですが、野茂投手の渡米以来、日本のスター選手が世界最高レベルでのプレーに憧れてアメリカを目指すケースが増えてきました。

今回は、ポスティングという制度で、アメリカ側の受け入れ球団が先に決まるという方法での移籍話です。話題の中心は、何と言っても60億円という交渉権の落札価格。松坂選手との30日間の交渉権、すなわち話し合いの席に着くための金額がそんなにも多額なものとなり、世界中で話題騒然です。確かに、日本の野球のレベルも上がり、今春のWBC(ワールドベースボールクラシック)では見事初代世界一に輝きました。その日本チームのエース・ピッチャーの評価は、文字通り世界のトップ水準であるということです。高校卒業から8年目の男性が、今後、年10億円を越える報酬を得る世界的なスポーツ選手として異国の地で活躍するわけです。

個人の評価がうなぎ登りで、多額の報酬を手にする人々が生まれています。その一方で、格差社会の広がりの中で、生活の必要さえ事欠く事態に直面する人々も決して少なくはありません。特に、お金の尺度や、社会での注目度だけで人の価値を測ろうとすると、喜ぶことのできる人は決して多くはありません。やはり、人の作り出した尺度だけでは、人のもつ価値というものを正しく測ることはできないのです。それこそ格差社会を肯定するだけのものとなってしまいます。

私たちのもつ本当の価値は、私たちに命を与えてくださった神様の御心の中でこそ、正しく測られるものです。松坂投手のように何十億円もの実際の金額が動くから価値のある人だという表面的な考えだけでなく、ごく平凡に見える私やあなたの中にも、かけがえのない価値があることを忘れないでください。私の目にはあなたは高価で尊い、と神様は聖書の中で語っておられます。世の中の物差しが測れるのは、ほんの一部の価値観。この世の中には、神様でしかきちんとその重さを測ることのできないものがまだまだたくさん存在します。その人の存在価値が大きく評価され、報道においても大騒ぎしている状況で、ただ野次馬根性で眺めているだけでなく、あなたにも大きな価値があり、神様はそれを認めておられることを思い起こしていただきたいのです。


人生のビジョン、ありますか? 2006年11月13日

トルコのイズミールという都市で開催されているアジア宣教会議に参加しています。アジアにおける世界宣教に取り組んでいる団体や牧師、宣教師たちが300名ほど参加しています。私も講師の一人として招待していただきました。世界各地から集まって下さった方々を前に、私の今までの海外伝道やマレーシアのムーイ先生らと推し進めてきた働きの証しを土台として、精一杯の講演をさせていただきました。

クリスチャンであることの素晴らしさは、今回のように日本を飛び出してみる場合にも深く感じることができます。友だちを作る、ということは、同じ文化をもっているはずの日本人同士でもなかなか難しいことかもしれません。しかし、言葉も肌の色も、背負っている文化も何もかも異なる人々と一緒にいながら、クリスチャンであるとすぐに打ち解けて話し合うことができるのです。不思議なことですが、信仰という、心の最も深い部分で同じ真理を分かち合っていると、驚くほど安心感のある連帯を経験することができます。

そして、信仰者であることの素晴らしさのもう一つは、何といってもビジョンをもって生きることができるということ。貧しい国から来ている伝道者たちも多いのですが、みな世界宣教の夢を熱く語り合っています。日本では最近当たり前のようになっている何となくダラダラして目的を失っているような生き方は、この大会の中には見出せません。誰もが命懸けで異国にまで出向いて、キリストの福音を伝えようとしています。

あなたの人生にビジョンはありますか?せっかくの人生を歩んでいるのに、いつまでも自分の小さな殻に閉じこもったままでいないでください。信仰をもつと、必ず人生の視野が広がり始め、ごく自然に語り合える友が与えられます。また、神様から与えられる夢やビジョンということを、当たり前のように考え始めることができるのです。焦燥感や閉塞感などという心の空しさを表した言葉が幅を利かせる社会に生きている私たちですが、そんな否定的な雰囲気に飲み込まれず、目をキラキラと輝かせながら毎日を過ごすことができるのです。あなたの生き方も、そんな風に新しくなりつつあるのです。


トルコよりご挨拶申し上げます! 2006年11月6日

今回は、トルコからの週報です。ただ今滞在中のイスタンブールからイズミールという都市へと移動し、そこで開催されるアジア宣教会議に出席いたします。アジア各地の伝道活動に携わっている牧師、伝道者、また欧米の伝道団体などが参集して、アジアのリバイバル実現のための会議と祈りの時がもたれます。20数名の発表者の一人として招いていただけましたので、日本での伝道やインド伝道などの経験、マレーシアのムーイ先生などと共に押し進めている働きなどについての証しから、沢山の恵みと気付きを語ってきたいと思います。

開催地となるイズミールは、聖書時代のエペソのすぐ側です。トルコという国は、お隣のギリシャと共に、新約聖書の時代に、パウロたちが命を賭けて伝道して歩いた地域。あちらこちらに2000年前からのクリスチャンたちが辿った、激動の時代を思い起こさせる遺跡・史跡が残っています。

今滞在しているイスタンブールも、元は大迫害の時代を終息させキリスト教を公認する道筋を作ったローマ皇帝コンスタンティヌスが、遷都の上、開いた東ローマ帝国(ビザンチン帝国)の首都コンスタンティノープル。最近話題の、世界史を全く知らない履修不足の高校生、元高校生たちには何だかわからない話かもしれませんが、実にキリスト信仰と縁の深い場所なのです。ホテルの周りを見渡すだけで、神学校の授業で何度も取り上げた歴史的建造物がいっぱい。今ではすっかりイスラム化されていますが、信仰の先人たちの歩んだ事実がそこかしこに溢れています。

この歴史の場において、新たなリバイバルの動きへの会議と祈りがなされようとしています。21世紀の日本においても、主キリストの救いのみわざが、もの凄い勢いで人々の心に浸透していくことを願わずにはおれません。私たちの教会も、設立以来の50周年を祝っていますが、それが単なるイベントに終わらず、未来への出発点としたいと思います。50年、半世紀というのは、歴史の中ではまだひよっこかもしれません。しかし、私たちも日本の教会の歴史に価値ある一石を投じてきました。そして、これからさらに重要な働きを担わせていただきたい、必ずそのように用いていただけると信じています。


人生は、やはり真剣勝負! 2006年10月30日

自由民主党所属の参議院議員で、プロレスラーでもある大仁田厚さん。普段は明るいキャラクターでテレビや映画にも出演したり、国会が荒れた時には武闘派として野党議員を気迫で圧倒したり・・・となかなかの人気者です(もちろん、国会議員の存在意義を人気だけで計って良いかどうかは別問題として)。ただし本職のプロレスでは悪役となってしまっています。彼が今、裁判で窮地に陥っています。

あるプロレスラーから、「大仁田氏とマネージャーによる事前に打ち合わせのなかった場外乱闘で怪我をした」と訴えられ、どうも損害賠償に応じなければならないようです。彼のプロレスは鬼気迫る流血必至の乱闘が売りなのですが、法廷で「事前打ち合わせ」と堂々と指摘されると、何だか色褪せて感じる部分があります。やらせだ、八百長だ、ショーとしてのスポーツだ、と今までもプロレスはいろいろと言われてきた訳ですが、今回はどうも、裁判の場であっさりと「事前打ち合わせ」ということで片付けられそうです。

最近はテレビの番組や、報道関係の記事などでも「やらせ」が指摘されることがあります。本物をきちんと取材して真実に基づいて伝えるというよりも、伝える側のイメージや先入観が先走ってしまい、それに合う中身を勝手に作り上げてしまうのです。答や結末が、はじめからできあがっている訳です。

自分の思うように演出が利かないと面白くないと感じてしまう、昨今の雰囲気があります。それにも関わらず、私たちの人生は自分の好みや都合だけでは動かないことを認めなければなりません。それなのに面白くないからといって、何でもすぐにやめたり、逃げたり、中には死ぬという人が増えているのは大変な問題です。私たちの人生には、私たちにはわからないことも多いのです。だからこそ、全力を尽くして、真剣勝負を挑む価値があるのです。プロレスの真剣勝負には裏がありますが、私たちのそれは本物です。

私たちの真剣勝負は、単に血を流すだけの殺伐としたものではありません。私たちを愛して下さる主キリストの愛が十分に注がれた、神様の導きの中での真剣勝負なのです。何でもかんでも裏で手を回して楽に済ませようとするのではなく、神様の祝福を信じ、祈りつつ、真剣勝負をすることができることは、実は大きな恵みなのです。


物事に向き合う心構えを! 2006年10月20日

“食欲の”や“読書の”と、様々な冠ことばで表現される秋ですが、今回は“スポーツの”秋の話題から。世界が狭くなった、地球が小さくなった、とよく耳にしますが、特にスポーツの世界では文字通り国境を越えて活躍する機会が急速に増えています。以前は、世界の舞台に出ると何だかひ弱に感じられた我々日本人でしたが、世界の超一流のレベルで実力を発揮する選手たちが続々と登場するようになって来ました。

ここ愛媛県の新聞では、宇和島東高出身のヤクルトの岩村選手がアメリカのメジャーリーグに挑戦か、と言う話題が、新聞で大きく取り上げられていました。昔の野球少年たちにとっては、夢はプロ野球!それが今ではその先に大リーグでの活躍と選択肢が広がってkたいようです。野茂選手やイチロー選手、松井選手のように、日本の野球ではなくアメリカ流のベースボールにもきちんと適応して行けるかが鍵となって来ると思います。

アテネ・オリンピックで団体で金メダルを獲得し、見事に復活した日本男子体操でしたが、今回の世界選手権では銅。スポーツの世界では、日本が活躍するとルールが変わるというのはよくあるパターンですが、この大会から体操界も10点満点の上限をなくした新採点基準とのこと。大技をいかに多くして高得点を目指すか、というのが改訂の方向性だといえるでしょう。それなのに、日本チームは失敗での減点を少なく、という素人から見ても分かる作戦の失敗が明らかです。これからは、綺麗な体操だけでは世界では通じず、昔の「ヤマシタ跳び」や「月面宙返り」クラスの、日本発の大技の開発が期待されるということです。

競馬のディープ・インパクトが3位となったフランスの凱旋門賞レースで、薬物疑惑!後追いで、失格となりそうです。フランスの獣医が処方した薬についての知識が、日本の関係者に全くなかったというのが、どうも原因です。大掛かりな準備をして出かけている割には、現地の当たり前のノウハウがまだまだ足りないということ。世界と向き合うには、後になれば何でもないような小さな知識や経験が、大きな意味をもつことがあります。

私たちの生活でも、いつも自分の都合や理屈ばかりで暮らしていると、所詮、いつまで経っても井の中の蛙。あなた自身の望んでいる未来があるならば、それにしっかりと向き合う度胸の座った心構えが必要です。周りの他人を責め、結果で落胆するだけの悪循環の前に、望んでいる世界に向かって、祈りの中で、心構えを整えましょう。


ゴネ得は、やはりダメです! 2006年10月15日

北朝鮮の地下核実験に対応して、国連でも制裁決議案が採択されそうです。北朝鮮に強行路線を取りたい意向を示してきた日本やアメリカだけでなく、何かと北朝鮮に温情を示してきた中国やロシアも、今回、国際社会の制止を無視する形で実験を行ったことに対しては、大きな懸念を表しています。

ただ、今回の制裁決議案がどれほどの効果を北朝鮮にもたらすか、予想は難しそうです。この北朝鮮という国、周りから戒められたり、忠告されたりすると、余計周辺各国が嫌がることをする習性があるからです。嫌われることを散々やり散らかして、その後の交渉を有利に進めようという魂胆。この北朝鮮流のやり方は、「瀬戸際外交」などと呼ばれていますが、それももう限界に近い感じです。

最近では、日本でもイギリスでも住宅地で「騒音おばさん」が訴えられたり、各地で「ごみ屋敷」の問題が取り上げられたり、と変な事件が起こっています。平気で人が嫌がることをして、何とも思わない人が増えているのです。自分の権利や主張だけは一人前で、人々への配慮や思いやりは全くもたない人が増えています。本屋の店先には、「ヤクザに学ぶ交渉術」や「闇社会のノウハウ」などという、どう考えてもお勧めできない書物が並んでいます。少年犯罪や詐欺など、世の中がどんどんおかしくなってきたので、自分も負けないで悪の手を身に着けようというのです。

どう考えても、お勧めできません。聖書は、はっきりと悪に対して、悪で報いてはダメだ、と教えています。悪の行為は、悪の連鎖を生み出すだけで、物事の本当の解決にはなりません。かえって負の借金をあちらこちらに残してしまいます。“悪に負けてはいけません。かえって、善をもって悪に打ち勝ちなさい(ローマ12:21)”と語られています。ゴネたり、すねたりして何かを有利に運ぼうとするせこい考えではなく、主キリストの恵みに支えられて朗らかな心で、堂々と物事に当たりましょう。


そして、物語は続きます! 2006年10月9日

この秋、政治の世界にも新風が吹き込み、安倍晋三氏が戦後最年少の総理大臣となって、改めて国会が動き始めました。普段は、国会の動きにはさほど関心を払わない人々も、所信表明演説を皮切りに、代表質問、予算委員会などでの答弁に注目しています。小泉前首相時代の改革の波に乗り、また北朝鮮拉致問題に関しては強気の姿勢を明確に打ち出し、国民的な期待や人気を背景に、異例のスピードで政界のトップに上り詰めた若き指導者の手腕に、関心が集まっているわけです。

中国、韓国首脳との会談も早々に実現するなど、若さや行動、大胆さをすでに打ち出している面があるものの、議会での答弁や毎日の会見などでは、非常に注意して安全運転しているなという感じ。慎重に、慎重に、ということでしょうが、これがいわゆる政治家の答弁に終わらず、本当に大胆で効果的な改革を行財政全般に発揮していけるかどうかは、これからの展開で判断するよりほかありません。

今回の安倍氏にしても、総理大臣になったからそれでめでたくハッピーエンド、ということではないのです。ここまでは、順調。でも、物語は、まだまだ続くのです。いや、これからの方が人々の期待や関心、責任の重さなどが加わってくるのですから、もっと大変だろうと思います。映画の終わりを告げる「終」や「完」、あるいは「FINE」の文字は、私たちの人生の物語には、簡単には現れないのです。

私たちの教会の歴史にも、今回みんなで祝っている“50周年”も決してそれですべてが完成したり終了したりするわけではありません。物語は、続きます。私の人生も、あなたの人生も、神様が“もう良い”とおっしゃるまで、物語は続きます。途中の一部分だけ見て、安心したり、妥協したり、あるいは、投げ出したりするのではなく、神様の導きの中で物語りはまだまだ続いていることにいつも意識を向けておきましょう。「つづく」や「to be continued」の表示があなたの毎日の出来事や一月一月の動きの締めくくりにも現れてきます


仕えることの喜び! 2006年10月1日

この一週間は、マレーシアの首都クアラルンプールにある神学校、スクール・オブ・アクツ(The School of ACTS)での集中講義に招かれ、出掛けて来ました。ムーイ先生はじめスタッフの皆さんも、それぞれ元気に頑張っていました。

みんなが本当に親切にしてくれます。私がいつものように重い荷物を持っているのを見るやいなや、すぐに手伝ってくれますし、何か頼みごとをしてもみんな親身になって協力してくれます。何だか自分が気分よくなり過ぎて、わがままになってしまうのではないかと思うくらい、誰も彼もが一生懸命に手助けしてくれますし、世話を焼いてくれるのです。

ありがとう、と感謝すると、決まって“It’s my pleasure to serve!”という答えが返って来ます。仕えることは私の喜びです、と。ムーイ先生はじめ、誰もがこのフレーズを口にします。誰かのために、自分の最善を尽くして奉仕することは、私の喜び、誇り、私の人生に生きがいを与えているものです、とみんなで繰り返し告白し、そのとおりに実践しているのです。

日本のレストランでも、何かを注文したり、お願いしたりすると、お店の全員が“はい、喜んで!”と大きな声で返事してくれて、きびきびと実行してくれるところがあります。なかなか気持ちの良いものです。どの程度心がこもっているかどうかは別としても、それでも嬉しく感じます。ましてや、神様の愛と力に満たされたクリスチャンが“喜んで”人々に仕えることは、どれほど素晴らしい恵みを生み出していくでしょうか。与える愛が神のみこころに適う善き業をどんどん拡大していきますし、そのことで人々の心は愛に満たされていきます。

この数日は、そんな仕える笑顔に囲まれた幸いな時を過ごしました


台風でも前進!祈りの力で飛躍! 2006年9月26日

先週の日曜日から翌月曜日にかけては、非常に大きな台風13号による影響が、西日本を中心にして各地にもたらされました。特に、九州、中国地方の方々が安全に守られたことを感謝いたします。

かく言う私も、松山での2回の日曜礼拝の後、敬老会においてショート・メッセージを語らせていただくやいなや、九州福音センターの礼拝へと福岡を目指して出発したのでしたが、予定していた飛行機は欠航。すぐさま松山観光港へとダッシュして、九州か少なくとも本州へと渡る船は動いていないか、とチェック。幸い、広島行きの高速船に飛び乗ることができました。欠航直前の便、最後の便だったのです。

ところが、その後は・・・。新山口まで進出したものの九州には入れず、善後策を練るために徳山、広島へと後退。広島で望みを託してそのものズバリ「のぞみ」に乗り込み、運転再開を願っていたのでした。混乱してコンビニの食べ物も底をついた駅を右往左往しながら携帯電話でみんなに電話をかけ・・・。と、悪戦苦闘の状況が深夜近くまで続いたのです。私の姿は広島駅かどこかでのテレビの実況に映っていなかったでしょうか。

確かに、台風の日は静かにしておけば良いのですが、こと神様に対する礼拝を守ることに対しては、牧師の執念の燃やし方は尋常ではないのです。本物の信仰は、人生の順境において調子よくあらわされるだけでなく、むしろ逆境においてもそれぞれの場面で信仰の汗と熱意をほとばしらせながら具体化されて行くのです。信仰には、冷めた理屈や心のわがままな感情を越えて、神様の恵みに向けてしゃにむに前進するという要素があります。

本日、松山の礼拝は、豊かな自然に囲まれた中での合同礼拝。一昨日の金曜日夜から始まった祈祷聖会の一番大切な集会です。神様が自然界に与えられたいのちの営みを肌に感じつつ、50周年を迎えた私たちの教会の歩みの中で、私たち一人一人も豊かに力といのちに満ち溢れさせていただきたいと願っての特別な礼拝です。神様は生きて働いておられます。ですから、台風のような天災の体験の中でも私たちはそれぞれに前進することが出来ます。さあ、今日の祈りの中で祝福されましょう!


「祈祷聖会」で大いに祝福されましょう! 2006年9月15日

今月から来年の8月までの1年間を用いて、私たちの教会の50周年を祝いたいと願っています。私自身が祈っていた際にも、ただパーティーを開いたり、記念誌を出したりして終わらせるのではなく、“力強く勢いをもって、成長しながら祝いなさい”と明確な示しを主からいただきました。本当に、そのようにしたいと思っています。

私たちの教会の本質である、主キリストの救いや、癒し、聖霊の恵みの溢れる教会として、日本のリバイバルへの働きの最先端を切り開いて行ける教会を作り上げて行きたいものです。故万代恒雄牧師の松山開拓以来、実に半世紀に及んだこの教会の歴史に、力に溢れた新しいページを開きたいと願っています。

私たちの人生には、何かの区切り目、節目を用いて自分の生き方を吟味しよう、自分の生き方を整えようとすることがあります。入学、卒業、就職、結婚、退職・・・もっと身近なところで言えば、毎年の誕生日や、正月に新しい日記を開く時や、あるいは月初めのミーティングの中などでも、自分の生き方は、物事への取り組み方はこれで良いのかと問い掛けるのです。

私たち人間は、単に物理的な時間を計るだけではなく、神様から与えられた特殊な能力により人生の意味を理解する「時の流れ」を感じる能力を持っています。そして、私たちはその都度、人生の価値を受けとめるのです。ですから、人生はただ長いからといって幸せを実感できるのではなく、生きがいを感じられるかどうかが重要な点となってきます。

私たちの教会に与えられた半世紀という歴史があります。それを価値あるものとするのも、ただの記念日としてしまうのも、実は私たち次第。心して、この教会を通して表された神様の恵みを感謝し、喜び、さらに福音宣教のビジョンに満たされましょう。今回の「祈祷聖会」の恵みをしっかりと受けとめて下さい。主キリストの救いにあずかった神の家族として、共に祈り、交わりの時を持ちましょう。神様に選び出していただいた者として、この家族の一人一人と共に、世の光としての歩みを実現して行くのだということを再確認しましょう。さあ、あなたも今週末の「祈祷聖会」にご参加下さい。共に、恵まれましょう。


帰って参りました・・・! 2006年9月11日

去る一週間の最大のニュースは、と言えば、やはり秋篠宮妃殿下の男子ご出産の報。皇室典範改正案に関する賛否の立場や、そもそも天皇制そのものの是非に関して世論は分かれるものの、皇室に41年ぶりに男子誕生のニュースに、日本のみならず世界中が注目し、沸き立ったのでした。しばらくは巷にも祝賀ムードが溢れるはずです。

テレビ、新聞、インターネットと様々な媒体で、この話題が仔細に報道されているのですが、私が関心を引かれているのが、ご出産直後の秋篠宮さんと紀子さんのごく短い言葉のやり取り。「ごくろうさまでした」とねぎらう秋篠宮さんに紀子さんが「帰って参りました」と言葉を返したそうです。皇室という特別な立場と環境であることは十分に承知しつつも、言うまでもなく自分の主人に向かって「帰って参りました」と・・・。「行って参ります」と分娩室に向かわれ、「帰って参りました」と戻って来られ、体調を伺う医師団にも丁重に答えられているようです。美しい言葉遣いだな、と感じませんか?いえ、言葉以上の深い節度や人生の美といったものを感じさせられます。

数年前から、本屋さんやテレビの番組では、日本語ブームです。しかし、このブームは、日本語がボロボロになりつつあることへの危機感の裏返しであることは明白。おいしい食事を口に運んでも、綺麗な女性が「うめぇ!」と叫び、周りの人に「あんたも喰う?」と勧める時代です。女の子はもう少し綺麗な言葉を、などと言うと、すぐに性差別だと切り返されます。世の中全体がカジュアルで、肩の力を抜いて、自然な雰囲気になることは決して悪いことではありません。しかし、だからといって、公私の区別を見失ったり、敬語の用法にも伴うような節度や、心構え、居ずまいを正したりすることは失ってはならないものだと思います。

私たちの、神様の御前に立つ信仰の姿勢も、時には節度や正しいへりくだりといったものを意識的に思い出す必要があります。神様にわがままの言い放題、ギャーギャー叫び放題の祈り方だけでなく、敬語を使うような節度をわきまえた信仰をも働かせようではありませんか? 

「帰って参りました」・・・今年の流行語大賞に、私は推薦します。


教会創立「50周年」を盛大に祝おう! 2006年9月4日

この9月から来年の8月末までの一年間を、私たちは特別な一年間として喜びと感謝をもって過ごしたいと思います。その中身は、ずばり私たちの教会の伝道開始以来「50周年」。故万代恒雄牧師が、ここ松山の地で全くのゼロからの開拓伝道を始めて、実に半世紀という時間が流れました。

今まで私たちの教会は、街のあちらこちらにある教会と比較して“新しい教会”と、自他共に表現することが多かったのですが、そんな教会も歴史の中に50年という価値ある時間を刻むこととなりました。物事を全く新しく始めるのは、大変な労力と勇気を必要とします。そして、一旦、始まった物事をしっかりと継続するのは、また別の努力と犠牲が不可欠。まして、その継続の中で、価値ある結果を生み出すことは、本当に大きな意味のあることなのです。

一人の伝道者が、路傍で福音を叫び始め、病人を訪ねて伝道し、ただ神のみを見上げて家の一室のような小さな場所からでも教会を始めたことが、日本と全世界の各地に数え切れないほどの人々の魂を救いに導き、各地にいのちに溢れた教会を生み出して来ました。神学校も誕生し、今も福音放送は世界中に救い主イエス・キリストのメッセージを伝え、日本人伝道者による画期的な海外伝道は今も活発に展開中です。

この価値ある「50周年」を祝おうと思い立った時、主は祈りの中で私の心に明確に語って下さいました。パーティーや記念誌の出版だけで、単なる回顧的な記念としてはならない、と。力強く成長しつつ、大きな喜びをもって祝いなさい、と語りかけて下さったのです。この「50周年」を節目として、本来の教会の姿にしっかり立ち返り、聖霊による飛躍をますます実現しつつ、成長といういのちを具体化させつつ祝いなさい、ということです。

私は、今46歳。「100周年」は、子供や孫たちの世代に譲ることになりそうです。だからこそ、歴史の中のこの大きな区切り目を信仰の原点に立ち返りつつ、私自身も本気で祝いたいと願っています。あなたも、この祝いの流れにぜひ参加してください。


水・金・地・火・木・土・天・海・・・! 2006年8月27日

「水金地火木土天海冥」と呪文のように覚えていた太陽系の惑星の数が、9個から8個へと減少することとなりました。世界の天文学者の会議で、今回、惑星の定義が吟味されるに伴って、76年前に発見され、太陽系の一番外側にあるとされている冥王星が、“矮(わい)惑星”へと降格されたとのこと。冥王星を惑星のランクにとどめようとすると、他に3つの新しい惑星を認めざるを得なくなるということもあって、より惑星らしい科学的水準を満たす8個に限定しようということです。

庶民の私たちにとっては、天文学の基礎中の基礎、常識中の常識のように思われていたことですが、実は最初から基準が明確ではなかったということ。“科学的”という概念を振りかざすと如何にも真理を扱っているようですが、実は不明瞭な事柄も多々あるという訳です。今回の表決も、何だか小学校での挙手での多数決を見ているようで、第一線で活躍する科学者たちによる国際的な会議の割には庶民的な雰囲気でした。

専門の天文学者たちは今回の決定に概ね賛成のようですが、一番慌てているのは、占星術師たち。“惑星の運行や引力の影響で・・・”と人の運命を占っていた根拠が、あれれ?という感じ。“冥王星は惑星でなくなっても、あるものはある!”と強弁したところで、今度は、冥王星クラスの天体が他にもずっと存在していたということになれば、それらの影響はどうなったのだ、どうなるのだ、と言い始めると、もう収まりはつきません。所詮、占いやまじないの根拠というのは、その程度のどうにでもなる、いい加減なものです。また、大変面白かったのが、漫画家の松本零士さんのコメント、曰く「科学者は、冥王星が太陽系の果てという“心情的”なものをもって、決断して欲しい」。さすが汽車でも戦艦でも宇宙に飛ばしてしまう、発想豊かなロマンに溢れた見解でした。

科学の常識と思われていたものでさえ投票で変わってしまう、そんな変化に富んだ時代です。気を付けておかないと、変わるべきではない人生の大切なものまで、変化しかねない動きの激しい世の中です。変化の激しい状況で幸せをつかむためには、何があっても揺るがない、安定したものを持っておくことです。


体内時計の調整をお忘れなく! 2006年8月06日

地球の1日が24時間なのに対し、生体としての人間が本来もっている1日の単位は25時間だそうです。すなわち、もし光も音も温度も1日中変わらない条件の中で生活すると、人間は25時間ごとに寝たり・起きたりすることになる、とのこと。この25時間1周期のリズムを1時間早めて、24時間で1日を生活するようにするために、私たちの体には、体内時計ともいえるものが存在しているそうなのです。

その時計とは、具体的には、左右の眼の網膜からのびた視神経が、視床下部で交叉している所のすぐ上にある“視交叉上核(しこうさじょうかく)”のこと。直径わずか1ミリの超小型・超高性能時計。その時計は朝、眼から入る太陽の強い光を感知すると、3〜8ミリとやはり小さな“松果体(しょうかたい)”に信号を送る。松果体からは“時計ホルモン”と呼ばれるメラトニンが分泌される。メラトニンは約14時間後に睡眠を促すホルモンで、血流によって、体の隅々まで時間の情報を運んでいく、という仕組みです。

難しいお勉強のようになってしまいましたが、要は、キチンと太陽の光を浴びないと、私たちの生活のリズムは滅茶苦茶になりかねない、ということ。私たちは、太陽の光を浴びることで体内時計を1時間早めるリセットボタンを毎日押していることになります。なるべく朝早く、決まった時間に太陽の光を浴びて、昼間も太陽の下に出る時間をとるようにすると、毎日の体のリズムが適切に整えられるのです。夏は暑いから嫌だ、とクーラーの利いた部屋に一日閉じこもっているばかりで、それで体調を整えようなどと考えていると、かえって体内時計は微妙に、しかし確実に狂い始めてしまうのです。

生活のリズムは、人間が本来もっている性質だけでなく、太陽の光での調整が必要であると同じく、私たちの心の状態も、自分の気の向くままではなく、確たる軸をもって、それを基準に常に微調整していくことが不可欠です。私たちに与えられた能力や可能性を十分に発揮するためにも、常に心の軌道修正をすることが大切なのです。夏の太陽の日差しをしっかりと浴びると共に、私たちの心の思いもきちんと整えましょう。


2006年夏…大いに充実した日々をすごしています! 2006年8月20日

この一週間は、実に恵みの溢れる日々でした。先週の日曜は、8月の半ばの日曜日にすっかり恒例となった合同記念会礼拝。ずらりと並べられたお写真の中に、天に召された懐かしい兄弟姉妹のお顔を多数見出し、懐かしい思い出が思わず脳裏にフラッシュ・バック(日本風に言うならば、“走馬灯のように”という感じでしょうか?)。礼拝後には、教会の霊園にも数名の姉妹たちと訪れることができ、炎天下ではありましたが、そちらでも共に祈りを捧げることができました。

月曜、火曜の2日間は、奈良・橿原での全国聖会。第13回を数えることとなった聖会も、さらにパワー・アップ。松山からの音楽関係者は、聖会前日には会場入りと気合も十分に、素晴らしい聖会となりました。全国からの兄弟姉妹との楽しい交わりがあり、信仰の成長を刺激する、大変恵まれた機会となりました。参加した全ての兄弟姉妹にとって、恵みの溢れる旅となったはずです。

全国聖会の直後、私は、文字通りのダッシュ一番、近鉄電車とJRを乗り継いで、琵琶湖近くの別の聖会会場へ。火曜の夜から、水曜日にかけての時間を、近隣から集って下さった200名あまりの方々に御言葉を語りつつ、私自身も“主のために生きて行こう!”という心構えを新たにさせられたのでした。全国聖会満ち溢れた祝福を、さらに別の群れの兄弟姉妹たちにもお分かちすることができました。

そして、昨日は、納涼大会。金曜より台風10号の影響も心配されたのですが、主が台風の通り抜けるタイミングも上手く整えて下さり、楽しい夕べのひと時となりました。教会の兄弟姉妹はもちろんのこと、ご近所の方々も楽しみに集まって下さり、おいしい食べ物の屋台もずらり、楽しい出し物も盛り沢山と、素敵な夕涼みのひと時となりました。

世の中には、同じ夏でも、暑い、忙しい、鬱陶しいと文句や愚痴ばかり言って過ごしている人もいる訳です。しかし、私たちは主キリストの恵みの中に自分自身の歩みをしっかり保って、喜び感謝しつつ毎日を過ごすことができることを心から嬉しく思います。2006年の夏もそろそろ後半。さあ、あなたの夏の日にも、主は恵みを用意していて下さいますよ。日々の礼拝の中でも、主の御業をしっかりと体験いたしましょう。


体内時計の調整をお忘れなく! 2006年8月06日

地球の1日が24時間なのに対し、生体としての人間が本来もっている1日の単位は25時間だそうです。すなわち、もし光も音も温度も1日中変わらない条件の中で生活すると、人間は25時間ごとに寝たり・起きたりすることになる、とのこと。この25時間1周期のリズムを1時間早めて、24時間で1日を生活するようにするために、私たちの体には、体内時計ともいえるものが存在しているそうなのです。

その時計とは、具体的には、左右の眼の網膜からのびた視神経が、視床下部で交叉している所のすぐ上にある“視交叉上核(しこうさじょうかく)”のこと。直径わずか1ミリの超小型・超高性能時計。その時計は朝、眼から入る太陽の強い光を感知すると、3〜8ミリとやはり小さな“松果体(しょうかたい)”に信号を送る。松果体からは“時計ホルモン”と呼ばれるメラトニンが分泌される。メラトニンは約14時間後に睡眠を促すホルモンで、血流によって、体の隅々まで時間の情報を運んでいく、という仕組みです。

難しいお勉強のようになってしまいましたが、要は、キチンと太陽の光を浴びないと、私たちの生活のリズムは滅茶苦茶になりかねない、ということ。私たちは、太陽の光を浴びることで体内時計を1時間早めるリセットボタンを毎日押していることになります。なるべく朝早く、決まった時間に太陽の光を浴びて、昼間も太陽の下に出る時間をとるようにすると、毎日の体のリズムが適切に整えられるのです。夏は暑いから嫌だ、とクーラーの利いた部屋に一日閉じこもっているばかりで、それで体調を整えようなどと考えていると、かえって体内時計は微妙に、しかし確実に狂い始めてしまうのです。

生活のリズムは、人間が本来もっている性質だけでなく、太陽の光での調整が必要であると同じく、私たちの心の状態も、自分の気の向くままではなく、確たる軸をもって、それを基準に常に微調整していくことが不可欠です。私たちに与えられた能力や可能性を十分に発揮するためにも、常に心の軌道修正をすることが大切なのです。夏の太陽の日差しをしっかりと浴びると共に、私たちの心の思いもきちんと整えましょう。


ギラギラ照りつける太陽を楽しもう! 2006年7月30日

私独自の梅雨明け宣言から2週間近く遅れて、去る7月26日(水)に九州・四国地方が気象庁のお墨付きの梅雨明け。それ以来、ここ松山は、文字通りの真夏の日々となっています。ギラギラ照りつける太陽、ジリジリと肌を焼くような日差しとは、まさにこのことです。気温も、連日33、34度まで簡単に上がっています。

そんな暑さの中、教会学校のキャンプから楽しそうに帰って来た子供たちを見ていて、本当に幸せな感覚を覚えました。別に夏だけが特別な季節ではありませんが、学校の夏休みや、仕事も休暇を取りやすかったりで、夏には夏にしかできない教会の特別な行事が目白押しです。一つ一つの集会やイベントに、私たちを特別な祝福で満たされていると感じられるのです。

最近では、朝のラジオ体操もなくり、海水浴に行きたがらない子供たちが増えてきて、夏らしさが消えつつあります。エアコンの効いた部屋の中で一日中テレビゲームをするばかりで、バーベキューの火ひとつ起こせない、太陽の下で汗をかくこと自体をうっとうしがる・・・。そんな気分が広がっています。単に夏らしさが喪失しているというよりも、人間味や生きるパワーが失われていっているようで、心配になります。

私たちに与えられたこの夏の日々を、心から溢れる元気をもって楽しく過ごしてまいりましょう。いつもの、お決まりのパターンだけの生活ではなく、夏だからこその動きを楽しみましょう。そのためには、時には意識的に“非日常”的な行動を作り出すことです。夏の喜びは、炎天下でも走り回る高校球児だけのものではなく、私たちみんなのものです。

中高生会のキャンプも、全国聖会も、必ず大成功します。ギラギラ照りつける太陽に向き合う元気を、神様があなたにも与えてくださいますように。力、恵み、心の活力が与えられますように、と祈ります。


素直な心、シンプルな感覚が大事です! 2006年7月23日

昭和天皇の肉声とも呼べる当時の側近への言葉が、元宮内庁長官の詳細なメモや日記から明らかにされ、大変な反響を呼んでいます。特に、最近何かと話題の靖国神社でのA級戦犯合祀問題に関しては、今まで厚いベールに包まれたものとして、謎であった部分が、驚くほどつまびらかにされていて、衝撃さえ感じてしまいます。

御前会議などで、戦争突入への流れを強行に作った当の本人たちを知っているからでしょう。何人かの名前が具体的に語られ、それらの人物が、純粋な愛国心や天皇陛下への忠誠心で兵士として死んだ者たちや、一般人でありながらも悲惨な戦争の犠牲者となった人々を慰霊する場に同じように取り扱われることに、明確な不快感を表明したものとなっています。

戦後の体制の中で、天皇の発言は、政治的な色合いを極力抑えたものであるように、とされてきました。しかし、今回のメモなどから垣間見えるのは、昭和天皇がいつも無表情で淡々とした人間味の薄い人物であるというよりも、むしろ、私たち庶民の感覚に近い感情をもっていた一人の人間であったということです。自分の置かれた複雑な立場や、多大な犠牲者を出した戦争への深い反省や後悔があったということです。

私たちは、もちろん、天皇のような特別な立場にいる訳ではありません。しかし、それでも、本当に自分が求めているものを素直に表現できずにいて、だんだん物事の本質が本来の目的からずれて行くことがあります。いろいろなことが複雑に絡みやすい世の中だからこそ、私たち一人一人の心の中にあるはずの素直な心、シンプルな感覚を大事にしましょう。

ややこしい話よりも、あなたの素直な思いを、仕事や奉仕など、何かに取り組む時は、いつも最初の純粋な気持ちを忘れないことです。


2006年も、夏本番です! 2006年7月14日

毎年、7月の神学校のスクーリングが終わった翌日の日曜日は、私にとっては特別な日曜日なのです。それは、いよいよ夏本番に突入という区切りとなる聖日だからです。6月の梅雨入りから、この7月の神学校のスクーリングまで、